第60話 決戦
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・岡部幸綱…岡部家長男
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」(故人)
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(伊級)。夫は中里実隆
・杉尚重…紅花会の調教師(伊級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(伊級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)
・藤田和邦…清流会の調教師(伊級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手(故人)
・畠山義則…岡部厩舎の契約騎手
・荒木、真柄…岡部厩舎の主任厩務員
・能島貞吉…岡部厩舎の主任厩務員
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・成松…岡部厩舎の副調教師
・垣屋、花房、阿蘇、大村…岡部厩舎の厩務員
・長野業銑…岡部厩舎の調教師補佐
・関口氏勉、高橋圭種、遊佐孝光…岡部厩舎の厩務員
・坂井政則…紅花会の厩務員
・富田、山崎、魚住…岡部厩舎の用心棒兼厩務員
・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は小平生産顧問
・三木杏奈…岡部厩舎の女性厩務員兼ブリタニス語通訳
・江馬結花…岡部厩舎の女性厩務員兼ゴール語通訳
・香坂郁昌…大須賀(吉)厩舎の契約騎手
・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)
・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手
・ラシード・ビン・スィナン…パルサ首長国の調教師
・チャンドラ・ブッカ…デカン共和国の調教師
・ラーダグプタ・カウティリヤ…デカン共和国の調教師
・アレクサンドル・ベルナドット…ゴール帝国の調教師
・ギョーム・エリー・ブリューヌ…ゴール帝国の調教師
・エドワード・パトリック・オースティン…ブリタニス共和国の調教師
・クリーク…ペヨーテ連邦の調教師
謁見が終わると、続いて晩餐会となった。
皇帝陛下は昨年の出来事を調べたついでに、ペヨーテとブリタニスの件も調べたらしい。
「服部騎手は、あの後どうなったのです? 意識不明という発表から続報を聞かないようですが」
「亡くなりました。こちらが服部の妻と遺児です」
岡部が紹介すると琴美は頭を下げ、食事に夢中になっている幸正の頭を下げさせた。
「そうか……その幼さで父を亡くしたのか。実に痛ましい事だ」
「今後、私が父親代わりとなって、この子と接していこうと思っています」
陛下は何度も小さく頷いた。
陛下は即位してから最近まで競竜にあまり興味が無かったらしい。
献上された竜をどの厩舎に預託するかなど、全ての管理は宮内省に一任していたのだそうだ。
だが、そのせいで宮内省と調教師の間で金銭授受などの癒着が根付いてしまっていた。
当然、厩舎はその竜でしっかりと結果を出さねばならなくなる。
今回、初めて競竜に興味を持つ事となり、関係各所に諮問を続けたところ、かなり以前から不正や競争妨害が繰り返されていた事が発覚したのだそうだ。
「今年いっぱいで私も含め帝室は全員竜主資格を返上する事にした」と陛下は報告した。
「先生。一つ聞かせてもらっても良ろしいだろうか。この競争に勝ったら、先生は競竜協会に解散を要求すると噂されてるそうですね」
「あくまで噂です」
陛下は鼻を鳴らした。
貴殿の事だぞと言いたかったのだろう。
「先生の怒りももっともだし、それだけの事を彼らはした。競争結果の如何を問わず、色々と見直しをかけていかねばならないだろう。そこで、先生から何かしら助言をいただく事はできないないだろうか?」
岡部は何かを言いかけ少し考えた。
「明日、それはうちの陛下におたずねください。私は一調教師にすぎず、制度改革などは門外漢ですから。競竜については競争を見てご判断ください。それ以上は私の口からは発言を避けておきます」
「先日、天皇陛下と会談させていただいたのだ。その際、岡部先生から学ぶ事があったとうかがったのです。ぜひ私にも何か言葉をいただきたいのだが」
そこまで言われてしまっては何か言わねば失礼になってしまう。
岡部は困ったという表情をし少し考え込んだ。
「私は調教師ですから、厩舎運営の事になってしまいます。私は常々、厩務員に対し『私に真摯にならず、竜に真摯になれ』と言っています。これは多方面で通用する事だと思います」
「それは私も考えるところがあるなあ」とすぐに義悦が苦笑い。
皇帝陛下は通訳が訳してくれた言葉を噛みしめるように思案した。
「誠意は上ではなく下に注げ。つまり政の本質は『仁』という事か。実に重みのある言葉だ」
会食が終わり、宮殿を出て、玄関から少し離れた場所で送迎車が来るのを六人で待っていた。
最初に変な雰囲気を察したのは奈菜だった。
奈菜が岡部のズボンをぎゅっと握った。
その態度に岡部も何かに気づいた。
周囲を見ると、かなり離れた場所だが九人の東方人の観光客の姿が見える。
ちらちらと岡部たちを見て何かを合図している。
「奈菜。父さんが良いって言うまで、目を閉じて耳を塞いでなさい」
奈菜は言われた通り、ぎゅっと目を閉じ、耳を塞いだ。
「義悦さん、さっき言った通り、幸綱を連れて宮殿内に逃げて! 琴美さん、幸正も早く!」
岡部たちに気づかれたとわかり、焦った襲撃犯は銃を手に岡部たちに向けて発砲。
幸綱を抱えた義悦と幸正は一目散に宮殿内に逃げ込んだ。
岡部も奈菜を抱きかかえて逃げ込もうとしたが、琴美が途中で躓いてしまった。
それを襲撃犯は見逃さず、銃を構えた状態で走り寄って来る。
岡部は襲撃犯に背を向け、奈菜と琴美、二人に覆いかぶさるような体勢を取った。
襲撃者の撃った弾が琴美の左側、少し離れた場所の大理石に当たり甲高い音をたてる。
そこに小隊長たちがもの凄い速さで駆けてきた。
小隊長が「小柄」という小刀を投げつけると、銃を構えた襲撃犯の手に綺麗に突き刺さる。
襲撃犯は隊員に向けて発砲。
弾が太腿に命中し、隊員の一人がもんどりうって倒れる。
だが小隊長は気にせず走り、岡部の前に立ちふさがり、襲撃犯に次の小柄を投げた。
襲撃犯の利き腕の肩の付け根に小柄が突き刺さり、たまらず銃を落とす。
小隊長がなおも次の小柄を構える。
他の隊員も小柄を構え、小隊長の前に立ちふさがり壁を作る。
「先生、よくこの時点で襲撃されるって事前にわかりましたね!」
小隊長が襲撃者を睨みながら、背後の岡部に声をかけた。
「何年この手の輩とやりあってきたと思ってるんです」
そこに宮殿内から衛兵がわらわらと駆けつけてきた。
観光客が見ている前で、何の躊躇いも無く衛兵は襲撃犯に小銃を乱射。
九人の襲撃犯はたちまち蜂の巣となり絶命。
衛兵はなおも小銃を撃ち続け、襲撃犯は絶命しながらも体を躍らせた。
その光景が目に入らないように、岡部は琴美と奈菜の頭を抱きかかえている。
衛兵は襲撃犯の遺体を乱雑に蹴ってどかし、血だまりの無い場所に送迎車を招き寄せた。
扉を開け、早く乗ってと急かす。
奈菜を抱きかかえ、琴美の手を引き車に乗りこむと、岡部は奈菜の肩をポンポンと叩いた。
「もう、だいじょうぶなん?」
「ああ。もう大丈夫だよ。悪い人たちはみんないなくなった。悪い奴にはね、ちゃんと罰が下ったんだよ!」
にこっと微笑む父を見て、奈菜が少し顔をほころばせる。
「もう、こわいことあらへんの?」
「いつも言ってるだろ。父さん付いてるから大丈夫だって」
「うん」と頷き、奈菜は岡部に抱き着いた。
隣の席で自身を抱き抱えて震えている琴美にも、岡部は「大丈夫?」と優しく声をかけた。
翌日、ロンシャン競竜場の事務棟で枠順抽選会が行われた。
昨夕の襲撃犯は犯罪組織「紅の緞帳」の残党で、国際指名手配されていた東方人たちと判明。
『ヴェルサイユ宮殿に向けて、東方人の集団が発砲 その場で全員射殺』と各紙は報じた。
新聞によっては『岡部たちが巻き込まれたが全員無事だった』と記載されているらしい。
ブリタニスの暴動との関わりも確認され、今後、間違い無く国際問題に発展していくだろうと報じられた。
枠順抽選会では、報道はそれについては一切触れなかった。
会場は王宮からの指示で厳重警備が敷かれており、銃を抱えた憲兵隊が報道に睨みを効かせている。
そんな状況だったので、飛び交った質問は「どの程度勝てると思うか」や「仕上がり具合はどうか」という実にありふれたものばかり。
参加者の中で記者たちの眉をひそめさせたのは、ドレークとルフェーヴルだった。
「岡部の竜が私のスワローに勝てるとは思えない。そもそも、これまで同様出走直前で逃げ出すかもしれないではないか」
そう言って二人は不敵に笑った。
その夜、岡部は密かにベルナドットに連絡を取り、山崎とベルナドットの通訳と四人で仮厩舎に隠れていた。
案の定、深夜にゴール人の襲撃者が拳銃を手に近づき『サケジュエイ』を銃殺しようとした。
しかも襲撃者は一人ではなく五人。
だが、引き金を引こうとした銃は何か強い力で手の甲の方にねじられてしまった。
「こんばんは。何かごようですか?」
襲撃者は闇の中から突然人が現れ、大混乱に陥り、無言で口をパクパクさせている。
「……江間ちゃんに教えてもらったゴール語、ほんとに合ってるのかねえ」
不安そうな顔をする小隊長に、ベルナドットの通訳が「完璧です」と言ってクスクスと笑った。
五人の襲撃者は、竜房で待機していた小隊長たちに羽交い絞めにされ、中央通りに連れ出された。
小隊長他数人を岡部厩舎の厩務員として初日に追加登録しており、入館証を付けて堂々と厩舎棟に来ていたのである。
「岡部先生、どこまでやりましょうか?」
「瑞穂人を見ただけで失禁するくらいの恐怖を植え付けてやってください」
その指示に隊員たちが一斉に笑い出した。
「了解。ですが、よろしいのですか?」
「構いません。こいつらは皇帝陛下の御心に背いたんですから、文句は言われんでしょう」
その後、五人の襲撃者は大声をあげられないように猿轡をされ、実践訓練ばりに格闘技を挑まれ、指一本動かせなくなるまで、徹底的に訓練に付き合わされる事になった。失神しても叩き起こされて、徹底的に。
「愚かだな……世界一怒らせたらいけない奴を怒らせるから、そういう目にあうんだよ」
その光景を見たベルナドットが、冷ややかな目をした岡部の顔を見て、そう感想を漏らした。
朝になってわかったのだが、襲撃者は全員ルフェーヴル厩舎の厩務員だった。
ボロボロの服で電柱に縛り上げられ、口に拳銃を咥えた状態で猿轡され、白目をむいて失禁している五人の姿に、ゴールの厩務員たちは絶句した。
昼の三時が近づいてきていた。
下見所では赤井が『サケジュエイ』の引き綱を持っている。
ルフェーヴルが苦々しい顔で岡部陣営を睨みつけている。
係員の合図で騎手が下見所に現れた。
『サケジュエイ』の状態を見た香坂は、「元気そうでなによりだ」と言って笑い出した。
「香坂。やつらは絶対まだ何か仕掛けてくる! 油断するな!」
「昨晩、僕の飲み物に、協会の職員がなんか薬入れてるの見ちゃったんですよね。エブレ騎手に報告したら、すぐに警察が来て大騒動になっちゃいましたよ。公正競争って何なんですかね」
岡部はため息をつき、「まったくだよ」と短く言い、香坂の顔を見て苦笑いした。
義悦が香坂の肩をポンと叩き「頼みましたよ!」と言うと、香坂は真面目な顔で「必ずや!」と短く応え、『ジュエイ』に跨り発走機へと飛び立って行った。
その姿をあげはと三姉妹が、最上の遺影と共にずっと見続けている。
――
ゴール帝国、ロンシャン競竜場からの中継映像をお送りいたします。
競竜の頂点の一つ、国際競争『グランプリ』の発走の時刻が刻一刻と迫ってまいりました。
現地の発表では天候は『曇り』、風状態は『無』。
現地から入ってきている情報では、『サケジュエイ』は順調そのものという事です。
今、係員が台上に乗り、小旗が振られました。
『グランプリ』の発走曲が奏でられています。
現在、枠入りが行われています。
偶数番の枠入り、六枠『サケジュエイ』発走機に止まっています。
奇数番の枠入り、あっ!
五番『エクセキューショナー』が、あああっ!!
大変失礼いたしました。
『エクセキューショナー』、『サケジュエイ』に圧し掛かりそうになりましたが、『サケジュエイ』、その前にひらりと飛び立ち、『エクセキューショナー』の顔を蹴りつけました。
『エクセキューショナー』は、これは……倒れて痙攣していますね。
頭の向きが変ですが大丈夫なのでしょうか?
鞍上のルガード騎手は、発走台から落ちたように見えましたが、無事なのでしょうか?
どうやらセーヌ川に浮かんでいるようですね、大丈夫なのでしょうか?
現在、枠入りが一旦中断されておりますので、しばらくお待ちください。
場内放送があったようです。
五枠『エクセキューショナー』は発走除外のようです。
ドレークの『エクセキューショナー』は除外となったようです。
現在、枠入りがやり直しされています。
各竜体勢完了。
三、二、発走しました!
サケジュエイ、ぐんと飛ばしていきます!
それをギャルド・インペルールが猛追走!
二頭、激しい先頭争い!
どうやらサケジュエイ、控えるようです。
各竜滑翔に入りました。
先頭ギャルド・インペルール、その後ろサケジュエイ。
アイン・アルサクル、カフィ、エクレルール
リコルティ、アーヤガルダ。
一角を回って滑空に入りました。
なお、七頭、全て発走は正常のようです。
先頭ギャルド・インペルール、軽快に飛ばしていきます。
その後ろサケジュエイ、余裕の追走。
ここでカフィが順位を上げました。
二角回って飛行。
ギャルド・インペルール、引き離しにかかりました。
だが、サケジュエイ、ぴたりと追走。
向正面、滑翔です。
ギャルド・インペルール、カフィ、リコルティを先頭に、二、三、二の飛行隊形。
ギャルド・インペルール、左右に振ってサケジュエイを牽制。
三角回って滑空。
サケジュエイ、ギャルド・インペルールの後ろをピタリと追走!
ギャルド・インペルール、こまめに左右に揺さぶりをかけています!
四角回って飛行。
未だサケジュエイは二番手追走。
市松の大旗が掲げられ最終周に入ります。
一周目の時計は早め。
正面、観客席前、滑翔に入っています。
観客席から大歓声がおこっています!
ギャルド・インペルール、左右に振りサケジュエイを牽制!
一角回って、ああっと、ここでサケジュエイが抜いた!
鞍上香坂、ギャルド・インペルールが滑空に転ずる一瞬の隙を見逃しませんでした!
二角回って飛行!
香坂行った!
サケジュエイ行った!
向正面、滑翔。
サケジュエイ、カフィを先頭に、二、五の飛行隊形。
どうしたのでしょうか、ギャルド・インペルールが少し苦しそうだ!
三角回って滑空!
ここからが勝負所!
サケジュエイ先頭!
後続が差を詰めて来る!
ギャルド・インペルール、全く差を縮められない!
四角回って最後の直線!
サケジュエイだ!
サケジュエイだ!
サケジュエイ、ギャルド・インペルールを突き放す!
サケジュエイがやった!
サケジュエイ終着!
市松の大旗が振られました!
ついに! ついに! 瑞穂の竜が主三国の牙城を切り崩しました!
よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。