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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第18話 帰還

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の調教助手

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・能島貞吉…紅花会の新人調教師

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・本城…皇都競竜場の事務長

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川佐経…尼子会の調教師(呂級)

・南条元春…赤根会の調教師(呂級)

・相良頼清…山桜会の調教師(呂級)

・井戸弘司…双竜会の調教師(呂級)

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・大森…幕府競竜場の事務長

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

 朝、食事の前にひと風呂浴びようと温泉に向かうと、牧と鉢合わせた。

牧も先ほど起きたばかりで、これから風呂に入ろうという感じである。


「いやあ、昨日、惜しかったなあ。こないなこと言うたら相手の陣営に失礼やけども、誰やお前って思うたわ」


「それ帰ってきた石野騎手も言ってましたよね。十七頭立てで十六番人気の竜ですもんね。出れるだけで確率は零じゃないって、よく言ったもんですよ」


 本当にそれだよと牧は大笑いである。

そうは言っても岡部も悔しいのは悔しい。

もしここで二着でも取れていれば伊級昇格確実だったろうにと考えると悔しさは一入(ひとしお)である。


「櫛橋さん、昨晩、かなり気持ち落ちてたみたいやけど大丈夫なんかな?」


「あの人は感情の起伏が激しい質ですからね。騒いだからお腹が空いたって言うと思いますよ」


 昨晩、競争が終わった後、岡部たちは三浦厩舎の面々と打ち上げに行っている。

飲み代は会に請求していいといろはが言ってくれたらしく、打ち上げというよりは慰労会であった。

結果が結果だけに残念会だったし、落ち込みきった櫛橋を励ます会になってしまった。



 笑っている岡部の顔を牧はじっと見ている。


「今度は君が頑張る番やな」


 『今度』というのは言うまでも無く調教師試験の事である。

岡部も顔から笑顔が消え、ひと際真面目なものに変わる。


「再来週ですね。どれくらい難しいんでしょうねえ」


「ほんま他人事みたいに言うな、君は」


 牧の指摘に岡部は顔を緩ませて含み笑いをする。


「ダメならまた来年受けるだけの話です。それでもダメなら騎手のなり手を探してもらうだけですよ」


「そういう事か。別に是が非でも今年ってわけでも無いんやもんな」


 岡部は汗を拭うと、気は楽ですと笑った。


「周りの圧が、だんだんとえぐい事にはなるやろうけどな」


 牧は大笑いしているが、容易にそんな雰囲気が想像できるだけに岡部はかなり顔が引きつった。




 朝食後、三人は競竜場に向かい『セキフウ』の輸送手続きを終え、三浦厩舎へ挨拶に向かった。


 事務室では、まだ興奮が冷めきっていないという感じで、昨日の『セキフウ』はもう少しだったと、清水主任が本当に悔しそうな顔をしている。


「うちのは惜しくもなんともなかったから、余計に悔しいよな」


 高城が悔しそうな顔をすると、三浦がそれを言うなと指摘し、皆が笑い出した。


「勝ったのも二着も大穴ですからね。惜しいも何もないですよ。全竜に勝つ可能性があったって事です」


「そう言ってくれるのはありがたいが、あの位置にいて十三着だからな。次回の挑戦をお待ちしておりますって感じだね」


 岡部はそんな事ないと三浦を慰めるのだが、三浦は悔しいが事実だからと笑った。


「年末に皇都でお待ちしてますよ」


「そうだな。豊川の前に最後に皇都で会いたいもんだ。もしかしたら、来年は琵琶湖に行ってしまうかもだからな」


 三浦は最後に岡部と握手し、年末の皇都で良い報告が聞ける事を楽しみにしていると言って微笑んだ。




 幕府競竜場を出ると、牧が嫁に土産を買っていきたいと言い出した。

櫛橋も私も行きたいとはしゃぎ出した為、内藤新宿へ向かう事になった。

岡部も一通り付いて回り、家族三人へのおみやげと戸川厩舎へのおみやげを購入。

昼食に戸川お薦めの拉麺屋で食事をして、幕府駅へと向かった。



 東海道高速鉄道に乗ると三人は早々に缶麦酒を開け、お疲れと言い合い乾杯した。


「そういえば岡部さん、夜中フラフラ呑みに行ったりしてへんかったやろうね?」


 櫛橋が岡部の頬を突いた。

それを見て牧がケラケラ笑っている。


「ちゃんと空いてる時間は勉強してましたよ。ちょっと宿の酒場に呑みに行ったりはしましたが」


 本当かなと櫛橋は牧に言いつけるように言うと、牧は見てないから知らんと笑っている。


「来週やっけ? 大丈夫なん?」


「合格点取る自信はありますけど、首位を取らないとですからねえ。こればっかりは何とも……」


「そういえばそうやったね。相手がおる話なんやったね」


 改めて思っても厳しい条件だと、櫛橋は岡部の顔を見て呟いた。


 牧は麦酒を呑むと、素朴な疑問を口にした。


「櫛橋さんは調教師になる気は無いん? 櫛橋さんも十分良い調教師になれそうに思うんやけど」


 櫛橋は少し考えると、突然笑い出した。


「もう無いかな。井戸先生とこにおった時は毎日考えてたけどね」


 そうだったんだと、岡部と牧が同時に感想を漏らした。


「何か心境の変化があったん?」


「戸川先生の下で働くの色々と楽しいもんやから。何やかや色々あるんやもの。良いことも悪いことも」


 この一年は本当に楽しかった。

櫛橋は思い出すように遠い目をして缶麦酒に口を付けた。


「そしたらうちに来んかったら、調教師試験受けてたん?」


「どうやろ? 『白桃会』で開業とかは死んでも嫌やったし、『双竜会』もまだ縁が薄かったから、案外、諦めてたんと違うかな?」


 櫛橋は缶麦酒を袖机に置くと、当時の事を思い出し少し気分を落とした。

きっと親の催促に抗えずさっさと結婚して、競竜界から抜けていたんだろうと寂しそうな声で呟いた。


「そっか。じゃあ、うちに来れて幸運やったって事で良えんかな?」


「そやね。何? 牧さんは調教師になりたいん?」


 櫛橋の質問が岡部も気になるらしく、二人で牧の顔を見つめている。


「なりたいかどうかで言うたらなりたいかもやけど、成功できるかどうかやったら、絶対無理やと思うわ」


「何で?やってみなわからへんやん」


 牧は人差し指で櫛橋の隣の人物をちょんちょんと指差した。


「隣の人見てみ。その人見て自信持てる?」


 櫛橋は、わざわざ岡部の顔をまじまじと舐めるように見まわす。


「わかるわ。私も、自分には調教師は無理って最終的に思ったん、この人見てやもん」


 岡部は憮然とした顔で無言で麦酒を呑んだ。




 家に帰ると客間に晩酌の用意がされていた。

戸川は岡部を見ると嬉しそうな顔をし、早く一杯やろうと酒瓶をゆらゆら揺らした。

岡部も笑顔を浮かべると、洗濯物を脱衣所に置き、荷物を自分の部屋に置き、急いで客間に戻ってきた。


 二人は麦酒で乾杯すると、早々と二杯目に入った。


「失敗したなあ。鞍上逆やったら、そっち勝ててた気がするわ」


 戸川はかなり悔しそうな顔をする。

岡部も渋い顔をしている。


「櫛橋さんも、そう言ってむくれてましたけどね。逆だったら『皇后杯』は全然だった気がしますし。難しいとこですね」


 ただ、賞金を考えれば『皇后杯』は捨て『重陽賞』に力を注ぐべきだっただろう。

だが、それはあくまで結果論だとも思う。


「石野も結構やってくれたんやけどな。最後詰めが甘かったよな」


「終着直前に前出れたから、勝ったって思っちゃったんですかね」


 『セキフウ』は一瞬しか脚が切れないから、その脚の使いどころが非常に難しい。

明らかに仕掛けを間違えたと戸川は感じているらしい。


「吉川んとこ、ここんとこ重賞の決勝に縁無かったから、石野も舞い上がってもうたやろな」


「戸川先生に会わせる顔がないって、へこんでましたよ。あそこまで行ったらもう運だけなのに」


 吉川もわざわざ戸川のところに来て、あの阿呆がすまんと謝っていたらしい。


「ごつい荒れたもんな。こっちでも配当出た時に、競竜場で絶叫があがったよ。何事か思ったわ」


「でも、いろはさんもあの内容なら大満足な事でしょう」


 岡部は少し憮然とした顔をし、麦酒を喉に流し込んだ。


「あのおばはんに何か言われたん?」


「夜に呼び出されて、それはもう色々と」


 思い出して渋い顔をする岡部を見て、戸川はガハハと笑い出した。



 二人が気持ちよく呑んでいると、奥さんと梨奈が飲み物持参で客間に入って来た。


 岡部は三人に、それぞれ購入したお土産を手渡した。

奥さんは岡部に、出張ご苦労様と言って麦酒を注いだ。


「うちらもね、ここで中継見てたんよ。どっちも、えらい惜しかったね」


「そうやったんか! こっちは、まあ力負けいう感じやったけども、綱一郎君の方は、ほんまに惜しかったで」


 奥さんの言葉に、戸川はかなり気分が良くなっているようである。


「私も見てたんよ! そしたらね、ちょっと面白い映像が映ってね」


 梨奈は、録画していた重陽賞の映像を再生し始めた。

梨奈は口元をニヤニヤさせており、岡部は何か不穏な気配を感じた。


「ここで、もうちょい前に付けてたらな、もう少し楽に直線行けたんやけどな」


 戸川が競争内容を回顧しているのだが、奥さんも梨奈も、気にせず岡部をニヤニヤ見ている。


「ここからなんやけどね」


 梨奈は終着後、検量場でイナホデンゲキオーの陣営が喜んでいる所で再生を止めた。


「ねえ、綱一郎さん。これ何してはんの?」


 そこには、小さいながら岡部の胸で泣いている櫛橋の姿がばっちり映ってしまっていた。

何なら頭を優しく撫でてるところまで映ってしまっている。


「勉強もせんと一体幕府で何やってはったん?」


 奥さんは麦酒の瓶を片手に岡部を問い詰めた。

岡部は、いや、あのと、しどろもどろになっている。

戸川は腹を抱えて大爆笑し、畳をドンドンと叩いている。


「この人とこの後、何かあったん?」


 梨奈も、ここぞとばかりに岡部を執拗に問い詰める。


「何もありません! 帰ってちゃんと勉強しました」


「私の目見てちゃんと言えるん? 一体、何の勉強したんやら……」


 酔っている岡部は、梨奈の目をじっと見つめて顔を近づけていった。

梨奈はきゃっと小さく叫んで、顔と耳を真っ赤にして、両手で顔を覆って笑い出した。


「そない恥ずかしがるんやったら、最初から言わな良えのに」


 奥さんは、真っ赤な顔をする梨奈を見て笑った。


 笑い転げていた戸川は、涙目のまま岡部の肩を叩いた。


「綱一郎君。試験終わるまで仕事はお休みや。家でじっくり勉強せい」


「ありがとうございます」


 礼は述べたものの、戸川家の三人は再度画面を観て大爆笑であり、岡部の顔は引きつっていた。

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