第23話 妨害
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・岡部幸綱…岡部家長男
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(呂級)。夫は中里実隆
・杉尚重…紅花会の調教師(伊級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(伊級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)
・藤田和邦…清流会の調教師(伊級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・畠山義則…岡部厩舎の契約騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・能島貞吉…岡部厩舎の主任厩務員
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・成松…岡部厩舎の副調教師
・垣屋、花房、阿蘇、大村、真柄…岡部厩舎の厩務員
・長野業銑…岡部厩舎の調教師補佐
・関口氏勉、高橋圭種、遊佐孝光…岡部厩舎の厩務員
・坂井政則…紅花会の厩務員
・富田、山崎、魚住…岡部厩舎の用心棒兼厩務員
・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は小平生産顧問
・三木杏奈…岡部厩舎の女性厩務員兼ブリタニス語通訳
・江馬結花…岡部厩舎の女性厩務員兼ゴール語通訳
・香坂郁昌…大須賀(吉)厩舎の契約騎手
・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)
・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手
・ラシード・ビン・スィナン…パルサ首長国の調教師
・チャンドラ・ブッカ…デカン共和国の調教師
・ラーダグプタ・カウティリヤ…デカン共和国の調教師
・アレクサンドル・ベルナドット…ゴール帝国の調教師
・エドワード・パトリック・オースティン…ブリタニス共和国の調教師
・クリーク…ペヨーテ連邦の調教師
――ゴール帝国は中央大陸の西の端に位置している。
広い平地に何本もの大河というゴールの地形は、古くから人が住むのに非常に適していた。
この地方を南の地中海の都市国家が征服する事になった。
この頃の地中海地域は竜を操るという技術に乏しく、専ら歩兵による集団戦法を駆使していた。
平地の多いゴール周辺は比較的侵略しやすかったのだろう。
この地中海国家は何度か政治形態を変え、最終的に帝政を採用する事になる。
平地の豊富な生産力を基盤に遠征に遠征を繰り返し、周辺部族を吸収し、大帝国に発展していった。
だが、そんな広大な版図を統治できるような有能な皇帝ばかりではない。
気が付くと帝国は四散し、地方政権が割拠していく事になった。
こうしてゴールは、比較的早くから王国として運営されていく事になった。
豊かな経済力に支えられてゴールの王権はかなり強固ではあったのだが、隣国ブリタニスの王室と複雑な婚姻関係を結んでいたのが仇となり、領土問題が勃発する事になる。
この戦争は非常に長く続き、国土の荒廃と市民の困窮を招く事になる。
さらに外交政策の失敗から対外戦争が頻発すると、市民の怒りは頂点に達する事になった。
堅固だった王室は大規模な市民反乱によって、あっけなく崩壊。
だが、王室無き後の統治は非常に難航した。
市民を置き去りにし、貴族たちが統治者の椅子を争い、いがみ合った。
そんなゴールの惨状を見た周辺諸国は、好機と見て国境線を脅かしてきた。
そんな窮乏極まりないゴールに一人の英雄が現れた。
その男はまさに戦争の天才だった。
砲兵と呂級竜騎兵を巧みに操り、国難の数々を戦争によって解決していった。
こうして男は、ゴールの初代皇帝の座に就く事になった。
その後、帝国は立憲君主制に移行し、今に至っている――
記者会見の後、スィナンとブッカは岡部たちの大宿へとやってきた。
スィナンの横にいた人物は、『アル・マルマート』という報道機関の番記者だった。
スィナンの協力依頼というのは、取材協力の事だった。
アル・マルマート局は国際的な報道機関らしく、パルサ語だけでなく、複数の言語に訳されて放送されている。
瑞穂語でも放映されていて、無料で見る事ができる。
当然、ゴール語でも放映されている。
その日の速報として、今回のゴール競竜協会の岡部、武田への仕打ちが報道される事となった。
さらに同じ内容をデカンの『アブパラサーラン局』も報じた。
それを受けてブリタニスの『BNS局』も報道した。
どちらも、アル・マルマート局と同様の国際的な報道機関である。
ゴール国内の反応はそこまででは無かったが、諸外国からは批判が殺到する事になった。
特に、司会が放った「知恵の遅れた国の言語を喋れるような、恥ずかしい人間がいるわけがない」の一言は、繰り返し報道された。
これに一番辛辣な報道をしたのはBNS局で、「皇帝陛下の臣民がこれでは、陛下の程度が知れる」と嘲笑した。
『皇帝陛下の臣民』というのは、ゴールで何か栄誉があると、ゴール人がよく口にする有名な語句なのだとか。
その一方で、デカンカップを優勝した『準三国の新星』の話は非常に好意的に報じられた。
その報道の中で、スィナンは岡部を『我が志を継ぐ者』と紹介した。
ブッカは、「デカン競竜界に劇的な意識改革をもたらした」と発言した。
これまで海外に及び腰だった若者が、こぞって海外に目を向けるようになってくれた。
今後、デカンだけでなく、世界の競竜界に大きな変革をもたらせてくれる事だろうと。
岡部と武田も、アル・マルマート局の演出に乗り、「何で自分たちがこんな酷い仕打ちを受けなければならないのか」と言って暗い顔でうつむいた。
「あれほど瑞穂に公正競争について言っておいて、自分たちはこれなのか」と映写機を見つめた。
「こんな臣民では、ゴールの陛下が憐れだ」と、ため息交じりに言った。
「岡部も言いますね。『ゴールの陛下が憐れだ』なんて」
翌朝、ベルナドットが岡部の仮厩舎に来て腹を抱えて笑った。
「全てアル・マルマートの台本ですよ。僕も言ったんですよ。そんなに挑発して大丈夫だろうかって」
「宮内省から協会にお叱りがきたそうですよ。陛下の威光を辱めるような事をするなと」
いい気味だと言ってベルナドットは大爆笑であった。
「何で昨日の会見は、あんな事になってしまったんです?」
「どうやら、あなたたちに喋らせないようにして、まともに会見もできない『知恵遅れ』と報じてもらうつもりだったようですね」
「差別意識の塊のような奴ら」と武田が言うと、ベルナドットは、「残念ながら、これが我が国の一端」と苦虫を嚙み潰したような顔で言った。
「だけど、皆が皆そういう人じゃない。そんな現状を憂える人も多い。岡部のあの発言で、不届きものたちに鉄槌が下されたと喜ぶ声も多いんだよ」
「また、こうやって僕は恨みを買っていくんだ」
お茶らけた態度の岡部に、ベルナドットは急に真面目な顔になった。
「岡部。武田。こっちの報道の対応は十分気を付けてくださいね」
ベルナドットの話によると、ゴールの報道は大きく左右に二分しているらしい。
右翼紙の代表ともいえる、『ソレイル・インペリエル紙』と、左翼紙の代表ともいえる『ル・ラポール紙』。
今回、どちらの新聞も、アル・マルマート局の報道を好意的に受け取った。
ソレイル・インペリエル紙は、来客に非礼を働いた競竜界を批判。
ル・ラポール紙は、帝室の威光とやらのせいでゴールの民衆が辱められたと報じた。
「誰の案か知らないが、ここまでは完璧でした。だけど、今後の対応によってはどう転ぶかわからない。何かあったら協会を批判する。気軽に陛下を刺激する言葉を使わない。弱気を見せない。それを心がけてください」
ベルナドットは真顔で岡部と武田に助言した。
入国初日は小さな嫌がらせを何度も受けたが、二日目からはそれがピタリと止んだ。
その数日後、二次予選の竜柱が発表になった。
岡部の『サケセイメン』はドーヴィル競竜場で、武田の『ハナビシシュウテイ』はロンシャン競竜場での出走となった。
ブッカもドーヴィルの出走らしく、岡部たちはブッカたちとドーヴィルへ向かった。
ドーヴィル市は帝都シテからすると西北西の海岸沿いにあり、セーヌ川河口から少し南西に行った港町である。
そんな港町の一角にドーヴィル競竜場はある。
報道の影響か、はたまた宮内省の叱責が効いたのか、今回は岡部たちの到着とほぼ同じ時刻に竜運車は到着した。
念のため乗っていたブッカの随員も、問題は無かったとブッカに報告した。
事前にベルナドットから、ギョーム・エリー・ブリューヌという人物が訪ねると言われていた。
仮厩舎で待っていると、すぐにそのブリューヌが訪ねてきた。
ブリューヌもベルナドット同様かなり若い。
ただ、ベルナドットが代々調教師の家系なのに比べ、ブリューヌは騎手上がりの叩き上げ。
年齢もベルナドットより少し上である。
来る早々にブリューヌは飯を食いに行こうと岡部を誘った。
一件の食事処に入るとブリューヌは、「報道見たよ、痛快だった」と大笑いした。
「ベルナドットは良い奴なんだが、帝室崇拝が過ぎる。帝室なんて、あれくらいの扱いで丁度良いんだよ」
ブリューヌは上機嫌で食事を取った。
「僕は競竜しに来たんであって、政治闘争しに来たわけじゃないよ」
そう不機嫌そうに岡部は言った。
するとブリューヌの顔がすんと真顔になった。
「その態度はよろしくないな。我々は君に大いに期待しているんだから」
「たかが海外の一競竜師に大袈裟な」
「大袈裟? おいおい、私は君の竜なら、ルフェーヴルの傑作『トライアンファル』に勝てると聞いてるんだよ。皇帝の所有する最強竜にね」
その発言で、岡部は自分が置かれた状況をある程度把握した。
『トライアンファル』という皇帝所有の竜を、外国人である自分が負かすんじゃないかと注目されているという事に。
自分たちが勝てば右派は面目丸つぶれ、左派は大喜びとなるのだろう。
「そうか。だから、あんなに嫌がらせされたのか」
「あれが、王党派のやり口なんだよ。皇帝の威光のためなら何をしても許されるというね」
反吐が出るとブリューヌが吐き捨てるように言う。
「ベルナドットも、そちら側の人間と」
「彼の家は比較的中立寄りだよ。彼なんて、うちらと同じ共和派なんじゃないかと勘違いする時すらある」
「まず競争を見てくれ、期待云々はそれからにしてくれ」と、岡部はブリューヌに言った。
ブリューヌは鼻を鳴らし、「期待している」と言って葡萄酒を傾けた。
二次予選、『サケセイメン』はブリューヌが想像していた以上の圧勝劇だった。
ゴールは瑞穂やデカン同様、最終予選まで別会場となる。
最終予選も『サケセイメン』はゴールの竜たちを子供扱いして勝利。
ブリューヌの『リコルティ』、ブッカの『ヴィシシュカダム』も最終予選を突破。
ロンシャンではスィナンの『モハレジュ』、ベルナドットの『ラ・リュミール・ブルー』、オースティンの『ヘイスティングス』も決勝に駒を進めた。
最終予選を終えた岡部、ブッカ、ブリューヌは竜をロンシャンへ輸送。
自分たちもロンシャンへと向かった。
枠順抽選会は、ゴールに来てすぐの会見と異なり、かなり穏健な雰囲気で終わった。
本戦を翌日に控えた土曜日、ロンシャン競竜場の仮厩舎で武田厩舎の面々と、ああでも無い、こうでもないと話をしていた。
「お? そろそろ貴賓の方々がお見えになる頃合いだね」
時計を見た岡部がお道化て言った。
「おっと。ちゃんとお出迎えに参上せえへんとな。へそを曲げられてまうからな」
武田が笑うと、「我ら従者は辛いですね」と服部と板垣が大笑いした。
岡部たち四人がセーヌ川沿いアルマ橋近くの雷鳴会の大宿に向かうと、団体客が受付を済ませ、待合椅子に座っていた。
だが、その表情は皆暗かった。
明らかに何か問題が発生している、四人はその光景を見てすぐにそう感じた。
岡部は武田と顔を見合わせ、義悦と信勝会長の元へと近づいて行った。
岡部たちの姿を見て皆が目を反らす。
すると、武田の妻の華那が二人を見て「わあ」と声をあげて泣き出した。
「いったい何があったんですか?」
そう岡部が口にすると、義悦はピクリと体を震わせた。
「先生。申し訳ありません。奈菜ちゃんが誘拐されてしまいました……」
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