第20話 来瑞
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・岡部幸綱…岡部家長男
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(呂級)。夫は中里実隆
・杉尚重…紅花会の調教師(伊級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(伊級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)
・藤田和邦…清流会の調教師(伊級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・畠山義則…岡部厩舎の契約騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・能島貞吉…岡部厩舎の主任厩務員
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・成松…岡部厩舎の副調教師
・垣屋、花房、阿蘇、大村、真柄…岡部厩舎の厩務員
・長野業銑…岡部厩舎の調教師補佐
・関口氏勉、高橋圭種、遊佐孝光…岡部厩舎の厩務員
・坂井政則…紅花会の厩務員
・富田、山崎、魚住…岡部厩舎の用心棒兼厩務員
・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は小平生産顧問
・三木杏奈…岡部厩舎の女性厩務員兼ブリタニス語通訳
・江馬結花…岡部厩舎の女性厩務員兼ゴール語通訳
・香坂郁昌…大須賀(吉)厩舎の契約騎手
・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)
・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手
・ラシード・ビン・スィナン…パルサ首長国の調教師
・チャンドラ・ブッカ…デカン共和国の調教師
・ラーダグプタ・カウティリヤ…デカン共和国の調教師
・アレクサンドル・ベルナドット…ゴール帝国の調教師
・エドワード・パトリック・オースティン…ブリタニス共和国の調教師
・クリーク…ペヨーテ連邦の調教師
大津に戻った後、両重賞の祝賀会が開催された。
伊級に来て初の祝賀会で杉はかなり興奮している。
原は目ざとく服部を見つけ、首を抱えて酒を呑んだ。
「今回はやられた!」と言って、松下が上機嫌で原に酒を注いでいる。
「やりましたね!」と畠山も原に酒を注いでおり、騎手四人は早くも大盛り。
がはははと笑いながら原が酒を呑みまくっている。
「今回勝つには勝ったけど、短距離は秋には飛燕がかなり増えるやろうから簡単にはいかへんやろうな」
「じゃあ、いよいよ岡部先生が以前言っていた、飛燕を作れる上位数人が不動の順位になるって段階になるんですね」
杉と義悦がしみじみと言い合った。
会長の言葉に、木幡、弘中、庄、並河といった杉厩舎の幹部はかなり驚いている。
「岡部先生、その次はどうなると考えているんでしたっけ?」
そう義悦が聞くと、岡部は微笑んで中野を指さした。
それに気づいた中野夫妻が、義悦たちを見て首を傾げる。
「次は馴致ですよ。その次は元に戻って、血統やら、調教技術やら、騎手の駆け引きやらの勝負になると思います」
するとみつばが得意気な顔で鼻を鳴らした。
「綱ちゃんに言われて、もうとっくに手を付けてるわよ。もう少しだと思うから楽しみにしててよ」
「さすがですね。打つ手が早くて助かりますよ」
義悦はご満悦なのだが、木幡たちや荒木たちは、ここまでの会話に驚きを通り越して思考停止している。
杉は話の途中で酔いが回って首を垂れてしまった。
月が替わり六月となった。
伊級は国際競争の『竜王賞』が、止級では『海王賞』の前哨戦の『さざ波賞』と『藤波賞』が開催される。
祝賀会で義悦は岡部に一つの依頼をしている。
『サケヤコウウン』の引退である。
元々、『ヤコウウン』は生産顧問の小平の希望で、新竜戦のみで引退の予定であった。
小平顧問からしたら、さっさと次の世代を見たかったのだろう。
だが、最上と義悦、二人ともに強固に反対した。
『ヤコウウン』を生産した牧場の話を聞いている二人は、牧場に恵みを落としてあげたいと切望したのだった。
じゃあ『駒鳥賞』まで。
精一杯折れた小平顧問の譲歩がそこだった。
『ヤコウウン』の引退手続きを取った岡部は、止級の予定を立てるために太宰府へと向かった。
『センカイ』は昨年より一回り成長し元気いっぱい。
昨年、不測の事態で怪我をした『シュツドウ』は体調万全で、『さざ波賞』でどの程度通用するか楽しみ。
『コンコウ』の本格化は来年だろうが、現状でも『海王賞』で十分通用するだろう。
『センボウ』は、まだ新竜戦に出す段階では無く、早くて来月という感じ。
これが高橋と遊佐の見立てらしい。
新発田も概ね同感らしい。
ここまでの調教の報告を受け、実際の竜の状態を見て、三頭とも『さざ波賞』に使ってみようという事になった。
肝心の鞍上だが、『セイメン』が遠征に行く予定で『竜王賞』に出走しない。そのため服部が空いている。
そこで最も期待できると判断される『コンコウ』に服部が、昨年同様『センカイ』には原を、『シュツドウ』は松下にお願いする事になった。
今年の『竜王賞』は昨年とは一部顔ぶれが変わっている。
ブッカが回避し、デカンからはカウティリヤがやって来た。
スィナンも同様に回避し、弟子のフサイン・アル・アリーが来た。
アル・アリーは年齢は岡部と同じくらい。
スィナン同様、真っ白な長衣を身に纏い、頭に白い布を巻いている。
パルサ人特有のぱっちりとした目鼻立ちをしており、肌が浅黒く背が高い。
スィナンとは異なり、立派な口髭と顎髭は黒々している。
デカンでブッカがやってくれたように、岡部は三木を連れて協会職員と共に小田原空港へ向かい二人を出迎えた。
二人は会見で「初めての海外遠征で不安だったが、協会がちゃんと通訳を用意してくれて安心した」と述べた。
カウティリヤは、「岡部から誘われてここに来た。自分は岡部を見て海外遠征に強く興味を持った」と目を輝かせた。
アル・アリーは、「以前からスィナンに海外遠征を誘われていたのだが、なかなか踏ん切りがつかなかった。今回、『デカンカップ』を岡部が勝って、海外遠征に強く興味をかき立てられた」と笑顔を見せた。
カウティリヤたちが来た翌週、ベルナドット、オースティン、クリークがやってきた。
ベルナドットたちは会見で「止級を観に来いと岡部から言われたからやって来た」と笑いあった。
会見後、ベルナドットたちは岡部を呼び、止級を見せてくれとせがんだ。
「映像は見てもらったのだが、どうしても実物が見てみたい」と言ってベルナドットたちは目を輝かせた。
「決勝で会おう」と言ってカウティリヤとアル・アリーを藤田に託し、岡部はベルナドットたちを連れて浜名湖へ向かった。
浜名湖競竜場に着くと、井伊事務長にベルナドットたちを紹介した。
さすがにこの三人が誰かくらい井伊も紹介されずとも知っている。
ようは事務棟で面倒見てくれという事である。
井伊は、来瑞の間は事務棟の会議室を待機所として使うようにと通訳に案内させた。
木曜日、止級競争を見たベルナドットたちは大興奮だった。
あれはどういう意味か、これは何かと質問しまくっている。
松本と斯波を呼びつけ、三人でこれはこうだと通訳に説明しまくった。
さすがにベルナドットたちは世界でも一流の調教師なだけの事はある。
最終競争の頃にはすっかり止級を理解しており、展示泳走を見て、私は二枠が勝つと思うなどと言い合っていた。
興奮冷めやらぬ三人は、最終競争が終わると呑みに行こうと大はしゃぎ。
松本お勧めの弁天島にある浜焼きの呑み屋で打ち上げをする事にした。
「何でこんな面白い競争を、うちの国は導入しないんだろう?」
そのオースティンの疑問に岡部も斯波も黙っていた。
「俺たちに負けるのが嫌だから、最初から舞台そのものを無視しているんだろ」
二人に代わって松本が呟いた。
それを通訳が訳してしまい、三人の表情が強張った。
「岡部。あなたもそのように考えているのですか?」
「あなた方の国に行ってみないとわからないが、ドレークを見れば、現状はスィナン師の話の方に真実味があると思う」
ドレークの名前が出ると、オースティンは反論の術を失った。
代わりに鋭い目付きで目の前の串焼きを見て大きく頷いた。
「私は実績を上げてブリタニスの実力者になってみせる! そして必ず止級の競竜場を作らせてみせる!」
オースティンは麦酒をぐっと飲み、海老の刺さった串を掲げて気合を入れた。
そんなオースティンを斯波が、そんなに気に入ったのかと笑い出した。
「こんな面白いものを、今日まで知らなかった事が私は悔しいよ!」
そう言ってクリークが斯波に向かって握った拳を見せた。
「老人には老人の考えがあるだろう。だが、我々の世代がそれを押し付けられる筋合いは無い。次の世代に移行するには、老人たちの目を覚まさせる必要がある。それができるのは、岡部、あなただけだ」
ベルナドットはそう言って岡部の肩に手を置いた。
皆の視線が岡部に注がれる。
「来月、あなたの国で、どんな事が待っているのやら」
岡部は静かに麦酒を呑んだ。
翌週、岡部は太宰府にいた。
最終予選の竜柱を見た岡部は、かなりがっかりした表情をし、ため息をついた。
岡部から竜柱を受け取ると、能島も「うわっ」と声を発して高橋に渡した。
高橋と遊佐は竜柱を二人で見て絶句。
岡部厩舎の三頭が全て同じ競争だったのである。
止級の最終予選は全て決勝と同じ競竜場で行われる。
金曜日に二競争、土曜日に二競争。
その金曜日の二戦目に三頭は集中したのである。
「まあ、他も役者がそろってるからね。ばらけたところで各個撃破だったかもしれないけど」
「同じ競争に松永先生の竜も出てますね」
「野口騎手も止級巧いからなあ……」
岡部と能島二人でため息をついた。
翌日、今度は『竜王賞』の最終予選の竜柱が発表になった。
カウティリヤとアル・アリーは、ブッカとスィナンから色々と聞いて来ているらしく、東国を選んでいる。
クリークも前回の事を踏まえて東国に逃げた。
だが、オースティンとベルナドットは西国を選んだ。
そんなオースティンとベルナドットは、それぞれ別の予選になった。
オースティンは岡部の『ダンキ』と、ベルナドットは武田の『ハナビシヨウモン』と同じ予選。
カウティリヤは藤田の『イナホユウバエ』と、アル・アリーはクリークと同じ予選になった。
よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。