第55話 新聞
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の調教助手
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…専業主婦
・戸川梨奈…戸川家長女
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・氏家直之…最上牧場の場長
・長井光利…戸川厩舎の調教助手
・池田…戸川厩舎の主任厩務員
・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員
・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員
・木村、大野…戸川厩舎の厩務員、解雇
・荒木…戸川厩舎の厩務員
・能島貞吉…紅花会の見習い調教師
・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手
・本城…皇都競竜場の事務長
・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員
・吉川…尼子会の調教師(呂級)
・南条…赤根会の調教師(呂級)
・相良…山桜会の調教師(呂級)
・津野…相良厩舎の調教助手
・井戸…双竜会の調教師(呂級)
・日野…研修担当
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・高城胤弘…三浦厩舎の調教助手
・清水…三浦厩舎の主任厩務員
・大森…幕府競竜場の事務長
『セキラン』が帰厩して数日後のある日の事、朝飼を行っていると厩舎に本城事務長が現れた。
本城と共に事務棟に向かうと、連合警察が待機していた。
捜査にご協力くださいと警察手帳を見せながら言う警察の顔にはおよそ笑顔というものが無く、それを見ていたすみれが非常に不安がった。
普通の自動車の後部座席に乗り込んだ岡部は、緊急車両じゃないんですねと変な事を尋ねた。
警察はやっと顔をほころばせ、そっちの方が好みでしたかと聞いて笑い出した。
「一生乗る機会は無いと思うので、乗り心地が気になりますね」
それを聞いて運転している警察が噴き出し、存外悪趣味な方だと笑った。
警察署に着くと、警察官二人に挟まれて薄暗い狭い部屋に通された。
部屋には特徴的な窓があり、その窓から隣の部屋を見ると机が一台あり椅子に一人の男が座っている。
「あの人物に見覚えはありますか?」
一人の警官が岡部に尋ねた。
「幕府で僕を殴った人物に似ている気がします」
警官は、この人物かと幕府の乱闘事件の時の写真を取りだした。
「もうかなり前の話なので記憶は薄れていますが、その時の人物だと思います」
警官は別室に岡部を通すと、いくつか伺いたい事があると切り出した。
「岡部さんは『赤い翼』いう組織を知ってはりますか?」
岡部は首を横に振った。
「そしたら『共産連合』いう組織は?」
岡部はまた首を横に振った。
「ほな『竜十字』いう組織についてはどうですか?」
「すみません。不勉強なもので」
「いえいえ。私たちが知りすぎてるだけの話ですのでお気になさらず」
警官は岡部の顔を見て微笑んだ。
「その『赤い羽』でしたっけ? それが何か関係があるんですか?」
「捜査の内容については、あまり口外はできへんのですが、奴はその組織の者です」
「犯罪組織なんですか?」
警察は不思議そうな顔で岡部を見た。
「組織だって競竜場に潜入して竜に危害を加えたんやから、それが犯罪組織やなかったら何なんです?」
ああそうかと岡部は笑い出し、馬鹿な事を聞いたと頭を掻いた。
「彼らは何の為にそんな事を?」
「申し訳ないんやけども、それ以上はまだ捜査途中でして。ただ、数日の間に何かしら発表できる事と思います」
警察官は、外でお待ちになっている方がいると言って入口の待合を案内した。
お待ちしてましたと岡部に近づいて来たのは、よく戸川厩舎に出入りしている記者だった。
「誰かと思ったら、日競さんじゃないですか」
「吉田です。追い切り見に行ったら、岡部さんが事務棟に連れて行かれるの見てもうて」
「何も話せる事なんて無いですよ? しかもこんな場所で」
岡部は吉田を突き放すように言った。
吉田はそんな岡部を見てニヤリとした。
「『赤い翼』が何か、知りたくはないんですか?」
吉田はそう言うと、場所を変えましょうと言って、少し離れた場所にある喫茶店に案内した。
奢りますと言う吉田に、岡部は、自分の分は自分で払うと言って二三十円の珈琲を注文した。
「岡部さんは、かつてこの国で起きた『七・一三事件』の内容は覚えてますか?」
「すみませんが勉強は苦手でして」
吉田は正直で良いと笑った。
――今から百三十年ほど前、この国では、社会主義国の隣国の工作員によって革命騒動が起きている。
当時、瑞穂皇国は対外戦争によって物資不足になっていて、食料供給が非常に悪化していた。
それを察した先物取引の投資家が片っ端から穀物を買占め、主食である米が一般人には手が出せない値段になり始めていた。
最初は、幕府と西府での食糧要求の行進だけだった。
それを子日新聞が、今の社会に不満を持つ者の意思表示だから賛同者は集うべきだと煽った。
記事になった翌日から幕府と西府では暴徒が放火や破壊を行うようになった。
暴徒を調査した連合警察は、その捜査の中で活動組織と子日新聞との関係を掴んだ。
さらには隣国からの工作資金提供の実態も掴んでしまう。
政府は隣国との関係を停止し、国内の大規模な赤狩りを行うよう連合警察に指示を行った。
捜査が子日新聞内部に及ぶと、子日新聞は連日、警察の不当捜査について騒ぎ立てた。
日進新聞が便乗し、報道の自由が犯されていると紙面で騒ぐと、当時新聞協会の会長をしていたかわら新聞までも追随した。
子日新聞が政府批判を書くと、多くの新聞社が同じ論調で記事を書くという事が続いた。
全国の新聞が一斉に政府批判を行うようになった七月十三日の事であった。
時の首相が皇都駅で暴漢に殺害される事件が発生。
その後、外務大臣、大蔵大臣、刑部大臣と立て続けに現職の要人が凶刃の露と消えた。
暴漢は御所にも入り込み、王弟が天皇を守り凶刃に倒れた。
暴漢が行動を起こす時には必ず記者が随行しており、彼らの行動は『正義の鉄槌』だと記事にされた。
各地で暴漢が暴れる中、『瑞穂共産党』を名乗る組織が幕府で独立を宣言。
連合政府は主要大臣が倒れ、多くの議員が逃げ出し、対処が後手後手に回っていた。
残った総務大臣と兵部大臣が西府で臨時政府を組織し、鎮台軍をまとめ連合陸軍を組織し鎮圧を指示。
幕府に攻め込むと、徹底的に暴漢を殺戮し瑞穂共産党関係者を拘禁した。
総務大臣はかわら新聞会長と会談し、国家転覆報道は報道の自由には含まれないと一喝。
さらに今の新聞協会は市民の平和の敵であると糾弾。
かわら新聞が子日新聞と日進新聞を協会から追放した事で事態は完全に収束した――
「今も子日新聞と日進新聞ってありますよね?」
「隣国の社会主義国が分裂崩壊したことで降参したんですわ」
当時、世界的に共産主義者による破壊工作が頻発していたのだが、隣国が分裂崩壊するとピタリと工作は静まった。
「じゃあ中身はその頃のままって事ですか?」
「そういう事になりますね。もちろん実行組織もそのまま。表向きは新聞社、裏の顔は……」
まさかそんな事がと岡部は驚いた顔をした。
「今の話だと、まるでその事件を起こした真犯人が新聞かのようじゃないですか」
「この業界では有名な話なんですわ。教育委員会は共産主義者が多いですから、教科書には『失政により一般市民が暴徒化』と書かれとるんですけどね」
新聞に都合の悪い事は教科書に載せない。
もし教科書に載せてしまうと、この事を知った子供たちが大人になった時に新聞を読んで貰えなくなる。
だから新聞と教育は持ちつ持たれつでやっている。
二人は珈琲を啜った。
「そろそろ『赤い翼』が何かわかってきたんと違いますか?」
「『共産連合』というのも同じ組織ですか?」
「『赤い翼』みたいなんをまとめとる組織ですね」
つまり共産主義者の集まりで破壊工作を行う実行組織。
「『竜十字』というのも?」
「それは似てるけど別の組織ですね。表向きは動物愛護、人権擁護、環境保全なんかをうたった過激組織ですわ」
吉田は珈琲を啜ると考え込んだ岡部の顔をじっと見た。
「あの日の翌日に捕まったやつがおったでしょう。あれが竜十字ですわ」
「という事は、あの時の襲撃者はそれぞれ別の新聞が放った暴漢と」
「勉強できひん言う割に回転良えですね。『共産連合』が『子日』、『竜十字』が『日進』ですわ」
つまりあの時の襲撃は『子日新聞』と『日進新聞』が指示してやらせた事という事になるだろう。
「吉田さんも新聞の人ですよね?」
「まあ、そういう目で見られてもしゃあないですけどね。西国はもう『子日』と『日進』は追放されとるんですわ。そやから基本は東国の話です」
岡部は珈琲を飲んで、じっくり整理するように考え込んだ。
「何でそれが竜を襲う事になったんだろう?」
「これはまだ推測なんやけども、活動費を回してもらう為なんやないでしょうか。あいつらも食べてかないかんですから」
新聞も工作部隊をただ飼ってるだけではごく潰しになってしまう。
抗議活動に人を借りる事もあるだろうが、荒事を行う部隊は面が割れてしまう為そういう事には使えない。
だから定期的に荒事を依頼する必要があるんじゃないかというのが吉田の推測だった。
「だからって、何でわざわざ『セキラン』を……」
「西国の英雄みたいに書かれたからやないですか? あいつらは西国を目の敵にしてますからね」
『七・一三事件』を鎮圧された事を未だに根に持っている愚かな連中だと吉田は罵った。
「知らずに記事を読んだ読者が払った金が自分達の生活を脅かす破壊活動に使われるとか、笑えない冗談ですよね」
「『危惧される』いうて書かれた記事が現実に起るわけですから、読者からしたら、取材力と見識の高い信頼できる新聞と勘違いするんでしょうね」
「それじゃあ詐欺商法じゃないですか」
同感ですと吉田は真顔で頷いた。
「せやからうちら西国の新聞はそう思われへんように、こうして身銭切って、顔見せて、ちゃんと足で情報稼いどるんですよ」
吉田はどうだと言わんばかりに胸を張って岡部の顔を見た。
「自分の分はちゃんと払いますよ」
「いやいや、そうやのうて。信頼してもろて、普段からもうちょっと情報くださいいう事ですやん」
「日競さんだけに?」
「戸川厩舎では他の厩舎に遠慮して運営してるんですか?」
岡部はなるほどと笑った。
「岡部さんも正面から全力でぶつかるだけやのうて、うちらを利用する事を覚えると、もっと仕事がしやすくなる事もあるんやないかと思いますけどね」
岡部はふと武田会長が記者を使って証拠写真を撮らせた事を思い出した。
「その時は吉田さんを捕まえれば良いんですか?」
吉田は自分の名刺を渡すと伝票を見て、珈琲代百三十円を請求した。
「うちの明日の記事期待しとってください。もしなんも無かったら、圧がかかってぽしゃったと思うてください」
翌日、日競新聞に『幕府競竜場、サケセキラン暴行事件に新展開』という見出しで記事が掲載された。
その記事の中にははっきりと『赤い翼』の名が書かれていた。
日競以外の新聞は『赤い翼事務所に警察が強制執行』という記事を小さく載せただけだったので、日競新聞の完全な特報となった。
他の新聞が『赤い翼』と『幕府競竜場暴行事件』を結びつけたのは、それから数日後の事だった。
連合警察からの、まだ全貌の一部でしかないという公表を受けて後の事だった。
その翌日竜主会から一部報道機関の入管証を停止すると発表があった。
その多くは子日新聞と日進新聞で、両社が営業している放送局や競技新聞、週刊誌、写真社なども含まれていた。
朝食を取りながら記事を読んだ岡部が戸川に真面目な顔を向けた。
「これで『上巳賞』への一番大きい障害が一つ取り除かれた事になるんでしょうね」
「みんなの思惑通りになった言うわけやね」
隣で奥さんがニコニコしながら二人の会話を聞いている。
「犯人は左翼活動家ってあの時言ってましたけど、口では動物愛護だって言いながら裏ではこれだったんですね」
「この界隈では古くから言われてる事や。森に木を隠す奴らやってな。僕も最初は意味わからへんかったけどな」
奥さんは二人の会話を聞きふうんと言いながらあさげを食べている。
ふと岡部と目が合ってニコリと微笑んだ。
「そうそう。日競の吉田さんが警察に面会に来ましたよ」
「『髭もぐら』なんか言うてたん?」
岡部は戸川のあまりに的確な渾名に思わず吹き出した。
「うちらを使って搦め手から攻める方法も学ぶと良いって言われました」
「なかなか商売が上手やないか」
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