第11話「師匠」
王宮に居候し始めて1週間半。
最近は迷路のように広い宮廷内で迷わずにトイレへ行き着けるようになった。
ジュリアーノは毎日魔術の修行に明け暮れていた。
ひとつき前にロレンツォが様々な情報を集めた結果迎え入れたのが、今、中庭で杖を構えるジュリアーノを手取り足取り指導している女性だ。
名前はフィオレッタといい、アスガルドという国の出身で赤髪ロングに理想的スタイルのまさに絵に描いたような美魔女だ。
アスガルドとはここより北にある大国で、時代の最先端を行く先進国家なんだとか。
ジュリアーノいわく「魔術の聖地」なんて呼ばれていて、魔術を司る神が創設した超エリート学園があるらしい。
フィオレッタはそこで魔術講師を務めている、その界隈では名の知れたとても優秀な魔導士なのだ。
普段は個人の家庭教師などは頼まれても断ってしまうらしいが、同盟国であるアウローラの公王直々の依頼ということで、特別に引き受けたんだそう。
「こう足腰に力を入れて、しっかりと構えるの。じゃないと狙いが定まらないでしょう?」
「は、はい!」
……羨ましい。
い、いやいやいや!
オレだって午後から文字を教わってるし!!
フィオレッタは初対面で、ジュリアーノに3つの課題を出した。
魔力量の向上、苦手属性の魔術の克服そして3種類の上級魔法の習得だ。
その中でも最も優先しているのが魔力量の向上。
ジュリアーノの魔力量はとにかく少ないらしく、中級魔術3、4発でダウンしてしまうほど。
上級魔術を1発でも撃とうものならその場でバタンキューすることもしばしばで、上級以上の魔物との戦闘においてはとんでもなく不利。
魔術を使うたびに息が上がっていたのはそのためだろう。
オレはというと、中庭で毎日槍の練習に明け暮れている。
任務には行こうと思えばいけるのだが、正直経津主と2人のパーティーで行っても短気なアイツを1人で制御しきれる気がしない。
せっかくジュリアーノがくれたこの新しい服をビリビリにするのは、なんと言うか申し訳ないし、かと言って何もしないのもまた毎日頑張っている彼に申し訳ないので、力をつけるために今日もオレは槍の特訓に励んでいた。
え、なんで剣じゃないのかって?
それに関しては少し遡ることになる。
〜10日前〜
オレはいつものように剣の練習をしていた。
素振りや走り込み、図書室から剣術に関する本を引っ張ってきたりと思いついたことは大体やったのだが、なかなか成長が実感できない。
誰かに教わるのが1番手っ取り早いのだろうが、あいにく頼めるような相手もいない。
休憩中の兵士に頼もうかとも思ったけど、疲れてそうだしやっぱ申し訳ないよなぁ。
……いや、こんなこと考えても仕方ない。
オレは壁に立てかけていた剣を手に取り、素振りを再開した。
すると、
「よ、頑張ってるな」
背後から聞こえてきた声に振り向くと、そこには桃色の髪をした長身の男。
アイテールだ。
「まだいたんですか」
「オイオイ、ずいぶんひど言い方するじゃないか。そんなに帰って欲しいのか?」
そう言いながら階段へ腰掛けるアイテール。
うるせえな。
こちとらアンタのせいでガイアの正体が王宮の人たちにバレて、色々大変だったんだよ。
公王が理解あるおかげで大事にならずに済んだから良いけど、コイツのノンデリがまたいつ発動するかわからないし、正直あまり関わりたくない。
「オレの家じゃないんでどっちだって良いですけど、ガイアとは話したんでしょ?」
「まあな」
彼の探していたと言う旧友とはガイアのことだった。
ガイアとアイテールは共に原初からの神で、とても古くからの知り合いらしい。
そんな気はしてた。
前の世界でガイアといえば、ギリシャ神話における原初神の1人。
アイテールもその内じゃ原初の天空神だし、まあ知り合いだよな。
「どれくらいやってんのよ」
「まあ、2時間くらいですかね」
興味があるのか無いのかわからない声色で「へぇ」と言い、アイテールはそのままオレの素振りを眺めていた。
そしてしばらく経った頃、なにを思ったか唐突に口を開いた。
「……なあ、賢吾くんよ。俺とやってみないか?」
頬杖をつき、ニヤニヤとしながらアイテールが言った。
オレは素振りの手を一度止め、彼を見る。
「やるって……手合わせってことですか?」
「もちろん」
アイテールは「よっ」っと言って跳ぶように立ち上がると、自身の真横に手をかざす。
すると手のひらの中から黒い球体が出現し、次の瞬間直径50センチほどの黒いホールが現れた。
彼はそのまま手を突っ込み、吸い込まれるような漆黒の中から巨大な黄金の槍を取り出す。
デッカっ!!
アイテール自体2メートル近いのに、それよりもデカいぞ……。
「負ける気しかしない……」
「そう言うなって。ワンチャンあるかもしれないだろ?」
とは言え、原初神と一手交えるなんてそうそうできない体験。
自分よりも速い相手と走ればタイムが早まるように、彼と戦えば何か見えてくるかもしれない。
オレは一歩下がり、剣を構える。
「いつでも良いぜ」
「なら、遠慮なくっ!!」
オレは足を踏み出して突進し、アイテールに斬りかかる。
当たった!……と思った刃だったが、皮膚のギリギリのでひらりと華麗にかわされてしまった。
すぐに体勢を直して再び斬りかかるも、これまたいとも容易くかわされる。
「子供にしちゃ良い動きだ」
「このっ!」
今度は槍で剣を止められた。
四方八方どこから刃を向けても、ガキンという硬い金属音と共に見事に弾かれる。
ついには受けたまま剣を流されて槍の柄で背中の中心をドスっと突かれ、そのまま転げて壁に激突した。
「〜ってぇ!!」
「ほらほら、まだ終わってないぜ」
立ち上がり剣を構て突進するが、ヤツはまたも簡単に避けてしまった。
トッポくて筋肉質なくせに身のこなしはまるで空を舞う羽のようで、どんな攻撃を仕掛けても軽々と受け流されてしまう。
また避けられた挙句足をすくわれ、今度は頭を槍で殴られた。
「いっ!!……遊んでるだろ!」
「あ、バレた?」
コノヤロウ……!!
その後も、オレは何度攻撃を仕掛けたが、一方的に弄ばれた。
間合いには簡単に入れるのに、攻撃しようとすればデコピンで弾かれたり、オレが体勢を崩せば片腕で軽々持ち上げられてそのまま投げられたり、もうダサいなんてもんじゃ無い。
さすがは原初神と言ったところか。
だが実力の差がハッキリし過ぎて、まるで獅子とネズミだ。
「良いじゃないか。なかなかに見込みがある」
「こんだけボコボコなのにですか……」
何回槍の柄で殴られたことか、あぐらで座り込むオレの顔はあざだらけ。
身体中メッタメタにされたせいで、もう手合わせを続ける気力なんてない。
そんなオレを見て苦笑するアイテール。
「動きは良いんだよ、筋力も申し分ない。ただ、」
「ただ?」
「武器が合ってない」
その言葉に、オレは少し衝撃を受けた。
武器、片手剣はオレの体に合っていないってのか?
結構使いやすいと思っていたんだけどなぁ……。
「お前は腕が短いからな、リーチで負けるんだ。かと言ってそれをカバーできるだけの素早さも無い」
な、なんか馬鹿にされてる気がする……。
けど確かにオレは身長に比べて腕は短いし、かと言って身長が高い方というわけでもない。
これからガイアの身体を探していく中で何倍もデカい相手と戦うことあるかもしれないし、体格差を埋められる技術が無いのは戦闘においていささか不利だ。
そして、オレは不老不死。
老けないということは成長期に起こる体の変化さえもないということ。
とどのつまり、契約を破棄するまではずっとこの15歳のオレの状態なんだ。
「そこでだ賢吾」
アイテールぬっと顔を近づけてきた。
オレは驚き、体をのけぞる。
「槍を使ってみないか?」
「え、槍……ですか?」
「ああ、」
そう言って、アイテールがオレの前に黄金の槍を差し出す。
重っ!!
受け取るとそれは想像を絶する重さで、思わずガシャンと地面に落としてしまった。
なんて重さだ、下手なバーベルよりずっと重いぞ。
っていうか、さっきまでこんなもん片手で操ってたのか!?
「ははは、持てる訳ないだろ。磐金製だぞ」
「あんた本っっ当に……」
「でもまあ、いつか持てるようになるさ」
アイテールは槍を拾うとクルクルと回しながら体を一周させ、最終的に肩へ担いだ。
クソ、カッコつけやがって。
しかし、不覚にもクールに思ってしまった自分がいる。
「素早さはないが、確かな握力とバランス感覚があると見た。お前なら良い槍使いになれるぜ。素質もあるし、練習すればすぐに使いこなせる」
槍使いなんて考えたことも無かった。
片手剣はオレにとってロマンだったから、手放すのは少々惜しい。
だが、魔術師が得意の属性に合った杖を持つように、その人にはそれぞれ合った武器がある。
それがオレにとっての槍なのかもしれないということ。
何か不都合なわけでもあるまい、まあ一度試してみよう。
〜そして現在〜
そんなこんなで数日の間槍を使ってみたのだが、これがまた使いやすい。
渡された槍は思っていたよりも軽いし突きがしやすく、回すと遠心力がかかるので斬撃にパワーを乗せやすくて、初心者のオレでも問題なく使いこなすことができる。
それに、窓ガラスに映る槍を構えた自分の姿が、なんともスタイリッシュでカッコいい。
色々言ったが、良い選択だった。
アイテールに感謝しないとな。
今日は彼とガイアが知り合いへ会いに行くとのことで、木製の人形を的に1人で槍を振るっている。
アイテールに言われた基礎練習をこなしていれば時間は過ぎていくけど、声が一つもないのは何だか寂しいな。
そんなことを考えながら人形の心臓部を突いた時、背後から声がした。
「ケンゴ」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこにいたのは1組の男女。
ディファルトとルジカだ。
「やあ。今日は早いんだね」
「ああ、他のパーティーが手伝ってくれたおかげで依頼が早く終わってな」
ジュリアーノの一件の後、オレはディファルト達ととても仲が良くなった。
彼らは2日に1度ほど正午あたりの時間にオレたちに会いに来てくれる。
ピンクの悪魔にボコられまくる日々の中、合間に友人と話すことのできるこの時間がかけがえのない癒しなのだ。
まあ最も、今日はその悪魔は留守にしているが。
先週はジュリアーノやガイアも連れて食事にも行き、その席で「命の恩人に敬語を使わせるのは申し訳ない」と言われてしまい、今はタメ口で話している。
こんな姿、ディファルトの取り巻きたちに見られたら殺されそう……。
ちなみにだが、オレが以前ディファルトに助けられたということを、本人は全くもって覚えていなかった。
彼いわく、目が悪すぎて10センチほどに近付かなければ物がハッキリと見えないため、だいたいの人は声で覚えているらしい。
まあ関わりっていったって、ゴブリンから助けてもらったあの一件だけだもんな。
ってか、見えないんならメガネすりゃ良いのに。
「槍はどうだ、慣れたか?」
「ん?ああ、だいぶ使いこなせるようになったよ。ほら、」
オレは右手に持った槍をクルクル軽快に回してみせる。
「まだまだ技術的に怪しい部分はあるけど、基礎的なとこは結構上達したよ。もっと練習して強くなれば、怖いもの無しさ」
そう言ってガッツポーズをして見せるオレ。
不意にルジカの方を見てみると、彼女はオレの方をまるで釘付けになったようにじっと見つめている。
「え、えっと……」
狼狽えているとルジカはゆっくりオレのもとへ歩み寄り、いきなりオレの手の甲を握ってそのままひっくり返した。
修行のうちにできたマメの皮が剥け、赤くなった手のひらが顕になる。
そんな掌を優しく撫で、ルジカは呟いた。
「マメだらけ…包帯か何か巻かないと、血が出ちゃう」
「お、おう……そうだな、ありがとう……」
前置きの無い助言にたじたじなオレの顔を見たルジカはハッとして顔を赤くし、すぐにディファルトの後ろへ隠れた。
その様子を見て、彼は苦笑する。
なんだなんだ?
「ケンゴ。今日のルジカ、何か違うと思わないか?」
「ルジカが?」
何が違うと言われれば、初めて会った頃から何もかもが違う。
ボサボサだった髪は綺麗に切り揃えられて後ろで三つ編みになっているし、服装もだいぶ女の子らしいというか、ショートパンツやらフリルのついたブラウスやらでとても可愛らしい姿になった。
今日見て違うところ……ああ、
「靴が新しくなってる!」
「正解っ」
この前までブーツだったのが、今日はローファーをはいている。
正解を当てられたルジカはご満悦と言った表情で、再びディファルトの後ろへ隠れてしまった。
なんなんだ……。
しばらく雑談をしてから、ディファルトたちは公王へ会いに行ってしまった。
去り際にルジカが立ち止まってこっちを振り向いたので手を振ったら、すぐに外方を向いてディファルトの元へ駆けていってしまった。
先月以来ずっとあんな様子で、顔を合わせようとするたびに避けられてしまう。
やっぱりオレ、嫌われてるのかなぁ。
やらかした覚えはないんだけどなぁ……。
昼食を食べ終え、待っているのは至福の時間。
フィオレッタ先生の中央大陸文字講座!!
傍に紅茶とクッキーを添えて、グラマラス美女にほぼマンツーマンで指導してもらえるのだ。
「ここはねぇ、こっちのイディオムを使うのよ。前にも言ったでしょう?忘れんぼさん」
そう言って、フィオレッタの柔らかい指がオレの頬を摘んで、優しく引っ張った。
男ならばボディスラムを決めた後にギロチンドロップをかましてやりたくなる所業だが、彼女からのは褒美も同様。
「えへへ〜すみませんオレったら〜」
文字を指さすために前のめりになると、フィオレッタの豊満な果実がテーブルの上へ押し付けられる。
なんという絶景、なんという耽美。
ほのかにピンクで艶やかなそれはオレの中に恍惚的な感情を呼び起こし、ひたすらに輝いて見える。
横にいるジュリアーノの目線もそちらによっていた。
お前もちゃんと男なんだな。
至福が終われば、もう夕食の時間。
部屋の真ん中に置かれた長いテーブルを囲むように座り、みんなで談笑しながら豪華な飯を食す。
死んだ後にこんな体験ができるだなんて、夢にも思わないだろう。(実際は死んでないけど)
「ハァ〜幸せ〜」
「当たり前だ。専属のシェフを決めるためにアウローラ中から料理人を集め、大規模な大会を開いたのだからな」
ロレンツォ様、それ聞いたので3回目です。
こんな感じで毎日この食卓で過ごす中、驚いたことが2つある。
一つ目は経津主の食べ方がめちゃくちゃ綺麗なこと。
最初こそ「箸が無ぇ箸じゃなきゃ食えねぇ」と喚き散らし、メイドさんを困りに困らせていたものの、箸を用意されると一変、深層の御令嬢かと疑うほどに食べ方が綺麗だった。
「ギャップだね」
「温度差激しすぎて風邪ひくわ……」
余談だが、箸は鎧銭から特注で取り寄せた超高級品なんだとか。
鎧銭とは経津主の出身国で、アウローラから海を挟んだ小さな島国のこと。
娯楽が充実しており、一年中そこかしこで祭りが催されるとても賑やかな国らしい。
そこへオレたちはコイツと行かなければならないわけだが、その話しのおかげでちょっと楽しみになった。
二つ目は公宮の人たちがガイアの姿をすんなり受け入れたこと。
初見こそ驚かれはしたものの、数時間後には普通に接していたのでオレは大層驚いた。
ジュリアーノいわく、
「ガイアよりも凄い見た目の神様なんて山のようにいるよ。アイテール様だって部屋じゃ全裸だし。公宮の人は特に神様と接することが多いから、それもあるかもね」
とのこと。
アレよりもすごい見た目ってなんだよ……てかアイツ部屋で全裸なのかよ……怖いよ神様……。
夕食を食べ終えれば風呂に浸かって、床に着く。
オレとガイアはベッドに腰掛けてホットミルクを飲んでいた。
「そういえばガイアたち、今日どこ行ってたんだ?」
「ここよりずっと東の方の、経津主に会った森を超えた先にあるコンセンテス山ってとこ。ミネルヴァって神様に会いにね」
「ミネルヴァ!?ディコンセンテスのミネルヴァ!?」
「おー、よく知ってるねぇ」
ディコンセンテスといえば、ローマ神話における12柱の神々の総称だ。
ギリシャ神話におけるオリュンポス十二神であり、ミネルヴァはその中でもアテナに対応する戦の女神。
「賢吾ってすごく神話に詳しいよね、さすが中学生って感じぃ〜」
「バカにしてるだろお前…ー…」
「してないってぇ〜」
オレは怪訝な顔をしつつもミルクを口へ運ぶ。
「で、何の話したんだ?」
「えっとねぇ、森の件の話。犯人とかどう対処するかについて話してたの」
「そっか、別の犯人がいたって公王も言ってたもんな。でも誰なんだ?その犯人って」
「犯人っていうかぁ、たぶん団体なんだよね」
ガイアは虚空を見つめて一瞬ためらうかのように一拍置く。
「”ギベオン教団”って言うんだけど」
その名が出た瞬間、なんだか空気が変わった気がした。
「ギベオン教団?」
「架空の古代文明ギベオンを信仰するカルト宗教団体だよ。まあ何となく察しは付いていたけどね」
信仰対象が文明?
ずいぶんおかしな宗教だな。
あ、でもこの世界は神が身近っぽいし、前の世界のような信仰には至らないのだろうか。
にしてもちょっと不思議だな。
「基本的には害のない慈善団体なんだけど信仰心が強いんだか、たまーにそういうことしちゃう人たちなんだよねぇ。歴史が長い分前科も沢山あるし」
「宗教……よくわかんないな。儀式に血や骨が必要だとかならわかるけどさ、単に虐殺しただけじゃ意味ないよな。何でそんなことしたんだ?」
「多分、ボクの右脚かな」
ガイアの右脚……そういえば会ってすぐの時にコイツが言っていた。
「パーツ一つ一つにボクの魔力がメチャメチャ詰まってるから、移植するだけで簡単にパワーアップできちゃうんだよね。」と。
森の件も倫理観エグいし、他にもだいぶとんでもないことをやらかしているのだろう。
「何か計画があって、そのために力が欲しいってことか」
「そうだねぇ、そっちも多分あるよねぇ」
「そっち?他に何かあるのか?」
今のオレには他の可能性を予測できるほどの知識は無いので、全く見当もつかない。
「賢吾は知らなくて良いよ。ボクもなるべく関わりたくなかったんだけどさ、まあ原初神の宿命と言いますか……」
「何の関係があるんだ?」
オレがそう問いかけてガイアの顔を見ると、彼女はスッと顔を逸らす。
「一方的に嫌われてるのよ」
そう言ったガイアの声は、どこか重々しく疲れているようだった。
彼女は大きなため息をつくと、たそのままベッドの横たわる。
「ささ、もう寝よ。せっかくミルクで温まった体が冷えちゃうよ」
「それもそうだな」
オレはテーブルの上にあるロウソクの火を消して、ベッドに潜った。
床に着いて数十分。
月明かり照らす寝室は静寂に包まれ、寝息だけが静かに響く。
ガイアは賢吾が完全に寝ついたことを確認し、布団からゆっくりと這い出た。
そして起用に窓を開けてベランダへと出ると、そこには月光に照らされ凛と立つアイテールがいた。
「酷いヤツだぜ。そこまで言ったのなら全部教えてやれば良いのに」
「隠し通すことなんてできないんだ、なら一般常識程度は伝えた方が良い。悪の組織とでも思ってくれればね」
いつものガイアからは想像できないような低い声で応える。
アイテールは柵に飛び乗って座り、夜空に浮かぶ月をゆったり見上げた。
「どうだかな。奴等が正体を知れば、完全に賢吾は狙われる。無知な兎は格好の獲物だ、しかも肉も美味いときた」
「奴等にそれを知る術は無いよ」
「おいおい、先入観は禁物だぜ?関わらせたく無いってんなら、確かな知識は付けておくべきだ」
アイテールは夜風に揺れる桃色の長髪をかき揚げ、ゆらりとガイアを見やる。
「お前といる限り、否が応でも接触することになる。奴等はお前を狙っている訳だし、深く関わる内に良い知識も悪い知識も自然に身についていくだろう。そしてその過程でアイツの正体もきっとバレる。そうでなくたって、原初神ガイア様のたった1人しかいない後継なんてのは、さぞかし良い人質になるだろうな」
ガイアは振り向き、ベッドの中で静かに眠る賢吾を無い眼で見つめた。
コチラの状況もつゆ知らず、彼は時折寝言を交えながらスヤスヤと小さな寝息をたてている。
「だから正体を隠してるんでしょ。それに、いざとなればボクを差し出せば良い話だよ」
「何言ってんだ、せっかく守られた命だろ。そんな言葉お兄ちゃんが聞いたら泣くぜ?」
「もう覚えてないよ、ボクのことなんか」
「……」
長い髪で隠された横顔、声色から伺える悲哀。
布に巻かれた空洞が見据える先をアイテールは淡白な表情で眺め、小さくため息を吐いた。
「そんなことしなくたってアイツは平気だろう。何と言ったってこの俺、アイテール様が直々に槍を指導してやっているんだからな」
「頼もしいよ……って言いたいとこだけど、キミちょっと教えが肉体派過ぎない?解説したり技に結びつくような別の訓練したり、もうちょっと何かあるでしょ」
「仕方ないだろ、俺は人に物を教えるのが苦手なんだ。特に感覚でこなしてることはな、あんなの魂でも乗り移らせなきゃできるわけがないだろう」
「ええ……じゃあなんで『俺が教える』なんて言いだしたのさ」
涼しい夜風吹かれてアイテールの髪が上等な絹糸のようになびき、いつも隠されていた右の瞳が一瞬その姿を現した。
「恩返しさ。例えお前との契約が終わってもアイツには長生きしてほしいし、何より俺は、また槍を握って欲しかった」
夜空に煌めく星々の輝き、それらが形成する星座の並びは賢吾の住んでいた世界と殆ど同じであり、また暦も同じ。
季節感の薄いこの国では分かりにくいことであるが、今は丁度早春の時期に当たる。
月明かり照らす美しい空には、2つの大きな星がまるで春の訪れを囁くかのようにそれぞれ白と橙に輝いていた。
あの星の名もまたこちらの世界と賢吾の世界とでは共通、所謂断片的な記憶の弊害による物ではあるが、祖においてはある神の関わりが存在する。
「さて、俺はそろそろ寝るぜ、夜更かしは肌にも髪にも悪い」
「そんな冗談言えたんだ」
アイテールは背中から巨大な翼を出し、ベランダから優雅に飛び立って行った。
静寂の夜空に遠ざかる美しい羽音に、部屋の賢吾が目を覚ます。
「……う〜んガイア、何かいた……?」
目を擦りながら小さな声で呟く賢吾。
彼は寝起きで頭が機能しきらず、閉めたはずのカーテンと大窓が空いていることには全く疑問を抱かなかった。
ガイアは若干掠れたか細い声にクルッと振り返ると
「なーんにも?ちょっと夜風に当たりたかっただけだよ」
そう、いつの通りの透き通った声で応えた。
賢吾は「そっか」と呟くと、まるで電源が切れたかのようにばたりと倒れてそのまま寝入ってしまった。
そんな彼を見て、フフッと笑う。
ガイアは窓を閉めて再びベッドへ潜り込み、賢吾の腕にそっと抱かれながら深く眠りについた。