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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第23話 忘年会

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の調教助手

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・能島貞吉…紅花会の新人調教師

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・本城…皇都競竜場の事務長

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川佐経…尼子会の調教師(呂級)

・南条元春…赤根会の調教師(呂級)

・相良頼清…山桜会の調教師(呂級)

・井戸弘司…双竜会の調教師(呂級)

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・大森…幕府競竜場の事務長

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

 戸川、岡部、櫛橋の三人は東海道高速鉄道に乗り込み豊川へ向かっている。

紅花会の忘年会に出席する為である。


「先生、ほんま惜しかったですね。五位の調教師との差、数万やったんでしょ?」


「その数万がでかいねん。『大賞典』で三着を取れへんかったんが、まだまだいう事やね」


 結果的に昇格切符の最後の一枚を手にしたのは、『瑞穂優駿』勝ち竜『マンジュシャゲ』、『金杯』二着『カイゾクセン』、『蹄神賞』二着『リガンリュウ』を管理する『黄菊会』の蒲生修郷調教師であった。


 櫛橋は本当に悔しそうな顔で戸川と岡部を見ている。

戸川も岡部も、すでに悔しさは翌日の自宅の残念会で流しており、気持ちはもう来年に向かっているが、櫛橋はそうではないらしい。


「たら、れば、言うようでなんですけど、『優駿』か『天狼賞』かどっちかがもうちょっと……」


「それを言うたら、思わぬ幸運もぎょうさんあったからなあ」


 それはそうだけどと櫛橋はどうにも悔しさが処理できないらしい。

そんな櫛橋を岡部は、来年上がったら良い話だと笑い飛ばした。


「そやな。これからも『セキラン』『セキフウ』級の良え竜が毎年のように新竜で来るやろうからな」


 戸川もそう言って笑うのだが、櫛橋はでもでもと引き下がらない。


「止級無しでこの成績なんですから、止級出てたら首位やったんやって思うてまいますよね」


「吉川なんて、会派が呂級を切り捨て気味やいうのにあれだけ結果出しとるんやで? 贅沢は言うてられへんよ」


 岡部は体を上にぐっと伸ばした。


「学校から帰ってきたら、実地研修は琵琶湖ですか! いやあ楽しみですねえ!」


 岡部はちらりと戸川を見てすぐに目を反らした。


「いやいや、綱一郎君。さすがにそこまでは約束できひんよ?」


 戸川は岡部の袖を引き、必要以上に狼狽えている。

それを見て櫛橋もにっと笑う。


「岡部さん、昇級に立ち会えへんで残念やねえ。先生の快進撃を間近で見られへんで」


 戸川は櫛橋の方を向いて、いや、あのと口ごもる。


「いやいや。開業にはちゃんと立ち会えますから。それだけで僕は満足ですよ!」


 戸川はもはや何を言っても無駄だと観念し手で目を覆っている。

岡部と櫛橋は顔を見合わせ大笑いした。




 豊川駅に降り立ち、豊川稲荷に参拝した後、三人は会場となる紅花会の宿へと入っていった。

既にかなりの人数が会場に集っていた。


 受付の義悦に挨拶すると、後ろから三人を呼ぶ声が聞こえる。


「戸川、惜しかったな! あと半歩! いや写真判定のハナ差みたいな差だもんな!」


 三浦は清水主任を伴っての参加である。

清水主任も岡部たちに惜しかったよねと言って非常に残念そうな顔を向けた。


「そう言うてくれはるんはありがたいですけど、そのハナ差が遠いんですわ」


 戸川は照れながら謙遜した。

三浦は戸川の肩をパンと叩く。


「うちの会派は、またも伊級調教師を出し損ねてしまったよ」


 戸川が苦笑いすると、三浦は豪快に笑い出した。




 会場に入ると、昨年同様戸川は仁級と八級の調教師に囲まれてしまった。

清水は戸川先生の人気が凄いと笑い出した。

三浦は、俺も呂級調教師なんだがと苦笑いしている。


 三浦と戸川の入場はかなり最後の方であったらしく、そこからすぐに忘年会が始まった。

最初は最上の挨拶、続いて筆頭調教師として戸川が乾杯の音頭をとった。


 岡部は真っ先に会長の奥さんに挨拶に行こうとした。

ところが、その前に競竜会のいろはと京香に捕まった。


「お久しぶりです。『重陽賞』以来でしょうか」


「いやあ『大賞典』は興奮したわ。うちから三頭も! 会員さんも大所帯だったのよ!」


 結果はまあこんなもんかという感じだったが、大所帯というだけで盛り上がったのだそうだ。


「三浦先生が会長に、いろはさんの相竜眼を認めろって言ってたんですよ」


「いやだわ。今竜選んでるのは私じゃなく専ら光定なんだから、褒めるならあの子を褒めてもらわないと」


 照れたいろはは、岡部の腕をパンパンと叩いた。


「そうだったんですか。それは競竜会も未来明るいですね」


 どうだかと、いろはは京香を見て嬉しそうに高笑いをした。

高笑いの仕方が最上そっくりだと思ったが、口に出したら絶対に怒られると思い必死に引っ込めた。


「そうそう! 光定といえば、あれから会報の件、京香と口出したのよ。そしたらね、一人の担当が監修も無くやってて。それはもういい加減なもんだったわ」


 いろはは岡部に空いた器を持たせ麦酒を注いだ。


「会報はうちの会派の看板なのに何をやってるんだ!って叱って。今日もそれに光定はかかりきりで欠席」


「あれだけは何とかした方が良いって、前々から思ってましたからね」


 岡部が麦酒を呑もうとすると、いろはが器をカチリと合わせた。

それを見て京香も同様にカチリと合わせた。


「ただやっぱり、おじさん数人だからね。なかなか可愛い装丁というのはわからないみたいで」


 こういう感じと女児向けの文房具を見せるのだが、 全く響かないらしい。


「私も口挟んだんだけどね。私、絵が下手だからどうにも……」


 京香も端正な顔を歪め困り顔をする。


「そういう事でしたら、義妹に意匠の見本を試しに書くように言ってみましょうか? 絵書くの得意みたいですし」


 岡部の提案に、いろはは岡部の手を取り喜んだ。

京香もいろはの腕をパンパン叩いて喜んでいる。


「もし参考になりそうな見本ができたら教えて! 方向だけでも見えれば意匠屋も入れられるでしょうから。それなりの報酬も出すからね」


「学生ですから報酬はさすがに……」


 それを聞いていろはは突然怒ったような顔をし、岡部の肩を強く握った。


「見本とはいえ正規の仕事をするのよ! 報酬を受けるのは当たり前! あなたも経営者になるんだから、そんないい加減なことではダメよ!」


「そうですね。肝に銘じておきます」



 いろはたちと話していると、今度は義悦に捕まった。

義悦は強引に岡部の手を引き中央奥へと連れて行った。


「御歓談中のみなさんに一つご報告があります。来年、調教師候補として研修に行く方が出ます。戸川先生の秘蔵子の岡部さんです!」


 岡部は促され壇上に昇る。

未だにこういう席は慣れず、気の利いた事は何も浮かばない。


「皆様の後塵を拝させていただくことになりました。若輩者ですがよろしくお願いします」


 会場から暖かい拍手が送られてきた。

離れた場所から岡部と叫ぶ声がし、声の主を探ると能島だった。

岡部は苦笑いし能島に小さく手を振った。



 壇上から降りると、岡部は今度こそと、会長の奥さんのところに向かった。


「今日はちゃんと挨拶にきたのね。感心、感心」


 宿の大女将である会長の奥さんが岡部を冷やかすと、隣の女性がクスクスと笑った。


「いつも、なかなか伺えずすみません」


「そちらから来ただけで私は満足しておきます」


 岡部は申し訳なさそうな顔をするが、大女将は仕事上の事があるから仕方ないと岡部の器に自分の器をカチリを合わせた。


 大女将は横にいる女性を紹介した。

その女性は宿の女将で、名前は奈江(なえ)、義悦の母である。

奈江は、義悦がいつもご迷惑をかけてるそうでと艶やかな声で微笑んだ。


 大女将は岡部の空いた器に麦酒を注いだ。

さすが、酒を注ぐ所作は非の打ちどころが無く伝統芸のように美しい。


「うちの娘たちと一通り会ったのでしょう? どう感じました?」


「そうですね。三者三様経営者然としていて、大変今後の参考になります」


 大女将は満足そうにうんうんと頷いている。


「孫たちにも会ったのでしょう。どう? 気になる子はいた?」


「仕事上では、義悦さん以外には京香さんだけですけど、あの方は客商売が好きそうですよね」


 どうやら大女将は別の答えを期待したようだが、岡部は話をすり替えてしまい、少し不満顔をする。

それを見て奈江はクスクス笑った。

大女将はそれならと遠回りの会話を止め正面から来た。


「実は今、宿を任せられそうな子を探してるのよ」


「女将さんは継がないのですか?」


 二人は同時に奈江に目線を向けた。

奈江が愛想笑いをすると、大女将は小さくため息をつく。


「それがね、本人が嫌がってるのよ。経営判断がよくわからないからって」


「それじゃあ、義悦さんが結婚するまで大女将が頑張るしか」


 大女将は奈江の顔を見て二人で困り顔をする。


「それって若女将ってことでしょ? それも考えるんだけどね。それが原因で逃げられでもしたらって。旅館業って過酷だから」


「戸川先生が僕にしたみたいに、最初に楽しさを教えて、どっぷり漬からせてしまうのが良いのかもですね」


 大女将は、あなたはそうだったのねと大笑いした。

奈江も口元を押さえ、大女将の袖を引っ張って笑っている。



「そういえば、先日修善寺に行ったのでしょう? どうでした? 気になるところはあった?」


「そうですね……これと言って。あ、蕎麦が凄い美味しかったです」


 岡部の回答は奈江にとってはごく普通の回答に感じたのだが、大女将にとっては不満以外の何ものでも無かったらしい。

あからさまにそれを顔に出している。


「そう……それってつまり、蕎麦以外は取り立てて言うことも無かったということよね?」


「そうですね。大浴場を、もう少し風情ある雰囲気にできればとは思いましたが」


 奈江は、岡部と大女将が完全にわかり合って会話していることに衝撃を受けた。

大女将にとっては、もはや当たり前のことなのだが。


「あそこの大浴場ねえ。どんなだったか思い出せないわねえ」


「ごく普通の無機質な大風呂って感じですよ。それを、隠れ湯的な雰囲気にできればとは思いましたね。なんなら食堂も茶屋みたいに。全体的に修善寺っぽさが無いというか」


「うんうん。修善寺っぽさというと思い出すのは竹林かな。そうね! そういうお風呂って素敵かもしれないわねえ! 竹林の茶屋ね! そんな雰囲気で食べる蕎麦は格別かもね!」


 大女将は奈江に後はお願いねと言うと、席を離れてどこかに連絡しに行ってしまった。

それを見た奈江は岡部に、大女将はもうお仕事体勢ねと笑い出した。


「大女将はね、色々改善点を見つけてはいるのだけど、それをそこで指示はしないそうなのよ」


「え? 気づいた時点で改善した方が良いように思いますけど?」


 奈江は岡部の器が空になっているのに気付き麦酒を注いだ。


「私もそう思ってたの。だけどね、利用した方から指摘されたら、それはお客様のご意見になるから指示をするんですって」


「つまり、大女将の意見で変えても、それがお客様の趣向に沿うとは限らないと」


 岡部は競竜の調教にも通ずるものがあるかもと考えさせられた。


「それ聞いて私ね、絶対跡継ぎは無理って確信したのよ」


「じゃあ僕が指摘することも、大女将は元々気づいてたことと」


 奈江はクスクス笑って、岡部の腕をパンと小さく叩いた。


「それがね、あなたのは大女将が気づかないことばかりなんですって。あんな子に初めて会ったって。毎回乙女のようにはしゃいじゃって」


「そんなに凄いことしてる気は無いのですけど」


「ぬいぐるみと襷、あれ、あなたなのでしょ? 未だに凄い反響なのよ。あれ聞いた時、凄い知恵持った人がいるって私も驚いたもの」


 あまりに褒められすぎて、岡部は、かなり顔が熱くなってきている。


「僕は駿府の宿で、父が作らせた漬け飯の方が、よほど感動しましたが」


「あれね! あれのおかげで駿府の大宿、今年売上四倍よ。四倍!」


 奈江はわざわざ指を四本立てて見せた。


「あれって、義父の話だと芸予(げいよ)の宿なら誰でも知ってるって言ってましたよね」


「そうね。私、豊日(ほうにち)の門司の出なんだけど、私も知ってたものね」


 東北に嫁にいったせいで、結婚当初は、亡き夫から毎日のように味付けが甘いと文句をいわれたと笑い出した。


「そういう地元の名物料理の紹介会みたいなの、年一ででもやったら情報交換できて面白そうですよね」


「そうね。賞金付けたら地元料理の発掘もするでしょうしね」


 奈江は岡部の顔をじっと見つめ、何かを納得するように何度も頷いた。


「なるほどね。大女将があなたを貰いたいって会長に談判したっていうのわかる気がするわ」


「え? そんなことしたんですか?」


「大女将から、北国の大宿で夫婦喧嘩になったって聞いたけど? こればかりはって、折れなかったってぼやいてたもの」


 聞かなかったことにしますと岡部は顔を引きつらせて笑った。

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