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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第一章 師弟 ~厩務員編~
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第60話 前夜

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の調教助手

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場の場長

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・木村、大野…戸川厩舎の厩務員、解雇

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・能島貞吉…紅花会の見習い調教師

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・本城…皇都競竜場の事務長

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川…尼子会の調教師(呂級)

・南条…赤根会の調教師(呂級)

・相良…山桜会の調教師(呂級)

・津野…相良厩舎の調教助手

・井戸…双竜会の調教師(呂級)

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・高城胤弘…三浦厩舎の調教助手

・清水…三浦厩舎の主任厩務員

・大森…幕府競竜場の事務長

・吉田…日競新聞の記者、通称「髭もぐら」

 翌朝、風呂に入っていると最上が入って来た。


「岡部君、昨晩はその……義悦がすまなかったなあ」


 岡部はあははと笑い出し、気にしてませんと最上に笑みを返した。


「僕、戸川さんに拾われて、ずっとそれを恩義に感じていて。どう恩返しをして良いかわからなくて」


 岡部はそこまで言って顔を濡らした。


「ずっとここまで戸川さんの手助けをしてきたんですけど、最近、そうじゃないのかもと思い始めてたんです」


 最上は静かに岡部の話を聞いている。


「僕は戸川さんの岡部君じゃなく、戸川家の自慢の息子にならなきゃって。だったら戸川さんを助けるんじゃなく……」


 そこまで言って岡部は言葉を少し詰まらせた。


養父(ちち)が誇りに思えるような人にならなきゃって」


 最上の目から雫が垂れた。


「『ちち』か……。君も知っている通り私には息子がいてね。四子で唯一の男児だったんだ」


「義悦さんのお父さんですね」


「うむ。二三歳で結婚し義悦を設け、わずか二六歳で他界した。死因は心不全だった。仕事の疲労が重なったんだろうな」


 岡部は神妙な顔で最上を見た。


「結局、息子と一緒に盃を交わす夢は果たせなかった。だがね、竜主をやりたいと言ってくれた日の事は今でも鮮明に覚えているよ」


 最上は顔を湯で洗うと、朝からしんみりさせてしまってすまないと微笑んだ。




 食堂に向かうと、まだ寝ぼけ眼の義悦と、薄化粧の決まった櫛橋が来ていた。

朝食をとっていると戸川から連絡が入った。

『セキラン』は非常に好調で竜運車に乗って幕府に向かったという事だった。

『ゲンキ』も引き続き好調で明後日の夜が楽しみだと笑っていた。


「そうか『ゲンキ』も好調か。今年二度目の決勝だ。いろはもさぞ喜んでいる事だろうな」


「いろは叔母さんは竜より会員が好きな人だからなあ。会員が増えたって喜んでそう」


 義悦が笑うと、最上は、そう言ってやるなと窘めた。

仕事上そういう立場になっているだけで、あれもちゃんと竜が大好きなんだと。


「競竜会は、姉弟どっちが継ぐんでしょうね?」


 義悦は朝食の肉饅頭を片手に最上に尋ねた。


「恐らく姉の方だろうな。よく競竜場に来てるからな。だが、その話をすると毎回いろはが怒るんだ。私はまだそんな歳じゃないって」


「誰に似たんでしょうねえ」


 義悦はそう言って最上をからかった。




 朝食を取り終えると、最上と義悦は、仕事があるから次は金曜に会おうと言って宿を後にした。

岡部と櫛橋は三浦厩舎へ向かうと、『セキラン』到着までの時間を三浦厩舎の面々と過ごした。


 昨日の櫛橋教授の講習は大人気で、到着早々、竜についての講習をせがまれた。

気が付くと隣の厩舎の厩務員まで聞きに来ている有様だった。


「いやはや、凄い知見だね。俺も少し話を聞かせてもらったが、まるで竜博士だ」


 三浦も舌を巻いている。


「あれが独学だって言うんですからね。それは俺たちの研究心も、まだまだだって言われますよ」


 高城も非常に驚いて、岡部たちの手土産の八つ橋を齧った。


「うちに来た時も、あんな感じでしたよ。みんな聞き入ってしまって」


 そう言って岡部は微笑んで珈琲を啜った。


「誰か戸川のところに、一月くらい研修に出そうかな?」


 三浦がそう言うと、行きたがる人はかなりいるでしょうねと高城が笑った。

正木が一番行きたがるだろうけど若いの優先だなと三浦が笑った。




 『セキラン』が幕府競竜場に到着すると、輪乗りだけ行い竜房に繋がれた。



 午後になると竜柱が発表になった。

厩舎棟各所で歓声が上がるのは、東西を問わず同じ光景らしい。


 皇都の『内大臣賞』、『サケゲンキ』は六枠十一番、予想人気は五番人気。

幕府の『上巳賞』、『サケセキラン』は七枠十三番、予想人気は二番人気。

予想一番人気は三枠五番、新竜賞竜の『ジョウイッセン』。

三番人気は一枠一番、快速の逃げ竜『クレナイスイロ』。

四番人気は七枠十四番、新竜賞二着の『ニヒキドウロウ』。

五番人気が六枠十一番『ロクモンアシュラ』。

六番人気の新月賞竜『ハナビシカザン』が五枠九番。

七番人気『マンジュシャゲ』が二枠三番といった感じになっている。


 松下騎手は『ゲンキ』ではなく『セキラン』に騎乗予定となっていて、『ゲンキ』には三浦厩舎の喜入(きいれ)孝久(たかひさ)騎手が騎乗予定となっている。

その為喜入騎手は岡部と入れ違いで皇都に向かっている。



「想定二番人気か。まあ、成績見たら仕方ないか。向こうは言っても無敗だからな」


 竜柱を見て高城がため息をついた。


「『クレナイスイロ』も無敗だからね。そう考えれば、よく二番人気にしてもらったという所かもな」


 清水も渋い顔をした。

岡部と櫛橋は三浦厩舎の緊急会議に出席させてもらっている。

そんな二人を前に清水と高城は感想を言い合っている。


「実際に実物を目にしてみると、何も無ければ『セキラン』が勝てるとは思うんだけどね。それくらいあの竜の完成度は高いよ」


「だよな。全体的には『セキラン』が全てにおいて勝ってる気はするよな」


「よほど松下君が下手こかない限り、『スイロ』に逃げ切られる姿も想像できんしな」


「だけど『スイロ』最内枠だからねえ。発走で相当押してくるだろうから、時計は相当早くなるだろうからね。先行の『セキラン』としては、そこがちょっとね」


 高城と清水は、他人事だけあって好き勝手に言い合っている。


 何も無ければか……

岡部はボソッと呟いた。

三浦はそれを聞きのがさなった。


「岡部君はどう思ってるんだ? また『新月賞』みたいな事が起ると思ってるのか?」


「普通ならやってこないと思いますけどね。それでも手を出してくるのがあいつらだと馴染みの記者が言ってましたね」


「じゃあ手を出せないように、ちゃんと見張っておかないといけないね」


「いえ、むしろ……」


 岡部はそこまで言って、流し目で外の景色を見た。




 日付が変わって金曜の深夜一時。


 一人の人物が幕府競竜場に忍び込んだ。

帽子を目深にかぶり、上は防寒着、下はジーンズ、靴は長靴を履いている。

首には厩務員の入管証を下げている。

ジーンズの後ろポケットにはレンチが差さっており、工事の業者にも見える。


 男は真っ直ぐ遠征竜房に向かうと、誰もいないのを確認し真っ直ぐ『セキラン』の竜房に向かった。

男は静かに寝ている『セキラン』を見ると、後ろのレンチに手を回した。


「夜間、見回りご苦労様です」


 後ろからそう声をかけられた。


「ご、ご苦労様です」


 口から心臓が飛び出さんばかりに驚いた男は、その言葉に思わず返答した。


「どうされたんです? 今はまだ休憩時間ですよ?」


 後ろ手にレンチを摘み、殴りかかろうとする仕草を見せると、横腹を下から蹴り上げられた。

呼吸を詰まらせ、男はよろけて竜房の柱に持たれ、持っていたレンチを落した。

何度か咳込み、くそっと吐き捨てると逃げ出そうとした。

だがその進路は別の男に遮られた。


「おや? どちらに行かれるんです?」


 男は横に置かれた棒状の物を取り、大声でそこをどけと叫ぶと、前の男に殴りかかろうとした。

だがその前に後ろから棒状のもので背中を殴られ、再度呼吸を詰まらせた。

悶絶している所を目の前の男に取り押さえられた。

更に、後ろから引き綱で両手を縛りあげられ竜房から引き離された。



 男の怒鳴り声で何かがあったと察した夜勤の厩務員が、一人また一人と集まってきた。

不法侵入した男は岡部によって引き綱用のロープで後ろ手に縛られ、清水と正木が厩舎棟中央通路の電灯に縛りつけている。


「本当に来るんだもんな。そこまで上の命令が怖いのかねえ」


 退路に立ちふさがった高城が男を見て呆れた顔をする。

大森さんへの連絡終りましたと、厩務員の中里が岡部に報告した。

正木がご苦労さんと中里を労った。



 すでに多くの厩務員が現場に駆け付け、高城たちを遠巻きに取り囲んでいる。


「どういうつもりで『セキラン』に近づいたのか、じっくりと理由が聞きたいんですけど」


 岡部は目が笑っていない笑顔で侵入者に静かに問いかけた。


「お前たちが竜を虐待しているからそれを正しに来たのだ! お前らに動物愛護の気持ちは無いのか!」


 男は岡部に向かって叫んだ。

岡部は静かに笑う。

侵入者の背中を殴ったやっとこを開いては閉じてを繰り返している。


 岡部は男に少し近づき、静かに口を開いた。


「動物愛護の精神があるのに、どうして竜に危害を加えるんです? おかしいじゃないですか?」


「お前たちが動物をこれ以上虐待できないように、抗議活動の一環なのだ!」


 岡部はまた一歩近づいた。


 岡部がやっとこを開閉すると、厩務員の中から岡部を制止する声が聞こえて来た。


「それ以上はやめろよ。西国の小僧がいきりやがって!」


 岡部は自分を制止しようとした男の方に振り向くと、静かににじり寄り、やっとこを顎に押し当てた。


「あなたがこの男の仲間ですね? 内部で手招きをしなければ、そう簡単には潜入なんてできませんからねえ」


 そう言うと胸倉をつかんで放り、こいつも縛りつけろと指示した。

集まった厩務員がその厩務員を縛りつけた。


「あなたはこの人の後にじっくり相手しますから、大人しく待っていてください」


 目の笑っていない笑顔で抑揚なくそう言うと、厩務員の顔から血の気が引いた。


「警察が来るまでは、かなり時間がかかると思います。ですのでその間にその体に聞かせていただこうと思います」


 そう言うと岡部はやっとこを侵入者の顔に向けた。


「おい、ちょっと岡部君、何する気なんだよ」


 岡部の気迫に押され清水が恐る恐る尋ねた。

岡部は清水を見ると、目の笑っていない笑顔のまま静かに言った。


「歯を抜きます。その後で爪を剥ぎます。大声が出るといけないので、猿轡(さるぐつわ)をしてください」


「お、おい……さすがにそれはまずくないか?」


「ご安心ください。その程度では人は死にはしませんよ。警察だって生きてさえいれば四肢が無くても文句は言わないでしょ」


 清水は恐怖でその場にへたりこんだ。


 それまでざわついていた周囲の厩務員が一瞬で静まり返った。


「おい、あの人本気だぞ! 喋ったほうが良くないか?」


 高城は清水を見ると侵入者に鬼気迫る顔で迫った。

異様な雰囲気に縛られた厩務員の方が先に口を開いた。


「り、竜十字だ! 日進新聞の指示で危害を加えていたんだ! 喋ったんだから良いだろう?」


 岡部は縛られた厩務員を見ると、笑顔で周囲の厩務員を見た。


「さっさと猿轡をしてくれませんかね? うるさくて竜が目を覚ましてしまいますよ」


 厩務員は顔から血の気を引かせ、青白い顔で歯をカチカチ鳴らせ震えている。

岡部は縛られた二人を見る事無く、やっとこの開閉具合を気にしている。


 かち、かち、かち、かち。


 やっとこの音が夜の幕府競竜場に不気味に響き渡る。

周囲の厩務員は完全に岡部に脅えきり、口々に本当の事を喋った方が良い、ちゃんと謝れと叫んでいる。


 侵入者は完全に震え上がって歯が噛みあっていない。


「り、竜十字です。ほ、本当です。う、う、上着を調べてくれれば、き、徽章と、し、指示書があります。し、し、信じてください」


 厩務員が急いで上着を調べると、ポケットから指示書的なメモと小さな徽章が出てきた。

徽章は十字に蛇のような竜が巻き付いたものだった。

ありました間違いありませんと岡部に見せた。


 岡部は顎を指で掻くと、笑顔で静かに侵入者ににじり寄った。


「口を震わせたら歯が抜き難いじゃないですか。猿轡はまだですかね?」


 やっとこを侵入者の口に当て、上の前歯を下から突くと侵入者は大きく体を震わせる。

やっとこをパチリと鳴らすと、気を失い失禁し口から泡を吹いた。


 周囲の厩務員は完全に怯えきって、もはや声を発する者もいない。


「困ったな。まだ警察来てないのに。じゃあ、もう一人の人にしましょうかね」


 縛られた厩務員の方へゆっくり歩みよると、厩務員はボロボロと涙を流し、何度も首を横に振り失禁した。



「もう、気は済んだかな?」


 後ろから聞き覚えのある声がする。


「三浦から君が何かを危惧していると報告を受けてね。急いで駆け付けてきたんだ」


「どこから見てらしたんですか?」


 岡部は振り返り、いつもの優しい笑顔で最上を見た。


「『うるさくすると竜が目を覚ます』くらいからかな?」


「人が悪いなあ。もう少し前で止めてくれれば良かったのに」


「……あの雰囲気で君を止められるのは、戸川くらいなもんだ」

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