第46話 天皇杯
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・岡部幸綱…岡部家長男
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(伊級)。夫は中里実隆
・杉尚重…紅花会の調教師(伊級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(伊級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)
・藤田和邦…清流会の調教師(伊級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・畠山義則…岡部厩舎の契約騎手
・荒木、真柄…岡部厩舎の主任厩務員
・能島貞吉…岡部厩舎の主任厩務員
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・成松…岡部厩舎の副調教師
・垣屋、花房、阿蘇、大村…岡部厩舎の厩務員
・長野業銑…岡部厩舎の調教師補佐
・関口氏勉、高橋圭種、遊佐孝光…岡部厩舎の厩務員
・坂井政則…紅花会の厩務員
・富田、山崎、魚住…岡部厩舎の用心棒兼厩務員
・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は小平生産顧問
・三木杏奈…岡部厩舎の女性厩務員兼ブリタニス語通訳
・江馬結花…岡部厩舎の女性厩務員兼ゴール語通訳
・香坂郁昌…大須賀(吉)厩舎の契約騎手
・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)
・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手
・ラシード・ビン・スィナン…パルサ首長国の調教師
・チャンドラ・ブッカ…デカン共和国の調教師
・ラーダグプタ・カウティリヤ…デカン共和国の調教師
・アレクサンドル・ベルナドット…ゴール帝国の調教師
・ギョーム・エリー・ブリューヌ…ゴール帝国の調教師
・エドワード・パトリック・オースティン…ブリタニス共和国の調教師
・クリーク…ペヨーテ連邦の調教師
昨年までの中距離の主力三頭が遠征のため回避とあって、天皇杯の質の低下がかなり危惧されていた。
それが単なる杞憂だった事は最終予選でわかった。
元々、調教師たちが最も欲しているのが中距離の飛燕で、どの調教師も短距離竜と一緒に中距離竜を試している。
短距離竜を後回しにした武田は極めて珍しい例で、短距離竜と一緒に長距離竜を鍛えた杉は少数派なのである。
『サケダンキ』がいなくても『サケジュエイ』がいる。
『ハナビシシュウテイ』がいなくても『ハナビシヨウモン』がいる。
さらに秋山の『タケノミカヅチ』、十市の『クレナイカシマ』、杉の『サケユウダチ』、織田の『クレナイタケベ』といった新興の飛燕が台頭。
結果的に八枠中六枠が飛燕で埋まった。
午後の三時半が近づいて来た。
下見所では遅咲きの桜の花弁が舞い散る中、『サケジュエイ』の引き綱を赤井が持って立っている。
『サケジュエイ』は一枠、単勝人気は二番人気。
一番人気が四枠、武田の『ハナビシヨウモン』。
三番人気は三枠、秋山の『タケノミカヅチ』。
七番人気から倍率が一気に上がって単勝万竜券となっている。
岡部が飛燕を作ってから暫く、重賞戦線は岡部の独断場だった。
そこに割って入ったのは武田と藤田。
その後、杉が割って入って来た。
今回、三番人気の秋山の『タケノミカヅチ』と、四番人気の十市の『クレナイカシマ』は上位二頭に迫る人気になっている。
最終予選を強い飛翔で突破してきたというのもあるのだが、後続が徐々に岡部たちに追いついてきたのだろう。
係員の合図で騎手が竜に跨り、飛行台から発走機へと向かって行った。
発走者が台上に乗り小旗を振ると、発走曲が奏でられ、観客から大歓声が沸き起こった。
――
本日の主競争『天皇杯』決勝の時間が迫ってまいりました。
天候は晴れ、風状態は『微』
世界級の三頭が回避し、文字通り国内中距離王決定戦となりました。
果たしてどのような結果になるのでしょうか。
各竜体勢完了、三、二、全竜発走!
クレナイタケベ、好発走。
タケノミカヅチ、続いていきました。
各竜滑翔に入りました。
先頭クレナイタケベ、サケユウダチ、クレナイカシマ。
タケノミカヅチ、サケジュエイ、ハナビシヨウモン。
タケノムトウ、ロクモンヒギョウ。
なお、各竜発走は正常。
各竜、一角を回り滑空。
前六頭、牽制しながら位置取りを変えています。
二角を回って飛行に入りました。
クレナイタケベ、二位後退、タケノミカヅチが先頭に変わりました。
向正面、滑翔に入っています。
タケノミカヅチ、サケジュエイ、タケノムトウを先頭に、四、二、二の飛行隊形。
三角を回って滑空。
再度、先頭変わってクレナイタケベ。
タケノミカヅチ、クレナイタケベ、二頭、交互に先頭を主張。
四角回って飛行。
市松の大旗が掲げられ最終周に入りました。
各竜滑翔に入っています。
三、三、二の飛行隊形ですが、タケノムトウとロクモンヒギョウが大きく引き離されてしまいました。
ここまで前六頭非常に激しい展開、時計も非常に早い時計となっています。
一角回って滑空。
今度はサケユウダチが先頭に躍り出た。
ハナビシヨウモン、サケジュエイ、不気味に中団で待機。
二角回って飛行。
ここでサケジュエイが動いた!
ハナビシヨウモンもそれに続く!
ハナビシヨウモン、サケジュエイ一気に先頭に立った!
向正面、滑翔。
前六頭二列雁行、後ろ二頭は大きく離れました!
三角回って滑空!
ここからが勝負所!
最内、サケジュエイ揺さぶりをかけて周囲を牽制!
ハナビシヨウモンがすぐ横に進入!
六頭が一団となりました!
四角回って最後の追い比べ!
先頭サケジュエイ、中サケユウダチ、外にハナビシヨウモン!
上クレナイカシマ、その外クレナイタケベ!
大外からタケノミカヅチ!
六頭一団、激しい追い比べ!
先頭わずかにサケジュエイ!
ハナビシヨウモンが並んだ!
二頭がわずかに抜けた!
サケジュエイか!
ハナビシヨウモンか!
二頭激しい追い比べ!
二頭並んで終着!
市松の大旗が左右に振られました。
わずかに外ハナビシヨウモンが抜けたように見えましたがどうでしょうか。
――
大画面に終着時の写真が表示された。
それと同時に着順掲示板の一着に四が表示された。
検量室に戻ってきた畠山は、二着の枠に『サケジュエイ』を止めた。
赤井が鞍を外すと、畠山は心底悔しそうな顔を岡部に向けた。
「遠征の前哨戦、勝って送り出したかったんですが、すんませんでした」
「赤松さん、上手いよね。仁科さんも迫ってたし、これは、短距離と中距離は完全に乱戦になったね」
「そやけど、そこを勝たせるんが僕らの仕事やと思うてますから、次こそは!」
岡部が優しく微笑むと、畠山は唇を噛み、空いた拳を固く握りしめた。
数日後、岡部たちは『串焼き 弥兵衛』にいた。
少し遅れて松井たちがやってきた。
この日で西郷と十河の実地研修が終了し、明日から開業となる。
西郷は小田原、十河は紀三井寺での開業が決まっている。
二人が主賓という事で、最初から岡部と松井の脇に座っている。
十河は岡部厩舎時代より、さらに三つ編みが伸びている。
松井が樹氷会に戻って、松井厩舎に旧山中厩舎の厩務員が何人か採用されている。
その内の一人は山中調教師の孫で、現在主任をしながら調教師を目指している。
その転厩してきた厩務員の一人に比江山という人物がいた。
比江山は転厩早々に松井に相談があると言ってきた。
娘の千香が犬童騎手に憧れて、騎手になりたいと言ってきた。
比江山はその事を山中調教師に相談した。
すると山中は今の樹氷会では調教師候補を立てらるかどうかわからないからと、個別入学を薦めた。
ところが、そんな千香に白桃会と桜嵐会が目を付け、入学して早々に勧誘をかけてきたらしい。
どうしたら良いかと相談されたのだが、正直言って自分はそういう事はよくわからない。
松井先生は、どう思うかというものだった。
うちから十河が調教師候補として受験する予定だが、その娘の専属はどうだろうかと松井は薦めた。
比江山が娘にそのまま伝えると、憧れの犬童騎手に一歩近づけた気がすると大喜び。
こうして比江山騎手候補は樹氷会に所属し、十河の来校を待つ事になった。
松井は十河がいつのまにか結婚していた事は知っていたが、相手までは知らなかった。
それが西郷の弟と聞いて酷く驚いている。
太宰府で松井は岡部不在の岡部厩舎に頻繁に出入りしていた。
最大の目的は珈琲を飲むためで、津軽、平岩も同様に入り浸っていて、能島や阿蘇たちと良く世間話をしていた。
会派の物販で豆を購入しているのだが、どういうわけか現地の方が味も香りも上らしい。
その時に西郷とは何度も話をしている。
まさかその弟だったとは。
研修時代、十河は女性用の寮に滞在していたのだが、一人で寂しいと言って、やたらと男性寮に入り浸っていたらしい。
それを知って稲妻の寮から人が毎日来ていて、毎晩酒盛り状態だった。
デカンカップ制覇の後が実習競争だったので、全員士気が異常に高かったらしい。
それは調教師候補、騎手候補だけでなく、教官たちも同様で、何かというとこれからは海外が相手だと鼻息が荒かったのだとか。
ゴール、ペヨーテの出来事は、よく議論になっていたらしい。
櫛橋が勝った海王賞も最高に盛り上がった。
十河としては櫛橋と松井のどちらを応援しようという、実に悩ましい状態だったのだそうだ。
実習競争では、十河、西郷は、雷雲会の松平師の孫の雅忠、紅葉会の島津詞久と、四人でしのぎを削っていたらしい。
一昨年、去年と、全体的に少し小粒の印象があり、三年ぶりの豊漁だと教官たちは噂しあっていたのだとか。
当初、十河は東国での開業を希望していたらしい。
夫である西郷の弟が東国の出身だから、当然東国を薦めてくるものと思っていた。
ところが夏に相談すると、東国は絶対に嫌だと言い切られた。
兄貴とは離れて仕事がしたいと。
現在会社員をしている西郷の弟は、荻野と共に十河厩舎で働く事が決まっている。
十河は櫛橋に色々相談したらしく、自分の両親が近くにいた方が何かと力になってもらえると助言されたのだとか。
最後に二人が開業の挨拶をした。
「師匠には、いつ追いつけるかはわからないが、いつかきっと追いついてみせる!」
そう二人は岡部と松井に宣言した。
よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。