第31話 見舞い
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・岡部幸綱…岡部家長男
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(呂級)。夫は中里実隆
・杉尚重…紅花会の調教師(伊級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(伊級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)
・藤田和邦…清流会の調教師(伊級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・畠山義則…岡部厩舎の契約騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・能島貞吉…岡部厩舎の主任厩務員
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・成松…岡部厩舎の副調教師
・垣屋、花房、阿蘇、大村、真柄…岡部厩舎の厩務員
・長野業銑…岡部厩舎の調教師補佐
・関口氏勉、高橋圭種、遊佐孝光…岡部厩舎の厩務員
・坂井政則…紅花会の厩務員
・富田、山崎、魚住…岡部厩舎の用心棒兼厩務員
・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は小平生産顧問
・三木杏奈…岡部厩舎の女性厩務員兼ブリタニス語通訳
・江馬結花…岡部厩舎の女性厩務員兼ゴール語通訳
・香坂郁昌…大須賀(吉)厩舎の契約騎手
・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)
・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手
・ラシード・ビン・スィナン…パルサ首長国の調教師
・チャンドラ・ブッカ…デカン共和国の調教師
・ラーダグプタ・カウティリヤ…デカン共和国の調教師
・アレクサンドル・ベルナドット…ゴール帝国の調教師
・ギョーム・エリー・ブリューヌ…ゴール帝国の調教師
・エドワード・パトリック・オースティン…ブリタニス共和国の調教師
・クリーク…ペヨーテ連邦の調教師
報道が友好的に接している状態であれば、ゴールの時のように派手な手段には及ぶまいと思っていた。
まさか、逮捕拘禁した挙句、竜を射殺なんていう強硬手段に出てくるとは。
厩務員の希望を優先した結果とは言え、こうなる可能性を十分考慮していて、それでも遠征に踏み切り、そして危惧した通りの結果になってしまった。
しかも、竜主業が唯一の一番の楽しみとなっている最上の竜を失う事になってしまった。
岡部自身、今回のペヨーテ遠征は軽率だったと後悔している。
帰ったら最上に謝罪しないと、そう考えながら帰りの輸送機に乗っていた。
家に帰った岡部を、梨奈と直美が暗い顔で出迎えた。
「綱ちゃん、落ち着いて聞いてね。最上さんがね、倒れはったの」
「何時!?」
「一昨日よ。綱ちゃんが向こうで逮捕されはったて一報があって、すぐ」
思わず岡部は持っていた荷物をその場に落とした。
「相談役は今どこに?」
「皇都の病院に緊急入院してる」
「容体は?」
直美が悲痛な顔で首を横に振った。
「昨日、うちらも奈菜と幸君連れて行ったんやけど、まだ昏睡状態やったの」
岡部は時計を確認した。
向こうを九時に発ち、福原に着いたのが昼の一時。
そこから一度厩舎に寄り、今家路についている。
車で急げばまだ病室に入れる時間だろう。
「病院に行ってみます」
「十分、運転に気ぃ付けてね」
玄関に荷物を置いて振り返ると、梨奈が服を引っ張った。
「私も付いて行く」
「そうだね。確かに、その方が落ち着いて運転できるかもね」
二人は急いで車へ向かった。
するとそこに奈菜が学校から帰って来た。
病院に行くと聞くと、奈菜も行くと言い出した。
「すぐに出発するから、鞄だけ置いておいで」と言うと、奈菜は急いで玄関に向かった。
そこに丁度幼稚園の輸送車が着いた。
幸綱も車に乗せ、四人で皇都の病院へと向かった。
病室に入った岡部は、計器をいくつも付けられて病床に横たわった最上を見て言葉を失った。
付き添っているあげはが、「寝ているだけだから心配しないで」と、気丈にも笑顔を作る。
それでも不安そうな顔をする岡部に、あげはは困り顔をし、手を引いて病室を出た。
「大丈夫ですよ。今は寝てるけど、朝はちゃんといつもの時間に起きたんですから」
「ですけど、昨日はまだ昏睡状態だったって聞きましたけど」
「ええ。ですから、今朝起きて、そこからは何事も無かったかのように」
それでやっと岡部は安堵の表情となった。
「そういう事ですか。で、どこが悪いんですか?」
「心臓。長年、重圧に耐える仕事をし続けてきたものだから」
「じゃあ、今回の僕の件が引き金に……」
あげははにこりと微笑み、「そうじゃない」と言って首を左右に振った。
「前から良くなかったんですよ。お酒を控えろって言われてたのに、あなたの活躍が嬉しくて、つい吞みすぎちゃうんだもの」
あげはの穏やかな顔を見て、岡部は少し言いづらそうな顔をした。
「何かあるの?」とあげはが優しくたずねる。
「そういう事ですと、竜を潰された事は言わない方が良いのでしょうか?」
「そうね。今は止めておいた方が良いかもね。聞かれたら私の方から言っておきますよ」
そこに幸綱がやってきて、爺ちゃん起きたよと教えてくれた。
病室に戻ると最上は目を開けていて、少しだけ体を起こしてもらい、奈菜の頭を撫でていた。
岡部を見ると優しく微笑んだ。
「向こうで逮捕されたと聞いたが、大丈夫だったのかね?」
「向こうの調教師が警察と結託して、僕をハメたらしいですね。潔白が証明されて、すぐに釈放されましたよ」
「だが異国での出来事だろ。よく釈放されて帰国できたもんだ」
心配する最上に岡部はふっと鼻を鳴らした。
「計画がザルなんですよ。見破られそうになったからって、麻薬密売組織から下っ端を出頭させて」
「ボロが出る前に、冤罪だった事にして、とっとと帰国させて、追い払おうって事か」
「酷い話ですよね。これが主三国の現実なんだって、クリーク、泣きそうな顔してましたよ」
「酷い話もあったもんだ」と最上もしみじみ言った。
「で、肝心の競争の方はどうなったんだね?」
どう繕うか言葉に詰まってしまい、岡部はあげはの顔をちらりと見た。
あげはは、やむを得ないというかなり渋い顔をし、小さく頷いた。
「君が無事帰って来れたのなら、大概の事は平気だから、気にせず言いなさい」
「……射殺されてしまいました。申し訳ありません」
「そうか。最初から何かあるかもと言っていたものな」
覚悟はしていたと最上は言う。
だが岡部の表情は暗い。
「高価な竜を、申し訳ありませんでした」
「やったのは向こうだ。君が気に病む事じゃないさ。だがこれで、いかに主三国が悪どいか子供でも理解できただろうよ」
最上はいつもの勝気な笑顔で岡部を見た。
「勝てたら要望を聞く。彼らからしたら、勝たれたら要望を聞かなきゃいけないんですからね」
「まあ、それくらい必死にもなるか。決して褒められた事では無いがな」
岡部が頷くと、最上も頷いた。
「次は『競竜協会賞』で『エンラ』と『リコウ』が激突しますね。どちらもご自分の竜ですから楽しみなんじゃないですか?」
なんとか明るい話題に変えようと、岡部はそんな事を言った。
「『エンラ』はみつばに売ってしまったがな。だけど、楽しみは楽しみだ。ただ、もう競竜を観に行く許可は降りんのだろうなあ」
「誰からの許可ですか?」
最上は横目でちらりとあげはを見た。
「……医者かな」
「それなら、体の状態が良くなれば、きっとまた競竜場に行けるようになりますよ」
そう言って微笑む岡部に、最上はふっと鼻を鳴らした。
「そうだな。目標があると治りも早いというからな。そこを目指して養生に励むとしよう」
「奈菜と幸綱が、その日を楽しみにしていますよ」
最上は梨奈の両脇にいる二人の子供に目を向け、優しく微笑んだ。
「そうだったな。幸君と口取りをしてあげないといけないんだったな」
最上は奈菜と幸綱を呼び寄せ、「また一緒に旅行に行こうな」と頭を撫でた。
奈菜も幸綱も「うん」と返事し、嬉しそうな顔をした。
十月に月が替わった。
月初に坂井が土肥に試験に行く挨拶にやってきた。
「いつものように修善寺の小宿を取ってもらったので頑張っておいで」と言って送り出した。
厩舎が大変な時に、ずっと試験勉強で心苦しいと坂井は何度も言っていたが、受かったらこき使うからと岡部はその都度笑った。
今年も騎手候補は出羽郡の竜術部出身の子で、全国大会で優勝した子らしい。
かつては出羽郡の代表として全国大会に出場しても、一次予選敗退が日常だった。
どれだけ紅花会から支援をしても、定期的に大会を開催しても、部員無しで廃部する中学校が後を絶たなかった。
変われば変わるもので、竜術部のある学校はここ数年増え続けており、強豪校と呼ばれるような学校も現れた。
わざわざ幕府から出羽郡に伝手を頼って入学する子もいるのだとか。
定例会議が開かれた。
参加者は、成松、服部、畠山、新発田、荒木、能島、真柄。
参加者は、本題の前に先月の『大空王冠』の話で盛り上がっている。
『総理大臣賞』の時と同様、岡部厩舎の『サケジョウラン』と武田厩舎の『ハナビシテンデン』の一騎打ちだった。
岡部が飛燕を作ったのを参考にし、皆、飛燕を作っているため、飛燕のほとんどが短距離竜か中距離竜で、重賞級の長距離竜はその二頭以外には、まだ藤田の『イナホツルギバ』と杉の『サケキンソウ』しかいない。
『イナホツルギバ』も『サケキンソウ』まだ成長途上。決勝までは残ったが、前二頭に付いていくのがやっとという感じだった。
『テンデン』の赤松が逃げ、『ジョウラン』の畠山が追走という展開で最終周まで飛んだ。
畠山は一角の滑空で早くも仕掛けた。
赤松はまだ三角で並べば最後に巻き返せると思っていたらしい。
だが畠山は丁寧な位置取りで三角まで最内を飛び、三角からの滑空でも内を譲らず、四角も最内を綺麗に回り飛行に入った。
最後の追い比べで、『ジョウラン』は『テンデン』に一竜身つけるという完璧な勝利をあげたのだった。
競争後、赤松は「岡部先生がいないから狙い目と思っていたが、いないほうが強いかもしれない」と、苦笑していたらしい。
いよいよ本題になった。
今回の『天皇賞』は飛燕が八頭出走する予定である。
うち西国竜は六頭。
確実に二頭は予選落ちする。
「止級みたいに最終予選から現地でやってくれれば良いのに」と成松がぼやいた。
「今後の事を考えれば予選落ちはちょっとね」と岡部も苦笑い。
「そういえば、来年、パルサ遠征するんですよね」
殊更、そんな事を荒木が聞いたのは、そのために『八田記念』を回避するという方針を聞いているからである。
「そうだね。だからここで成績の良かった方を、最高賞金額の競争に出すつもりではいますよ」
「さ、最高賞金額!」
皆がごくりとつばを飲み込む。
「主三国と違って、スィナンの爺さんのとこは嫌がらせはしてこないだろうからね」
「ぜひ、出走したいとこですよね!」
荒木の言葉に、皆がうんうんとうなづいた。
「ただねえ……」
「何かあるんですか? そんな躊躇うような」
「その月は叙勲がね……」
畠山が「うげっ」と変な声を発した。
そんな畠山を見て岡部は思わずぷっと噴き出した。
「あれって後回しにしてもらえるもんなんですかね」
引きつった顔で荒木が「さあ」と首を傾げた。
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