第20話 結果
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の調教助手
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…専業主婦
・戸川梨奈…戸川家長女
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女
・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女
・長井光利…戸川厩舎の調教助手
・池田…戸川厩舎の主任厩務員
・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員
・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員
・荒木…戸川厩舎の厩務員
・能島貞吉…紅花会の新人調教師
・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手
・本城…皇都競竜場の事務長
・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員
・吉川佐経…尼子会の調教師(呂級)
・南条元春…赤根会の調教師(呂級)
・相良頼清…山桜会の調教師(呂級)
・井戸弘司…双竜会の調教師(呂級)
・日野…研修担当
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・大森…幕府競竜場の事務長
・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」
久々に厩舎に出勤すると、いつもと変わらない日常がそこにあった。
既にどこの厩舎も竜が竜舎から引き出されて、引き運動をしている。
かなり朝は冷え込むようになっており、厩務員も竜も白い煙を吐きながら動き回っている。
「おお、岡部君、試験どうやった? 一位になれそう?」
池田が真っ先に岡部を見つけ寄ってきた。
「どうでしょうね。二日目が難しくて」
「普通は皆、一日目の専門が難しいって聞くんやけどな。勉強できへんいうんは、ほんまなんやな」
池田は岡部の背中をパンパン叩いて笑い出した。
その笑い声に誘われるように、牧、垣屋、櫛橋、花房と、次々と笑顔を見せてくれた。
休暇明けの岡部が最初に行われなければならないのは、ここまでの竜たちの状態把握である。
怪我をしていないか、調教の強弱はどうか、それに対し乗り手の感触はどうか。
事務室でこれまでの調教計画を眺めていると、長井が出勤してきた。
「岡部君、来年また頑張ったら良えんやから、気落さへんようにな」
開口一番、長井は深刻な顔で岡部の肩を叩いた。
「え? まだ落ちたって決まってませんけど?」
「あれ? そうなん? え? だって今そこで花房が深刻そうな顔で……あ・い・つ・め!」
「まあまあ。結果がわからんってだけで、ダメかもしれませんから」
竜房に討ち入りにでも行きそうな勢いの長井を岡部は必至に引き止める。
「ところで、少しの間競竜から離れてたんですけど、その間どうでした?」
「ああ、その……『ホウセイ』がな……」
長井は少し言いづらそうに話し始めた。
『サケホウセイ』は現在八歳で、かつて『瑞穂優駿』で最終予選まで残った期待の竜である。
だが、岡部が短距離に切り替えた方が良いと言い出し、紆余曲折があり厩舎が荒れてしまった過去がある。
昨年秋の『天狼賞』で岡部の方針が間違いでは無かったことがわかり、年始の『金杯』では、もう少しで戴冠という結果も出した。
今年の秋、重賞制覇の期待のかかる一頭であった。
ところが、その『ホウセイ』が予選で敗退してしまったのだった。
「映像見てないので何とも言えないのですが、少なくとも予選で負けるような仔じゃなかったと思うんですけど?」
「あの仔な、マクリが強い仔やんか。それって裏返せば、どっかで緩めたらあかん言う事やねんな」
呂級の競竜の戦術は大きくわけて四種。
競争中の位置取りで前から順に『逃げ』『先行』『差し』『追込み』
『マクリ』は早仕掛けで長い期間末脚を持続させて他竜をごぼう抜きする『追込み』戦術の一つである。
末脚の速さだけじゃなく、それを持続させられる豊富な体力も必要となり、仕掛け所の判断も非常に難しい。
戸川厩舎の中では『ホウセイ』と『ゲンジョウ』が得意としている戦術である。
「じゃあ、四角で塞がったんですか?」
「四角は上手くさばいたよ。直線で前のたれた竜が内によれてきよったんや」
「あちゃあ。それで伸び削がれちゃったと」
『マクリ』は四角で速さが出ている為、竜群の外を膨らむように回る事が多い。
だが長井の説明だと、『ホウセイ』は内に位置していたという事になる。
恐らく直線で徐々に内に刺さって行ってしまったのだろう。
「切れる仔やないからな。そうなったらもうあかんかったわ。松下も、えらい悔しがってたで」
ダメだったものは仕方がない。
岡部も金杯で雪辱だと気持ちを切り替えた。
「『セキフウ』はどうですか? 『大賞典』出れそうですか?」
「調子は今んとこ良えよ。通用するかどうかはおいといて、出るのは出れるんちゃう?」
『重陽賞』四着という微妙な結果、なおかつ一着も二着も大穴。
そんな体たらくで古竜相手に果たしてどれだけ通用するのか。
さらに言えば、長距離戦線には『クレナイアスカ』という化け物のような強さの竜がいる。
『クレナイアスカ』は『紅葉会』山県義昌調教師の管理する竜で、昨年の重陽賞竜である。
そこから『皇都大賞典』『内大臣賞』と長距離重賞三連覇。
一昨年の重陽賞竜である『ジョウレッカ』から完全に王者を奪還した感がある。
「『タイセイ』はどうですか? 初戦、予定では来月ですよね?」
「あれは良えぞ! 度肝抜かせられる思うで!」
元々、『タイセイ』は長距離専用という感のある竜なのだが、そこまで仕上がりが遅いという感じではない。
能力戦なら中距離くらいなら能力差でこなせそうという感じもする。
実は、岡部個人としては、放牧して一旦緩め、来年の長距離の新竜戦に使う方が良いと思っている。
だが、こればかりは戸川の方針があるので岡部も強く出れない。
長井は、嬉々とした顔で新聞を岡部に見せる。
岡部が新聞を見ていると、吉川厩舎に行っていた戸川が戻ってきた。
長井が指差した新聞の記事は、毎年恒例の新竜番付であった。
東の横綱は、なんと『サケサイヒョウ』となっている!
「おお!! 『サイヒョウ』じゃないですか!」
「そやで。勝ち時計と、勝ち方と、色々加味して横綱にしてもらったらしい」
戸川は誇らしげに言い放った。
「ん? 『休場』ってなってますけど?」
「脚悪いからな。予選は出すけども、無理はさせへんって報道に言うてある」
『サイヒョウ』は後脚が内側に曲がっている。
人間でいうと、極端な内股という感じである。
戸川の話では恐らく遺伝ということであった。
脚の蹄の長さが外に偏っており、そのせいで少し走ると腰に痛みがでてしまうらしい。
矯正用の金具を蹄にはめているが、今のところ目立った効果はみえない。
「矯正の成果はまだ出てませんか?」
「そう簡単には出へんよ。整体やないんやから。毎日じっくりや」
「三連戦に耐えれるようになったら、重賞くらい取れそうなんですけどね」
呂級の重賞は予選、最終予選とふるいにかけていき、最後に勝ちぬいた十八頭によって決勝が行われる。
一走ごとに腰痛に苦しむ現状では、重賞制覇など夢のまた夢である。
「その頃まで、競走出れるとこは出て、未完の大器のままでいてもらわへんとな」
戸川は満面の笑顔で笑いかけた。
翌週、戸川家に一通の封書が届いた。
たまたまその日、岡部は休みで、戸川は昼過ぎに早々と帰って来ていた。
梨奈はまだ学校から帰って来ていない。
差出人は『瑞穂競竜執行会』となっている。
封筒は比較的大きなものだが、中身が薄そうであった。
「あかんかったか……」
それを見た戸川が即座にそう呟いた。
「ぱっと見たらわかるもんなんです?」
「まあな。受かってたら申請書やらなんやらで、中身もうちょい厚いからな」
奥さんは、開けてみないとわからないと、ハサミを持ってきてくれた。
「今日は残念会やな。ぱあと呑んで、来年に向けて気持ち切り替えようや」
どっちにしてもお酒の支度しないとねと、奥さんは笑っている。
封書の上の部分を丁寧にはさみで切り落とす。
すると中には二枚の紙が入っていた。
岡部はその紙をじっくりと読み首を傾げた。
「何やって書いてある? やっぱ不合格やったか? ほら、会長にも連絡せんとやからな」
「それがその……」
「何やはっきりせんな! ちと貸せ」
戸川は少し苛つき、岡部から書面を奪い取った。
「拝啓益々、え~と。つきましては、後日、もう一度合否の封書をお送りします……って、これどういう事や?」
戸川も中身の文章をじっくり読み首を傾げた。
「合否が書いてないんですよね」
「何やこれ? ちと日野くんに聞いてみるか」
戸川は席を外し、日野に電話をかけた。
どうやら日野は真昼間から呑み屋で呑んでいるらしく、雑音が酷くて聞こえないから店を出ろと、戸川は叫んでいる。
暫くうんうんと話を聞くと、わかった呑んでるところすまなかったと言って電話を切った。
「今日の宴席は中止やな」
奥さんは、お茶を淹れて客間に持ってきた。
戸川はお茶をひと啜りし、その温度に驚いて舌を出した。
「前に日野くんと『古だぬき』行ったやろ。そん時に調教師候補が決まってへん騎手候補がおる言うてたの覚えてる?」
「ああ。そんなこと言ってましたね。確か『日章会』の子とかいう」
「そうや。あの子の調教師候補が、まだ試験受けに来てへんのやって」
確かあの時、日野は期日までに受験に来なければ個別入学の子と同様に扱われると言っていた。
「人選は決まったんでしょうかね?」
「さあ、そこまでは。ただ、試験ってケツが十一月末って決まってるんやって」
つまり最終の締め切りまであと一か月あるということになる。
「じゃあ、そこまでに試験受からないとってことですか」
「それか『日章会』が放棄の連絡入れてくるかやな」
ここまで聞いた岡部が困惑した顔で顎を指で掻いた。
「ってことは、つまり僕は補欠合格と?」
「そういう事なんちゃう?」
戸川は即答であったが、岡部はどうにも複雑な心境であった。
「この場合、僕はどっちの心構えの方が良いんでしょうね?」
「まあ、合格の方で良えん違うの? 試験は及第って事なんやろうし。会長には、まだ連絡せんどくよ」
「なんだかすっきりしない状況ですね」
それを聞いた戸川がニッと笑った。
「大事な時期に、櫛橋と幕府で良えことしてたからやないの?」
戸川の指摘に、奥さんも眉をピクリと動かし、岡部をじっと見つめ出した。
「向こうがいきなり泣き出しただけです。それ以上何もありませんよ! 知ってるくせに」
「ほんまか? 確かにそう聞いたけども。ほんまはその後、色々あったんと違うの?」
奥さんも疑いの目で岡部を見て、綱ちゃんどうなのと問い詰めてきた。
このままでは逃がしてもらえそうにない雰囲気を感じ、岡部は小さくため息をついた。
「あの後、興奮が冷めないっていう三浦厩舎の方々に誘われて、皆で軽く呑んだんですよ」
「勉強もせんと」
戸川の鋭い指摘が炸裂し岡部は顔を引きつらせた。
「ええ、勉強そっちのけで! その間ずっと櫛橋さん沈んでて。三浦厩舎の方々もご機嫌取りが大変だったんですよ」
奥さんが、それでそれでと身を乗り出してきた。
あまりの食いつきに、岡部も思わず体を少し引いた。
「宿に帰って、三人別れて、僕は温泉に行ったんです」
「そこに櫛橋がおったと!」
「いるわけないでしょ! もしいたら浴場間違えてるし、たぶん今、僕生きてないですよ。で、温泉から出て部屋に戻る途中で、実は櫛橋さんを見つけてしまったんです」
それでどうしたのと、奥さんが目を輝かせている。
「宿の食堂で夜泣き拉麺がっついてました。たくさん泣いたから、お腹減っちゃったんでしょうね」
「……何ちゅう色気の無い。そら何も起きへんわ」
戸川が呆れ果てた顔をした。
奥さんもつまらなそうな顔をし、ゆうげの支度しようと言って席を立った。
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