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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第8話 能島

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の調教助手

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・能島貞吉…紅花会の見習い調教師

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・本城…皇都競竜場の事務長

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川佐経…尼子会の調教師(呂級)

・南条元春…赤根会の調教師(呂級)

・相良頼清…山桜会の調教師(呂級)

・井戸弘司…双竜会の調教師(呂級)

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・大森…幕府競竜場の事務長

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

 家に帰ると既に戸川が帰ってきており、客間で岡部を待っていた。

戸川は遅かったなと言うと、早く一杯やろうと力無く笑っている。


 岡部は洗濯物を脱衣場に置き、荷物を部屋に置くと客間に戻ってきた。

客間には既に肴がいくつかと麦酒が用意されている。


 乾杯すると、戸川は溜まった怒りを流し込むかのように麦酒を一気に飲み干した。


「すまんかったな。後作業全部押し付けてもうて」


 岡部は少し苦笑いし戸川の杯に麦酒を注ぐ。


「機能不全が半端なくて、正直ちょっと大変でした」


 別に戸川を責めているわけではないが、戸川としては少し後ろめたい気持ちがあったのだろう。

目線を下げ静かに息を細く吐いた。


「ちょっと能島の態度が耐えられへんかった……」


 気持ちは岡部にもわかる。

実際岡部も許される事なら能島を殴りつけてやりたい気分であった。


「もう少し自責を感じてくれても罰は当たらないでしょうにね」


「僕の言う通りしただけやみたいな態度しくさってな」


 二人は沸き上がる怒りを麦酒で再度流し込む。

先に岡部が戸川に麦酒を注ぎ、次いで戸川が岡部に麦酒を注ぐ。


「大丈夫なんですかね? 再来週から厩舎開業ですけど」


「正直、今のままやと無理やと思うわ。あの調子やと厩務員ともすぐに衝突すると思うし」


 岡部は目の前の器から枝豆をいくつか手にした。

鞘から豆を一粒一粒押し出す行動が岡部の精神を穏やかにしていく。



「長井さんはどんな感じでした?」


「とりあえず目が覚めたってだけやね。明日以降どうなるかやな」


 全身打撲というだけで骨折は無かったらしい。

だが、そこそこ年齢がいっているので、復帰には時間がかかるだろうというのが医者の見立てなのだそうだ。


「僕の時も頭痛で寝れなかったですもんね」


「『セキラン』の『優駿』が無うなって、来月は能力戦だけになったし、それが終われば順次放牧やから。のんびり治してもらうんやな」


 岡部と話をしていて、戸川は徐々にだが気分が落ち着いてきているのを感じている。

これまでこういった事があると結構長く引きずっていたのに。


「『セキラン』はどうなりそうなんですか?」


「ちと早いが引退になると思う。元々種竜にするいう話やったしな」


 岡部が調教計画を練った初めての仔。

もし調教師試験に合格できるようであれば、きっと『サケセキラン』の名前は永遠に忘れないのであろう。


「今年の新竜は『シロカキ』の仔一頭だけだから、空きができちゃいますね」


「それな、僕も気になってさっき会長に聞いたんよ。そしたら、外から一頭買う言うてはったよ」


 『外』というのはこの業界では、競竜生産監査会の競りか、古河牧場かのどちらかを指す。

生産監査会の競売は降格と昇格、引退の調教師の調整のために行うため、開催時期は年末年始になる。

つまり今回の場合は『古河牧場』からという事になるのだろう。


「どんな仔なんでしょうね?」


「まあ、この時期に買うんやから、普通は未勝利勝てたら御の字って仔やけどな。たまに大当たりする仔がおんねんな」


「そういうの良いですね! なんだか宝探しみたいで」


「ちょっとワクワクするよな」


 戸川は、初期の極めて険しい表情から穏やか表情に完全に変わっている。

能島の事は腹立たしくはある。

だが、戸川厩舎の竜はあの二頭だけではないし、夏になれば新たな新竜が入って来るのだ。


”竜との出会いは一期一会”


 戸川は岡部と麦酒を呑みながら、師匠から昔言われた言葉を思い出した。




 翌日、調教は松下と岡部で行った。


 朝飼が終わると、折り入って相談があると言って荒木と牧が事務室に来た。

会議室の方が良いかと戸川は尋ねたのだが、別に聞かれてマズイ話では無いからここで良いと応接長椅子に腰かけた。

松下が休憩に行くと言いだしたのだが、できればいて欲しいと二人に言われ、人数分の珈琲を入れに行った。



 珈琲を淹れている良い香り漂う中、年長の荒木が代表で話を始めた。


「実は、相談言うんは調教資格を取ろう思うんです。僕と牧で」


「なんでまた? 急ぎで金が必要なんやったら、ちゃんと相談に乗るぞ?」


 二人の意図がわからず、戸川は非常に驚いた顔をしている。

そっちの心配はまだ大丈夫だと荒木は苦笑した。


「一つには、岡部君が調教師試験に挑戦するいうのに刺激を受けたからですわ」


 荒木がそう説明すると、牧は笑顔で岡部を見た。

突然憧憬の目で見られ、岡部は何とも気恥ずかしいものを感じている。


「それと昨日の事件を聞いて、やるやらんは置いといて、やれる言うのが重要やって感じたいうのもあります」


「まあ単純に給料も上がるしな」


「先生、さっきから銭、銭って何かやらしいですわ」


 戸川はすまんすまんと、荒木と二人で笑いあった。



 どれくらいで乗れるようになるものなのかと、牧は不安そうに戸川に尋ねた。

騎乗経験はどの程度なのかと聞くと、二人とも厩務員試験の時に研修で乗った以来らしい。


「ほな、何年も前の『常歩(なみあし)』止まりか。松下どう思う?」


 丁度珈琲を淹れ終え、各人に配っていた松下が、ううむと唸り声を発した。


「乗竜感覚でやるんやったら、ひと月で『速歩(はやあし)』、もうひと月で『駈歩(かけあし)』やれたら優秀ってとこやないですかね?」


「ほな、週五で毎日午前午後二回みっちりやったらどうや?」


 松下は珈琲をひと啜りすると、腕を組んで天井を見つめだした。


「それやったら、そこそこの運動神経やったとして、ひと月で『駈歩』までやれるんと違いますかね? あとは『襲歩(しゅうほ)』と時計管理だけやと思います」


 調教資格は『襲歩』と時計管理ができないと合格にはならない。

つまり、かなり厳しく見積もっても、ひと月半くらいかかるというのが松下の見立てである。


「六月から番組無うなるから、綱一郎君さえ良ければみっちりやってもらえると思うけど」


 戸川がちらりと岡部を見る。

それにつられるように、松下、荒木、牧も岡部の顔を見る。

僕は構いませんよと岡部は笑った。


「岡部君、よろしうお願いするわ」


 荒木と牧は、改めて岡部に頭を下げる。

岡部は恐縮してしまい、二人に頭を上げるように促した。


「そしたら、その間は日勤専門につけてあげるよ。後で池田にそう言うとくわ」


 二人は戸川に、ご協力感謝しますと頭を下げた。

戸川としても、いざという時に調教資格のある厩務員がいるというのは、何かと嬉しい状況である。

むしろ応援できる事は何でもやってやりたいところである。


「厳しいからって音をあげないでくださいね」


 岡部が忠告すると、荒木は、えっという顔をした。

冗談で言っていると表情を伺ったが、どうやら本気らしく、荒木は笑顔を引きつらせた。

お手柔らかにお願いしますと、牧もひきつった顔で笑っている。


 荒木が牧に小声で、俺たち早まったんじゃないだろうかと囁くと、他の三人は大笑いした。




 四月二九日、皇都の居酒屋で能島の激励会が開かれた。

参加者は、主賓の能島以外には、戸川、岡部、池田、櫛橋、荒木、垣屋、牧、庄、並河。


 戸川の音頭で乾杯すると、皆、思い思いに呑みはじめた。


「どうなの? 岡部君は受験勉強は進んでるの?」


 能島が岡部に麦酒を注ぎながら尋ねた。

今回主賓が能島という事で、奥の中央には能島が座っている。

その両隣に戸川と岡部。

池田と櫛橋が近くに座っている。


「何だかんだで、思ったように時間が取れなくって……」


「僕は厩舎の事がいまいち想像できなかったから、なまら難しかったけど、岡部君ならそこまででないのかもね」


 どうなんでしょうねと変に照れている岡部を戸川がからかった。


「こう見えて、綱一郎君は勉強はさっぱりなんやで」


「えっ? そうなん? 何でもこなすもんやから優等生なんやと思うてた」


 能島も少し驚いているが、それ以上に櫛橋が驚いている。


「なんでもやれんねんけど、勉学はあかんらしいねん。日野くんがほとほと困ってたわ」


 戸川の話に他の厩務員たちが大爆笑だった。

岡部は憮然とした顔をすると、悪いのは小試験だけで、最終試験はちゃんと良い点で受かりましたと、胸を張った。


「いやいや、それは、ここの人みんな受かってんねん」


 戸川が素早く指摘すると、池田が、それはそうと言って笑い出した。


「今年の倍率ってどれくらいなんやろうね?」


 試験というからには倍率があるだろうから、その倍率である程度難しさが推測できると櫛橋は思ったらしい。

すると能島が驚くことを口にした。


「応募がどれくらいかはわからないけど、今の二年生で『箱無し』は一人だけなはず。その子が辞めてなければ」


 思ってた以上に狭いなと、戸川は岡部の顔を見て首をすぼめる。


「いまいちよくわからないんですけど、その『箱無し』って何なんですか?」


「会派に所属して応募するんじゃなく、個人応募で入学してきた学生の事だよ」


 能島の説明で、先ほどの意味がやっとわかった。

つまり、応募者が何人なのかはわからないが、その人たちでその一人を取り合うという事なのだ。

岡部は改めて厳しい現実を実感したのだった。


「そういう事やから、荒木、牧、気引き締めて、ひと月でちゃんと目途付けるんやで」


 戸川に発破をかけられ、荒木と牧は、がんばりますと気合を入れて麦酒を呑みほした。



 宴もたけなわになると、戸川は能島を呼んだ。


「そろそろ締めやから、最後に手向けをしておこう思うんや」


 能島は正座をし背筋を正した。

岡部、櫛橋、池田も麦酒のコップを机に置き、背筋を正して戸川の話に耳を傾けている。


「お前、一月末の宴席で僕が言うた事をどれくらい覚えてるんや?」


「調教師は経営者で功績はみんなの功、失敗したら自分の判断誤りだという話だったかと」


「うん。あれから三か月経った。改めて今それをどう考える?」


 能島はじっと考え込んでいる。

質問が漠然とし過ぎていて、戸川がどのような回答を求めているのかがわからないというのが正直なところである。


「ほな聞き方を変えるわ。僕は、事ある毎に竜の事を最優先にと諭してきたつもりや。この四か月、お前はどれだけ竜の事を最優先に考えた?」


 能島はまた考え込んでいる。

質問の仕方を変えてもらっても、戸川の求めるものがわかりづらいと感じている。


「先日お前は、僕と綱一郎君がおらへんかったから相談せえへんかった言うてたね。その結果があれや。自分の判断、どこまで正しかったって考えてるんや?」


 能島としては、能島なりに竜の事を最優先に考えてきたと思っている。

あの時も、結果的に『ショウリ』は予後不良になってしまったが、それは能島なりに『ショウリ』の事を思っての行動であった。


「あの竜が、『ショウリ』が体質弱いなんて知らなかったんです」


 やっと能島の口からでた言葉ではあったが、その言葉は戸川と岡部をがっかりさせた。

そんな二人を見て、櫛橋も厳しい顔をしている。

戸川は俯いて、細く息を吐いた。


「幾人かを除いて誰もが知ってたよ。その上で、皆お前の指示に従ったんや。知らんかったんやない。お前が耳を傾けへんかっただけの話や」


 知らなかったなら聞けば良い、それができなかったのは、心のどこかに自分は厩務員よりも偉いんだという意識があったからじゃないのか。

戸川の指摘に能島は今にも泣きそうな顔に変わった。


「竜の事を考えたらな、判断する者、指示する者には、知らんかったなんて言い訳は許されへんのやで?」


 だから全てにおいて責任を持たなければならない。

どんな些細な事にも気を配らねばならない。

それが調教師という職なんだと戸川は能島を諭した。


 戸川は、そこまで言うと残った麦酒を呑み干した。


「当然うちらも人間やからな、全知言うわけにはいかへん。それやったらどうしたらええと思う?」


 能島はわからないと俯いている。

その能島の態度に戸川は呆れ果てたという顔をした。


 戸川は岡部に、君ならどうすると尋ねた。

目と耳と頭脳を増やすしかないと岡部は即答だった。

櫛橋と池田はなるほどと頷き合った。


「能島、今の意味がわかるか?」


「団結という事ですか?」


「そうや! お前を中心として、団結して竜を育てる組織をお前が作んねん! どうしたら上手くいくか、それをこれから毎日悩んだら良え。僕も未だに悩んでるんやから」


 戸川は能島の肩に右手を置いた。

じっと能島の瞳を覗き込み、やれるよなと優しい声で尋ねた。


「ありがとうございました!!」


 能島はボロボロと涙を流した。

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