第16話「集い2」
食事を始めて少し経ち、大人たちの酒がだいぶ回った頃、オレたちは酩酊状態になったアンジェリカの武勇伝に付き合わされていた。
「…と、そこで私は前へ出た!そして、襲いかかる数十体の魔物達をバッタバッタと薙ぎ倒し、そのままうずくまる子供を傍に抱え、この豹の如き俊足で奴等をまいたのだ!!」
「さすがれすぅあんじぇりかさまぁ〜!」
「だいぶ盛ったわね……」
「本当は数匹なのよねぇ」
4人ともだいぶ呑んでいるけれど、うち2人はかろうじて正気を保っているようだ。
自分語りが止まらないアンジェリカと、支離滅裂気味で呂律の回っていないジネット。
それを介抱するカリーナとドナ、そして巻き込まれているルジカと、賛同して楽しむガイアとジュリアーノという構図。
もう飲み会じゃん……。
一方オレたちはというと、経津主以外は基本的に酒を飲まないので酔っている様子はない。
ガイアとジュリアーノは少々場酔いをしているようだが…。
「楽しいものだな、大勢での食事というのは」
お手洗いに立っていたディファルトが帰ってきて、オレの隣に座った。
「ディファルトは酒を呑まないのか?」
「ああ、アルコールはどうも体に合わないんだ」
そう言って、ディファルトはグラスの水を口へ運ぶ。
天井から吊れ下がった照明がグラスに反射して、ディファルトの白い髪がキラキラと光った。
本当に色素が薄いな。
近くで見ると髪の毛の一本一本がハッキリと目に映る。
ガラスでできているのではないかと疑うほどに美しく繊細な毛髪は、さながら闇に浮き出る蜘蛛の糸のようだ。
ていうか、薄すぎて若干透けてるまであるんじゃないか?
「…何かついているか?」
「あ、いや、そうじゃなくて」
さすがに見すぎたようだ。
気まずさの混じった物怪顔でディファルトが問う。
「綺麗な髪だな〜って思ってさ、本当まっさらで。あ、いや、そういうことじゃなくて!毛の一本一本が真っ白でなんか神秘的だってことで!」
「ああコレか。珍しいだろう」
「…まあ、うん」
ディファルトはそう言い、自身の髪の毛に手櫛を通した。
「本で読んだのだが、俺は生まれつきに体の中の色素という物質が極端に薄いらしい。本来は肌や髪の毛を黒くすることで紫外線?などから守るのだそうだが、どうも俺にはそれが出来なくてな」
「そっか、大変だな。日焼けとか痛くないのか?」
「そりゃ痛いさ。だが、日焼け止めを塗った上でこの魔具の鎧を身につけているから、ある程度は緩和されるぞ」
そう言って左腕の小手を外し、裏側を見せてくれた。
そこには、黒い生地に青白く光る魔法陣がびっしりと描かれていた。
なるほど、こうやって無機物に魔法を閉じ込めるのか。
ジュリアーノの着けていたゴーグルも同じ仕組みだろうか。
「文字が薄れたら魔力を補充する、そうすれば少ない魔力消費で半永久的に使うことができる。抗菌・抗ウイルス作用もあるぞ」
「便利なもんだなぁ」
そういえば、オレの槍には風神アイオロスの加護がついているけれど、それとは何か違いはあるのだろうか。
アイテールからそういうことは聞いていないし…っていっても、アイツが言っていないだけかもしれないけど。
「加護とは違ぇからな」
まるでオレの心の中を読んだかなように、経津主が横から入ってきた。
読心術でも使えるのかよお前は…。
「加護ってのはそいつの体の一部を持つことで受ける恩恵のことだ。魔具と違って当の神が死ななけりゃ、基本的に魔力が薄れることはねぇ」
「詳しいのだな」
「当たり前ぇだ。こちとら刀の神だぞ」
「あんま大きい声で言うなって…!」
経津主が神であるということは一応隠している。
冤罪だったとはいえ、一時は冷酷残忍な邪神として世間を騒がせたのだ。
それに、頭から刀を生やしたその姿も、街中を歩くにはなかなかインパクトが強すぎる。
そこはジュリアーノの変身魔術でなんとかしているが、本人にはあまり隠す気がないようだ。
服装もジュリアーノが用意してくれると言ったのだけれど、何故か頑なに元々の和服を着たがったので、まあ支障は無いだろうし、そのままにさせている。
「そういやお前、目も悪かったよな。眼鏡掛けねぇのか」
「あー…。眼鏡はな…。視界がこう、ぐわんとなるというか、歪む感じがどうしても合わなくてな…」
確かに、ディファルトの視力はだいぶ悪い。
10cmは近付かないとものがハッキリと見えないようで、更には色の判別も少し難しいなんて言っていた。
それだけの近視ならレンズも分厚くなるだろうし、その分視界の歪みも強くなる。
「弱っちい奴だぜ」
「やめろよ、ディファルトだってなりたくてなったわけじゃないだろ」
「良いんだ、気にしていない」
ディファルトはコップを口へ運び、そのまま傾けて水を半分流し込む。
「つーかよぉ、そこまで悪くなる前にお袋さんやらに何か言わなかったのかよ。視界がボヤけるのがおかしいとか、5歳児にだってわかるぜ」
デリカシーの無いやつ…真っ向から地雷でもを探して踏みに行く気か?
「あ…いや、親はいないんだ」
「えっ…」
早速踏みやがった!!
一瞬にして気まずくなる空気。
さっきまでうるさいくらいに賑やかなアンジェリカたちの声が聞こえていたのだが、そんなものはもう頭に入ってこない。
「…その、なんだ……悪かったな…」
微妙な表情でゆっくりと目を逸らす経津主。
その一方で、ディファルトはいたってあっけらかんとしている。
「ああ、気にしないでくれ。覚えていることは何も無いからな」
更に気まずいんだが…。
「ほーん、じゃあ孤児か?」
「お前なあ!」
コイツ、スイッチの切り替えがとんでも無く早い。
さっき反省したんじゃなかったのかよ。
まあ、本人が気にしていなそうだし、別に良いのか…?
「いや、違うぞ」
「え?」
「じゃあなんなんだよ、オオカミにでも育てられたってか?」
ディファルトはコップの水を全て飲み干し、一拍置いてから口を開く。
「分からない」
曇りなき眼でその言葉を発するディファルト。
オレと経津主は一瞬言葉が理解できず、同じ表情でポカンとしていた。
「はぁ?分からないだァ?」
「ああ、そうだ。俺には子供の頃の記憶が無い」
「ええっ!?」
唐突過ぎるカミングアウトに、オレは思わず大きな声を出してしまった。
声を聞いたアンジェリカたちが、「なんだなんだ」と集まってくる。
記憶が無いって、よくもまあそんな重大なことをサラッと。
「…マジ…なのか…?」
「もちろんだ。…前にも話したと思うのだが」
「聞いてない聞いてない!そんな濃い情報忘れるわけない!!」
「なんだ、何かあったのか?」
ディファルトが落ち着きすぎているせいで、まるでオレたちのリアクションがオーバーかのようだ。
アンジェリカやジュリアーノは何が起こっているのかが理解できず、顔にはハテナマークが浮かび上がっている。
「何だと!?記憶喪失だって!?!?」
「アンジェリカ、周りにご迷惑よぉ」
「あ、ああ…すまないカリーナ」
驚いて大声を出したアンジェリカをカリーナが優しく窘める。
本来はジネットの役割であるが、今の彼女は完全に泥酔して最早熟睡状態でいるので難しいだろう。
ほとんど酒場みたいに賑やかだし、声はあまり気にしなくても良さそうだが。
「なんで僕らに話してくれなかったの?」
「ディファ、結構忘れっぽいから…」
「ああ、すっかり忘れていたな」
「軽い…」
ジュリアーノは呆れたように言う。
「何故記憶を無くしてしまったんだ?…といっても、覚えていないか…?」
「申し訳ないが覚えていない。だが1番古い記憶だと、俺は海辺の洞窟の中にいた」
「洞窟?」
手に持ったままだったコップを置き、俯いたディファルトの眉間には深い皺が刻まれている。
そして目をつむり、腕を組んで考え込む。
「ああ、何やら硬いものの中で全裸のまま寝ていた。今思えばアレは…棺桶?」
「棺桶って、吸血鬼じゃあるまいし」
「でもアレは棺桶だったぞ」
「他には何か無かったの?」
「その時は認識が曖昧だったからな…」
そう言い、目元に手をやってどうにか思い出そうと考え込むデイファルト。
ふとジュリアーノの方を見ると、顎に手を当てて小さく唸っている。
どうやら何か考え事をしているようで、彼の眉間にも皺が寄っていた。
「どうした、ジュリアーノ」
「…何かの風習で、”生贄を棺桶に入れて海へ流す”っていうのがあった気がするんだけど、何のことだったかが思い出せなくって…」
「何よその風習…怖すぎ…」
ジュリアーノは更に考え込むが、どうしても思い出せないようだ。
そんな様子を見ていたカリーナは、少し考えてから口を開いた。
「風習のことは知らないけれど、棺桶に閉じ込められたまま海に流されたら息もしずらいわよねぇ。脳に送られる酸素が長い時間著しく少なくなると後遺症が残ることもあるのよぉ。もしかするとそれが原因かもしれないわねぇ」
「なるほど…」
さすがは回復術師、医療にも心得があるとは。
ジュリアーノのいう風習が事実かも、ディファルトが生贄になったかも不確かではあるが、現状では1番有力な説だろう。
だが1番有力といえど、まだまだ薄い。
「因みに、その棺桶は今どこに?」
「ああ、目が覚めた洞窟の中に置いてきてしまった。その時は特に重要視もしていなかったし、第一荷物になるからな」
「他には何かないか?身元が掴めそうな、例えば刺青とか傷とか」
「刺青…はないが、傷でわかるのか?」
「大きな傷なら可能性が無いわけじゃないよ」
「ならばあるぞ」
そう言って、ディファルトは髪をかきあげて自身のうなじを見せる。
それを見たオレたちは、一斉に驚愕した。
何故ならば、うなじから後頭部にかけて、彼の首には縦に大きな傷跡があったのだ。
「コレは…」
「また随分と大きな…」
切り傷のように見えるが、何故こんなところに?
戦いの最中に負ったのであれば胴や腕や顔なんかにつくはずだし、もし首を落とそうとうなじを狙ったのだとしても、縦に刃を入れることはまず無いだろう。
それに、大きな傷の割には両側の皮膚がピッチリと合わさっている。
普通は開いた傷口に皮が張って、薄い瘡蓋のようになるはずだが、だとすれば…。
「手術痕…?」
「だよね、僕も思った。」
ジュリアーノは顔を近づけ、その手術痕のようなものをじっくりと見る。
こんなに大きく開けるなんて、相当大掛かりな手術だったんだろう。
うなじなんて神経の温床だし、だいぶ難しい手術だったんじゃないだろうか。
「触ってもいいかな」
「ああ」
ジュリアーノが傷跡を人差し指と中指でゆっくりとなぞるが、その表情は一瞬のうちに途端に困惑に包まれた。
そして傷口を何度もさする。
「どうした?」
「縫い痕が、無い…」
ジュリアーノは押したり少し爪を立ててみたりするが、見つかる様子は一向に無かった。
前の世界にいた時は手術後数ヶ月で溶けて無くなる糸があると中学の理科教師が言っていたが、ジュリアーノやカリーナの反応を見るに、そのようなテクノロジーは無いようだ。
糸を使わずにこんなに綺麗に傷口を繋ぎ合わせたってのか?
ならばどうやって…。
「限りなく手術痕に近い傷跡?いやでも…」
「最新鋭の技術かしら。傷の近くの毛根も生きているし、こんなの見たことが無いわねぇ」
その後も二人は数分間観察を続けたが結局何も得られなかったようで、それぞれが自分の席へ戻って行った。
それから小一時間ほど飲み食いした後、ついにアンジェリカも寝入ってしまったため、食事会は解散となった。
外はすっかり陽が落ちて真っ暗な上、暖かい昼間とは裏腹にやたら冷え込む。
「みんな気を付けてねぇ。最近は物騒だからぁ」
「昨日郊外の貯水槽で水死体が見つかったって話しだしね」
「そんなことが」
やたらジュリアーノの石像が多い以外には特に平和な国だと思っていたが、物騒なことはどこにでも起こるもんなんだな。
「確か、腐敗が進みすぎて身元がわからないんだっけ」
「そう。しかも身ぐるみが全部剥がされていたって」
「うわ〜盗賊かなぁ」
「出会したら俺様が斬り刻んでやるぜ」
物騒な奴がここにもいた。
ため息を吐いてふとルジカの方を見ると、寒そうに小さく体を震わせている。
寒いのだろうか。
彼女は肩の空いた服を着ているし、オレの上着を貸そうか…いや待て、さっきのでまだ怒ってるかも…。
「…」
やっぱり、なんだか可哀想だ。
それに、こういう時に寒さを顧みず上着を渡すのが男ってもんだ。
よし。
意を決し、ボタンを外しながらオレはルジカへ声をかけた。
「…ル」
「ルジカちゃん寒いのぉ?お姉さんの上着貸してあげるわぁ」
カリーナはそう言って羽織っていたコートを脱ぎ、ルジカへと着せた。
コートを脱いだことで、カリーナはレースのインナーとブラウスだけになったが、寒そうな様子を全く見せていない。
「…い、良いんですか…?」
「もちろんよぉ。まだ若いんだからぁ、あんまり冷やしちゃ体に悪いわよぉ」
「ありがとうございます…」
カリーナに先を越されてしまった。
いや、別に不満があるわけでは無いのだが。
…胸の奥底でこう、言いようの無いモヤモヤした感覚がある。
なんだか、今日は自分が童貞であることを再認識させられたような気がする。
前の世界で女の子と話す機会が少なかったせいで、耐性がないというか、テクニックが全く身についていなかったのが原因だろう。
これは要勉強だな。