第34話 慰労会
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師候補
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…専業主婦
・戸川梨奈…戸川家長女
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女
・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女
・長井光利…戸川厩舎の調教助手
・池田…戸川厩舎の主任厩務員
・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員
・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員
・荒木…戸川厩舎の厩務員
・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手
・日野…研修担当
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」
・松井宗一…樹氷会の調教師候補
・武田信英…雷鳴会の調教師候補
・大須賀忠吉…白詰会の調教師候補
・松本康輔…黄菊会の調教師候補
・服部正男…日章会の騎手候補
・臼杵鑑彦…無所属の騎手候補
・板垣信太郎…雷鳴会の騎手候補
・田北鑑信…黄菊会の騎手候補
・村井貞治…白詰会の騎手候補
月末、二度目の実習競走が行われた。
発走者の大きな旗が振られると、録音された発走曲が競技場に流される。
発走機の前の柵が一斉に倒れ各竜が一斉に走り出す。
『サケエイリ』は前回のように付いていくのに必死という感じではなく、しっかりと追走している感じである。
二周目に入っても最後尾ではあるがしっかりと追走している。
三周目、他の四頭の加速に合わせて『サケエイリ』もしっかりと加速を始める。
四角で他竜がさらに加速すると、さすがにそれには付いていけず引き離された。
一着は松本の『ビシャモン』、二着は武田の『ハナビシホオヅキ』、三着に松井の『ミズホフクガン』、四着が大須賀の『ジョウランブ』。
岡部の『サケエイリ』は五竜身差のシンガリだった。
実習競走の翌日、全ての竜はそれぞれの牧場へと放牧になった。
岡部は、牧場へ放牧指示をしたいのだが可能かと教官に確認をとった。
すると教官は少しまっていてくれと言って慌てて上司に相談に行った。
どうやらそのような事を言ってきた調教師候補はこれまでいなかったらしい。
上司は教官を全員呼び寄せて緊急の会議を開いた。
途中で日野がやって来て、どのような指示をお願いするつもりかと岡部に尋ねた。
「食事を与える際の注意点と、可能な限り日光浴をさせて欲しいと指示したいんですけど、難しいですかね?」
「ああ、そういう事か。それくらいなら多分大丈夫だと僕は思うなあ。今揉めてる最中だからもう少しまっててね」
そう言うと日野は会議室へと急ぎ足で向かって行った。
最終的に岡部は一時間以上待たされることになった。
会議の結果、調教や追い切りの指示のようなものでないのならば構わないという判断がくだされたらしい。
輸送時に発送書を封書で添付するから、それに追加添付するのでよければと許可してくれたのだった。
夜、久々に調教師候補五人で焼き鳥屋『串浜』に行き、慰労会兼反省会を行った。
一通りの串を頼むと、麦酒が届いたところで大須賀が乾杯の音頭をとった。
「岡部くん凄いよ! あの竜、今日最後までちゃんと付いてこれたやん」
武田は興奮して岡部の背中をパンパン叩いている。
この一か月で確実に競走竜らしくなったと大須賀も驚いている。
「でもまだあの竜には、このままでは絶対に勝てない要素があるんだよね」
「まだ何かあんの? なんぼほど酷い竜なんよ」
手がかかるだけで酷い竜ではないと岡部が指摘すると、松井が賛同して武田を窘めた。
「だけど多分やり様はあると思うんだよね。ここから先は僕の創意工夫が求められる部分だからね」
「殊更、そういう言い方するいうことは、もうある程度は考えてるいう事なんや」
武田の問いかけに岡部は不敵に口元をほころばせた。
「実は最初にあの仔を見た時からちょっとね。だけどこれまでは何かを試せるような状態じゃなかったから。上手くいけば休み明けもう一回りか二回りくらいは強くできると思うよ」
「ハッタリ言ってる顔やなさそうやね、それ」
四人は岡部の言葉に言葉を詰まらせた。
五人揃うのは前回の驕り以来かなと大須賀が悪戯っぽい顔で松本に笑いかけた。
嫌な事を思い出させるなと松本は大須賀の煽りに心底嫌そうな顔をする。
「そういえばさ、服部から田北がかなり変わったって聞いたけど何したの? 性根叩き直すとか言ってたけど」
岡部の問いに、松本は小さくため息をついた。
「俺はほら、君らほど弁が立つわけじゃねえから」
「……体に覚えさせたと」
松井が真顔で言うと、松本は吞んでいた麦酒を噴き出しそうになり、そんなわけあるかと笑い出した。
「十代の若者相手に武力で敵うかよ。向こうに反省を述べさせたんだよ。全部述べ終えるまでじっくりとな」
そういえば帰りがもの凄く遅い時があったと、武田が大須賀に言うと、大須賀もあったあったと言い出した。
大須賀がどれくらいかかったのか尋ねると、松本は小さくため息をついた。
「五時間くらいかかったかな。お互い飯も食わんと。途中泣き出したけど許さんかった」
嫌すぎると、岡部は体を振るわせた。
「聞けばあいつが事の発端だったからな。徐々に時間が伸びたんだよ。皆には本当に迷惑をかけたと思う」
そんな説教の仕方したら毎回時間がかかって仕方ないと松井が冷静に指摘すると、松本が笑いとばした。
「俺は君らみたいに短距離竜じゃなく長距離竜だから。でもその代り、今後は田北がこの事を宣伝して脅すでしょ」
そう考えれば初回だけで済むから走行距離で考えれば燃費は良いのかもしれないと、大須賀が笑い出した。
「叱責するのも体力勝負とかさ。調教師ってどんだけ肉体労働なんだよ!」
「それは君がわざわざ長距離走にしてるからだ!」
松井がそう言って食べ終えた串を松本に向けて指摘すると、皆が笑いだした。
「明日から夏休みか。みんな一か月もの休みどうするの?」
大須賀がぼんじりの串を口にしながら皆に尋ねた。
この歳になって一か月も休みって言われてもと松井も困惑している。
「とりあえずは娘とべたべたするだろうけど、お互いすぐ飽きるだろうなあ」
松井はどうしたものかとボンジリ串を食べながら悩みはじめた。
「俺は嫁と旅行行くけど嫁も暇じゃないからなあ。どうしたもんやら。大須賀くんはどうするの?」
松本は大須賀に質問を返した。
「俺も旅行は行くだろうけど。いかんせん一か月だもんなあ。ダラダラ過ごしたら、そのうち嫁から雷が落ちそうだよな」
「それだよな。暫く会ってないから最初は優しいんだろうが、そんなの最初の数日だけだよな」
大須賀と松本は共に大きくため息をついた。
松井は武田の方を見て、君はどうするんだと麦酒の器を向けた。
「僕はほら彼女学生やから。向こうも夏休みやから」
「ああそうだったね。君は一番楽しい時期だったな。せいぜい今を満喫しとけ。結婚したらこうだぞ!」
大須賀がそう言って松井と松本を指さし不貞腐れた。
「そない、ひがまんでもええやん。岡部くんはどうなん?」
武田は自分から矛先を反らせようと岡部に話を振る。
「僕は、最初は家族と旅行して、その後は厩舎に遊びに行くと思う」
それを聞いた大須賀たちおじさん三人は一斉に岡部を指差し、それだと言い合った。
岡部はびっくりして椅子ごと後ろに倒れそうになった。
「松本くん! 一緒に浜名湖に遊びに行くべ! うなぎ菓子でも買って行ってやれば、嫁のご機嫌も取れるべさ」
「そうだな。そうすっぺ! 嫁に怒られんで済む」
それを聞いた武田が、そんなに嫁さんが怖いのかねと、うずらの卵の串を食べながら呟いた。
その一言が大須賀、松井、松本の三人の神経を逆撫でしたらしくキッと武田を睨んだ。
「彼女の機嫌の悪さなんてな、ちょっと七味がかかってるようなもんだ。嫁の機嫌の悪さときたら、匂いでむせる激辛料理みたいなんだぞ!!」
松井が涙ながらに訴えると、わかるわかると松本が同意した。
「君も結婚したらわかるよ。嫁が君に甘い顔してるのなんて、びっくりするほどちょっとの間だけなんだからな!」
松本が真剣に語ると、大須賀も泣きそうな顔をした。
「君だってすぐにこうなるんだ。子供ができたら、もう君になんて何の興味も無くなるんだぞ!」
三人に詰められ武田も椅子ごと後ろに倒れそうになった。
そんな現実知りたくないと顔を引きつらせた。
翌日、少ない荷物を持って岡部は土肥駅に向かった。
土肥駅では一緒に帰ろうと武田が岡部を待っていた。
松井は嫁の家族に挨拶しないといけないからと朝一で帰省している。
大須賀と松本は、武田の話によるとまだ寝ているらしい。
二人は修善寺駅で降りると、蕎麦、米酒、本わさび、わさび漬けを購入。
岡部が買うのを見て武田も同じものを購入した。
駿府駅で降りると、武田は彼女へのお土産を買いたいと百貨店へ向かった。
武田は迷いに迷って最終的に岡部に決めてもらい、水色の天然石の耳飾りを購入。
岡部は、奥さんにはスカーフを、梨奈へは緑色の天然石の髪飾りを購入。
二人は駅の近くで海鮮丼を食べ、お土産の米酒と帰りの電車内で呑む缶麦酒と乾き物を購入。
東海道高速鉄道に乗り込み皇都へと帰って行った。
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