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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第33話 松井

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師候補

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

・松井宗一…樹氷会の調教師候補

・武田信英…雷鳴会の調教師候補

・大須賀忠吉…白詰会の調教師候補

・松本康輔…黄菊会の調教師候補

・服部正男…日章会の騎手候補

・臼杵鑑彦…無所属の騎手候補

・板垣信太郎…雷鳴会の騎手候補

・田北鑑信…黄菊会の騎手候補

・村井貞治…白詰会の騎手候補

 月初の乱闘騒ぎを経て騎手候補の五人は明らかに変わった。


 服部は自分の作業に誇りを持つようになったし、臼杵は肉体強化に熱が入るようになった。

板垣は五人の大将格の雰囲気が出たし、田北と村井は別人のように謙虚になった。

五人が五人とも教官に対しても真摯な態度をとるようになったし、調教師候補に対しても敬うような態度に変わった。


 近年稀にみる問題児揃いの五人が優等生に変わったと嘲笑う教官もいた。

それに対し大須賀が、真面目にやる者を嘲笑う教官はしかるべき罰を受けるべきではないのかと注意する一幕もあった。

それを聞いた松井は、これまで信用を失い続けたあいつらにも問題があると窘めた。



 『サケエイリ』は相変わらず食が細いながらも、徐々に食べる量を増やしていった。

運動量も増え、追い切りも『なり』中心から『強め』追いを混ぜるように変わっており、体つきも徐々に競走竜らしくなってきている。

初期のガリガリの姿からは想像もつかない肉のついた姿に、服部も感動が一入(ひとしお)といった感じである。




「あれからずいぶんと、風というか、景色というか変わったな」


 土曜日の夜、学校の近くの居酒屋『海ぼうず』で松井と岡部は一杯やっている。


「そうだね。なんだか、皆、目つきが変わったというか」


「やっぱり武田くんの一言が響いたんだろうな。胡坐かいてたら君に抜かれるって」


 あのガリガリの竜が目に見えて肉が付いてきて、他の四人の調教師は全員焦りを感じていると松井は笑い出した。


「さすがに休み前はちょっと厳しいとは思うけどね」


「ということは、休み後はいよいよ抜きに入るつもりか。皆、初期のあれ見てるからな。抜かれたら精神的に来るものがあるだろうな」


 松井が笑いながら麦酒を飲み干すと、岡部が瓶から麦酒を注いだ。


「他の人がどう思うとか気にしてられないよ」


「そりゃそうだ」


 果たして誰が最初に追い抜かれるのやら。

松井が茶化したように言うと、岡部は麦酒を呑んで笑い出した。


「次の競走が終わったら夏休みか」


 七月は競竜学校自体が休みになる。

騎手候補も全員夏休みだし、練習用に飼育している竜たちも契約している古河牧場に全て放牧される。

実習競争の竜たちもそれぞれの会派の指定した牧場へと放牧となる。

教官たちは休みにはならず、各競竜場に出向いて研修や試験を行う事が多い。


「松井くんはどうするの? 奥さんたち実家帰っちゃったんだよね?」


「俺は嫁さんの実家に行くよ。福原の借家はもう解約しちまったからな」


 松井の奥さんは麻紀さんというそうで、西府に実家がある。

松井の所属していた森厩舎は福原競竜場の所属なので、実家に帰ったといっても実は大した距離ではないらしい。


「ああそっか。開業先は違う場所になるんだもんね」


「どこになるかは知らんけどな」


 どこで開業になるのやら。

岡部も枝豆をぷちぷちと摘まんで豆を取り出しながら相槌を打った。


「そういえば奥さんってどんな人なの? その、なれそめとか」


「……そういうの言うの恥ずかしいんだぞ? まあいっか。俺、生まれは濃飛の加納でな、西府の大学行っててさ。その時に競竜に触れたんだよ」


 岡部は切干大根を食べながら黙って聞いている。


「卒業の頃にはすっかり魅入られててさ。競竜関係に就職しようと募集探して。で、森厩舎の募集に応募したんだよ」


「もしかして奥さんは厩舎の同僚とか?」


「いや、事務棟の姉ちゃん」


 そうなんだと興味津々の顔をする岡部から松井は顔を反らしている。

松井は言うんじゃなかった呟き、酸いものを食べたような顔をした。


「君はどうなんだよ。どうやってあの戸川先生と知り合えたんだよ」


「僕は……気が付いたら大津の競竜場で倒れてた。そこを戸川先生に拾われたんだ」


 松井は思いもよらぬ身の上話に絶句している。


「それより前の記憶は薄っすらとしか無いんだ。でも思い出したいとは思わない」


 岡部は松井の顔を一瞥もせず麦酒を口に流した。

松井はどう声をかけたものかと言葉を探りながら麦酒を呑んでいる。


「その後、戸川先生が家に招いてくれて、養子にしてくれて、就職まで世話してくれて」


「でれ良い人だな戸川先生。でもまあ、お互い、ここだけの話にして胸の奥に留めておこうな」


「そうしてくれると助かる」


 岡部たちの伝票に店員が伝票を差し込んでいった。


「松井くんはどうして騎手候補無しで調教師試験受けたの? 騎手候補を待てば楽だったのに」


「俺、森厩舎で筆頭厩務員やってたんだよ。だけど俺、大抜擢だったから厩務員全員年上でさ。いう事聞いてもらえなくてね」


 以前、戸川から聞いた事がある。

厩務員の中でも、主任は年長者、筆頭は職歴に関係無く有能な者を抜擢することが多いらしい。

それはそれぞれ求められる役割が異なるからなのだが、筆頭は不和の元になってしまう事もあって人選は本当に難しいのだそうだ。


「大抜擢ってことは先生の肝入りなんだよね? それでも反発されたの?」


「裏で色々な。先生の事は今でも尊敬してるよ。その先生から、突然調教師になれって言われてな。どうやら厩務員から讒言(ざんげん)があったらしくてさ」


 岡部は言葉に詰まってしまった。

自分は会派から担ぎ上げられるように調教師になったのだが、松井は真反対に厩舎から追い出されるように調教師になったのだ。


「それで試験受けたんだけどさ。落ちちゃって。それで一年間、厩務外れて事務室で勉強したんだよ」


「そんな状況で勉強とか針のむしろじゃん」


 松井は岡部の指摘に力無くはにかんだ。


「実は今回落ちてたら転職しようと思ってたんだよ。そういう君は、何で騎手候補待たなかったんだ?」


「落ちたら待つ方向だったよ」


 さすがに松井の話の後だったので、岡部もバツが悪いらしく少し小声であった。

さらに松井から顔を反らした。


「おいおい、じゃあ受けたら受かっちまったってのかよ。なるほどなあ。そんなだから会の下の方に妬まれてるのか。あんな竜、恥ずかしげもなく研修に送ってくるなんて」


 松井に指摘され、初めて岡部はそういう事だったのかと納得した。


「でもさ、戸川先生は開業した時、あんな感じの竜が十頭だったそうだから。それに比べれば全然」


 松井は絶句した。

あんな竜ばかり十頭では、体調管理だけで一年が過ぎてしまいそうである。


「実は僕、戸川先生の研修時の実習報告を参考にこれまでやってるんだよ。それが無かったらここまで自信持ってやってないよ」


「『伝説の調教師』戸川為安か……」


 松井はまるで英雄の名でも呟くように戸川の名を呟いて麦酒を呑んだ。

岡部は以前から松井が戸川の名を知っている事に疑問を抱いており、いい機会だから聞いてみようと思った。


「前から気になってたんだけど、何で松井くんがそんなに戸川先生の事を知ってるの?」


「森先生や大先輩の厩務員がよく言ってたんだよ。昔、戸川先生が福原にいた時、隣の厩舎だったんだって。まるで魔法を見てるようだったそうだよ」


 競竜の調教で、魔法を見ているようという感想がイマイチよくわからないが、余程大活躍したのだろうという事は察する事ができる。


「武田くんのお父さんも一緒だったことがあるって言ってたなあ。まさに秀才だったって」


「未勝利しか勝ってない古竜鍛えて重賞勝ったらしいからな。まさに伝説だよ、伝説」


「す、すげえ……」



 そろそろお開きにしようと松井は伝票を手に取った。


 いくらになるか計算しようと伝票をめくった松井は、何だこれと大声を発した。

岡部は残った麦酒を呑みほすと、松井の顔を見てどうしたのと尋ねた。


「割り勘しようとしたんだけどさ。何か高いなって思って。よく見たら知らん伝票が差さってる」


 問題の伝票を見てみると、丼物二つと小鉢をいくつか注文した伝票が差さっていた。

岡部はそれを見てゲラゲラ笑いだした。


「店員が間違えてるんだと思うから、ちょっと文句言ってくる!」


 松井が怒って席を立つと、岡部は笑いながら松井を落ち着かせた。


「多分これ、僕らの良く知ってるいがぐり頭二人の伝票だよ」


「いがぐり頭って? ……あいつらか! でも、何でそう思えるんだよ?」


 松井はすぐに臼杵と服部の顔を思い出し憤っている。

岡部は戸川と日野からそういう話を事前に耳にしていただけに笑いが止まらない。


「ここ呑み屋だよ? この時間に酒たのまず、丼物と小鉢たのむ奴いると思う?」


「締めの丼かも知れんじゃんか!」


「じゃあ、一応確認してみようか」


 岡部は店員を呼ぶと問題の伝票について尋ねてみた。

兄たちが払うからって坊主頭の二人組がと、店員は少し取り乱した顔をした。


「ほらね?」


「あいつらめ! ちょっと真面目になったと思ったらこれだもんな。でも、よくわかったな?」


「実はちょっと前に全く同じ話を聞いててね。場所もちょうど同じこの店でね」


 岡部は人差し指で地面を指さした。


「じゃあ伝統なのかよ、これ」


「なのかねえ。でもこれでまた一つ貸しができたな。あいつ、どんだけ僕に借りを作りたいんだか」


 確かに長井の頃すでに行われていた話なのだから、綿々と受け継がれている食い逃げ方法なのだろう。

そう思うと何だか可笑しくなってしまう。


「だけどよ、一言言ってくればさ、こっちも気持ちよく飯くらい食わせてやるってのにな」


「あの子ら自己節制してるのに?」


 騎手候補は毎週のように体重測定がある。

骨格や身長から適正体重を設定されて、その体重を上回らないように厳しく体重管理をさせられる。

開業したら毎週行わなければならない事なのだから、学生のうちから習慣づけておこうという狙いなのである。


「後ろめたいって一応思う気持ちはあるって事か」


「まあ、それだけ僕らに心を許したんだと喜んでおこうか」


 しょうのないやつらだと松井は憤った。

その分体を動かしてさしあげて、節制のお手伝いをしてあげれば良いだけの話と岡部が笑うと、松井は大爆笑であった。

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