表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
75/491

第14話 予選

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の調教助手

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・能島貞吉…紅花会の新人調教師

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・本城…皇都競竜場の事務長

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川佐経…尼子会の調教師(呂級)

・南条元春…赤根会の調教師(呂級)

・相良頼清…山桜会の調教師(呂級)

・井戸弘司…双竜会の調教師(呂級)

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・大森…幕府競竜場の事務長

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

 九月。

 番組が再開されると、皇都競竜場の事務棟に調教師や調教助手が出走登録の申請を持ってどっと押し寄せてくる。

すみれはそれを一列に並ばせ順に受け取っていく。

まるで皇都競竜場の年初めはここであるかのようである。


 『セキラン』の代わりに『重陽賞』は任せろと、戸川の代わりに申請を提出しにきた岡部は、色々な調教師に声をかけてもらった。

戸川厩舎ではもう引退した『セキラン』は過去の竜だが、彼らの中ではまだ生きてるんだと思うと少し誇らしくもある。




 水曜日午後、竜柱が発表になると事務棟の職員が竜柱を一斉に各厩舎に配布。

『サイヒョウ』の新竜戦は木曜の第三競走、十二頭立て六枠八番、予想人気は六番人気。

『ゲンジョウ』の予選は金曜の第十競走、十四頭立て四枠五番、予想人気は一番人気。

『セキフウ』の予選は翌週に持ち越された。



 あそこまで脚元の弱い『サイヒョウ』の新竜戦がどんなものなのか、戸川厩舎の厩務員は全員が気になっている。

岡部は、坂崎、垣屋、花房と一緒に食堂の大画面を見に行った。


「おお、岡部君、久しぶりやな。櫛橋は元気にやっとるか?」


 井戸調教師が、その愛嬌のある顔を笑顔で満たし岡部を手招きしている。


「あ、井戸先生、久々ですね。櫛橋さんならうちで伸び伸びやってますよ。どうやらうちの水は合ってるみたいですね」


「そうかそうか。研究熱心で才能は十分にある娘や思うたんやけどな。どうにもうちでは活かしきれへんくてな。このまま飼殺したら可哀そうや思うて本城に相談しとったんやわ」


「うちは凄い拾い物できて大助かりですよ」


 棘は多いが綺麗な花だったと回顧した後、井戸がはっとして岡部たちの顔を見た。

今の櫛橋には言うなよと言い含めると、岡部たちは大笑いした。



 下見場の映像が流れ、『サケサイヒョウ』が大画面に映されると食堂にどよめきがおこった。


「あれ、戸川さんとこの竜か? 去年の『サケセキラン』も驚いたが、これも相当良い気配やなあ」


「良いものは持っているとは思うのですけど、どうでしょうね」


 井戸は岡部の言葉が腑に落ちなかった。

あれを見て、戸川厩舎が期待していないなどという事はありないだろう。

それほどまでに井戸からは良く見えたのだ。


「そう言えば、あんま追ってるとこ見へんけど、何かあんの?」


「まあ……色々と」



 発走機から飛び出したサイヒョウは真っ先に先頭に躍り出た。

後続も決して調子が悪そうというわけでは無い。

だが『サイヒョウ』は明らかに他の竜とは性能に差があるという感じで徐々に差を付け始める。

曲線ではかなり差が付き、大逃げという感じになり始めた。

四角に差し掛かり後続が追いかけてきても、後続とは差を保ったままだった。

直線に入り他の竜が追いすがってくると、松下は鞭を持ち一度だけ指示を出す。

追いすがった竜をあざ笑うように突き放すと一着で終着した。


 食堂がどよめいた。


「なんやあれ! 初週やぞ! どんなバケモンや!」


 井戸や周囲の興奮に比べ、戸川厩舎の面々はそこまで喜んではいなかった。


「才能が通用するのはわかりましたが……」


「なんや、手放しでは喜べへんのか?」


「ええまあ……いづれわかるとは思いますけど」


 岡部はじっと画面を見続けている。

松下は『サイヒョウ』を走らせず、ゆっくりと歩くように競技場を出ていった。


「そうか、脚に不安があるんか。確かに終いの走りがちと変やったもんな」


「やっぱわかりますか?」


 井戸も熟練の調教師である。

さすがに走りを見れば、その竜がどんな竜かある程度は判断できる。

あれだけの走りができるのに難儀な事だと、井戸は自分の竜の事のように渋い顔をしている。


「重賞は三連戦やからな。ただ速いいうだけじゃ、どうにもならへんもんがあるからな」


「そうなんですよね……」



 翌日、『サイヒョウ』は腰の痛みでまともに動くことができず、櫛橋は庄や並河と代わる代わる何度も腰を按摩した。

一度は放牧という案も出たのだが、脚元に異常が出ていないのでそのまま留め置かれることになった。




 『ゲンジョウ』の予選の時刻が近づいてきた。


 出走すると『ゲンジョウ』は、先頭集団に取付き、向正面では速度が出せないながらも必至に食らい付いていく。

曲線途中で早くも松下が合図をすると『ゲンジョウ』は他の竜を少しづつ抜きに入り、四角で後続が詰めた時には先頭に踊り出ていた。

速度を下げずやや膨らみ気味に直線に入ると最高速に達し、そのままの差を保って終着した。


 翌週には、『セキフウ』も危なげなく予選を勝った。




 その翌週、『セキフウ』と『ゲンジョウ』の最終予選の竜柱が発表になった。


 『セキフウ』は金曜の第九競走、十五頭立て七枠十三番、予想人気は三番人気。

『ゲンジョウ』は同じく金曜の第十競走、十六頭立て一枠二番、予想人気は二番人気。


「今回は『ゲンジョウ』、かなり調子良いみたいですわ」


 池田が嬉しそうな顔で戸川に報告した。


「晩成の仔やから、まだまだやれるやろうけどな。あんまり長くやらせると大怪我する可能性が上がるからな」


「ここまでよう頑張りましたよ。僕も入厩してきた時から見てますからね。あの頃からしたら、ほんま信じられませんわ」


 入厩したばかりの『ゲンジョウ』は本当に何の取り柄も無い竜であった。

追走が早いわけでもなく、脚が切れるわけでもない。

さらには肉付きも悪く、仕上がりは驚くほど遅い。

強いて言えば、気性が素直な事だけが取り柄という感じの竜であった。

未勝利戦を突破したのも、強制引退寸前の夏も押し迫った頃の事だった。

だが六歳の秋、戸川がこの竜のある才能に気が付いた。

そこから戸川は、その『武器』を懸命に研ぎ澄ませてきたのだった。

それから七年。

その『武器』がついに開花し始めたのだった。


「明けたら十三歳やで。なんやったら同期の牝の仔が一緒に出るかもや」


「どんな気分なんでしょうね。言葉通じるんやった聞いてみたいですわ」


「……悪趣味やな」


 二人は『ゲンジョウ』を前に、首筋を撫でながらしみじみと笑いあった。




 金曜、岡部は、坂崎、牧、庄と食堂の大画面で中継の映像を見ていた。


「岡部君、で合うてるかな?」


 そう声をかけてきた調教師がいた。

その調教師は年齢でいえば戸川と同じか少し下といった感じ。

雷鳴(らいめい)会』の武田(たけだ)信宏(のぶひろ)で、今年の『上巳賞』に出走していた『ハナビシスイキョウ』の調教師である。


「初めまして。吉川先生から噂を聞いていてね。いやあ一度会うときたかったんや」


 岡部は出された手を握り、初めましてと挨拶を交わした。

武田は岡部の横の席を空けてもらいどっかと座った。


「僕のところは両重賞の最終、計三頭走ったんやけど、全部昨日走ってね。何とか一頭づつ残ったよ」


「うちも一頭づつですね。この後立て続けに」


「そうなんや。楽しみに見せてもらおうかな」



 第九競走、『重陽賞』の最終予選の下見が始まった。

櫛橋が『セキフウ』を引いている映像が流れている。


「良え竜やな。胴も長くて。ほう! 父は『ロクモンキセキ』なんか! 『キセキ』からも長いとこ向きの仔が出るんやな」


 武田は新聞を広げて竜柱と画面を交互に見ている。


「『ロクモンキセキ』って長距離の仔は出にくいんですか?」


「そんなわけはないと俺は思うてるんやけどね。そやけど圧倒的に短いとこ向きの仔が多いんよ。『ジョウイッセン』や『タケノベンテン』みたいに」


 風神と言われた『ジョウイッセン』は『上巳賞』の後、『優駿』は回避し放牧。

秋は来月の『天狼賞』に挑戦予定となっている。

『タケノベンテン』は『上巳賞』惜敗後、『瑞穂優駿』に挑戦し最終予選で敗退。

放牧し、同じく秋は『天狼賞』に挑戦予定となっている。


「純粋に仕上がりの早いのと末脚のキレが特徴なのかと」


「そういうんを選り好んで種竜にしとるからな。総じてそういうんは、短いとこ向きのが多いんやわ」



 発走すると『セキフウ』は先行集団のすぐ後ろを追走。

一周目正面直線で前に行きたがる素振りを見せると、松下は先頭集団の中団まで位置を上げる。

向正面に入っても先頭から最後方まであまり開きが無く、一団といった展開だった。

三角を過ぎたところで逃げ集団は先行集団に追いつかれ一つになる。

曲線では後方集団も追いつき集団は一団となっていた。

四角でその一団が横に大きく広がり一斉に叩き合いが始まる。

『セキフウ』は直線に入ってすぐ二列目に位置取った。

前の竜が加速を始めると松下は『セキフウ』に合図を送る。

『セキフウ』はスパッと切れるように一瞬で前の竜を追い越し、そのままあっさり先頭に躍り出て一着で終着した。



「あの切れはまさしく『ロクモンキセキ』の仔やわ!」


「良い切れでしたね。来週の本番が楽しみですよ」


 これで来年間違いなく『キセキ』の種付け料は跳ね上がると、武田は非常に嬉しそうである。


 いわゆる『稲妻牧場』は三つの牧場からなっているらしい。

本場は北府から苫小牧に行く途中の千歳(ちとせ)という場所にあり、そこから少し南東の早来(はやきた)という場所に一つ目の分場、苫小牧と室蘭の中間の白老(しらおい)という場所に二つ目の分場がある。

千歳本場と白老分場を『雷雲会』が、早来分場を『雷鳴会』が管理している。


 『ロクモンキセキ』は武田たちの所属する『雷鳴会』の早来分場が所有しているのだそうだ。



「しかし、戸川先生とこはいきなり良え竜を何頭も出せて、調子良え事この上無いな」


「先生の鍛え方がハマり出したんでしょうね。常に試行錯誤してるそうですから」


 それはどこの厩舎もやっている事だと武田は真面目な顔で指摘した。

それだけじゃない何かが、今の戸川厩舎にはある。


「君が来てからというもの、戸川厩舎の調子だけや無く皇都競竜場全体の士気が上がったんを感じるわ。えらい影響力や思う」


「僕は別段何も……」


「まあ本人はそんなもんなんやろうな。そやけど周りはどんどん影響受けてんねんで。君に憧れて夏の調教資格受験者凄かったやろ?」


 そう指摘され岡部は牧の顔をちらりと見た。


「あれは僕に憧れたんじゃなくて荒木さんたちに……」


「それもあるやろうけど、その人らは君に憧れたって言うてへんかった?」


「……言ってました」


 岡部は一呼吸置いて照れながら小声呟いた。

武田はガハハと笑い出した。

そらみろと岡部を煽っている。


「うちにも君に感化されて、重い腰あげて調教師になる言うやつが出たんやで。今までどんだけ言うても嫌がっとったのに。君には感謝しとるよ」


「じゃあ僕が試験受かれば同期になるんですね」


「そういうことになるね。そん時はよろしく頼むよ。で、肝心の勉強の方は捗っとんの?」


「……ぼちぼちってとこです」



 大画面の中継は『ゲンジョウ』の最終予選の出走間近という感じであった。


 発走すると『ゲンジョウ』はポンと飛び出し先頭集団に取付く。

だが流れの速さに徐々に後退を余儀なくされていく。

向正面の終わり頃には、すっかり後続集団に飲まれようという状態だった。

三角を過ぎ曲線に入るとすぐに松下は鞭を取り出し合図を送る。

すると『ゲンジョウ』はそれまでの苦しい追走が嘘のようにスルスルと位置を上げていく。

四角手前では先頭に踊り出さん勢いとなっており、かなり膨らんで直線に突入。

直線でもその速度は全く衰えない。

最初から全力だった『ゲンジョウ』は直線の最初で後続にかなり差を付けていた。

だが直線も半ばを過ぎると後続も最高速となり一斉に猛追をかけてくる。

もう少しで追いつかれるというところで、きっちり抑え込み終着した。



「これもまた面白い竜やねえ。長く良い脚の使える仔いうんはいるけども、こないに長く使えるんは見たことない」


「新竜戦から八年間、いつか結果が出るって信じて、それを磨き続けたそうですよ」


「八年! ずっと信じて鍛えられるその胆力に恐れ入るな」


「本当ですよね。凄い先生ですよ」


 戸川が六歳の秋に見出した『ゲンジョウ』の才能とは、この恐ろしく長く持続できる末脚であった。

決して切れるわけではない。

だが長く続けられるなら早めに仕掛けて勝負所までに勝負を決めてしまえば良い。

中々末脚自体が鈍く、ここまでにするのにかなり時間がかかってしまったのだが。


「実は僕、戸川先生とは八級の福原から一緒なんやけどね。あの先生は秀才で有名やったからね」


「僕も聞きましたけど、そんなに有名だったんですか?」


「数年で伊級に上がるって噂されてたからね。八級の時には『どんな竜もあの先生なら名竜に化かす』って言われたんやで!」


「へえ! 噂では聞いてましたがそんなにだったんですね!」


 当時、福原に秀才ありと西国では将来を嘱望されていたらしい。

この調子なら呂級から伊級もあっという間だろうと当時は誰もが疑っていなかった。


「当時『紅花会』さんは仁級と呂級の竜の評判がごっつい悪くてね。さぞ苦労したんやと思うわ」


「仁級の話は僕も聞きました。体質改善から入ったって」


「そんなんからせんといかんのやったら、僕やったらささっと閉めて元の厩舎帰るわ!」


「聞いた時、僕も全く同じこと思いましたよ」


 そんな絶望的な状況も、自分ならどうにでもできるという自信があったのだろう。

そして実際どうにかして、わずか三年で八級に昇格した。

とんでもない人だと武田は戸川を褒め称えた。


「幕府はまた君が行くん? それとも戸川先生が行くん?」


「僕が行きますけど、今回は付き添いですね」


「そうやろね。試験勉強があるもんな」


 落ちたら噂の暴君にどやされるもんなと武田は笑い出した。

最上が暴君というのは、他の会派にも知れ渡っているのかと思うとすこし可笑しくもあった。


「ほな、お互い良い結果の出ることを!」


「はい! 先生の竜も応援しています!」


 岡部の言葉に、武田は目を細めニヤリと笑った。

突然岡部に顔を近づける。


「勝つのはうちやで!」


「こっちも勝ちを譲る気はありませんよ!」

よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ