第11話 政争
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の調教助手
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…専業主婦
・戸川梨奈…戸川家長女
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女
・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女
・長井光利…戸川厩舎の調教助手
・池田…戸川厩舎の主任厩務員
・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員
・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員
・荒木…戸川厩舎の厩務員
・能島貞吉…紅花会の新人調教師
・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手
・本城…皇都競竜場の事務長
・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員
・吉川佐経…尼子会の調教師(呂級)
・南条元春…赤根会の調教師(呂級)
・相良頼清…山桜会の調教師(呂級)
・井戸弘司…双竜会の調教師(呂級)
・日野…研修担当
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・大森…幕府競竜場の事務長
・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」
竜の調教後に荒木と牧の騎乗訓練をする日進を送っていた頃の話である。
ある日の昼下がり、後ろから岡部を呼ぶ声がした。
「『セキラン』、『優駿』残念やったですね」
その特徴のある少し高い声で声の主が誰かはすぐにわかった。
報道嫌いの岡部ではあるが、この声の主――日競新聞の吉田記者だけは唯一心を許している。
この時も岡部は振り返ると笑顔で歓迎した。
「まあ、事故はしょうがないですよ。どっちにしても『新月賞』の時には種竜にするの決まってましたからね」
進んで記事のネタになりそうな事を話す岡部に、吉田の方が焦って周囲をキョロキョロと見渡している。
「ええんですか? まだ引退も正式には発表してないでしょうに」
「何か良い情報持ってきてくれたんでしょ? お礼の前渡しのつもりですけど」
岡部がニコリと微笑むと、吉田は参ったという態度で広めの額を手でさする。
「特報にしたら、さすがに他所に怨まれそうなんで発表待ちますわ」
別に特報にしても良いのにと岡部は言うのだが、内々の決まりや柵があるんだと吉田は残念そうな顔で説明した。
「どこか二人になれるとこが良えんですけど、外出れますか?」
「じゃあ、事務棟に部屋借りますよ」
岡部は事務棟に吉田を連れて行き、すみれに珈琲を二つお願いし、三階の小さな会議室を一室借りた。
珈琲をひと啜りすると、吉田は鞄から一枚の写真を岡部の前に差し出した。
「この人、知ってますか?」
出された写真は背広姿の老人。
かなり細身で少し貧相な印象を受けるが、眼光は鋭く頬はこけ、悪人顔に見える。
「見た事ありますね。確か『社共連』の木下とかいう議員」
「さすがに知ってましたか。まあ、よう色んな番組出てる有名人やからね。当選六回、伊尾郡の超大物議員ですわ」
『社共連』、正式には『社会共産連合』という政党である。
連合議会でもそこまで議席を持っているわけでは無い。
共産主義の政党、つまり極左の政党である。
「書記長だったかな? この人が先日調査をお願いした、警察上層部に圧力をかけた政治家ですか?」
「前に名刺渡した『産業日報』の山科、そいつにその話したら、すぐにこの名前が出てきたんですわ」
岡部は写真をまじまじと見ている。
吉田はさらに三枚の写真を岡部の目の前に並べた。
「左から、『翼賛党』の竹中、『社共連』の前野、杉原」
岡部は苦笑いし首を傾げる。
それを見て吉田が鼻で笑った。
『翼賛党』も『社共連』同様にそこまで議席を持っているわけではない。
いつも連合議会では、総理を呼びつけて的外れな事を質問している印象の党である。
元々は広く超党派の議員連合を目指していたのだが、いつの間にか単なる極右政党に落ちぶれているらしい。
『翼賛党』も『社共連』も、実現不可能な夢物語を口にし一定の支持を集める事で最低限の議席を確保し活動費を得ている。
無責任で気ままな野党議員を謳歌しており、『職業野党』などと揶揄されている人たちである。
「竹中は『翼賛党』の広報本部長。前野と杉原は『社共連』の副委員長。どれもそれなりに肩書きのある人物ですわ」
「広報本部長……」
「報道の窓口やね」
つまりは報道と常日頃から懇意にしている人たちという事になる。
「『社共連』が子日、『翼賛党』が日進ですか?」
「惜しい! 逆ですわ」
以前の話では、『子日新聞』は『共産連合』と、『日進新聞』は『竜十字』と繋がっているという話であった。
それを踏まえて、アカ繋がりで『社共連』が『子日新聞』側だと予想したのだが、どうやらそういった思想的な繋がりがあるわけではないらしい。
「という事は今回の件で一番圧力をかけたのは『翼賛党』の竹中か……」
「お! 察しが早いですね。そんで岡部さんが幕府で大暴れした事で『社共連』の木下が動いたと」
岡部は、ここまでを整理するように口元に手を当て思案し続けている。
正直ここまでの説明では、この四人に警察に圧力をかけるような真似ができるような気がしないのだ。
「竹中は当選五回、濃飛郡の議員。前野は当選三回、毛野郡の議員。杉原は当選三回、三遠郡の議員」
吉田は一人一人経歴を説明していき、何か気付くことはあるかと尋ねた。
「これまで、この四人の不祥事の記録は?」
「そう言う思うて過去記事調べさせたんやけど、何も出てこへんかったらしいですわ」
それを聞くと岡部は鼻で笑った。
その態度に吉田は、自分が何かおかしな事を言っただろうかと少し困惑した。
「よくそれで記者やれてますね。政治は専門外だから仕方ないのかな。平気で警察に圧力かけるような奴らが不祥事が一切無いとかありえると思います?」
岡部はからからと笑い珈琲を口にする。
吉田ははっとした顔をした。
「いやあ、何でそこで止めたんやろ? 叩いたらいくらでも埃が出るに決てるやん!」
「その埃を拾い集めて捨ててもらっている。だから新聞の指示に逆らえない。法も曲げさせる」
つまりはそいつらは新聞とその下の犯罪組織と一蓮托生。
持ちつ持たれつでやっている。
「わかりました! あいつに知らせますわ。見つかったら、どんどん速報出させます」
「いや、それは止めた方が良い」
岡部は珈琲を飲みながら冷静に吉田を制した。
「なんでですの! それ流したら、あいつら失脚させられるやないですか!」
「失脚させたとしても、新聞は新しい人形を出してくるだけじゃないですか? それとその記者の身が危険すぎる」
至極もっともな説明に吉田は黙ってしまった。
吉田も一旦冷静になる為に珈琲を口にした。
「そしたら、どないするんですか?」
問題はそれである。
こちらに危害を加えてくるかもしれない連中を放置しておくわけにもいかないのだ。
「ちょっと聞きたいんですけど、日競さんは親会社はどこでしたっけ?」
「『産業日報』ですけど、それが何か?」
「お抱えの議員っているんでしょ?」
岡部の考えている事が何も読めず、吉田はかなり不安そうな顔をしている。
「ええ、まあ。うちは与党の『労働党』に何人か。あいつらみたいな事はしてへんと思いたいですけど……」
「そこに情報をポツポツと流したらどうですか? きっと上手く使ってくれると思うんですけど」
なるほどと吉田は手を打った。
つまり紙面で牽制するのではなく、議会での対野党対策の武器に使って貰おうという事である。
どこまで知られているのかわからないと不安になれば、多少動きに制限を付ける事ができるであろう。
「その前に岡部さんに流して、確認とったら良えんでしょ?」
岡部はにっこり笑って吉田を見ている。
吉田も何度も小さく頷き、いたずら坊主のような顔をした。
翌日の午後、厩舎に最上が訪れた。
今後の相談をしたいので、岡部にも一緒に聞いて欲しいと最上は言った。
「あまりに話し合う事が多すぎて、宿に呼ぼうかとすら思ったくらいだよ」
最上は冷蔵庫で冷やされた麦茶をすすり、氷をからからと鳴らした。
「まずは戸川、能島の事は申し訳なかった。『セキラン』まであんな事になってしまって……」
「あれはうちらも色々と失敗がありましたから、誰がどうという事では無いですわ」
「そう言ってくれると助かる。あと、正式に『セキラン』は種竜にするから引退を公表してくれて構わない」
義悦は納得したのかと岡部が尋ねた。
初めての呂級の竜、それも重賞を取るような良い竜である。
そこまで重症ではない為、怪我の回復を待ちたいと言ってきても不思議では無い。
「逆に踏ん切りがつきやすかったんだろう。何もなく引退だったらごねただろうがな」
最上は渋い顔を見せた。
その表情からは、口ではそう言っているが、そこまですんなり話が進んだわけではない事が察せられる。
「義悦といえばな、古河さんのセリに売れ残りの新竜を買いに行かせてみたよ」
「未勝利くらいは勝てそうなん買えました?」
「さあなあ。私はそういうのが未だによくわからんから、お前たちの評価を早く聞きたいよ」
最上は今から入厩が楽しみだと言って、手土産で持ってきた桜桃餡の最中を口にした。
岡部も最中を口にする。
粒あんの甘さの中に、桜桃の酸味が口いっぱいに広がり実に美味しかった。
「そういえば、新竜といえば『シロカキ』の仔は誰の所有にしたんですか?」
「ああ言われて手放すわけがなかろう。私が貰ったに決まっとる!」
さも当然という態度で最上が言うので、戸川と岡部は笑い出した。
「岡部君、私の知らない間に、みつばに色々と手を貸してくれたそうだね」
止級の竜運船計画の話を最上もみつばから聞いたらしい。
「竜運船計画、会長はどう思いますか?」
「私も詳細を聞いて、かなり画期的だと思ったよ。あれは良いな。下手すれば止級に革命が起るやもしれん」
「会長の目から見て上手く行きそうに見えますか?」
「みつばの事だからな。どうせ中途半端で放置すると思ったが、今回はかなりちゃんとしてるみたいだな」
岡部は竜運船の計画の成否について聞いたつもりである。
だが、最上はあまり詳しい事までは判断が付かないのか、主体となって動いているみつばについて評論をした。
「みつばさんは根回しが必要って言ってましたけど」
「そりゃあそうだ。公式に禁止されたら元も子も無い」
「その可能性があるんですか?」
「無い、と言いたいところだが、あまりがめつくやると、お前だけ狡いとひがまれるだろうな」
各会派には『横並びの暗黙の原則』というのがある。
会派の経営状況によって成績の上下はどうしようもない。
だが厩舎運営に関しては、会派によって良い悪いが出てはならないとされている。
「だから中野さん、特許だけって言ってたんですね」
「それすら、ずっと保持できるか怪しいもんだよ」
竜運船の利用頻度が上がれば、自然と台数が必要になってくる。
そうなった時に、特許があるからと部品を独占していたら、さすがに他の会派から苦情が出るであろう。
「じゃあ、あの若い方に改善を行い続けてもらわないとですね」
「ほう! 若いのがやってるのか!」
最上は運営体制までは聞いていなかったようで、少し身を乗り出した。
「大山さんっていう僕や義悦さんの一つ歳下の人が主でやってるみたいです」
「良いじゃないか。みつばにしては面白い事をする。いずれ私が引き抜いて会社をやらせても良い」
「海運会社ですか? 夢が広がりますねえ」
思った以上に可能性はありそうと皮算用を始めたらしく、最上はニヤリと笑った。
最上は一転非常に深刻な顔をした。
「暴漢の話、義悦から少し聞いたよ。もう少し詳細を聞きたいのだが」
岡部はここまでの話と、先日の吉田の話を全て順に話していった。
それを聞いて、戸川と最上は大きな唸り声をあげる。
相手が大きすぎるんだよなと戸川は一言呟いた。
「別に相手が滅びるまでやるわけでは無いんです。手を引かせれば良いだけです」
「それで政治家には政治家を当てて、連帯しているように見せて牽制しようというわけか」
最上は岡部の対応の本質をいきなり突いた。
そのせいで、考えが浅かったかと少し不安になってしまった。
「彼らは裏でこそこそ手を出したいはずなんです。とすれば、一番嫌がるのはそこに光を当てられる事なのではと」
「それに光を当てるのは、全面戦争と同じ事なんじゃないのかね?」
「だから、こっちもこそこそ裏から手を出そうと……」
最上には岡部の考えがわからないわけではない。
会長として、他会派の会長と常に政治的な駆け引きを強いられているのだから、むしろその方面においては専門家ともいえるかもしれない。
そんな最上から見ても少し危険だと感じているのだ。
一歩間違えれば、岡部が諸悪の根源のような立ち位置になりかねないと。
「君はあいつらと戦争がしたいのか?」
「そうでは無いです。手を出したら痛い反撃を受ける、そう思わせて手を出しづらくしたいんです」
「その為には、こっちも本気なんだというところを見せる必要があるということか……」
なるほどと、最上は頷いた。
相手との間に膠着状態を作る、その為には目には目、歯には歯。
それが岡部がやりたい事だと最上は理解した。
「できれば、競竜界に手を出せないところまで持っていきたいんですが」
「そこまでできれば満点だろうが。それはさすがに危険が大きいだろう」
そこまでする為には、岡部が中心になって体制を整えていく必要がある。
さらに向こうが持っている力を削ぎ落していかなくてはならない。
当然その動きは、途中どこかで向こうに察知される事になるだろう。
「相手が余程の馬鹿じゃなければ、途中で手を引くと思うんですが」
「あいつら、かなりの馬鹿だぞ?」
最上が即答で言うので、戸川が思わず噴出した。
岡部も笑いそうになったが、真剣な話をしている最中であり必死に堪えた。
「それならそれで、それ相応の手傷を負ってもらうだけの話です」
「まあ、うちにも議員の知り合いはいるし、競竜界全体を含めれば相当数いるだろう」
最上は麦茶を手に取った。
既に氷は全て溶けてしまっている。
「君は竜主会の会長も一目置いているんだから、もしかしたら、それを総動員できるかもしれんな」
「そんな事しなくても済むのが一番なんですけどね」
最上は、何かわかり次第連絡を入れるようにと釘を刺した。
幕府の時のような暴走は勘弁だと念まで押した。
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