あの騒動でやっと間違いに気づいたけど、もう遅いのにも気が付いた。
「あらあら、まあまあ。可哀想で可愛い人ですこと」
愛した人に裏切られた俺に、そう言って微笑んだのは。
―…今さっき俺が一方的に婚約破棄を告げた、婚約者だった。
俺は大国の王太子。彼女は俺の婚約者。そして彼女を俺と他の貴公子たちを使って断罪しようと画策したのは聖女候補の平民の女性。
しかし俺たちのバカな茶番は、用意周到にアリバイの証明をしていた彼女によって早々に打ち切られた。
むしろそこから、聖女候補のあの子の断罪が始まった。婚約者のいる貴公子たちを誘惑した罪であの子は連行される。貴公子たちもあの子の誘惑に乗って婚約者を蔑ろにしたと告発されていた。本来婚約者に使うべき資金を不当にあの子に使ったと罪に問われる。…それは俺もやっていた。
「婚約破棄は告げられましたが、私と王太子殿下の婚約は国王陛下からの王命。つまり、王太子殿下の婚約破棄宣言は無効ですわ」
「…っ!」
「私との婚約、続けてくださるでしょう?」
運命の恋の相手、そう信じていた浮気相手であるあの子が連行される中。数々の貴公子も事情を聞くと連れて行かれるのに、俺だけは婚約者に手を差し伸べられる。
その手を取らなければどうなるかなど、考えるまでもない。
「…勝手なことを言ってすまなかった。もう一度俺とやり直してくれ」
俺は迷いつつもその手を取った。彼女は優雅な微笑みを崩さない。
「ええ、よろしくお願いします。王太子殿下。…ああでも、今回の騒動で王太子位は弟殿下に譲られた方がいいと思いますわ。私の婿に来てくださいませ。うちの爵位を継ぐはずだった義弟は、今回の騒動でもうダメでしょうから」
「…わかった」
ああ、きっとそうだ。彼女は今回のことも、全部手のひらの上で転がしていたのだ。誰にもバレないように、責められないように、そして自分の都合の良いように。彼女は王妃ではなく女公爵になりたがっていた。そういうことなのだ。
「…ああ、大丈夫。王太子殿下の弟君はとても優秀ですし、野心家ですから。この国を誰よりも上手く導いてくださいますわ。婚約者である侯爵令嬢も、それはそれはやる気に満ちているようですし」
ほらやっぱり。そういうことなのだ。俺に出来るのは、彼女に捨てられないよう立ち回ることだけ。
「わかった。王太子位は必ず弟に」
「それがよろしいですわ」
ああ。俺は多分、最初から間違えていたのだ。優秀で美しいこの婚約者を嫉妬から蔑ろにし出した、初対面の時から。もう、彼女は俺を見限っている。欲しいのは、王兄となる俺の肩書きだけ。
…なんて、自業自得なんだ。
「あなた。どうしましたの?」
「…懐かしい夢を見ていただけだ」
あれから、王太子位は弟に譲って彼女の婿に入った。彼女は女公爵となって、裕福な領内をさらに豊かにした。彼女との間には、男子二人女子三人の子供ができた。全員俺にそっくりで、彼女は少し…というか本音ではだいぶだろうが、残念がっていた。
「まあまあ。それはそれは」
にんまり笑う彼女はどんな夢か察しがついているのだろう。
「それで?」
「なんだ」
「運命の恋の相手は、誰でした?」
…意地悪が過ぎる。けれど、一生恨まれるほどに彼女を裏切ったのは俺だ。
「…君以外に、そんな相手がいるわけないだろう」
「あらあら、まあまあ。可哀想で、可愛い人ですこと」
もう、裏切らない。そんなこと誓っても無駄だ。彼女は俺を、もう信用しない。けれど。
「…やっと、真実の愛を手に入れたんだ。君が信じなくても構わないさ。俺は君を愛してる。君は俺の肩書きを利用するためにずっと一緒にいてくれるんだろう?それで十分だ」
俺の言葉に目を丸くする彼女。そしてやっぱり、にんまり笑う。
「ふふ。健気で可哀想な人は、やっぱり可愛いです」
そうして俺に抱きついてくる彼女を、強く抱きしめる。彼女の俺への恋心を殺したのは、俺だ。だから彼女に同じ熱量は求めない。ただ、そばにいてくれればそれでいい。
薄く開いていたドアが、そっと閉じられた。おそらくは悪戯好きな息子たちが覗き見していたのだろう。息子たちには、俺と彼女の間に起きたあの騒動をいつか語りきかせなければいけない。俺みたいな間違いは犯さないように。
…けれど、息子たちは性格はむしろ妻に似ている気がするので間違っても相手を不幸にはしない気もするけれど。