表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
最終章 差別 ~海外遠征編~
481/491

第55話 喪失

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)

・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女

・岡部菜奈…岡部家長女

・岡部幸綱…岡部家長男

・戸川直美…梨奈の母

・戸川為安…梨奈の父(故人)

・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」(故人)

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(伊級)。夫は中里実隆

・杉尚重…紅花会の調教師(伊級)

・松井宗一…樹氷会の調教師(伊級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)

・藤田和邦…清流会の調教師(伊級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・畠山義則…岡部厩舎の契約騎手

・荒木、真柄…岡部厩舎の主任厩務員

・能島貞吉…岡部厩舎の主任厩務員

・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手

・成松…岡部厩舎の副調教師

・垣屋、花房、阿蘇、大村…岡部厩舎の厩務員

・長野業銑…岡部厩舎の調教師補佐

・関口氏勉、高橋圭種、遊佐孝光…岡部厩舎の厩務員

・坂井政則…紅花会の厩務員

・富田、山崎、魚住…岡部厩舎の用心棒兼厩務員

・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は小平生産顧問

・三木杏奈…岡部厩舎の女性厩務員兼ブリタニス語通訳

・江馬結花…岡部厩舎の女性厩務員兼ゴール語通訳

・香坂郁昌…大須賀(吉)厩舎の契約騎手

・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)

・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手

・ラシード・ビン・スィナン…パルサ首長国の調教師

・チャンドラ・ブッカ…デカン共和国の調教師

・ラーダグプタ・カウティリヤ…デカン共和国の調教師

・アレクサンドル・ベルナドット…ゴール帝国の調教師

・ギョーム・エリー・ブリューヌ…ゴール帝国の調教師

・エドワード・パトリック・オースティン…ブリタニス共和国の調教師

・クリーク…ペヨーテ連邦の調教師

「いかがでしょうか。遠征はできそうでしょうか?」


 侍従長がわざわざ大津にやってきて、岡部にそうたずねた。

 だが岡部の返答は「極めて困難」というものだった。


「そもそも奈菜を誘拐した連中が誰一人捕まっていないんですよ。その上で安全だからゴールに来いと言われて、誰が信用できるって言うんですか」


 岡部の返答は侍従長からしたら少し意外であった。

ゴール皇帝直々の招聘を拒絶した人物である。

断固拒否と言ってくると覚悟していた。

だが岡部の発言は、遠征はできるがゴールの言う安全が信用ができないと取れるものだった。



 侍従長は一旦事務室を出て、携帯電話で摂津内相に連絡を入れた。

摂津は今井外相に連絡。

岡部の発言は、十分後には駐瑞ゴール大使へ伝えられた。

ゴール大使は、それをそのまま本国の宮内省へと報告。

ゴール宮内省は、それを皇帝陛下と首相へ報告した。


 すぐに当時の事件の首謀者である競竜協会の前事務長と査察官が逮捕された。

さらに前事務長の証言から、犯罪組織『紅の緞帳(リドー・ルージュ)』の本部に憲兵隊が突入する事になった。

一時間半にわたる銃撃戦の末、両者合わせて死者百四十人を出しながら、組織の首領と幹部三人が逮捕された。

証拠も十分に残っており、六人は御前裁判で即座に死刑が確定。

即日、執行される事になった。


 さらに『紅の緞帳』本部で見つかった資料により構成員全員が把握され、指名手配される事になった。

驚いたのは、現在ゴール各地で起こっている暴動は、彼らが一部の報道と結託して引き起こしていたという証拠が発見された事であった。

構成員の中に大陸東部の者と思しき名前があり、国際指名手配される事になった。


 この事はその日の速報としてゴール中に流された。

皇帝陛下の顔に泥を塗った痴れ者に裁きの鉄槌が下されたと、ソレイル・インペリエル紙は報じた。

五十数年ぶりに御前裁判という悪しき風習が復活したのはいただけないが、一般の裁判であったら、あれだけの事をしておきながら、判決は早くても十年は先、下等国相手だからと減刑されまくり、ほぼ無罪のような判決だっただろうと、ル・ラポール紙は報じた。




 岡部厩舎で緊急の運営会議が開かれた。

参加者は大津組で、夜勤の赤井、魚住を除く全員。


「改めて聞かせて欲しい。この中で来月の海外遠征に反対の者は?」


 その場の全員が手を挙げた。


「そやけど勅命なんですよね?」


「誰から聞いたの、それ?」


「もう大津中の噂ですよ。先生に遠征の勅命が下ったって」


 荒木の言葉に、全員が引きつった笑みを浮かべた。

杉も松井も噂を聞きつけてという事だったので、恐らく内務省の指示で報道が撒いたのだろう。


「一旦、それは置いておこう。そんなものは無視すれば良いんだから」

 

「あきませんよ! 陛下の御心ですよ!」


「そんなの関係無い。僕にとっては君たちの意志の方が重要だよ」


 耳を疑うような岡部の発言に、その場の全員の表情が凍り付いた。

そんな参加者を代表して荒木が口を開いた。


「そしたら、うちらの回答はたった一つです。先生の意志が重要です」


 その言葉を聞いた岡部は静かに目を閉じた。


 再び目を開けると、小さく息を吐いた。


「僕は海外遠征したい。それが亡き相談役との約束だから」


「それが厩務員の給料と引き換えなんやとしても?」


 その荒木の発言を、「さすがに言いすぎだ」と垣屋がたしなめる。

だが岡部は垣屋の方をなだめた。


「荒木さんの言いたい事もわかる。僕が主任でも同じ事を言ったと思う」


「そしたら、それでもなお行きたいと」


「僕の我がままを許して欲しい」


 その岡部の言葉に、一同はしょうがないという顔をした。

「困った人だ」と言って、荒木もおちゃらけた仕草をした。


「先生がそないに言うの初めてですね」


「そうかな? 仁級時代に何回か言った気がしないでもないけど」


 皆の表情が非常に柔らかいものになった。

亡き相談役のために海外遠征しましょうという雰囲気に完全に変わっていた。



 その時、岡部の電話に連絡が入った。

宛先を見て岡部の表情が非情に険しいものになる。

一人無言で会議室を出た。


「先生、服部です。うちの人が、先ほど息を引き取りました」


「わかった。すぐそっちに向かうよ」




 病院に向かうと、琴美は、もはや涙も枯れ果てたという顔をしていた。

真っ赤な目、カサカサの頬、同じくカサカサの唇、そして乱れた髪。


「服部のお母さんは?」


「一度見舞いに来たとです。ばってん、見ようとが辛か言いまして、それ以降は……」


「わかった。じゃあ僕の方から連絡するよ」



 服部の母に連絡を入れた。

瑞穂に帰って来てすぐに、岡部は一回謝罪の連絡を入れている。

その時点で服部の母は電話先で泣き崩れてしまい、全く会話にならなかった。

そのため、入院している病院だけ教えてその時は電話を切った。


「岡部です。このような連絡をしなくてはならない事は非常に心苦しいのですが……」


 服部の母は、岡部から直接連絡があったというだけで息子が亡くなった事をすぐに察した。


「大事なご子息をお預かりしておきながら、このような事になってしまい誠に申し訳ありませんでした」


 服部の母が電話の先ですすり泣いている。


「今からそちらに迎えに行きたいと思いますが、構いませんでしょうか?」


 よろしくお願いしますと答えた服部の母の声は、非常にか細いものであった。


 服部の母は西府に一人で住んでいる。

琴美の話によると、結婚してから毎年、新年とお盆の挨拶には伺っていたらしい。

ただ、向こうからこちらに来るという事は一切無かったのだとか。

呂級に昇級してから、何度か一緒に暮らさないかと誘ってはいる。

だが、嫁の行動に口を挟んで夫婦不仲の種になりたくないからと断っていたらしい。



 西府で服部の母を車に乗せ、車は大津へと戻った。

思い起こせば、直接顔を見るのは、八級時代、防府の病院で幸正の誕生の時以来となる。

また少しやつれた、そんな印象を受ける。


 服部の母は大津までの道すがら、これまで服部が、いつも岡部に感謝していたという話をし続けた。

皇都に来た年は先生の足を引っ張っていると本当に悩んでいた。

だが昨年は先生と一緒に海外に行くと嬉しそうにしていた。

今年は、いつか先生から技術を教わって調教師になって、先生のように日章会を盛り上げてやるんだ、そう言っていたのだそうだ。


「息子をあんな目に合わせた海外の人たちが憎い」


 何度もそう口にした。

「琴美さんに申し訳ない」「残された幸正が可哀そう」とも。



 服部の親戚は非常に少ない。

服部の父は一人っ子で、服部も一人っ子。

祖父母は全員すでに他界している。

騎手開業した時には、まだ父方の祖父母は存命だったのだが、その後、残念ながら他界してしまった。

遺族は琴美の両親と兄夫妻、琴美、服部の母、幼い幸正しかいない。

しかも、琴美の両親と兄夫妻は遠い久留米にあって到着は明日以降。


 通夜の準備を行うには圧倒的に人手が足らない。

そこで岡部厩舎から荒木たちに手伝いに来てもらった。


 祭壇の準備が終わったところで、一旦荒木たちには帰ってもらった。

岡部は服部に対する最後の務めと、服部家に残って線香の番をする事にした。


 琴美はほとんど言葉を発せず、服部の母が感謝の言葉を述べると、そこから壊れたように泣き崩れてしまった。

幸正は何となくしか状況を把握できていないようだが、祖母だけじゃなく、岡部までもが家にいるという事で、もう父は帰って来ないのだという事をはっきりと察したらしい。

夕食が済むと岡部の隣に来て、身を寄せて静かにしていた。


「幸正。今は泣いても良いんだぞ」


 そう岡部が優しく言うと、幸正はじわりと目から涙を溢れさせ、岡部に顔を埋め、大声をあげて泣き出した。


 泣き疲れて眠った幸正を布団に寝かし、岡部は一人祭壇の前に座った。

祭壇に掲げられた遺影は、恐らく伊級に来て重賞を勝った時のものだろう。

非常に良い笑顔をしている。

その写真を見ていると、ふいに初めて出会った日の事を思い出す。

不貞腐れた態度をとって教官に殴られそうになったのを必死に止めた、あの日の事を。

騎手候補で喧嘩になり、調教師候補全員が呼び出され、説教をした事を思い出す。

実習競争、最終戦で勝利し、皆で涙した日を思い出す。

仁級で厩舎開業の日、岡部を見て涙した姿を思い出す。

初勝利で検量室で涙した姿を思い出す。

幸正がなかなか産まれず、病室を追い出されたと、泣き出しそうな顔をしていた姿を思い出す。

呂級で初めて重賞を制し、検量室で涙した姿を思い出す。


 服部はいつも笑顔だったから、改めて思い出すのは涙した日の事ばかりである。


「また一人、大事な家族が僕の前から去ってしまった……」


 祭壇の前で一人岡部は静かに泣いた。



 通夜には服部の学生時代の友人が多数訪れた。

中学の担任も訪れた。

学生時代、服部は賑やかし担当だったらしい。

愛嬌があり、勉学は全くだったが、憎めない性格で人気があった、そう担任は岡部に言った。

そうなんですねと相槌を打ったものの、だからなんだと内心思っていた。

岡部にとっては出会ってからの服部が重要なのであって、学生時代の事などはどうでも良い事だった。


 学生時代の友人たちに紛れて、三浦、杉、津軽、平岩、斯波、松井、武田、櫛橋といった、生前、非常に親しくしていた調教師が騎手と共に訪れ焼香をした。

恐らく残りは葬儀の時に来るのだろう。

岡部厩舎の厩務員たちも交代でやってきた。


 臼杵、村井、田北が、三人一緒にやってきた。

昼間に板垣の見舞いに行ったと三人は報告した。

まだ右肩が全く動かないが、いつか必ず復帰して、また武田先生の竜で海外遠征してやる、そう意気込んでいたらしい。

残された四人で服部の分まで活躍してやろう、そう誓ったと岡部に報告した。



 残された自分たちは前に進むしかないのだ。

騎手三人の話を聞き、岡部は改めてその事を思った。

あげはが涙ながらに頬を叩いて説教したように。

よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ