表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第一章 師弟 ~厩務員編~
47/491

第47話 義悦

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の厩務員

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・氏家直之…最上牧場の場長

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・池田…戸川厩舎の主任厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員

・木村、大野…戸川厩舎の厩務員、解雇

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・本城…皇都競竜場の事務長

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川…尼子会の調教師(呂級)

・南条…赤根会の調教師(呂級)

・相良…山桜会の調教師(呂級)

・津野…相良厩舎の調教助手

・井戸…双竜会の調教師(呂級)

・日野…研修担当

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・高城胤弘…三浦厩舎の調教助手

・清水…三浦厩舎の主任厩務員

・大森…幕府競竜場の事務長

 最上、戸川、岡部の三人は朝食前に一風呂浴びていた。


「昨日の大吟醸旨かったなあ……」


 戸川がダラリとしながらしみじみと言うと、岡部も果汁を飲んでるみたいだったと恍惚とした。


「そうだ戸川。言い忘れていた事がある」


 戸川は少しだけしゃっきりとし最上を見た。


「来年な、調教師が一人開業するんだ。お前の所で研修してもらえないか?」


 戸川は構いませんよと即答した。

それを聞いていた岡部が、研修って土肥だけじゃないんですねと疑問を口にした。


「一年土肥で研修した後、会派の厩舎で四か月間実地研修が課されとるんや。中には厩舎運営を見た事ないいう人もおるからね」


 調教師ってどんな人がなるのか、岡部は重ねて質問した。


「引退した騎手、調教助手、牧場で馴致してた人、さまざまやね」


 それを聞いていた最上がニヤリとして岡部を見た。


「なんだ、調教師になりたいのならなれば良いのに」


 岡部は唸った。

戸川は優しい顔を悩んでいる岡部に向けた。


「騎手になりたいいうんはもう良えのか?」


「戸川さんなら、勝負所で気を失う騎手に大事な竜乗せますか?」


 乗せないなと即答して戸川は笑い出した。


「今はまだ『セキラン』の事で一杯ですからね。落ち着いたら考えます」


「でも君、試験あんまり得意やないやん。調教師はごっつい難しい試験あるんやで」


 岡部は頭を抱えた。

二人はそれを見て大笑いした。




 昨日の一件から厩舎棟の外には常に警察が巡回しており、夜陰に乗じて潜入しようとした者が逮捕されている。


 武田は改めて昨晩の宴席で指摘された事が真実であると確信を持ち始めている。

武田と大森は、幕府競竜場の新しい保安体制の作り直しが急務だと言い合った。

武田としては、ここでの保安体制の強化はどこにでも転用可能だろうから、力を入れておいても無駄ではない。


 そんな武田の元に警察が現時点までの調査報告を入れてきた。

その内容に武田は愕然とした。




 今日は少し所用があると言って、最上は岡部たちと行動を別にしている。

戸川と岡部は三浦厩舎で一通り話し込んだ後、食堂でなんやかやと言い合いながら中継を見ている。



 夕方、目黒の宿に戻ると、最上が若い男性と受付の待合で談笑していた。

最上は戸川たちを見て、こっちだと手招きした。

最上はその男性に戸川たちを紹介すると、戸川たちにもその男性を紹介した。


「はじめまして。『セキラン』の竜主の最上(もがみ)義悦(よしえつ)と言います」


 義悦は戸川と岡部に握手を求め、ニコリとほほ笑んだ。

パッと見は新入社員かと思うほどの一張羅の似合わなさ。

体も細く、顔もまだどこか学生のような青さを残している。

だがよく見るとどことなく最上会長に似ている。


「彼は私の早世した長男の子でね。今年から呂級もやらせているんだが、それがいきなり『セキラン』とはね」


 なかなか良い運を持ってますなと、戸川は義悦を茶化した。


「みなさんの奮闘のおかげです。色々と報道を目にしてますよ。ここまで大変だったでしょう?」


 立ち話もなんだからと夕食を一緒に取ることになった。

食堂へ向かう途中で、戸川が岡部に祖父に似ず物腰が柔らかいと笑っていた。



 最上の音頭で乾杯をすると、義悦が最上に問いかけた。


「セキランを持ったのは、かなり運がある方なんです?」


 義悦は何気ない質問のつもりだったようだが、最上の額に青筋を浮かばせた。


「当たり前だ! 私だってあんな竜は今まで持った事がない」


「へえ。じゃあ奇跡の一頭なんだ」


 奇跡の一頭という言い方も、それはそれで最上の神経を逆撫でしたらしい。


「やっとああいう竜が出るようになったんだよ。氏家もがんばったし戸川たちにも苦労をかけたよ」


 かなり機嫌を損ねた最上を見て、岡部はクスリと笑って麦酒を注いだ。

岡部は麦酒の瓶を机に置くと最上に尋ねた。


「やっとというのは、牧場で色々試してきてという事なんですか?」


「どこの牧場にも『かまど竜』というのがいてね。その牝竜を基幹に肌竜を増やしていくもんなんだよ」


 最上は麦酒を一飲みした。


「だがそれだと、どうしても同じ特徴の仔が出やすくなるんだ。そこで新しい肌竜を仕入れて一部を売却して整理したんだ」


 良い特徴であれば良いが、悪い特徴が遺伝してしまう事も多い。

雨が苦手だったり、他の竜を極端に嫌がったり。


「じゃあ質の向上の成果がやっと出てきたと」


「なにせ産まれてから成果が見えるのが五年後だろう。牧場も改革に手こずっていたよ」


 父が変わっても同じような仔ばかり出す牝竜もいるんだよと、戸川が麦酒を呑んで言った。


「じゃああの人懐っこいのは、うちの牧場のかまど竜の特徴なんでしょうか?」


 岡部の指摘に、確かにうちに来る仔は賢い仔が多いと戸川が笑った。



 ふいに義悦が岡部を見て微笑んだ。


「岡部さんは歳はおいくつなんですか?」


「今二三歳です」


「おお! じゃあ私と同じ歳ですね。竜主になって皆さん年上の人ばかりだから、歳の近い人がいるとほっとしますよ」


 義悦が麦酒の瓶を持って、岡部に差し出した。


「厩舎でも僕が最年少ですね。そのせいか可愛がっていただけてます」


 麦酒を注いでもらうと、今度は岡部が義悦に麦酒を注いだ。


「そっか。じゃあ今度、皇都の方にもお邪魔させもらおうかな」


「是非そうしてください」


 最上が義悦を好々爺の顔で見て、現場を見て理解しておく事は経営者として大切な事だと言った。


「わかりました。岡部さん。祖父はこの通り偏屈な人ですが、不満があったら是非私に相談くださいね」


 最上がおいおいと言うと一同が笑い出した。



 最上は突然少し真面目な顔をした。


「ところで、今朝、競竜場で逮捕者が出たという話は聞いたか?」


 戸川と岡部が首を縦に振った。


「先ほど武田さんから連絡があってな、警察から一報が入ったそうだ。警察の持ってる帳簿の左翼活動家と一致したそうだ」


 聞き慣れない単語に岡部は首を傾げた。


「左翼活動家というのは社会主義者の結社みたいなもんだな。不穏工作員と言った方が良いか」


「暴力団とは違うんですか?」


「暴力団は行き過ぎた守銭奴だよ。左翼活動家は……」


 最上は岡部を見て少し言いよどんだ。

それを見て、義悦が代わりに説明した。


「左翼活動家は、新聞の工作員という噂があるんです」


 戸川が驚いた顔を最上に向けた。


「ほな東国の報道は、工作員が作ったもんっちゅう事ですか?」


 義悦はあくまで噂ですと戸川に言った。


「じゃあ、昨日のやつらも……」


 そう言って岡部は険しい表情で最上を見た。


「まだ誰も捕まっていないからわからないが、その可能性は高いだろうな」


 そんな事をして何の得があるのかと、戸川は最上に尋ねた。


「新聞が種を撒く。雇われた工作員がそれに乗じて騒ぎを起こす。それを一般人がやった事として記事にする」


 何でわざわざそんな事をと岡部も最上に問いかけた。


「座して待っていても、記事になるような出来事が、そうそう起きるわけじゃないからな。それなら、自分で火事を起こしてしまおうという事なのだろうな」


 毎日あれだけの紙面を記事で埋めなければならないのだから、なければ作り出すしかないであろう。

あの界隈では古くから行われている手だと最上は心底軽蔑した目で言った。


「あらかじめ起きる事がわかっていれば、記事も簡単に書けますしね。あるいは逆か」


 義悦は呆れ顔でそう付け加えた。

腐ってると戸川は吐き捨てるように言った。


「西国と違って東国は一極集中だからな。全土から集まればそういう屑も出る」


 最上は戸川に悲しい表情を見せた。


「西国では手段を考える時に、法で許可されても道徳で諦める。東国では法にしっかりと触れなければ、やっていいと判断する」


 最上は麦酒を呑むと細く息を吐き出した。


「一部の馬鹿共は、バレなければ何をやっても良い、もしくは、もみ消せば何も無かった事と同じだと判断する」


「風土の差いうやつですか?」


 戸川の発言に最上は非常に嫌そうな顔をした。


「私も東国の人間だからな。あまり東国の悪態はつきたくないがな。新聞の道徳の無さには昔から辟易している」


「西国は西国で、お国自慢ばっかでいけすかんってよう言われますから、お互い様なんでしょうな」


 戸川は最上を慰めるように言った。


「東国のそういう考えは軍人には向くのだがな。経営者としては」


 最上は首を横に振った。



 義悦は戸川の顔を見ると、そういえばと話はじめた。


「『セキラン』の容体はどうなんですか? その明日の競走の方は?」


「今回は期待せんどいてください。あまりにも状態が悪い」


 戸川だけじゃなく、岡部も小さくため息をついた。

事態が事態だからそれも止む無しと義悦は納得した。


「そうですか。じゃあ今回は除外ですか」


「いや、出すのは出しますよ。ただ少しでもおかしかったら中止させるつもりです」


「目標は『上巳賞』ですからね。ここで無理させる事はないですよ」


 そう言って義悦は優しい顔で戸川に微笑みかけた。


「おお。お若いのによう心得てらっしゃる」


「祖父の薫陶が効いてるんでしょうかねえ」


 二人のやり取り聞いていた最上が、戸川に冷たい眼を向けた。


「そんなに義悦を持ち上げても、私はまだまだ引退する気はないぞ!」

よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ