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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第30話 指示

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師候補

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

・松井宗一…樹氷会の調教師候補

・武田信英…雷鳴会の調教師候補

・大須賀忠吉…白詰会の調教師候補

・松本康輔…黄菊会の調教師候補

・服部正男…日章会の騎手候補

・臼杵鑑彦…無所属の騎手候補

「半分も食べないのか……」


 朝一番で服部から報告を聞いた岡部は頭を抱えた。

初日に飼料の分量を指示し、朝食前と昼食前に引き運動と乗り運動をさせ、昼飼と夜飼をどの程度食べたのかを報告してもらった。


 人間の食事に一人前というのがあるように、競竜の飼も大体一回分という分量の目安はある。

ただあくまでそれは目安でしかなく、竜によって量を増やしたり減らしたりしている。

残った飼を大体目視で確認してもらったのだが、昼飼は約七割、夜飼葉も六割強を残していたらしい。


「どうします? 飼料の分量変えます?」


 岡部は回答を渋った。

飼料をこのまま一般の分量用意しても残すだけ勿体ない。

分量を落とすのは当然として問題はその量である。

減らしたら減らした分、食べずに同じような割合で残されたら目も当てられない。


「水はどれくらい飲んでるの?」


「結構飲んでるみたいですね」


「そっか。であれば大豆が膨らんで満腹なんだろう。じゃあ食べきれる量よりも少し多目の量をあげてくれるかな。今なら通常の半分程度かな」


 服部は飼育帳にメモを取りながら、承知しましたと返事をした。


「それと間食は、ほぼ手を付けてへんみたいですね」


「じゃあ間食は暫くは果物だけにしてくれるかな。変更する時には別途指示出すから、それまでその方針で。後、外に出すのは雨の日はしなくていいからね」


 ただし報告は毎朝しっかりするように。

服部は引き続き飼育帳にメモを書きまくっている。


「引き運動や乗り運動は雨でもやるんです?」


「運動は絶対だよ! 運動後の按摩は腰を中心に丹念にね。それと異常を見たらどんな些細な事でもすぐに教えて欲しい」



 その後岡部は、朝の乗り運動までを服部と二人で行い、それが終わると後は服部に任せ、図書室へ行って資料を探し読みふけった。




 武田たち稲妻牧場の竜は初週からしっかりと追い調教を行っていたが、松井も初週は乗り運動が限界だった。

だが次の週からは松井も追い調教を開始した。


「岡部さん。うちらはいつぐらいから追い調教ができる予定なんですか?」


「今月中は無理だよ。やっと少し食べるようにはなったけど、とは言えまだ全然だからね」


 菜種梅雨だろうか、外は連日しとしとと雨が降っている。

乗り運動を終え、朝飼を与え終えた服部が、髪をタオルで吹きながら教室に入って来て岡部に尋ねた。

岡部は何かをコピーしたような紙を、頬杖をついてじっと見ながら受け答えをしている。


「他のはうちみたいにあないに乗り運動してへんし、調教も始まって。差が開く一方やないですか」


「他所は他所。家は家」


 岡部の言葉に服部は思わず吹き出しそうになった。


「いやいや。子供のわがまま違いますよ!」


 岡部はやっと紙から視線を上げ、服部の表情を確認した。


「怪我したら放牧だよ。そうなったら一からやり直しだ。もう絶対に追いつけないよ」


「そしたら別の竜に変えてもらえるんでしょ?」


「この竜じゃなきゃ意味が無い。竜と真摯に向き合っていこうって言っただろ?」


 開業したら、走りそうにないからと最初から諦めるような真似はできない。

そんな事をしたら竜主との信頼関係が崩れてしまう。

そう服部を諭すのだが、服部は不貞腐れたような顔をし、大きくため息をついた。



 三週目から『エイリ』は徐々に食事量を増やした。

他の四人の竜はもうすっかり肉が付き始めているが、『エイリ』はやっと浮いてたあばら骨が目立たなくなった程度である。


「よく頑張ったな。もうひと踏ん張りだからな」


 岡部は嬉しそうな顔をして『エイリ』の首筋を撫でた。

『エイリ』も嬉しそうな鳴き声をあげる。


 『エイリ』は初めて対面した時のような人を無条件で怖がっているという感じでは無くなっている。

少なくとも岡部と服部に対しては懐く様な態度を取っている。

残念ながら未だに誰かが見ているうちは餌を食べないのだが。


「今、一般の三分の二くらい食べてます。間食も徐々に手付け始めてますわ」


「良いねえ。順調だねえ。必ず食べ残すものとかはあるの」


 服部は飼育帳を手に、ここ数日分の食事状況を確認する。


「見返してみましたけど、そういうんは無いみたいですね」


「そっか。なら大丈夫かな。じゃあ間食の量を増やしたいから、間食に大豆を混ぜてみようか。まずは大豆一、果実五ね。水も多目にね」


 服部は承知しましたと言って飼育帳にメモを取っている。


「岡部さん、こんなんで来月末の実習競争、ちゃんと走れるんですかね?」


「来月末はさすがにちょっと無理だよ。でも、現状を見たいから競走には出すよ。だけど絶対に無理はさせないでね」


 つまりそれは、同期の前で大敗こいてこいという事である。

そんな事になるくらいなら出走を回避して欲しい。

服部の顔は、そう書いてあるかのようだった。


「そんなん恥かくだけですやん」


「出れるだけで勝率は零では無いよ」


「……それは、まともな竜に言うことですわ」


 服部はがっくりと肩を落とした。

徐々にだが服部の中で岡部への恨みが募っていた。




 さらに一週間が過ぎた。

『サケエイリ』の調教を開始してから間もなくひと月が過ぎようとしている。

どうやら菜種梅雨は終わったようで、連日太陽が顔を出すようになった。

そのせいか、『エイリ』は日光浴できる日が増えている。


「先週からずっと横ばいですね。食う量もちいとも増えへんし。肉もついてるように見えへんし」


 岡部は、『エイリ』の脚を触って確認している。

服部は肉が付いているように見えないというが、以前はほとんど無かった弾力を皮膚から感じる。

恐らくやっと少し脂肪が付き始めたのだろう。


「うん。そろそろかなあ。来週から追い調教始めてみようか。最初は『なり』からね」


「週二やりますか?」


「うん。最初から週二で。毎日の乗り運動も継続でね」


 岡部としては、本当ならもう一週間待ちたいところである。

追い調教をすればせっかくついた脂肪が落ちてしまう事になる。

せっかく増えた食事量も落ちてしまうかもしれない。

できれば余裕ができてから絞るように調教をしたいところである。


 だが、服部の方が我慢の限界だと感じている。

今の服部だと飼育放棄しかねないし、最悪の場合、竜を害されてしまうかもしれない。


「他の竜がとっくに走り始めとんのに、うちのはやっと発走機に入るんやね」


「他所は他所。家は家」


 岡部は不貞腐れる服部をカラカラと笑い飛ばした。


「またそれですか。競走は他所の事も考えなあかんのと違いますかね?」


「どんな競争内容でも、最後の最後にハナ差でも前に出たら良いんだよ」


 服部は岡部を睨みつけ、大きなため息をついた。




「どんな感じよ? そっちは」


 夜、下宿の食堂で松井は缶麦酒片手に岡部に問いかけた。


「なかなか、思うようにはいかないよね」


「最初に比べて、でれ大きくなったじゃない。あの竜」


 大きくなったと松井は言うが、実際にはほんの少し脂肪が付いた程度で、筋肉はまだ競争に耐えられるほどには付いていない。


「ひと月で色々わかったよ。多分あの竜、食が細すぎてまともに調教されなかったんだよ」


「それであんなにガリガリだったのか……」


「まさか、あの程度筋肉をつけさせるのに、こんなに時間がかかるとは……」


 岡部は少し苛つき缶麦酒をぐいっと呑んだ。

服部の前では態度には出せないが、岡部も服部同様、あの竜の生育の遅さに苛々が募ってはいるのだ。

松井はそんな岡部の肩をポンポンと叩き、冷静になるように促した。


「乗り運動だけなんだから当たり前だろ。まあ、あのまま追ってたらボッキリだっただろうがね」


「……来週から追うよ」


「それは良かった。もう服部は忍耐の限界みたいだぞ? 臼杵がひどく気にしてる」


 岡部は麦酒を呑むとゆっくりと息を吐いた。


「あの子は堪え性が無さすぎる!」


 松井はするめを口にくわえ、唇を噛んで苛ついている岡部をじっと見つめた。


「若者に堪え性を期待するのは無理があるよ。外から見てる感じでは、不満顔ではあるものの、世話はちゃんとやってるじゃない」


 岡部は乱雑にちくわを齧ると、麦酒を呑み小さくため息をついた。


「最近、世話が蔑ろになりつつあるんだよ。このままだとあの竜は怪我をすると思う」


「穏やかじゃないなあ。何かそう思うようなことがあったのか?」


「徐々に竜の報告がおざなりになっているんだよ。乗り運動も勝手に速度を上げている。その上按摩は雑になっている」


 言い終わると岡部は麦酒をぐっと呑んだ。


「散々な言い様だな」


 松井は岡部の愚痴に思わず苦笑いである。

だがわからないでもない。

自分が岡部の立場ならとっくに服部と大喧嘩になっていると感じる。


「何度も言うんだけどね。竜に真摯にって」


「響いてねえんじゃねえの?」


「もう一度、ちゃんと話し合わないとダメなのかなあ。はあ……人に動いてもらうのって難しい」


 岡部はまた大きくため息をついた。


「おいおい。まだ一頭の竜に一人の部下だぜ? 開業したら十倍だぞ?」


「あんな竜が十頭もいたら胃が死んじまうよ!」


 松井は大爆笑した。

岡部の顔を見ると先ほどまでの険しい表情ではなく、いつもの飄々とした顔に変わっていて、少し安堵した。


 松井は新しい缶麦酒を開けて呑み始めた。

いつもに比べ岡部の呑む速度が早く、それを気付かせる為に、松井はいつもよりゆっくりと吞んでいる。


「武田くんが心配してるよ。こっちに行っていいか判断に困るって」


「別に気にせず来たら良いじゃん」


 久々にかなり酔いが回っている事に岡部は今さらながらに気が付き、イカの燻製を口にした。


「君、土日も竜にかかりきりじゃん。それと君が苦労してるのを見て、大須賀くんが気を使って制してるんだって」


「僕が苦労してるからって腫れ物に触れるように扱われるのは何か違うと思うなあ」


 同情は返って傷つくと岡部は拗ねた顔をした。


「そう言ってやるなよ。大須賀くんなりに気を使ってるんだからさ」


「気の使い方が間違ってる!」


 岡部は吐き捨てるように言ったが、松井は首を横に振って、そんな岡部を窘めた。


「何も間違ってなんかいねえよ。俺も大須賀くんの考えに賛同だ」


「僕が気にしないって言ってるのに?」


「こっちが気にするんだよ。飲み会やろうって思っても、会えば絶対実習競走の話になるからな」


 そうなれば岡部は必ず口数が減る。

そんな岡部を気遣って話しを続けたって、何も盛り上がりはしない。

そんなお通夜みたいな呑み会、誰だって嫌だろう。


 岡部はまた新しい麦酒の缶を開けた。

あらかじめ用意してあったコップに麦酒を注ぐと、蒲鉾を齧りながら麦酒を呑み始めた。


「色々と上手くいかないなあ」


「勝負の世界だからな。仕方ないさ。で、いつ頃目途がつく予定なんだ?」


 あの竜に聞いてくれと岡部は言いたかった。

だがそんな事を言ったら松井に、開業後に竜主に同じ事が言えるのかと窘められるのが目に見えている。


「早くても来月末くらいかな。遅ければ夏休み明けになるかもね」


「じゃあ当分修善寺行きはお預けだな。武田くんが蕎麦、蕎麦って大騒ぎだぞ」


 その時の姿が岡部にも容易に想像が付き、岡部は思わず吹き出してしまった。


「僕は早く『串浜』の焼き鳥が食いたいなあ」


「武田くんじゃないけど、俺も修善寺の蕎麦が食いたいよ」


 蕎麦もだけど大吟醸もでしょと岡部は指摘。

松井は満面の笑みでそれなと笑い出した。


「我慢した後の一口は旨いよ、きっと」


「麦酒と蕎麦を一緒にすんなよ」


 松井と岡部は二人だけしかいない食堂で豪快に笑い合った。

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