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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第一章 師弟 ~厩務員編~
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第52話 駿府

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の厩務員

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・最上義悦…紅花会の竜主、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場の場長

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・木村、大野…戸川厩舎の厩務員、解雇

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・本城…皇都競竜場の事務長

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川…尼子会の調教師(呂級)

・南条…赤根会の調教師(呂級)

・相良…山桜会の調教師(呂級)

・津野…相良厩舎の調教助手

・井戸…双竜会の調教師(呂級)

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・高城胤弘…三浦厩舎の調教助手

・清水…三浦厩舎の主任厩務員

・大森…幕府競竜場の事務長

 翌朝、岡部と戸川は、駿府に家族旅行に行くからと最上一家に別れを告げて豊川を後にした。


 岡部たちは少し早めの時間の特急で東海道線の在来特急に乗り駿府駅を目指した。


 途中浜名湖が見えると、戸川が、ここが東国の止級の競竜場だと指差した。

広大な浜名湖の中州を利用して、大きな競竜場と観覧場、厩舎が作られているのが見える。

夏場は大人気で週末は全く宿が取れないと戸川は笑った。




 駿府駅に着くと、すぐ後の高速鉄道で奥さんと梨奈が降りてきた。

梨奈の髪は既に背中まで伸び、岡部が新たに買った深緑の髪輪で高い位置で束ねている。


 着いて早々奥さんが、駿府って何が有名なのと梨奈に尋ねた。

梨奈が、苺、赤海老、お茶、蜜柑と言いだすと、奥さんは、食べ物以外は無いのかと笑い出した。


 駿府は太古の昔、浜名湖を中心とした巨大な文化圏に入っていて、巨大な遺跡群が随所で見つかっているのだとか。

ずっと武家政権の隠居地だったからその遺構がある。

焼津、清水、興津、由井、沼津と大きな港が連なっているのは、駿河湾が瑞穂の近海では最も水深の深い海だからだそうな。

急に難しい話になり奥さんは大欠伸をした。


 一番はどう見てもあれだろうと戸川は富士山を指さした。

奥さんは改めて富士山を見たようで、でっつい威圧感があると。


「あそこから清流が流れとってな。それで作る麦酒が旨いねん」


 奥さんは戸川を見た後、梨奈を見てため息をついた。




 岡部がまずどこに行きましょうと尋ねると、梨奈は富士山にご挨拶するとはしゃいだ。

岡部は取立ての免許証で車を借りると、戸川一家を乗せ、東の富士宮市へ向かった。


 駿府は山がちな地形で、川の扇状地となる少ない平地に都市が作られており、近隣の都市とは山で隔てられている。

そこで駿豆鉄道は無理に都市間を接続するようなことはせず、そちらは東海道線に任せ、市内に環状線を敷設して運営している。

地元市民にとってはそれでいいのだが、観光客にとっては、こうして車を借りた方が観光がしやすくなっている。



 浅間神社で一通り参拝を終え、境内を歩くと湧玉池に着いた。

恐ろしく透明度の高い湧き水を見て、戸川が場違いな事を言いだした。


「この水で麦酒作るんやで。不味いわけがないわな」


 奥さんは戸川の顔を見て特大のため息をついた。


「どうにも煩悩が落ちてへんようやから、もう一回お参りした方が良えん違う?」


 戸川もいつもやられっぱなしなわけでは無い。

奥さんの言葉にニヤリと笑った。


「綱一郎君。母さんは麦酒呑まへんそうやから、運転代わって貰たら良えよ」


「煩悩が多い人が、まずお預けになるべきやと思うけどね」


「それやったら、どっこいやないかい!」


 梨奈は恥ずかしいなあもうと呟いて、岡部を見て苦笑いした。



 門前通りを歩き、焼きそばが有名だという事で焼きそばを食べる事になった。


「この削り粉と青のりが無かったら、ごく普通の美味しい焼きそばやね」


 奥さんが率直な感想を漏らした。


「もうちょい赤海老入れて欲しいとこやな。紅生姜やのうて赤海老に変えて欲しいくらいやわ」


 戸川もそう感想を漏らした。


「僕は夜に宿でがっつり呑もうと思うので、お二人は遠慮せずどうぞ」


 岡部がそう言うと戸川と奥さんは顔を見合わせた。


「そうは言うてもやねえ……」


 梨奈が富士の高原麦酒だってと指摘すると、戸川と奥さんはピタリと食べる手を止め、じゃあ一本だけと麦酒を二本頼んだ。

それを呑み終えると、もう一本だけと麦酒を追加注文した。


「綱ちゃん、後で缶のやつ買うからね」



 富士宮から駿府に戻り、清水で鮮魚を見ることにした。

行きは戸川が助手席に座ったのだが、少し眠くなったと梨奈と代わった。

結局、車を走らせてすぐに後部座席の二人は爆睡。


「ねえ綱一郎さん。お酒ってそんなに美味しいん?」


「そうだねえ。ちゃんと作ってる酒はどれも美味しいよ。もちろん人それぞれ好みはあるだろうけどね」


 梨奈は運転をしている岡部の横顔をじっと見つめている。


「綱一郎さんは、どんなお酒が好きなん?」


「どれも好きだけど、北国の生麦酒は絶品だったね」


 岡部が運転しながら嬉しそうに喉を鳴らすので、梨奈は少し冷たい目で岡部を見ている。


「あの時って葡萄酒も呑んだんでしょ?」


「あれも美味しかったんだけどね。好みの問題だよ」


 また呑みたいなと、岡部はしみじみと言った。

 

「私も呑んでみたいな……」


「大人になったらね」


 相槌のように言った岡部の言葉に、梨奈が頬を膨らませて口を尖らせる。


「もう! 綱一郎さんまで馬鹿にして」


「成長過程の飲酒は成長を邪魔するんだよ?」


 全然成長なんてしないんだもんと、梨奈は平たい胸を押さえて拗ねる真似をした。

岡部は横目でちらりとその姿を見て、クスクス笑ってやりすごした。



 昼の三時頃に清水の市場には到着した。

来たのが遅かったのか鮮魚はほとんど無かった。

干物を数点購入し、翌朝もう一回来ようと言い合って大宿に向かった。




 宿の受付に戸川と二人で向かうと、受付に『サケセキラン』のぬいぐるみが置かれていた。


 受付で記帳をすると、お待ちしておりましたと奥から支配人が出てきた。

支配人は岡部に、大女将から伝言を預かっておりますと言って微笑んだ。


「次期販売分のぬいぐるみを、宿用にまわしてもらう事になりましただそうです」


「さすが敏腕社長。打つ手が速いですね」


 岡部が笑うと支配人も笑い出した。


「私たちもそれを聞いて、小さいお客様に喜んでもらえそうと言いあっています」


「優勝襷の部分に、ここの宿の名前を入れたら良い宣伝にもなりそうですね」


 支配人は少し考え込み、にこりとほほ笑んだ。


「うちだけでも用意してみましょうかね」


 支配人は良い案をいただきましたとほくそ笑んで、部屋を案内した。



 日曜の夜だというに、案内されたのは最上階の迎賓室だった。

戸川は浴衣に着替えると、岡部と大浴場に向かった。

岡部が夕飯が楽しみだという話をすると、戸川は運転手ごくろうさんと言って労った。

紅花会はどこの宿も麦酒が旨いから、思う存分呑んでくれと言って、戸川は笑い出した。



 夕食は小宴会場に通された。


 一家が会場に入ると、机の上に大きな帆掛け船の模型が置かれていて、その上に所狭しと刺身が盛られている。

さらに富士の大吟醸と炭酸水が置かれている。


 一家は乾杯し、思い思いに食べ始めた。

梨奈は炭酸水を、三人は小升で大吟醸をちびちび呑んでいる。


「ねえ父さん。出張って毎回こういうとこ泊まって、こんなん食べてはんの?」


 梨奈は戸川を羨む顔で見た。


「そんなわけないやろ! いつもは普通の部屋で普通の食事や。自腹の時なんかは素泊まりの安宿やぞ」


「連続でこれやから、説得力皆無なんやけど」


「有り体に言うたら、綱一郎君のおかげやろうな」


 梨奈が岡部の顔を覗くと、奥さんも釣られて岡部を見た。


「何か怪しいこと、やってるんやないやろうね?」


 梨奈は岡部の頬を突いた。

僕は何もと言って、岡部は黙々と刺身を食べて升を口に運んでいる。


「大女将やっとる会長の奥さんがな、北国の件で綱一郎君をごつい気に入ったらしくてな。多分その為や」



 食事がひと段落すると、支配人が料理長と一緒に挨拶に来た。

支配人は、何か食事で気になることは無かったかと聞いてきた。

三人はかなり酔っぱらっていて言いたい放題だった。


「刺身どれも美味しいんやけど、どれが何の魚かようわからへんかったわ」


 まず、戸川がそう言って刺身を口にした。

奥さんも刺身を食べると、岡部も改めて刺身を口に運んだ。


「お肉のトモバラとかサンカクみたいに、魚の写真と名前があると面白いですよね」


 岡部がそう言うと、奥さんがあははと笑い出した。


「そうやね。それやと食べ比べてる感じがするよね。後で市場で見てこうってなるし」


 奥さんも、富士の大吟醸で舌がかなり軽くなっている。


「後、これは炙った方が旨いんやないのとか、漬けやと美味しそうとかもあったよね」


 奥さんがそう言って、梨奈が食べようとした刺身を先に食べてしまった。

むっと言って、不貞腐れた顔で別の刺身を食べようとすると、今度はそれを戸川に取られた。

もうと言って憤る梨奈を見て、岡部は笑い出した。


「お酒呑めない人や、呑んだ締めで、出汁茶づけも楽しみたいですよね」


 それを聞いて、突然戸川が箸を岡部に向けた。


「それやそれ! 出汁茶づけ! 絶対うまいやつや! わさびたっぷり乗せてな」


「出汁茶づけはすぐ用意させます。残りは漬けにして、朝お出ししますね」


 支配人は満足そうに笑顔を見せた。


「漬けにはちゃんと卵付けてな」


 戸川が米酒を口にしながら、刺身を凝視して言った。

料理長が、漬けに卵なんですかと戸川に問い掛けた。


「何や、宇和島の鯛めし知らんのかいな。芸予(げいよ)近辺の宿に聞いてみ? みんな知ってるで?」


 すぐに聞いてみますと言って、料理人は席を外してしまった。

大女将から伺った通り大変勉強になりましたと、支配人も礼を言って下がっていった。




 翌朝、岡部と戸川は、呑みすぎたと言い合って浴場に向かった。

朝食後宿を後にすると、清水の市場で海鮮を買い、苺狩りに向かった。


「ええ! これ全部食べて良えの?」


 梨奈は大量の苺が一望できる石垣苺を見て大はしゃぎしている。


「食べれるもんやったら、食べてみたらええわ」


 奥さんも少しはしゃぎ気味で笑った。


「私、思う存分苺食べてみたかったんよね」


「私もやわ。うちの近所、あんまりこういうの無いもんね」


 梨奈と奥さんは、これが美味しそう、これが大きいと言い合っている。


「勿体ないって思っても、痛んでるやつは捨てないとお腹壊しますからね」


 そんな二人を岡部が窘めると、二人は元気の良い返事をした。


「ねえ綱一郎さん。苺ってどうなってるんが美味しいんやろ? さっきから全部酸っぱいんやけど」


「こうやってヘタの傘が開いてるのが完熟って聞いた気がするよ」


 そう言って真っ赤に熟した苺を梨奈に渡した。


「あ、ほんまや! 今のめっちゃ美味しかった」


 梨奈は満面の笑みを岡部に向けた。


 戸川はあまり苺狩りには興味が無いらしく、外で苺酒の呑み比べをしている。

一方で奥さんと梨奈は、こっちが大きいこっちが赤いと苺を食べまくった。


「幸せやわ。もう私ここで食い倒れても良えわ」


 そう言って梨奈は頬に手を当てた。


「梨奈ちゃん、前科がありすぎるから洒落になってへんよ」


 奥さんの一言で梨奈は一気に気分を害した。


「私前回と違うて、今回熱出てへんもん」


「前回やって梨奈ちゃんそう言うてて、温泉入ってあさげ食べて倒れはったやないの」


 奥さんの指摘に、梨奈は口を尖らせて不貞腐れている。


「今回は大丈夫やの! 私の体やもん。私が一番わかってるんや!」


「それやったら、倒れんとこで抑えてもらえへんやろか」


 岡部が、そりゃそうだとぼそっと呟いた。


「綱一郎さん。今のちゃんと聞こえたからね」


 奥さんは、とんだとばっちりだと笑った。

苺狩りを満喫し戸川の元に戻ると、戸川は酔っぱらって居眠りしていた。

小さな酒瓶を二本幸せそうに抱き抱えて。




 駿府駅で車を返却すると、駅周辺を散策し海鮮丼を食べ帰宅。

翌日、案の定梨奈は高熱を出し数日寝込んだ。

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