第17話 重陽賞
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の調教助手
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…専業主婦
・戸川梨奈…戸川家長女
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女
・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女
・長井光利…戸川厩舎の調教助手
・池田…戸川厩舎の主任厩務員
・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員
・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員
・荒木…戸川厩舎の厩務員
・能島貞吉…紅花会の新人調教師
・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手
・本城…皇都競竜場の事務長
・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員
・吉川佐経…尼子会の調教師(呂級)
・南条元春…赤根会の調教師(呂級)
・相良頼清…山桜会の調教師(呂級)
・井戸弘司…双竜会の調教師(呂級)
・日野…研修担当
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・大森…幕府競竜場の事務長
・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」
金曜日の昼、拉麺を食べに外に出た。
三浦厩舎に戻ってから、新聞を見ていた牧が突然焦って取り乱した。
牧に促され櫛橋も新聞を見て焦った。
「ちょっと、岡部さん! これ!」
櫛橋に服を引っ張られ、何があったのかと新聞を見てみると、木曜日までの呂級の賞金順位が発表になっていた。
首位は東国の武田信邦調教師。
『蹄神賞』を勝った『タケノツガイ』、『立春賞』を勝った『タケノケンザン』をはじめ、内大臣賞三着の『タケノニンジョウ』、昨年の『新月賞』を勝った『タケノリンドウ』と各距離で良い竜を輩出している優秀な調教師である。
父は瑞穂を代表する調教師である武田信文。
二位が風神『ジョウイッセン』、内大臣賞二着の『ジョウレッカ」を管理する東国の伊勢兼貞調教師。
三位が『金杯』を勝った『イナホゲキシンオー』を管理する東国の小西行稔調教師。
四位が『内大臣賞』を勝った『クレナイアスカ』を管理する山県昌芳調教師。
五位以降が少し団子であるのだが、その団子の中の一人が戸川で七位となっている。
「今回の結果次第では昇格がぐっと近づきますね」
「伊級かあ。あの琵琶湖で競竜できるんやね。そうなったら、私、絶対付いて行くわ」
櫛橋は憧れの目で窓の外を見ている。
『上巳賞』を勝って他に好走が三つ。
今年は首位の武田調教師もそこまで抜けた成績ではなく、上位十人以上が団子の成績だから、ちょっと好走できれば一気に順位が上がる事になる。
そう言って新聞を見た高城が自厩舎の事のように喜んでいる。
『セキラン』が優駿に出れてれば、今頃断トツ一位だったと清水主任も喜んでいる。
「まだ秋初戦だけど、その両方の決勝に残っていて、来週も『天狼賞』に出るだろうし、いかにも昇級する調教師って感じだね」
新聞を見て三浦も好々爺のような顔で伊級かと呟いている。
『新竜賞』は出れそうなのいるのと高城が尋ねると、櫛橋は予選だけならと即答だった。
参ったなこれはと三浦が笑いだした。
夜の八時が近づいてきた。
昼間はそれなりに蒸し暑い日もあるのだが、夜になると肌寒さを感じるようになってきている。
どこからともなく鈴虫の羽音が響いており、夜空に浮かぶ月もどこか大きく見える。
下見所では櫛橋が『サケセキフウ』をゆっくりと曳いて歩いている。
同月に重賞が東西で行われる場合は、格付けの低い方から先に行われる為、先に特二である幕府の『重陽賞』の下見が先に行われている。
『セキフウ』は不安なのか、時折頭を櫛橋に摺り寄せ甘えながら歩いている。
係員が合図すると石野騎手が近寄ってきた。
「何度も映像を見たよ。何度も勝つ姿を思い描いた。戸川先生と吉川先生に怒られない騎乗をしてみせるから。見ててくれ!」
『セキフウ』と石野は芝生の絨毯を疾走していった。
暫くすると発走者が発走台に乗り、旗を振って発走の合図を送る。
それを合図に場内に奏でられた発走曲が鳴り響いた。
実況の声が場内に流れて来る。
――
世代三冠も、いよいよ最後の一冠となりました。
現在、各竜が一頭一頭発走機に収められていっています。
千七六十間の長丁場、まもなく発走となります。
全竜収まりました、発走!
タケノカラマツ、キキョウシュコウが出足が鈍い。
全竜一週目の正面直線路を行きます。
先頭カンゼインが全竜を率いて行きます。
少し離れまして内エイユウタロウ、外ハナビシヒバ、その後ろにチクメイスイ、サケセキフウ。
そこからちょっと間が空きます。
現在、一団は正面直線から一角にさしかかろうとしています。
優駿勝ち竜マンジュシャゲがこの位置。
クレナイチャウス、外イチヒキソウヘイ、タケノダイコク、サケヨウテイ。
間が空いて、クレナイアタゴ、タケノホカケブネ、外ジョウホウゲキ、ロクモンモウコ、イナホデンゲキオー。
タケノカラマツ、最後尾にキキョウショウゴで全十七頭。
現在、二角を回って向正面直線に入っています。
展開はやや縦長といった感じ。
一番人気マンジュシャゲは中団やや後ろといったところ。
前半の時計はやや早めです。
先頭カンゼイン軽快に飛ばしています。
二番手集団とは少し間が空いています、その差五竜身ほど。
マンジュシャゲは中団前目内。
三番人気のサケセキフウをじっと見るように追走。
果たしてこの流れでマンジュシャゲ、体力が最後まで持つのかどうか。
先頭は向正面を抜け三角を回ろうとしています。
タケノカラマツ、イナホデンゲキオーするすると位置を上げていきました。
先頭はカンゼイン、エイユウタロウ、チクメイスイがすぐ後ろまで上がっています。
マンジュシャゲがここで位置を上げていった。
全体の流れが一気に速くなってきました!
先頭はまだカンゼイン、だが後続との差はもうありません!
四角を過ぎ最後の直線!
横に大きく広がった形になった!
カンゼインは一杯か!
エイユウタロウ、チクメイスイが抜ける!
外からイチヒキソウヘイ! 内からタケノダイコクも伸びて来る!
マンジュシャゲ外を一気に駆け上がる!
真ん中からサケセキフウ! サケセキフウが一気に先頭に並びかける!
イチヒキソウヘイ、タケノダイコク先頭を捕えた!
マンジュシャゲ、サケセキフウも伸びる!
大外から一気にイナホデンゲキオー!!
残りわずか!
まだ内でイチヒキソウヘイ、タケノダイコクが粘る!
中サケセキフウが並んだ!
外マンジュシャゲも捕えたか!
大外一気にイナホデンゲキオー!!!
イナホデンゲキオー抜けた!
イナホデンゲキオー終着!
二着争いは横一線、勝ったのは伏兵イナホデンゲキオー!
――
『セキフウ』と石野が検量室に戻ってきた。
「くそっ! 誰やねん、イナホデンゲキオーって!」
石野は予想外の展開にかなり憤っている。
櫛橋は鞍を外すと石野を検量に向かわせた。
誰だよと石野に言われたイナホデンゲキオーは、一着の枠に停められている。
その横で小西調教師が清流会の長尾会長と飛び跳ねて喜んでいる。
まだ黒板には一着イナホデンゲキオーの六番しか書き込まれておらず、二着から四着までが写真判定のままとなっている。
「またこれですね……今度は二着もぎ取って欲しいですね」
岡部は櫛橋に近寄ると、観客も騒然としていると伝えた。
「うちの仔、残ってますよね? 今日こそ残ってますよね?」
櫛橋は震えるような声で岡部に問いかける。
残っていると言ってあげたいところではあるが、映像を見る限り、かなり微妙な状況に思える。
まだ石野は検量室で映像を見つめている。
係員が出てきて黒板に番号を書き込みはじめた。
二着に『イチヒキソウヘイ』の八が書きこまれた。
隣で『イチヒキソウヘイ』の陣営が大健闘だと喜んでいる。
「あれで抜けれて無いのか。厳しいなあ。しかし勝ったの予選三着、十六番人気の竜だぞ? 荒れたねえ」
後ろから三浦調教師が話かけてきた。
「『イチヒキソウヘイ』も予選二着の十二番人気とかですもんね。大荒れですね」
せめて三着、岡部は三浦と顔を見合わせ、渋い顔で言い合っている。
櫛橋は手を合わせ、ひたすら祈っている。
暫くすると再度係員が現れ、黒板に着順を書き込んだ。
会場からわっという歓声が上がる。
三着に『マンジュシャゲ』の九、四着に『サケセキフウ』の七、五着に『タケノダイコク』の十一が記載された。
それを見た櫛橋の目からボロボロと涙が零れ落ちる。
櫛橋は岡部にすがりつき、わあわあと泣き始めた。
石野は振り返り岡部たちのところに来た。
「すまへんかった。『マンジュシャゲ』には勝てるはずやったのに。戸川先生に会わせる顔が無いわ」
「大荒れでしたから。大健闘ですよ。ありがとうございました」
岡部が頭を下げると、石野は力無く手を振って去って行った。
少し櫛橋の泣き声が収まった時点で、岡部は静かに言った。
「櫛橋さん。あなたがそんなに泣いたら『セキフウ』が可哀そうですよ。あんなに頑張ったのに」
櫛橋の頭を子供をあやすようにそっと撫でる。
櫛橋はこくりと頷くと、『セキフウ』を連れて静かにとぼとぼと検尿へと向かって行った。
暫くすると、場内に皇都の発走曲が鳴り響いた。
観客席から再度歓声があがる。
実況の声が場内に響き渡った。
――
秋の初戦は中距離の大一番。
春の『優駿』と同じ距離、同じ会場で行われるこの重賞。
今年は優駿二着の『ロクモンアシュラ』に注目が集まっています。
現在、順調に枠入りが行われています。
枠入り完了。
発走しました。
向正面、最初の長い直線、先行争いはどうでしょうか。
クレナイアスカ、ジョウザンゲキが激しく先頭を主張していきます。
『内大臣賞』勝ち竜クレナイアスカ現在先頭争い。
リガンリュウ、クレナイレンザン、外タケノツガイ。
昨年の『優駿』二着、エイユウゲンバはこの位置。
ジョウカクヨク、外クレナイハヤテ。
少し離れてハナビシハヤカゼ、内にサケゲンジョウ、外ロクモンアシュラ、ニヒキタモン、タケノホテイ。
十二歳、最高齢のサケゲンジョウと、一番人気ロクモンアシュラが並走しています。
これまでの最高齢重賞勝利記録が十歳ですので、勝てば大きく塗り替える事になります。
イチヒキケンシン、タケノケンザン、イナホサヘイオーが最後方。
全十六頭、現在三角を回って曲線に入ろうという所。
集団かなり縦長、時計もかなり速い時計となっております。
この流れで前の竜は大丈夫なのでしょうか?
早くも最高齢サケゲンジョウが押して行っています。
後続も徐々に差を詰めてまいりました。
先頭未だクレナイアスカとジョウザンゲキ。
ロクモンアシュラ、かなり良い位置取り。
四角を周り、最後の直線に入ります!
各竜一斉に追ってまいります!
クレナイアスカが飛び出した!
ジョウザンゲキは一杯か。
リガンリュウ、タケノツガイが追いすがる!
大外一気にサケゲンジョウ!
サケゲンジョウ早くもクレナイアスカを捕えた!
後方からロクモンアシュラが襲い掛かる!
サケゲンジョウ懸命に先頭を保持!
内からエイユウゲンバが伸びてきた!
ロクモンアシュラ、エイユウゲンバ、必至に追いすがる!
サケゲンジョウ徐々に差を詰められる!
残りわずか!
サケゲンジョウ老獪な粘り腰!
エイユウゲンバ捕えたか!
ロクモンアシュラも並びかけた!
サケゲンジョウここまでか!
エイユウゲンバが抜けた!
エイユウゲンバが抜けた!
エイユウゲンバ終着!
エイユウゲンバ、ついに重賞制覇!
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