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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第21話 通知

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の調教助手

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・能島貞吉…紅花会の新人調教師

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・本城…皇都競竜場の事務長

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川佐経…尼子会の調教師(呂級)

・南条元春…赤根会の調教師(呂級)

・相良頼清…山桜会の調教師(呂級)

・井戸弘司…双竜会の調教師(呂級)

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・大森…幕府競竜場の事務長

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

 月が替わり今年も余すところ二月のみとなった。

十一月といえばどの級も新竜重賞の月。


 思い起こせば昨年のこの時期は『風神雷神対決』で非常に盛り上がっていた。

戸川厩舎も連日取材取材で記者たちがごったがえしていた。

だが今年は西の横綱にしてもらっている『サケサイヒョウ』が予選だけで放牧と通告されており、昨年のような喧噪は無い。



 戸川厩舎では『サイヒョウ』の新竜賞の挑戦以外に、『タイセイ』も新竜戦に出走予定となっている。


 水曜日になり竜柱が発表になると定例の会議が開催された。


「そういえば岡部君、調教師試験の結果はどうなったん? 話、聞かへんけども」


 松下が岡部の顔を覗き込むと、岡部は非常に気まずい顔をした。

言われんでも察してやれと、長井が松下の肩をポンと叩いた。


「あっ……いや……その、まだ若いんやし、来年また受けたら良え事やしね。気持ち切り替えて行こうな」


 岡部は無言で両手を握り下を向いている。

少し肩を震わせている。


 その姿を見た池田と櫛橋が松下を責めた。


「松下。そういうことにはな、もうちょい繊細に対応せんとあかんぞ。お前も、それなりの歳なんやから」


 戸川が真顔で注意すると、松下は事の深刻さに慌てふためいた。


「お、岡部君、ほんますまんかったな。僕でできる事があったら何でも言うてや」


 岡部は俯き、先ほどより大きく肩を震わせている。

それを見た櫛橋は口元を手で隠し岡部から顔を背けた。

二人の姿に松下はかなり動揺し、どうしようと長井に助けを求めた。


 その辺りが岡部の限界だった。

耐えきれず笑い出してしまうと、みんなが笑い出した。

その雰囲気で、松下は自分が騙されたのだという事を悟った。


「なんや! みんなで担いだんかいな。人が悪いなあ!」


 松下はほっとした顔をしている。

戸川も長井もすまんすまんと大笑いしている。

櫛橋は顔を隠したまま笑っている。

岡部は笑いすぎて出た涙を拭い、まだ補欠合格だと報告した。


「補欠って何? あの試験、補欠とかあんの? ……もしかして、それも担がれてるとか?」




 木曜日、岡部は、荒木、垣屋と食堂の大画面に中継を見にやって来た。

相変わらず、同じような目的の厩務員たちが厩舎棟中から集まっており、広い食堂は人で溢れかえっている。


「おう、岡部! こっちや!」


 吉川厩舎の面々が画面前の席を占拠しており、そこに岡部たちを呼び込んだ。


「試験どうやった? そろそろ結果出たんやろ?」


「それがですね、まだ補欠合格なんですよ」


「あの試験、補欠なんてあるんや。初耳やな」


 吉川は鼻を鳴らした。

事情を説明すると納得し、それなら九割方合格じゃないかと笑い出した。


 尼子会でもそうらしいのだが、調教師のなり手というのは中々見つからないものらしい。

まず調教師は生き物を扱う職であり、獣医のような専門知識が必要になる。

さらに調教師は勝負師であり、同業者に勝つために研究者のような才能が必要になる。

加えて調教師は経営者であり、人を雇い金の計算をしなければならず、従業員の生活の面倒も見なければならない。

騎手や厩務員たちが『先生』と呼ぶのは、それだけ苦労している姿を見て知っているからである。


 なりたいと言って簡単になれるわけでもなく、加えてなりたいという人もあまりいない。

だから会派が余程良い環境を整えてくれないと、調教師になりたいと手を挙げる人はいないのである。



「ところで先生のとこは今年の仔はどうですか?」


 その質問に吉川は待ってましたという顔をする。


「一頭当たったぞ! 明日出せる。『バクエンオー』が良かったからか、ちとうちとこの会長も気張ったらしいわ!」


「おお! 良い傾向ですね!」


 自分の事のように喜んでくれる岡部を、吉川は目を細め少し憮然とした顔で見る


「お前がうちで開業してくれたら、もっと良い傾向になると思うんやけどな」


「最上会長に談判してください」


「それができひんから、こうして直談判しとるんやないかい!」


 吉川は笑いながら、岡部の背中をバンバン叩いた。



 第三競走、『タイセイ』の新竜戦の発走時刻になった。

発走すると『タイセイ』は、先行集団の後ろに取付いた。

決して流れが遅かったわけでは無いのだが、位置をどんどん上げていってしまい、三角では先行集団の先頭まで位置を上げる。

曲線でも徐々に位置を上げ逃げ竜のすぐ後ろまで位置取りを上げる。

逃げ竜はそれに焦って早くも追い始めてしまう。

四角の時点で、加速を始めている逃げ竜を追走の状態でかわし一頭先行して直線に入った。

松下はそこで合図を送ると、『タイセイ』はグッと加速しさらに後続を引き離した。

圧倒的な強さを見せつけ終着した。



 食堂は騒めいている。

吉川は唖然としている。

この週は新竜戦に中距離が追加になった最初の週である。

中距離の自信のある竜がこぞって登録しており、そもそも平均して相手が揃っているはずである。

その中で桁違いの強さを見せたのだ。


「終いはそこまででも無いようやが中盤の速さが非凡やな」


「あの感じですからね。逃がしたら面白いかもしれません」


 なるほどと吉川は唸った。

確かにあの能力を活かそうと思えば、主導権を握って流れを制御し後続の末脚を鈍らせるのが最良の戦術かもしれない。


「あれで末脚を鍛えたら、差しは容易に追いつけへんやろうな」


「来年の『優駿』が楽しみですね」



 昼食を挿んで、引き続き吉川厩舎と中継を見続けた。

第九競走『新月賞』の予選、『サイヒョウ』の出走が近づいてきた。


「あれが噂の『サイヒョウ』か。去年の『セキラン』ほどやないが、これも良え竜やな」


「脚が悪いから予選で放牧ですけどね。今回はお披露目みたいなもんです」


 岡部はじっと画面に映った下見所での『サイヒョウ』の歩様を観察している。

吉川も改めて『サイヒョウ』の歩様に注目し渋い顔をしている。


「せっかくの才能が勿体ない事やな。まあ、ここで無理して潰す方が勿体ないか」


「うちもそういう判断ですね。本番はもっと先と」



 発走機から発走した『サイヒョウ』は後方集団の内側で落ち着いた。

三角から曲線に入っても、じっくりと脚を貯め続けた。

四角に近づくとスルスルと位置を上げ先頭集団のすぐ後ろに迫る。

直線に入ると一気に加速する先頭集団から少し遅れて加速を開始。

先頭集団の割れた間を縫う様にグングン加速し続け、直線残り半分で早くも先頭に立つ。

そこからさらに加速し後続を突き放し終着した。



 食堂は少しの間、静寂に包まれた。

その後、歓声があがった。


「これはっ! 戸川がごつい拾い物した言うてたのがわかるわ。これが売れ残りやなんて!」


 信じられん。

吉川は口を半開きにして、画面を食い入るように見ている。


「うちが買ってなかったら、今頃どうなっていたことか……」


「途上国に売らてればまだしもな。処分されてたりしたら目も当てられへんな」


 竜は羽化した時点で、全ての竜が生産監査会に届け出る事になっている。

だが実際に新竜戦を迎えられる竜はそのうちの七割程度と言われている。

残りの三割の中には、幼駒のうちに怪我や病気で亡くなる竜がいる。

そういった場合、登録抹消という処理が行われる。

ただそういう竜はそこまで多くは無く、その多くは競竜途上国に売られている()()()()()()()

公表はされてはいないのだが、実際にはその多くは途上国で殺処分になっているらしい。


「こういう足の変形って遺伝するものなんでしょうか?」


「可能性はかなりある。こういうんは血統内のどっかの牝竜から遺伝してる場合が多いや。そやから、全部ではないやろうが子に遺伝するかもしれん。子の世代は大丈夫でも孫世代で出るとかな」




 月末も迫ったある日、競竜学校から封書が届いた。

前回に比べ厚さが段違いである。


「今日は宴会やな! 祝賀会や!」


 まだ開けて無いのに戸川は大喜びだった。

奥さんはハサミを手渡すと、早く開けてみせてとせかした。

梨奈も客間に来ていて、宴会だと大はしゃぎしている。


 岡部が封書を開けると、色々な申請書と一緒に一枚の書面が入っていた。

そこには、合格枠が増えたので合格とする旨と、申請書を月末までに郵送して欲しい旨が書かれていた。


「合格だそうです」


「そうやろう! 母さん、今晩祝賀会しような! そうや、会長に連絡せんと!」


 戸川は満面の笑みで最上に連絡を入れに行った。



 奥さんと梨奈で客間に宴席の用意をした。

四人は乾杯すると、各々飲み物を飲んだ。


「会長にさっき電話したらな、調教師として年末に忘年会に参加せいいう事やった」


「戸川調教師の随員では無く?」


「そっちは、会長のお気に入りを連れて来いやって」


 それだけで、岡部にはそれが櫛橋の事だと即座に想像がついた。


「次は櫛橋さんが調教師に推されるんですかね?」


 かもしれんと、戸川と岡部は笑いあった。



「しっかし、あれだけの書面、目を通して、記載して、月末までに送れって。後一週間ですよ? 学校も無茶言いますね」


「補欠なんやからしゃあないがな。明日休んで、ゆっくり準備したら良えよ。提出期限切れで失格なんて事になったら、会長に何を言われるんか想像もできへんからな」


 岡部も同意しゲラゲラと笑い出した。



 お酒が少し進んだところで、梨奈が、年明けから土肥に行ってしまうんだねと寂しそうな顔をした。

そんな梨奈に戸川は、これは喜ばしい事なんだから、ちゃんと祝ってやれと窘めた。


「土肥には調教師候補用の下宿があるから、綱一郎君はそこに寝泊まりや」


「食事とかも全部用意されるんですか?」


 岡部の質問に、戸川はどういうわけか口ごもった。


「実はその……日野くんと呑みに行ってばっかやったから、よう知らへんのや。そもそも、もう二十年以上も前やしな」


 渇いた笑い声をあげる戸川を、奥さんと梨奈がじっとりした目で見ている。

岡部も思わず笑い顔が引きつる。


「休みってあるんですか?」


「土日は基本休みや。あと七月は学校自体が夏休みやな。そやから、そこでこっち帰って来はったら良えよ」


「わさび漬け持って」


 戸川はにやりと笑う岡部に、同じようににやりと笑い返した。


「この間の蕎麦と米酒もよろしうな」


 岡部は頬を緩めると、梨奈の作った竹輪に胡瓜の刺さったものに、わさび漬けを付けて食べた。



 戸川はよほど嬉しいらしく、かなり早い速度で麦酒を呑んでいる。

そのせいか珍しく酔っている。

すでに奥さんと梨奈は片付けをしている。


「学校卒業して、うちで四月まで研修したら、また暫くお別れやな」


 残った麦酒の瓶を空にしながら、戸川はしみじみと言った。


「そうですね。仁級は近くても紀三井寺ですもんね」


 岡部が別の瓶の麦酒を戸川に注ぐと、戸川はじっと岡部の顔を見つめた。


「君を我が家に招いてから、ここまで色々な事が上手くいって怖いよ」


「来月の結果次第では、来年から伊級ですもんね」


 伊級か。

皇都に来て随分と足止めを食ったが、ついに大津に手が届くところまで来た。

戸川は遠い目をして麦酒に口を付けた。


「昔な、僕が筆頭厩務員しとった厩舎の先生がな、よう言うてはったんや。『拾い物には福がある』んやって」


「それ出会った日に言ってましたね。そういえば、日章会の捨てた子を僕は拾う事になるんですね」


「おお、そう言えばそうやな。君も福を拾えるんかもしれへんな」


 戸川は満面の笑みで岡部に微笑みかけた。

岡部はその顔を見ると、不思議と心の不安がすっと消えていくのだった。


「ダメならすぐに泣いて帰るなんて言ってましたけど、その子の事を考えるとそういうわけにはいきませんね」


 これが経営者というものなんでしょうねと噛みしめるように言って、岡部は最後の麦酒を飲み干した。


「そうやって背負うもんがどんどんできんねん。でも、ちゃんと時間作って頻繁にうちに帰ってくるんやで?」


「はい。帰って来なかったら、年末、豊川で会わせる顔が無いですもん」


 そういえばそうだったと戸川は豪快に笑い出した。


「そやな。そこで首根っこ捕まえて周りが引くぐらいボロクソ説教したるわ」

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