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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第27話 修善寺

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師候補

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

・松井宗一…樹氷会の調教師候補

・武田信英…雷鳴会の調教師候補

・大須賀忠吉…白詰会の調教師候補

・松本康輔…黄菊会の調教師候補

 一月があっという間に過ぎ去った。


 座学は月末の最終日に小試験がある。

朝から小試験を受け、朝食休憩を挟み、後半の授業で結果が返される。


「岡部君、追試ね。他の人は今日はご苦労さま」


 岡部が目頭を押さえている。

残りの四人はため息をつき机に突っ伏した。



 小試験は落第させる為のものではなく理解の深度をみるためのものである。

その為、追試の前に教官から試験問題の解説を受ける。

教官はその都度、ではこれはどうなるかや、これがこうなるとどうなるかという感じでその都度岡部の理解度を試している。

岡部も決して何も理解できていないわけでは無く、どちらかといえばしっかり理解はできている。

何故か試験と言われて筆記をすると答えが出てこなくなってしまうのだ。


 右の席には大須賀が、左の席には松井が、それぞれ座ってこちらを見てる。

教官の隣には武田と松本がそれぞれ座ってこちらを見ている。


「知識はちゃんと入ってるんだよな。なんで試験だとそれが出てこないんだろうな」


 松井が答案用紙を見て嘆息する。


「筆記試験だけが苦手な子っているんだよ。そういう子って知識と問題文が結びつかないそうなんだ」


 大須賀の指摘に、さすが二児の父と武田が笑い出す。

大須賀は茶化すなと武田を叱った。


「そういう子ってのはどうすれば良いの? 勉強法みたいなのってあるんでしょ?」


 松本が真顔で大須賀に尋ねる。

教官も気になるようで大須賀の回答に耳をそばだてている。


「そういう子って、仕込んだ知識が整理できるまでにちょっと時間がかかるらしいんだよね。だからじっくりやるしかないらしいよ」


 食べるのが早い子と遅い子がいるようなものと大須賀は真剣に説明した。

大須賀の説明を聞き教官は咳払いをする。


「それではわかってないのと一緒なんだよ」


 教官がピシリと言ってのけた。

四人は岡部の顔を見てため息をついた。




「岡部くん、松井くん! 修善寺遊びに行こうや!」


 土曜の朝っぱらから武田が下宿にやってきた。


「君、暇さえあればこっちに来るけど、そんなに向こうは居心地悪いのか?」


「向こう二人ともゴロゴロしてばっかで暇やねん!」


 相変わらず松井と武田は言い争っている。

何とも仲が良く結構なことだ。


「なあなあ、修善寺行こうや。あそこ紅花会さんの宿あるんやろ?」


 武田が必死に岡部にせがむのを見て松井は首を傾げた。


「紅花会さんの宿ってそんなに良いの?」


「うちの雷鳴会の宿も参考にしてるくらい、ごつい評判良えんやで!」


 松井は『樹氷会』に所属しているのだが、『雷鳴会』『紅花会』『紅葉会』といった会派が宿泊業を営んでいる事自体は知っている。

だが残念ながら松井はこれまでそういった宿に縁が無く、雷鳴会の宿に奮発して泊まった事がある程度である。


「宿の目玉って何かあるの?」


「温泉宿だから一番の目玉は温泉なんだけど、あとは蕎麦と吟醸の米酒とわさびかなあ」


 岡部が思い出すように言うと、松井はすっと立ち上がった。


「おい岡部くん! さっさと支度しろよ! 吟醸酒が俺たちを待ってるぜ!」


 武田はやったと喜んでいるが、岡部はやれやれという態度だった。




 駿豆鉄道の西岸線特急で修善寺駅に向かうと、三人は真っ直ぐ紅花会の小宿に向かった。

どうやら宿は前回来た時から大きく改修工事を受けたらしい。

外装は全く変わっていないのだが、一歩中に入ると、面影が辛うじて残っている程度に内装は変わっていた。


 岡部が小宿の支配人に挨拶をすると、支配人の爺さんは大喜びし一部屋を休憩用に貸してくれた。


「この宿もすっかり雰囲気が変わって。特に常連のお客様にかなり喜んでいただいてますよ」


「それは良かったですね。常連さんに違うと離れられたら、せっかくの改装が無駄になってしまいますもんね」


 支配人のお爺さんはニコニコしながら、岡部さんのおかげで宿が生まれ変わりましたと頭を下げた。


「年末に突然大女将から連絡が来て、新年の繁忙が明けたら二週間宿を閉めろって言われて。それはもう大改装でしたよ」


「え、たった二週間で? そんな短期間で改修って終わるもんなんですね。そっちにも驚きですよ」


 支配人はふふふと笑い、確かにあっという間でしたねと微笑んだ。


「今日は米酒は良いものを用意させてもらいましたから。お友達と堪能してくださいな」


「わざわざすみません。遠慮なくいただきます」


「いえいえ。ほんのお礼ですから」



 部屋に入ると三人は浴衣に着替えた。


「さっきのここの支配人なんやろ? 何言われてたん?」


「実は試験の時ここに泊まってね。その後ちょっと改装の話を会の方に」


 何気ない雑談のようにとんでもない事を言い出した岡部に、武田と松井は目を丸くして驚いている。


「え? 岡部くんってそないな事までやってるん?」


「会長の奥さんが大女将でね。いつも良くしてもらってて。そうそう、お酒用意したから堪能してだって」


 松井と武田は満面の笑みで見合い、やったぜと両手をパチリと合わせて喜んだ。



 何を置いてもまずは温泉だと、三人は浴場に向かった。


 浴場は前回来た時から大改装されていた。

まず脱衣所からして違う。

竹を模した素材が敷き詰められていて、簡素な棚だけだった衣類置きは少し広めに変えられ、竹籠が用意されている。


 浴場に入ると、三人はおおと歓声をあげた。

大きな平らな丸石を床に敷き詰め、湯船も丸石を積んでおり露天ぽさを醸している。

天井は以前よりかなり高くなり、壁は竹藪を模したものになっており模造の竹が乱立している。


「これは凄い! 竹林の中の露天風呂みたいじゃない!」


 松井がかなり興奮している。

武田は口を半開きにしたまま、きょろきょろと周囲を見渡してる。


「ちょっと言っただけで、それを再現しちゃうんだもんな」


 岡部だけが少し引きつったような顔で風呂を眺めている。

その岡部の言葉に松井が反応した。


「ちょっと言ったって、これ岡部くんが提案したの?」


「修善寺っぽさが無いって言ったんだよ。そしたら、これ」


 岡部は半笑いで床を指差す。

松井は口をぽかんと開け、かなり驚いた顔をしている。


「それをさ、こういう感じで再現できるいうんが紅花会の宿の凄さなんよな」


 武田はかなり興奮気味でべた褒めである。

後で会の方に報告してやらないとと笑い出した。


 湯舟にゆったりと浸かり、松井はおっさんくさい唸り声をあげた。


「紅花会さんの宿ってどこもこんなに凄いの?」


 正直岡部はそこまで詳しくは無い。

だが、武田はそれなりに詳しいらしい。


「僕、爺ちゃんに連れられて何度か泊まりに行った事あるんやけど、一回泊まったら次もそこに泊まりたくなるものがあるんよ」


 武田はいちいち例を出して、あの宿はここが凄い、この宿はあれが凄いと熱弁である。


「うちの樹氷会は宿やってないからな。これからは紅花会さんのとこに泊まることにしよ」


「それは良けども紅花会さんは、どこもそれなりに取るで?」


 武田は指で輪を作って松井に見せた。

松井の顔は露骨に引きつっている。



 温泉から出ると三人は着替えて修禅寺を参拝。

宿に戻ると少し遅い昼食を取ることにした。


 三人が食堂に入ると、ここもかなり改修が入っており、竹林の中の茶屋のような雰囲気となっていた。

岡部の姿を見ると厨房から料理長が大吟醸の小瓶を持ってきてくれた。


「これはこれは、岡部さん。よくお出でくださいました。うちの蕎麦、美味しいって言ってくれたんですってね。ちょっと前に大女将がわざわざ食べに来てくれたんですよ!」


「どうでした? 大女将も満足されてましたか?」


「それはもう! これだけでも来る価値があるっておっしゃってくれて」


 腕を磨いてきた甲斐があったと料理長は涙を流さんばかりに喜んだ。


「僕も前回食べて本当に感動しましたからね。良いものはちゃんと評価されるべきだと僕は思います」


「光栄な事です。では、自慢の蕎麦を茹でてまいりますね。お友達とごゆっくりご堪能ください」


 料理長は弾むような足取りで厨房へと向かった。


 それから程なくして蕎麦が運ばれてきた。

料理長は、わさびも擦りおろしなので、つゆに溶かず、蕎麦に付けて召し上がってみてくださいと案内した。

三人は促されるままに蕎麦を口にする。


「確かにこれは! 今までで一番だな。これは絶品だわ!」


 松井が目が覚めたと目を丸くして興奮している。


「でしょ! 美味しいんだ!」


 岡部はわさびを蕎麦に付け、そのままつゆに蕎麦を半分浸して啜った。


「蕎麦ももちろん旨いんやけど、このつゆも絶品やね! ああ、毎日でも食べたいわ」


 武田も大興奮でずるずると食べている。


「海が近いからかな。つゆも良い出汁が効いてるんだよね」


 岡部は忘れてたと、大吟醸の小瓶を開け二人に注いだ。


「くぅぅぅ。この大吟醸うめぇ!」


 松井は酒を呑み、たまらんと吠えた。



 三人は食事を堪能すると、もう一度温泉に入った。


松井はどっぷりと湯舟に浸かり、研修期間中に何度か来ようなと二人を誘った。

ご利用ありがとうございますと岡部がおちゃらけて二人の笑いを誘った。



 暫くして突然、武田が悩みを打ち明けてきた。


「僕、あの二人だんだん苦手になってきたんよ。なんか僕見下されてる気して……」


「そりゃあ君は年齢が下だからな。あの二人は自分の弟みたいに思ってるんじゃないの?」


 松井は気のせいだと断言した。

だが武田は深刻な顔をしたままである。


「向こうでもさ、何かにつけて伊級が、霞ヶ浦がって。自慢みたいに言うてさ」


「君は自分が呂級出身なのを恥じてんのか? 俺は八級出身だけど別に恥じてなんてないぞ?」


 だが岡部も武田に賛同した。

呂級以下の話なんて知らんって態度が気になると言い出した。


「ああ。そこは確かに俺も引っかかったけども。だけど、そもそも酒の席の話じゃん」


 酒の席だから本心が出たと武田は口を尖らせて拗ねている。

松井は少し困り顔をし、後頭部をぽりぽり掻いた。


「悪い風に捕えるのはよせ。そもそも精神衛生上良くない」


「松井くんは、あの二人の事どう思うてるん?」


「俺は正直何とも思ってないな。向こうが危害を加えてくるようなら容赦はせんが」


 武田は気分が完全に沈んでいる。

松井は岡部の顔を見て小さく息を吐いた。


「そもそも、君、武田家の者でしょうに。大須賀の会派は派生で、松本の会派なんて取引先じゃん。しかも彼らはそこの従業員でしょうが」


「僕んとこは雷雲会やのうて雷鳴(らいめい)会や。会の格はあんま変わらへんねん。伊級がおらへん分格下かもしれへん」


「……外からは一枚岩に見えるけど内部は結構複雑なのな」


 松井はやれやれという態度を取った。

岡部もさすがに少し困り顔になっている。


「帰るの億劫やわ……」


 武田は大きくため息をついた。


「そんなに嫌なら頻繁にこっちに遊びに来たら良い……ってもう来てるか」


 もうとっくに頻繁だねと岡部は松井に笑いかけた。


「最悪こっちに引っ越せば良い。俺たちは別に拒みはしないよ。だけどそれはあの二人との対立になるからな」


 松井の提案に、それはそれでと武田は言いよどんだ。


「愚痴言いに行ってもええかな?」


「僕たちに言ってすっきりするんなら、いくらでも言いに来たら良いよ」


 逃げ道があるってわかってれば頑張れるでしょと岡部は微笑んだ。



 二月の小試験も岡部は追試だった。

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