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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第15話 幕府

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の調教助手

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・能島貞吉…紅花会の新人調教師

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・本城…皇都競竜場の事務長

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川佐経…尼子会の調教師(呂級)

・南条元春…赤根会の調教師(呂級)

・相良頼清…山桜会の調教師(呂級)

・井戸弘司…双竜会の調教師(呂級)

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・大森…幕府競竜場の事務長

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

「まさか、ほんまにこないな事になるなんて……」


 戸川は頭を抱えた。

春にも似たような光景を見たと池田が戸川をからかっている。


 月曜日、朝飼が終わった後、戸川厩舎では緊急会議が開かれ週末に向けての調整が行われている。

参加者はいつもの面々に牧が追加になっている。


「綱一郎君、ほんまにすまん。行ってもらえるやろうか?」


「僕なら構いませんよ。この時期にちょっと幕府行ったくらいで落ちるくらいなら、行かなくても落ちますよ」


 ケラケラ笑う岡部に、戸川はそんな風に達観されても困ると顔を引きつらせている。


「櫛橋、頼むな。綱一郎君がふらふら遊びに行かへんよう、よう見張っといてや」


 いつもちゃんと勉強しているじゃないですかと胸を張る岡部に、君の勉強は姿勢だけで頭に入っていないんだと戸川が呆れ顔をする。

そんな二人のやり取りに櫛橋は笑いが抑えきれない。



「いろはさんは接客で忙しい思うから下には降りてこへんとは思うけども、会うたら対応はよろしうな」


「そういうんは岡部さんにお任せしますよ」


 戸川と櫛橋は、示し合わせたように岡部の顔を見た。

岡部は二人に笑顔を振りまいているが、二人の顔は真顔そのものであった。


「まあ、それが無難やろうな。あの人も綱一郎君がお気に召しとるようやし」


「随分と、会長一家に買われてるんですね」


「年上女房はどうやって言うたら、はぐらかされたって僕に言うてきたわ。僕は知らん言うねん」


 池田と長井が岡部を見て大爆笑している。

真面目な顔を作っていた櫛橋も鼻で笑った。

牧は机に突っ伏して声を殺して笑っている。


 色々筒抜けであの一家怖いと岡部は身震いしている。


「輸送は明後日やから、明日、三人で向かってな。宿は、いつもの目黒の取ってくれてはるから」


 牧、櫛橋、岡部がはいと返事をすると、戸川もうむと頷いた。


「きっと今回もあの部屋なんでしょ? 何だか毎回申し訳ないですね」


 あの部屋を無料で使わせてもらうのは引け目を感じると言って岡部が申し訳なさそうな顔をする。


「あの婆さんが、ご自慢の宿見せびらかしたいんやから、遠慮せんと泊まっといたら良えねん」




 三人は東海道高速鉄道に揺られている。


 窓側の席を確保した牧は子供の様に頻繁に窓の外を見ている。

幕府に行くのは初めてだと、二人を見て子供のようにはしゃいでいる。


「私、前回初めて行ったけど、なんやごちゃごちゃしてて好きになれへんかったわ」


 櫛橋は牧に前回の幕府の印象を滔々と語っている。

大都会に行くと喜んでいた牧に、櫛橋は現実を突きつけ冷や水を浴びせかける形になった。


 少し沈み気味の二人に対し、岡部は駅弁を食べながら楽しみもあると語った。


「僕、毎回違う拉麺屋に寄ってますけど、拉麺はどの店も個性があって美味しいと思うんですよね」


「ああ! 前回連れてってもろたけど、あれは濃厚で美味しかったね」



 三人は幕府駅に降り立ち、電車を乗換え大井町駅に向かう。

大井町駅に降り立つと、目の前に巨大な幕府競竜場が姿を現した。


 守衛を通ると真っ直ぐ三浦厩舎へと向かった。

行く先々で岡部を見た厩務員が挨拶をしてくるので、岡部は挨拶で忙しかった。


「櫛橋さん、岡部君ってここではごつい有名人なんやね」


「……私は何も知らん!」


 櫛橋は複雑そうな顔をしてぷいっと横を向いた。


 『やっとこ閻魔』事件を櫛橋は大宿で休んでいて知らなかった。

翌朝、事件のあらましを聞く事になったが、あまりの惨劇にそっと胸の中にしまっているのだ。

皇都に帰ってからも、厩務員仲間だけでなく、馴染みの記者にまでしつこいほどに聞かれたが、知らぬ存ぜぬを貫き通している。


 そんな事情を知らない牧は、櫛橋が何を怒っているかわからず困惑している。

ところが三浦厩舎に近づくと、今度は他所の厩舎の厩務員たちが櫛橋先生と言って近づいてきた。


「何なんや? 櫛橋さんもごつい有名人やんけ! 二人とも何やらかしたらこないな事になんのやろ?」



「まさか俺が皇都行く前に、君がこっちに来るとはなあ」


 岡部の顔を見ると、早々に三浦はちくりと言ってきた。

岡部はどこか勝ち誇った顔を向けて煽り、三浦を悔しがらせている。


「先生も『ヨウテイ』が『重陽賞』に残ったんですから、そんな風に言わなくても良いじゃないですか」


「まあな。あれからうちもちょっと好調でな。久々の事で重賞に決勝がある事を忘れてたよ」


 三浦は冗談を飛ばすと特徴のある笑い方で笑い出した。

櫛橋は高城や清水と一緒になって笑っているが、牧は少し顔が引きつっている。


「今回は三人なんだね。って事は岡部君は引率ってとこか」


「そうですね。来月の試験受かったら、来年以降僕は関われなくなりますからねえ」


 なるほどと納得した顔で、三浦は高城の淹れたお茶を啜った。


「どうなの? 勉強はちゃんと進んでるの?」


「もう再来週ですよ。進んでなかったら来てませんよ」


 当たり前だと微笑む岡部に三浦は、会の皆が期待しているから頑張ってくれと励ました。



 櫛橋と牧は清水に連れられて竜房に向かったのだが、先に牧が一人で事務室に戻ってきた。

どうやら竜房で櫛橋の説明が暴走しているらしく、周辺の厩舎からも生徒が訪れ、何となく居づらくなったらしい。


「君が牧君か。会長から戸川厩舎の厩務員の成長が著しいという話を聞いているよ。その中で君の名前を聞いたなあ」


 牧は照れながら、お初ですと挨拶をした。


「その年齢で一から竜に乗り始めようなんて、よく決心したもんだよ」


「先生が鬼教官で。何度音を上げそうになったことやら」


 牧が岡部を冷たい目で見ると、岡部はぷいっと明後日の方を向いた。

その態度に三浦は爆笑である。


「岡部君がいなくなったら戸川も何かと手が足りなくなるだろうからね。だから牧君がその分の穴を埋めてあげないとね」


「はい。僕の手で埋まるもんやったらいくらでも」


 三浦はそんな牧に近づき、両肩に手を置いた。


「岡部君はちょっと特殊だからな。彼と同じようにやろうとしてもダメだよ。ましてや彼と自分を比べても仕方がないからな。君には君のやり方があるはずだ。だから自身のやり方を見つけていかないと」


 三浦が言わんとしている事はすぐに牧にもわかった。

岡部が抜けると必ず戸川厩舎は上手く行かない事が出る、それを埋めようとしても中々埋まらないだろう。

だからと言って自分を卑下するような事があってはならないと言いたいのだろう。


「岡部君と同じ事できる人は、うちの先生くらいなもんですわ」




 岡部は二人を三浦にお願いすると、一人事務棟へ向かった。


「おお、岡部さん! またこっちに来れたんだね!」


「大森さん、久しぶりです!」


「噂で聞いたよ! 調教師試験受けるんだってね。良いのかい? こんな時期にここにいて?」


 厳しそうなら来ていないという岡部に、じゃあ今年は諦めたのかと大森は笑い出した。

逆ですと岡部が真面目に訂正すると、後ろで事務員たちがクスクス笑い出した。


「今回、僕は付き添いですよ。それよりちょっとお話が……」


 急に真面目な顔をする岡部に、かなり重要な話だと察し大森事務長は頷いた。

珈琲を二つ用意すると別室の会議室へ向かった。


 岡部は珈琲を飲んで少し落ち着くと、先日の日競の吉田との話を打ち明けた。

大森は頭を抱えて唸りだした。


「岡部さんは調教師試験の勉強してるんだよね。なら『瑞穂競竜協会』ってのがあるのは勉強したよね?」


「はい。産業資源省の外郭団体ですよね。与党の議員が運営に名を連ねてる機関」


 岡部が満点の回答を即答した事に、大森は目を丸くして驚いている。

試験勉強仕上がってるみたいだとからかった。


「そう言う協会があるのに、実際には競竜の運営は竜主会が取り仕切ってるよね?」


「政治家は専門外ですからね」


「それもあるんだけど、公正競争の為に政治家の介入を嫌ってるってのもあるんだよ」


 普段から権力闘争ばかりしている政治家が介入すると、必ず八百長を持ちかけてくると竜主たちは考えているという事である。


「競竜の運営体制が協会の反発を買ってるって事ですか?」


「普通に考えたら面白かろうはずないよね」


「だから、そういう輩がちょっかいを出しやすくなってると」


「政治家に利益を誘導しなかったら、こういう事になるんだぞと見せしめられてるのかもしれないね」


 あくまでそういう予測ができるというだけの話だと大森は断りを入れた。

だが、ここまでの話は岡部にも十分理解できる話であり、これまでの出来事から言って、十分にありえる話だと感じる。


「まさに腐敗政治ですね」


「政治ってのは古今東西そういうもんだよ」


 大森は珈琲を飲んで笑い出した。

ちょっと歴史を齧ればそんな話は枚挙に暇がない。


「じゃあもしこの状況を何とかしようと、政治家をここで介入させてしまうと、公正競争が脅かされる危険があるという事ですか?」


「やり方を間違えたらね。うまく潰し合わせられれば良いんだけど……」


「潰し合わせる、か……」


 岡部は目頭を摘まんで思案している。

そんな岡部に、大森は見えないところの話をとやかく言っても仕方がないと笑い出した。


「で、俺はどうしたら良いんだい?」


「普段見ない報道がいないか、注視して欲しいんです」


「それだけでは、俺たちでは何をしたらいいか……」


「今、内部からの手引きが無いはずで、報道としての入管証も奪われたはずですから、本来なら入れないはずなんです」


 岡部は現状の説明をしただけである。

だがそれだけで大森は察した。


「偽造入管証か! それは確かに俺の仕事だな」


「重賞の決勝戦の週でそういう輩が入り込む可能性が高まるかと思います」


「ならこれからは重賞決勝の週は報道の入管を厩務員とは別にしてきっちりやるよ! 二度とあんな騒ぎは御免だからな!」


「違反者の竜主会への報告もお忘れなく」




 目黒の大宿に向かった三人は、いつもの最上階の貴賓室を通された。

岡部も櫛橋ももう慣れたものだが、牧はそうではなく、奥さんに怒られそうだと焦っている。


 夕飯の前に牧と二人で温泉に入ることになった。


「あれからよう竜に乗ってるやろ。ちょっと自信がついてな。何や何でもやったらできるような気になんねんな」


「そんな事先生に聞こえたら限界までやらされますよ?」


 ゲラゲラ笑っている岡部に、牧はじっとりとした目を向けている。

それをお前が言うのかと言いたいのだろう。


「君ら血繋がってへんのに、そういうとこよう似た親子やな。そんなんで喧嘩とかにならへんの?」


 普通そこまで似ていると、同族嫌悪で喧嘩になりそうなものなのに。

牧の指摘に、岡部は天井を眺めてから首を傾げた。


「今のところは無いですね。窘められる事は多々ありますけど。後、愚痴をよく聞きます」


「うわあ、先生の愚痴とか聞きたないわ……」


「そうですか? 僕は、先生も普通の人間なんだなって安心しますけどね」


 岡部はそう笑うが、牧には全く理解不能であった。



 牧は顔に湯を浴びせた。

湯舟に体を預けると、ふうと細く息を吐く。


「僕、あの日休みやったんやけどさ。並河さんと庄から聞いたよ。えらい頼もしくて先生かと思ったって」


 牧の言う『あの日』は、『ショウリ』が予後不良になり『セキラン』が怪我をした『あの日』の事である。


「皆あまりの衝撃的な出来事に容量溢れて真っ白でしたからね。おまけに先生は怒って出てっちゃうし。後処理大変でしたよ」


「『大変でしたよ』で済むんやもんなあ。君抜けた後どうなるかとか考えたら不安になるわ」


 岡部が厩舎に来たのは昨年の梅雨の事である。

そこから一年半、たった一年半いただけなのに。


「さっき三浦先生に発破かけられてたじゃないですか」


「不思議やな。あの先生の話聞いてると、僕なら何とか埋めれるん違うかって思うてまう」


 これまで名前はよく聞いていたが会うのはこれが初めてだった。

思っていたのと全然違ってかなり面白い先生だったと、牧は豪快に笑い出した。


「ああやって相手を乗せてやる気にさせるのが、あの先生の特技なんだそうで」


「そうなんや! うちの先生もそうやけど呂級まで上がれる先生いうんは、何かしら特技持ってるもんなんやな」


 うちの先生は日程の管理や組織の管理が完璧だと牧が褒める。

岡部は、以前日野が恐ろしく頭が柔らかいと言っていたのを思い出した。


「僕も調教師になったら呂級まで上がってきたいですね」


「小さい事言いなさんな! 伊級になりたい言うとき! 言うだけやったらタダなんやから!」


「そうですね。言い続けると叶うって聞きますしね!」

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