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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第二章 友情 ~調教師候補編~
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第2話 宴会

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の調教助手

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女

・中野みつば…最上牧場(南国)の場長、最上家三女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・能島貞吉…紅花会の見習い調教師

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・本城…皇都競竜場の事務長

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川佐経…尼子会の調教師(呂級)

・南条元春…赤根会の調教師(呂級)

・相良頼清…山桜会の調教師(呂級)

・井戸弘司…双竜会の調教師(呂級)

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・大森…幕府競竜場の事務長

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

「戸川のところは『蹄神賞』に挑戦する仔はいるの?」


 三浦は新聞を見ながら岡部に尋ねた。


「『ゲンジョウ』が出る予定でしたが、『立春賞』で放牧になってしまいまして……」


 岡部は事務書類を記載し終え珈琲を飲んだ。


「そうか。じゃあ次こっちに来るのは秋以降か」


「そうですね。『セキラン』は『瑞穂優駿』で引退の予定ですから、『ホウセイ』の『天狼賞』でしょうかね」


 岡部は『セキランの引退』という重大な事をさらっと口にしたのだが、三浦はさして驚いた様子が無かった。


「『天狼賞』だと調教師試験のある月だから、君は来れないかもしれないねえ」


「先生が皇都に来ていただければ」


 岡部が悪戯っ子のような顔で三浦を煽ると、三浦は新聞をぱたりと綴じて机に置いた。


「言うじゃねえか。そりゃあ俺もそう行きたいところだよ。だけど、その為には春の内に『カンプウ』以外に、もう一頭くらい目星付けたいとこなんだよな」


「能力戦三の竜がまだ三頭もいるんですから、もう一息ですよ」


 そう言って岡部が微笑むと、三浦もそうかなと言って、まんざらでも無いという顔をした。

 

「櫛橋さんのおかげで、だいぶ活が入った者がいるからね。結果も付いてくるかもしれんな」


「じゃあ、皇都でお待ちしていますよ」


「ああ。じゃあ暫くお別れだ。調教師試験頑張ってくれ」



 こうして岡部は幕府競竜場を後にした。


 皇都へ向かう東海道高速鉄道の中で岡部は今朝の事を思い出している。


 今朝、豊川の大宿の大浴場で岡部は久々に戸川と話をした。


「えらい長い事、会うてへん気がしてまうな。まだ一週間も経ってへんのに」


「本当ですね。こっちも色々ありすぎて」


 戸川は『色々ありすぎ』という言い回しが可笑しかったらしく、かっかっと笑い出した。


「また、えらい大変やったんやってね。会長から聞いたよ」


「櫛橋さんから変な妖怪が出たって話は聞きましたよ」


「聞いたよ、聞いた。僕も櫛橋から聞いた。『やっとこ閻魔』やろ?」


 戸川は、子供のようにお湯をばしゃばしゃ手で叩いて大爆笑した。


「皇都の方は順調だったんですか?」


「……君と櫛橋がおらん事で、ちょっとした問題が起きとるよ」



 戸川の話によると、能島が発端で厩務員が少し揉めているらしい。


 能島は研修に入ってからもう三か月が経過しており、残りは一月のみとなっている。

能島は牧場出で、厩舎運営の根本が全く理解できていない。

それは戸川も岡部もすぐに感じており、研修に来て早々に厩務員作業から体験してもらおうという話になった。


 二月末頃から徐々に事務作業や調教計画も学び始めている。

理解でき慣れてくると当然のように疑問や意見が出る。

それ自体は戸川も岡部も良い傾向だと思っていた。


 だが岡部と櫛橋がいなくなると、能島は調教計画の見直しをさせて欲しいと戸川に言ってきた。

戸川は、岡部がやっているし僕も監督しているから、そういう相談は岡部が帰ってからにしろと言った。

その場は渋々でも納得したようで引き下がった。


 ところが能島は、岡部の調教計画には抜けが多いと厩務員に愚痴ったらしい。

そのせいで惜しい結果に終わっているのかもと。

厩務員たちは調教計画については詳しくはわからない。

能島は開業前とはいえ調教師であり、その能島が言うのならと同調する者が出はじめてしまった。


 それを聞いた荒木が、ここまで結果が出てるのは岡部の計画がかなり良いからではないのかと言った。

それが引き金となり厩務員内で意見が割れてしまっている。


「言うたんが荒木やったいうんがまずかった」


 厩務員の中では、『セキラン』と『セキフウ』の勝負を引きずっている者もいる。

荒木が言うなら、能島の方が正しいのかもと考える者が出てしまったらしい。


「池田さんはどう思っているんですか?」


「最初は結果論やって鼻で笑ってたらしいんやけどな。ちょっと雰囲気が拗れてきてな。ほとほと困っとったわ」


 櫛橋がいたら櫛橋がビシっと言ってそんな事にはならなかっただろうに。

二人はそう言い合いため息をついた。


「僕の計画が抜けてるのは自分でもわかってる事で、そこは不確定要素としてるんですけどね」


「僕もそう理解しとる。そう説明もしたんやけどな。能島はまだ自分で計画立ててへんから、そこがわからへんのやろな」


 戸川が厩務員たちに説明してしまっても良いのだが、そうすると能島の立場が極めて悪いものになりかねない。

だからそういうわけにもいかない。


「僕も最初長井さんときっちきちに計画立てて、一瞬でパアになりましたからね」


「なあ、能島に研修として少しやらせてみよう思うんやけど、君どう思う?」


「うまくいけば自信にもなりますし、悪くないと思います」



 そうは言ったものの、『セキラン』の二冠がかかる大事な時期に全てを任せる事に不安を感じ始めている。

そこでふと木村たちと喧嘩になった時の事を思い出した。

なぜあの時、戸川は全く調教計画の経験の無い自分に『セキラン』を任せたのだろう。

たまたま『セキラン』は素質が素晴らしく『上巳賞』を勝つまでになったものの、最悪の場合潰してしまう事もありえたかもしれないのに。

任せてみればそれなりに結果として出る事もあるという事なのかもしれない。

本当は誰がやってもそこまで結果が変わるわけではないのかもと岡部は思い始めた。




 久々に戸川家に帰宅すると客間には宴会の用意ができていた。


「うわ! どうしたんですか、これ!」


 奥さんが岡部の腕を軽く叩いた。


「綱ちゃんが幕府で重賞勝ったから、うちでもお祝いするんよ!」


「わあ、嬉しいです! 大宴会も良いんですけど肩が凝っていけないですよ」


 岡部がそう言うと奥さんはクスクス笑い出した。

 

「洗濯する物、洗濯機置いて、荷物、部屋置いて、はよ呑もうよ」


 奥さんから戸川に目を移すと、戸川はすでに座席に座り、満面の笑みで麦酒を抱えている。


「ほら。はよ始めようや!」


 戸川に急かされ、岡部は急いで荷物を置いて客間に戻ってきた。


 戸川は麦酒の蓋を開けると岡部に注いだ。

戸川には梨奈が注ぎ、岡部は奥さんに注いだ。

戸川が乾杯と言うと、戸川、奥さん、岡部は一気に飲みほした。

戸川と岡部は最高だと吠えた。


 梨奈がいつになく明るい顔で戸川を見ている。


「父さん、重賞勝ったんて、いつぶり?」


「いつぶりやろうね。六年ぶりくらいちゃうか?」


「だよね。私、小学生やったと思うもん」


 他の三人は、何かをツッコミたくて、うずうずしている。


「なんやの? みんな何か言いたそうやね? 何? 我慢は体に毒やで?」


「いや、梨奈ちゃんは変わらず可愛いなあって思うてるだけや」


「どこが変わってへんのよ? 私、めっちゃ成長したやないの?」


 戸川が無難な言葉を選んだのに、梨奈が再度ツッコミ待ちのような事を言い、空気がおかしくなった。


「梨奈ちゃんたら。そない自分を責めたらあかんよ?」


「誰も、何も責めてへんわ!」


 奥さんの言葉に、梨奈は露骨に拗ねた顔をした。



 戸川は、話題を変えようと、焦った顔で岡部を見た。


「会長から聞いたよ。試験受ける気になったんやってね」


「勢いでそういう事になってしまって。櫛橋さんにまで煽られちゃって」


 岡部は少し困り顔をしたのだが、戸川は賛成だと言い出した。


「会長に言われたよ。お前だけが独占して良えもんやないって」


「僕に何か変な力でもあるって思ってるんですかねえ?」


 岡部は箸を一本だけ持ち、振り回して魔法を打つような仕草をしてみた。

それを見て、奥さんと梨奈がケラケラと笑い出した。


「この間、豊川で会長の奥さんから何も聞かへんかったん? 駿府の宿、今大人気で予約取られへんらしいで?」


「え? 何かありましたっけ?」


「ほら、うちら泊まった時、刺身で好き放題言うたやん。それ参考に変えたら大当たりしたんやって」


 そもそも岡部たちが駿府の大宿を選んだ理由は、空いていて予約が取りやすかったからであった。

日程だけが決まっており、場所をどこにしようか悩んでいた。

小田原、甲府、駿府で探していて、小田原は一杯、甲府も混んでいたのだ。

 

「たったそれだけの事で宿が一杯になるんですね」


「旅番組で紹介されて火が付いたらしいな。客商売なん案外そんなもんやで」


 生卵をかけて食べる漬け丼が紹介されたのだそうで、四国まで行かなくても食べられると大評判なのだそうだ。

しかも四国とは醤油の種類が違うそうで、似てるけど別物という仕上がりになっているらしい。


「この間も僕、会長の奥さんに怒られましたよ。挨拶来るのが遅いって」


「そらそうやろ。あの一族で君の事一番買うてるの、あの婆さんやもん」


「僕じゃなく僕からするお金の臭いでしょ?」


 二人がゲラゲラ笑うと、梨奈が岡部の臭いを嗅いだ。


「汗臭いだけやん」


「若いオスの匂いがする言うてた娘もおるで」


「どんなあばずれやの、その人」


 岡部と戸川は、梨奈の指摘が絶妙に可笑しかったらしく、暫く笑いが止まらなかった。



 戸川は麦酒を飲み干し、静かに器を置いて話し始めた。


「真面目な話な。騎手無しで試験受けるのなん狭き門やで?」


「騎手無しだとそんなに厳しいんですか?」


「そらそうや。空いた騎手の分しか募集枠無いんやから。最悪の場合、募集無しやぞ」


 騎手が決まっていれば難しいながらも試験に合格するだけで良い。

騎手が決まっていないと、個別入学の騎手を試験の成績順で取り合う事になってしまう。


「今年ダメなら大人しく騎手見つかるまで待ちます。勉強しておいて無駄になる事は無いでしょうし」


 勉強して知識付けるだけでも、調教助手として一つ上の仕事ができると思うと岡部は笑った。

戸川は嬉しいやら困ったやら何とも複雑な表情をした。


「ほんまやったら、会長かて騎手見つかるまで待って欲しかった思うで?」

 

「決めちゃったの義悦さんですからね」


 そう言って笑いながら麦酒を呑む岡部を見て、だと思ったと言って戸川も麦酒を呑んだ。

もし煽ったとしても、会長じゃあないだろうと思っていたらしい。


「君から言うたわけやないと思うたわ。でも、よう決心したな」


「三浦先生が、望まれてなる人は限られてるんだって。それに心動かされました」


 なるほどと言って戸川は頷いた。

確かにそれは良い殺し文句かもしれないと笑い出した。


「あのおっちゃんも、たまには良え事言うやないか」


「相手を持ち上げてやる気にさせるのが俺の特技だって言ってましたよ」


 戸川は爆笑だった。

実は戸川も、筆頭調教師を押し付けられた時、若者を発奮させる為に才能のある調教師に筆頭をやってもらいたいんだと言われたらしい。

何となくおだてられて筆頭を引き受けたのだが、後から体よく押し付けられた事に気付いたのだそうだ。


「えらい人に目付けられたもんやな」


 戸川と岡部は笑い合った。



「この煮卵、美味しいですね」


 岡部かなり煮卵が気に入ったようで、三つ目を食べている。

梨奈ちゃんが作ったんだよと、奥さんが教えてくれた。


「最近、煮豚とか、同じようなタレ使うんを覚えたんよ」


 奥さんが嬉しそうに裏をバラしてしまった。


「余計な事を言わんといて。ありがたみが失せるやないの」


 戸川も一口食べると、確かにこの煮卵旨いなと言って麦酒をぐいっと呑んだ。


「生姜の輪切りと葱の捨てるとこ使うて、匂いの角取るんがコツなんよ。こっちの煮豚作ったタレで漬けるんが旨いんよ」


 梨奈に言われ煮豚を食べてみると、なるほど同じような味付けを感じる。


「何だかいつもの梨奈ちゃんのとちょっと趣が違うんだね」


「だって、私の料理みんなで馬鹿にするんやもん。貧乏臭い言うて」


 戸川にも岡部にも褒められ照れている梨奈を見て、美味しいって食べてもらう嬉しさを知ったんだもんねと、奥さんがからかった。


「私、気づいたんよ! おっきいお肉入れたら貧乏臭いって言われへんって」


 そう言って梨奈は無い胸を張った。


「茶色い料理ばっかやと、それはそれで貧乏臭いよ?」


 奥さんに指摘され、梨奈は自分の作った物と奥さんの作った物を見比べた。


「意外と奥が深いんやね……」

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