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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第35話 帰宅

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師候補

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

・松井宗一…樹氷会の調教師候補

・武田信英…雷鳴会の調教師候補

・大須賀忠吉…白詰会の調教師候補

・松本康輔…黄菊会の調教師候補

・服部正男…日章会の騎手候補

・臼杵鑑彦…無所属の騎手候補

・板垣信太郎…雷鳴会の騎手候補

・田北鑑信…黄菊会の騎手候補

・村井貞治…白詰会の騎手候補

 昼過ぎに家に着くと戸川が客間で岡部の帰りを待っていた。

どうやら早めに仕事を切り上げて帰って来たようで、昼前から岡部の帰りを待ち続けていたらしい。

梨奈も部屋から駆け下りてきた。


 梨奈に髪飾りを渡し、奥さんにスカーフを渡すと、残りの酒、蕎麦、わさび漬けを戸川に渡した。

戸川はわさび漬けを見てにんまりと頬を緩めている。

梨奈は奥さんと宴会のための準備だと張り切って買い物に出かけて行った。



 客間に戸川と岡部が残される事になった。

二人が残されれば自然と話題は競竜の事になる。

岡部は奥さんの入れたお茶を啜った。


「『タイセイ』の『優駿』惜しかったですね。中継見てましたよ」


「君の見立て通り、あれは凄かったわ! 『優駿』で連帯したの僕初めてやわ」


「逃がさなかったんですね。僕はてっきり逃がすもんだと」


 戸川は岡部の言葉に鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。


「逃げか!! そうか追走が早くて体力がある仔やから、逃がしたら良かったな。そしたらいらん脚使わずに済んで、最後抜かれへんかったかもな」


「あれ? 誰も指摘しなかったんですか? 僕はまた、てっきり何か考えがあっての事なのかと」


「誰もその発想が無かったわ。松下も無かった思うわ。くそっ! みすみす重賞一つ取り逃したかもしれへん」


 戸川は本気で悔しがっている。

松下さんにその発想が無くても、せめて長井さんは気づいて欲しかった。

そう岡部が笑うと、戸川はさらに悔しがった。



「まあ『重陽賞』は問題無いでしょうから、『大賞典』での『クレナイアスカ』との対戦が楽しみですね」


 『クレナイアスカ』の名が出ると、戸川は悔しがっていた顔を元に戻した。


 昨年、『クレナイアスカ』を管理していた山県調教師が伊級に昇格になった。

代わって管理しているのは織田盛信調教師。

伊級で首位争いをしている織田藤信調教師の息子で今年呂級四年目の調教師である。

管理者が変わると能力を発揮できなくなる竜が多い中、『クレナイアスカ』は好調を続けている。


「あれは近年稀にみる化け物やぞ。さすがに『タイセイ』でも厳しいんと違うか?」


「『月毛の竜王』でしたっけ。中距離だとちょっと足りないですけど、長距離は無敵ですもんね」


「あれと張り合えたら相当やぞ。ましてや勝てでもしたら大特報やで」


 そうは言いながらも戸川はかなり期待はしてるようで、まんざらでも無いという顔をしてお茶を啜った。


「『セキフウ』、『内大臣賞』また四着でしたよね。相変わらず惜しい競争ばかりですね」


「あれはもう、ああいう仔なんやろうな」


 戸川は『セキフウ』の話が出ると、かなりがっかりした顔をした。

元々『サケセキフウ』は『上巳賞』を勝った『サケセキラン』よりも期待されていた竜である。

確かに仕上がりが遅そうではあったのだが、いくらなんでも勝ち味に遅すぎる。


「何なんでしょうね。『重陽賞』の時もそうでしたけど、最後にふっと油断するみたいな」


「抜けても追っても最後が抜けるんやもんな。さすがにわからへんわ。でもまあ牝竜やからな。あれだけ結果出したから、来春の『皇后賞』で引退やろうな」


 牡竜ならそれなりに結果が出るまで待てるのだろうが、牝竜なので早く繁殖に上げたいという会の意向らしい。

父が『ロクモンキセキ』という高額な種牡竜だった為、牧場としてもその仔にかなり期待しているのだそうだ。


「そういえば『ゲンキ』はどうしたんですか? 『内大臣賞』の決勝に名前ありませんでしたけど」


「どうやら『大賞典』で山超えたらしねん。『ゲンジョウ』も『皇后賞』が山やったらしく春はもうあかんかったわ。どっちも先月引退や」


 岡部は少し残念そうな顔をした。

どうやら二頭ともに引退後は中学校の乗竜部に送られる事が決まっているらしい。

どちらも気性の良い仔だから、きっと可愛がってもらえることだろうと戸川は微笑んだ。


「じゃあ、今年も新竜は二頭ですか?」


「そうやね。どっちもうちで産まれた仔や。競竜会が一頭、会長が一頭言うてたかな?」


「もう来てるんですか?」


「いやまだやね。でもそろそろちゃうかな?」


 岡部は期待に胸を膨らませながら大きく伸びをした。


「一月丸々休みですからね。また北国の牧場見に行ったりしたいですね」


「会長に言うたら喜んで付いてくる思うで。あの人『タイセイ』で味しめたからな。まあ僕も番組無いからな。一緒に行くんはやぶさかや無いんやけども……」


「ん? 何かあるんですか?」


 戸川は何とも言えない顔をして、無言で客間の入り口を指差した。

戸川の指さす方に顔を向けると、客間の扉の前に買い物から帰った梨奈と奥さんが旅行雑誌を持って立っていた。



 奥さんが戸川を強引にどかし、岡部の正面に座り、どこに遊びに行こうと笑顔を振りまいている。

私もずっとお休みだから、まずはお伊勢さん行こうと思うと、梨奈も旅行雑誌を広げて見せてきた。

岡部は助けを求めるように、倒れた置物のようになっている戸川の顔を見た。


「いやいや。そないな顔して僕の顔見られても……旅行連れてくて約束したんは君やろ? 僕はそう聞いてるで?」


 約束してくれたよねと、梨奈がキラキラした目で岡部を見つめている。

奥さんも満面の笑みで岡部の顔を見ている。


「確かに約束しましたけども。戸川さんは行かないんですか?」


「僕の事は気にせんで良えよ。新竜受け入れるまでは休めへんもん。それより、母さんかなり心待ちにしてはったんやからちゃんと面倒みてあげてな」


 戸川はカッカッカと変な声で高笑いした。

奥さんはじっと岡部の顔を見つめうんうんと頷いている。

その隣で梨奈が、お伊勢さん、お伊勢さんと囃し立てている。


「そうそう。お伊勢さん行ったら神撰米酒買うてきてな。一升のやつ。できれば赤福と生姜糖も頼むな。そやうどんもな」


「わかりました。じゃあ明後日にでも」


 奥さんと梨奈は手をパチリと合わせてやったと大喜びした。




 夜、ささやかな宴会が開かれた。

奥さんと梨奈はかなり気合が入っており肴を何種も用意した。


 四人は乾杯すると、岡部と戸川は修善寺で買った米酒をお猪口でぐいっと呑んだ。


「どうや研修の方は? 先日、日野くんが来て、どえらい竜管理してるいう話は聞いたが」


「ええまあ……でも、二十年ほど前に同じような竜を研修で扱った方の実習報告がありましたので」


 戸川は呑もうとしたお猪口をそのまま机に置いた。


「まさか……それ……」


「恐らく想像している通りだと思います」


 岡部はお猪口をひと啜りすると笑い出した。


「いやいやいや。僕の時は先輩の実習報告なんて閲覧できへんかったぞ!」


「いやあ、史料室内をかなり探しましたよ。戸川調教師候補の実習報告。周りに比べてぼろぼろで。所々修繕されてました」


 戸川はお猪口を机に置くと、顔を引きつらせた。


「それってまさか……僕の実習報告いろんな人が見てるって事?」


「恐らくは。教官の似顔絵とか、長井さんへの愚痴も多くの方が」


 奥さんはある程度状況を把握したようで笑い転げている。


「最っ悪や! 知らんかったし、知りたなかった! ほんま最っ悪や! なあ後生やからこっそり消しといてよ」


「無理ですよ。僕が破損で怒られちゃいますよ」


 戸川は口を尖らせてぶつぶつ文句を言いながらお猪口をあおっている。



「ところで、その竜って誰とこの竜かわかってはんの?」


「わかってはいます。生産監査会が添付してくれた資料に詳細が書いてありましたから。でも同期からは、僕の境遇は仁級で燻ってる奴からしたら妬ましいだろうからって」


「豊川の忘年会で、君が会長のお気に入りやって会派内の調教師は全員知ってるやろからな。確かに妬む奴はおるやろうな」


 そんな時から妬みとか嫉みってあるんだねと、奥さんが憤った顔で酒を呑んだ。

勝負の世界だから、戸川は短く答えた。

そんな事よりもっと許せない事があると岡部は憤った。


「僕はそんな事よりも、『エイリ』をあのままにしておいた事に怒りを覚えますよ!」


「あばら浮くくらいガリガリやったらしいな」


 それを聞いた梨奈が、ビクリとして自分のわき腹をさすった。

そんな梨奈を横目でちらりと見て、戸川は岡部のお猪口に米酒を注いだ。


「初日でわかったんですけどね、もの凄く繊細で、見られてると餌を食べないんですよ」


「調教師候補の君が初日に気づけたような事に気づけへんような調教師いう事か。そりゃあ会の恥も考えへんと平気でそういう事ができるわな」


「しかもずっとその状況でほっとかれてたようで、もの凄く食も細くて。おまけに肉も嫌いで食べないんですよ!」


 梨奈は、肉じゃがの中のじゃが芋をとろうとしていたが、ギクリとして牛肉を食べた。

奥さんはそれを見てクスクス笑った。

岡部は笑っている奥さんを見て首を傾げ、戸川のお猪口に米酒を注いだ。


「でもそれを他の竜に付いていけるまで肉つけさせたんやってね」


「初日に大豆を食べたので、大豆中心の食事にしました。で、毎日毎日乗り運動させて」


 梨奈はそれを聞くと枝豆をごっそり取った。

戸川は梨奈に、僕も枝豆が食べたいと言って少し奪った。


「放牧がうまくいけば休み明け少しは勝負になるかなと」


「騎手候補がようそんな状況に我慢できてはるな」


「できてるわけないじゃないですか! 何度も衝突しましたよ!」


 だろうなあと言って戸川は笑い出した。


「でも自分でやらせた事が結果になって出るってのは楽しいもんですね」


「それがうちらの仕事の醍醐味やからな。それで勝った日には、もうたまらへんで!」


 勝ってみせますよと言って岡部は笑った。

戸川もその顔を見て優しく微笑んだ。



「ところで、お願いしていた会報の件ってどうなりました?」


 岡部が尋ねると、戸川はそうだったとテレビの横の棚から数か月分の会報を取り出して岡部に渡した。

中をパラパラ見ると、以前に比べかなり各項目で全体の意匠が変わっている。


「どや。かなり面白なってるやろ。もう表紙からして変わったもんな」


「おお! 戸川先生の『優駿』後の取材記事が載ってる! こう言うの会員さんにはたまらないんでしょうね」


「そやろ! それ僕が言うたんやで。年始に厩舎にいろはさん挨拶に来はってな。梨奈の絵が見たい言うてたから見せたんや」


 岡部がちらりと梨奈の方を見ると、梨奈は恥ずかしがって俯いている。


「そしたら求めてたんはこういうのやって。翌月から毎月、梨奈が意匠の参考絵書いて送ってるんや」


「光定さんの編集の参考になってくれてると良いんですが」


 戸川は、梨奈の仕事の関係だからと毎月会報を見るようにしているが、どうやら大いに参考にしていらしいと感じている。

最近では梨奈が送る意匠がそのまま使われている事も多いのだそうだ。


「徐々に良い意味で緩くはなってるな。いろはさんは梨奈に、学校出たら酒田に来い言うてくれてはるんやけどな」


「酒田に何があるんです?」


「紅花会の本社やがな。梨奈に意匠の会社やらせたいんやって」


 梨奈はブンブンと首を横に振って無理無理無理と声を絞り出している。

その態度を見て岡部は思わず苦笑いした


「あの人たちは、最終的にやれそうかどうかはしっかり判断する人たちですからね。どこかで諦めるでしょ」


「そもそも内職が良え言うてる子に会社経営なん絶対無理やろ」


 戸川も梨奈を見てやれやれという態度をとった。


「そう言えば、いろはさんはそれなりに対価を出すって言ってましたけど……」


「あれが『それなり』やったら金銭感覚狂ってはるわ。学生が貰う代金違うで」


 戸川は岡部を呼び寄せると、小声で梨奈の報酬額を小声で教えた。

想像していた金額よりはるかに高い金額に岡部は目を丸くした。


「みつばさんもそうでしたけど、これと思った時の金の使い方が凄い人たちですね」


「気前良すぎや。僕や君の縁故やいうの考慮したとしてもや」


「競竜会にそれだけの利益をもたらすって見込んだって事でしょ?」


 確かに競竜会の出費のかなりの割合が宣伝費だといろはは言っていた。

そこからすると、確かに梨奈の報酬も妥当なのかもしれない。

しれないが……


「そやかて学生なんやから小遣い程度で良えのに」


「僕それ言ったら、経営者としての自覚が足らんって怒られましたよ?」


「……くっ。耳が痛いな」

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