第45話 到着
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の厩務員
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…専業主婦
・戸川梨奈…戸川家長女
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・氏家直之…最上牧場の場長
・長井光利…戸川厩舎の調教助手
・池田…戸川厩舎の主任厩務員
・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員
・坂崎、垣屋、並河、牧、花房、庄…戸川厩舎の厩務員
・木村、大野…戸川厩舎の厩務員、解雇
・荒木…戸川厩舎の厩務員
・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手
・本城…皇都競竜場の事務長
・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員
・吉川…尼子会の調教師(呂級)
・南条…赤根会の調教師(呂級)
・相良…山桜会の調教師(呂級)
・津野…相良厩舎の調教助手
・井戸…双竜会の調教師(呂級)
・日野…研修担当
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・高城胤弘…三浦厩舎の調教助手
・大森…幕府競竜場の事務長
翌朝、最上と朝食をとっていると戸川から連絡が入った。
朝飼を与えてから引き運動をし、竜運車に乗せ幕府に向かわせたという事だった。
到着したらすぐに『なり』で走らせようと思うと相談すると、普段なら大丈夫だが三浦さんに相談した方が良いと言われた。
会長が来ている事を伝えると、僕じゃなく君に行かせて正解だったと電話の向こうで失笑していた。
食事に戻り竜運車が向こうを出た事を伝えると、最上は早くて十二時頃というところかと言って時計を見た。
それまで時間がだいぶあるから、三浦のところに行く前に一風呂あびてから行こうと誘った。
目黒の宿は室内大浴場があり温泉をうたってはいる。
だが硫黄臭はなく、少し粘度があるだけのごく普通の湯に感じる。
最上は湯船にだらりと体を預けると岡部を見た。
「『雷神』殿だがね、予選二戦全く違う走りだったが何か意図があったのかね?」
岡部が周囲を確認するしぐさをしたのを最上は見逃さなかった。
「何かあるのか? 『セキラン』に」
「実は今、『セキラン』の致命的な欠点が判明しています」
岡部はなるべく小声で、先日発覚した松下の話を最上に打ち明けた。
「あれだけの能力を制御できんのか……」
岡部は黙って首を縦に振った。
「いや、あれだけの能力だからこそ制御が難しいのかもな」
「純粋に不器用なのかもしれませんが」
紅花会ではあそこまでの竜は初めて所有するらしい。
だから最上も色々と勝手がわからないらしい。
「だが、報道には絶対知られるわけにはいかんな」
「知られれば絶対に対策されるでしょうね」
具体的にどんな対策がかんがえられるかと最上は尋ねた。
岡部はじっくり考え込み、前目で競争をするので小細工は難しいと思うと回答した。
「『セキラン』の方の対策はできなさそうなのか?」
「今後調教で対処できるかもしれませんが現状ではもう……」
最上は唸り声をあげ天井を仰ぎ見た。
二人が大井駅に到着すると競竜場前は報道陣で溢れかえっていた。
こんな時間からご苦労なことだと最上は冷めた目で報道を見ている。
最上も先日の皇都の狂乱ですっかり報道が嫌いになったらしい。
その報道陣の中から最上会長だという声が上がると一斉に二人に群がってきた。
最上は群がる報道を冷たい眼で睨みつける。
報道陣はその威圧に気負いし黙り込んだ。
二人は守衛を通り真っ直ぐ三浦厩舎に向かった。
すると厩舎前も報道陣で溢れかえっていた。
その報道の中を割って入っていくと事務室に武田会長が座っていた。
「ずいぶん重役出勤だね。最上さん」
最上は振り返りもせず後ろを指差す。
「こいつらがなかなか通してくれなくてな」
今回は厳戒態勢で行くから安心して欲しいと言って武田は最上に右手を向ける。
「それでももし何かあったら?」
「その時は私が責任をとるよ」
最上は一瞬押し黙った。
「……会長椅子の座り心地に飽きたのか?」
「手は出させないって言ってるんだよ!!」
岡部は正木に連れられて竜房に向かっていった。
一頭一頭説明を受けて体を揉むと、これは今のままでや、これはこれからだとか、これは距離を変えた方が良いなどと評価していった。
竜房から事務室に戻ると、最上と武田が無言で睨み合っていた。
そこに事務棟から事務員が入って来て武田に耳打ちをした。
武田が秘書に何事かを伝言すると、秘書は事務員と二人で急いで事務室を出て行った。
「最上さん。さっそく謝罪する事ができた。竜運車を報道の車が取り囲んで走っていて高速道路で渋滞が起きているそうだ」
最上は無言で右手で目を覆った。
「今秘書に言ってどこの報道か調べさせている。処分するよ。言い訳は聞かない」
最上は冷めた目で武田を見ている。
「『公正競争の原則』とは何なんだろうな?」
「問題点を洗い出し全て対処する。経過じゃなく結果を見てくれ」
最上は呆れ顔で武田を見た。
すると今度は三浦厩舎の厩務員が中に入ってきて三浦に耳打ちした。
「申し訳ないのですが、その……周辺の厩舎から苦情が出始めたようです」
言いづらそうに三浦は最上と武田に報告した。
武田は三浦に頭を下げると、電話を借り事務棟に連絡を入れ、対策本部を事務棟に作ってもらうように申請した。
昼になると最上は三浦厩舎に戻ってきて、外に昼食を食べに行こうと誘ってきた。
三浦が近所に良い天丼屋があると言って、そこに行く事になった。
三浦は高城を残し清水主任と正木を引き連れ岡部と競竜場を出た。
最上は天ぷらを食べながら武田会長の見通しの甘さを愚痴った。
「武田さんは大口は叩くんだがな。事態が頭の上を通過していくらしくてな」
「これで『セキラン』が来たらと思うと思いやられますね」
岡部は最上に呆れ口調で言って首を振った。
うちらも皆一様に不安がっていると清水も言い出した。
「今回、竜主会の他に執行会も対応しているんだがね、会派の従業員や竜主会の事務員ほど、執行会の事務員は有能じゃないんだよ。だからそこが全部後手後手でな」
最上はやれやれといった顔をした。
慣れない対応にてんてこ舞いしてるんでしょうなと三浦は笑い出した。
「そろそろ、あの人も何かに気づく頃だろう」
四人が競竜場に戻ると、あれだけいた外の報道がほとんどいなくなっている。
厩舎棟に入ると報道の数が明らかに少なくなっている。
最上は事務棟に行き、他三人は厩舎に戻った。
厩舎に戻ると高城から何が起きたのか報告を受けた。
お昼に武田会長が競竜場の競技場を解放し、全ての報道関係者を集め会見を開いたらしい。
厩舎棟に入っている報道関係者も全員競技場に向かって行った。
三浦厩舎の厩務員も数名休憩をずらして見に行っていた。
報道各社は『サケセキラン』について何かしらの報告が行われるものと思い大喜びで押し寄せた。
緊急で生中継を組んだ報道も多かった。
そこで武田会長の口から発せられたのは、残念ながら報道が期待したものとはある意味真逆の事だった。
武田は開口一番、報道によって現在公正競争が脅かされていると報道批判をした。
突然で中継を切る間もなく武田による報道批判を流してしまった報道各社は一泡吹かされる形になった。
その後武田は、現在ここまでで報道協定違反を犯した報道機関の一覧を公表。
竜主会として訴訟を通告し一切の申し開きは聞かないとぴしゃりと言ってのけた。
「ああ。竜主会をキレさせちゃって。知らねえぞ」
三浦は岡部に引きつった顔を向けた。
「でもこれで安心して『セキラン』を受け入れできるね」
正木は岡部に微笑んだ。
「本番はこれからですよ……」
岡部は冷たく伏し目がちな顔を二人に向けた。
三浦たちは競走の事だと解釈したが、岡部の真意は別のところにあった。
予定から四時間遅れで『セキラン』は幕府競竜場に到着した。
『セキラン』は竜運車から降りると辺りをきょろきょろと見回した。
武田や最上、記者、三浦厩舎の厩務員の中に岡部の姿を確認したらしい。
鳴き声をあげて岡部に近づきたがる仕草をしている。
岡部が近寄り首筋を撫でてやると『セキラン』は心地の良い鳴き声をあげた。
岡部は少し流したいと清水に伝え、高城に連れられ厩舎へ行き、緩衝着と防護帽と長靴を借りた。
調教場に戻ると清水が引き運動を済ませてくれていて、歩様は問題ないみたいと岡部に告げた。
岡部は『セキラン』に乗り輪乗り場に引き入れると輪乗りを始めた。
『セキラン』の体がほぐれたところでゆっくりと直線路に入れ『セキラン』の気持ちをほぐす程度に緩く走らせた。
戻ってくると記者が待ち受けていた。
『セキラン』は僕が竜房に持っていくと言って清水が曳いて行った。
岡部は記者に囲まれ『セキラン』の調子はどうかと問い詰められた。
岡部は記者たちをひと睨みした。
「異常に長い輸送を強いられて、さすがに疲れたみたいですね」
岡部は防護帽を取ると作り笑いを浮かべ皮肉たっぷりに記者に答えた。
記者はざわついていたが、岡部は気にせずその場を後にした。
夕方、最上、岡部、三浦の三名で目黒の宿で夕食をとった。
厩舎で話し合い、高城、清水の二人が特別体制で厩舎に泊まりこむ事になった。
最上は昼食以降、武田と行動を共にしたらしい。
武田は暇さえあれば執行会の無能さを愚痴っていたのだとか。
「従業員を無能だと蔑むようになったら経営者は終いだと言ってやったら、悔しそうな顔をしていたよ」
最上は高笑いしながら麦酒を呑んだ。
「でもあれで報道が綺麗にはけるんだから、武田会長も喧嘩の仕方をよく心得てますな」
三浦も麦酒を呑みながら笑った。
「まあな。今回はかなりご立腹のようだから徹底的にやるかもしれんな」
それを聞き、絶対怒らせるとまずい質の人だと岡部が笑った。
「そうだな。私も今回の件で伊達や酔狂で稲妻牧場を経営しているわけじゃないと感じたよ」
最上は麦酒を呑んで笑い出した。
岡部は昨日より深刻そうな顔をしており、呑んでいた麦酒を置いた。
最上も岡部を少し真面目な顔で見た。
「君はいつ事が起ると予想している?」
岡部は少し言いよどみ、ため息のように小さく息を吐いた。
「恐らくですが、明後日の午後から翌日の午前ではないかと」
「そうか……覚悟しておくとするか」
二人の会話の意味を三浦は理解できなかった。
だが二人の表情から間違いなく悪い事だという事だけは察した。
岡部は少し話題を変えた。
「『セキラン』ですけど、一乗りした感じでは状態は良さそうでしたね。輸送もあまり気にしてないようです」
それは重畳と最上は笑顔を向けた。
「たまにいるんだよ。外の景色見て輸送を愉しむ仔が。『セキラン』もその質かもしれんな」
三浦が岡部の顔を見て笑った。
「じゃあ逆もいるんですか?」
「逆の方が圧倒的に多いよ。酷いと降りた瞬間に乗り物酔いで倒れる仔もいる」
そう言えばという感じで、三浦は岡部の顔を見てにやりと笑った。
「笑顔で記者に皮肉言うんだもんなあ。あれには笑わせてもらったよ」
がははと笑って三浦は麦酒を呑んだ。
「私も見ていたが噴出しそうになったよ。武田さんも良く言ったと言って大笑いしていたぞ」
最上もがははと笑って麦酒を呑んだ。
「さすがにね。みんな怒ってるんだぞとわからせようと僕も思いまして」
岡部は照れくさそうに麦酒を呑んだ。
「そう言えば、以前戸川が言ってたな。普段は温厚だけど、たまに冗談が通じず肝が冷えるのを感じるって」
最上の指摘に岡部は腕を組み、そんな姿見せたかなあと悩みだした。
「私もあの牧場の時はちょっと肝が冷えたな。例の氏家がしつこく誘った時」
「あれはさすがに。会長まで話に乗ろうとするんですもん」
氏家が厩舎を辞めて牧場で働いてくれと誘ったと最上が三浦に説明した。
それは戸川が承知しないでしょと三浦は大爆笑だった。
「あの時、戸川ずっと気落ちしてたもんなあ」
「僕はいたって温厚な人間ですよ。きっと」
岡部は最上の顔を困り顔で見た。
ここまでの話で説得力は皆無だなと三浦は大笑いした。
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