第17話 歓喜
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・岡部幸綱…岡部家長男
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(呂級)。夫は中里実隆
・杉尚重…紅花会の調教師(伊級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(伊級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)
・藤田和邦…清流会の調教師(伊級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・畠山義則…岡部厩舎の契約騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・能島貞吉…岡部厩舎の主任厩務員
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・成松…岡部厩舎の副調教師
・垣屋、花房、阿蘇、大村、真柄…岡部厩舎の厩務員
・長野業銑…岡部厩舎の調教師補佐
・関口氏勉、高橋圭種、遊佐孝光…岡部厩舎の厩務員
・坂井政則…紅花会の厩務員
・富田、山崎、魚住…岡部厩舎の用心棒兼厩務員
・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は小平生産顧問
・三木杏奈…岡部厩舎の女性厩務員兼ブリタニス語通訳
・江馬結花…岡部厩舎の女性厩務員兼ゴール語通訳
・香坂郁昌…大須賀(吉)厩舎の契約騎手
・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)
・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手
・ラシード・ビン・スィナン…パルサ首長国の調教師
・チャンドラ・ブッカ…デカン共和国の調教師
・ラーダグプタ・カウティリヤ…デカン共和国の調教師
・アレクサンドル・ベルナドット…ゴール帝国の調教師
・エドワード・パトリック・オースティン…ブリタニス共和国の調教師
・クリーク…ペヨーテ連邦の調教師
ハイデラバードの大宿が歓喜に包まれている。
このためにデカンまで来ていた瑞穂の一般客が大量に宿泊していて、競竜場から帰った後も興奮冷めやらぬという感じだった。
従業員にも瑞穂人が多く、報を聞いて涙する者までいる。
岡部たちも祝賀会をしようとしていたのだが、どこからともなく「ダンキ! ダンキ!」という合唱が聞こえてくる。
義悦の随員で来ていた志村が「うちの会員さんを結構見かける」と言って笑っていた。
それを聞いた義悦はにっと笑い、大崎に何かを指示。
大崎は笑い出して「ちょっと宿と交渉してきます」と言って会場を抜けた。
しばらくして大崎が戻ってきて「暴れて物を壊したり、汚したりしなければと言われた」と報告。
義悦は酒と料理を大宴会場に運ばせ、館内放送で宿泊客に向けて「大宴会場で祝賀会を行う」と放送してもらった。
一人また一人と半信半疑で大宴会場に現れた宿泊客は、目の前に優勝杯と料理、酒が置かれている状況に驚いた。
さらに驚いたのは、会長、岡部師、畠山騎手が正装で立っていた事だった。
ある程度人が集まったところで義悦が挨拶すると、会場は大盛り上がりとなった。
岡部や畠山と写真を撮りたがる人が続出。
集まった方々の服や応援商品に岡部と畠山が署名をしまくっている。
よく見ると一般客に混ざって宿の従業員もいる。
どさくさに紛れて支配人まで岡部たちに署名をお願いしている。
優勝杯は中央奥の少し高いところに台に乗せて掲げられていて、このためにわざわざ持ってきたらしく、台に会旗が貼られている。
台の前に大崎と宮崎が立っていて、触らず写真だけにしてくれと参加者に促している。
この突発の特別な催しは、会報用の集合写真を撮影して一時間ほどで終了した。
だが参加者は興奮が冷めやらなかったようで、誰かが二次会に行こうと声をあげると、わいわいと外の酒場に向かって行った。
熱狂から一夜が明けた。
岡部と畠山は記者会見のためキズマットプルの事務棟へ向かった。
会見場では記者たちが口々に非常に強かったと絶賛。
ベルナドットとオースティンも『八田記念』より強くなっていたと舌を巻いた。
「『竜王賞』ではまだ途上だったんですよね。『八田記念』でやっと少し開花してきたという感じなんです」
そう岡部が発言すると、ブッカは目を瞬かせた。
「おいおい、これで山じゃないのかよ……」
「まだ山では無いんですけど、かなり山に近づいて来てはいますよ」
それを通訳が訳すと、《《次》》が楽しみとスィナンがベルナドットを見て笑った。
記者たちから、次はどこに行くつもりかという質問が出た。
通常であれば『デカンカップ』の後は、春の国際三冠であるペヨーテの『国際ステークス』に挑戦するのが一般と記者は言った。
「六月はできれば母国で迎え撃ちたいですね。ただ大目標を七月に設定しているので、それに向けて調整していきたいです」
『七月』といえばゴールのグランプリ。
記者たちから歓声があがった。
岡部はその歓声を途中で遮り、「それと」と言って話を続けた。
「八月の『海王賞』も出ないわけにはいかない。僕にとっては止級も重要な競争なんです。デカンからの挑戦もお待ちしていますよ」
発光器が一斉に炊かれ、一瞬岡部の視界が真っ白になった。
「岡部、一つ教えて貰えないだろうか。さっき君が言っていた『止級』って何の事なんだ?」
会見場から出るといきなりクリークが岡部にたずねた。
「いや、何の事って言われても泳竜の競竜ですよ」
そう説明すると、オースティンもベルナドットも首を傾げた。
するとスィナンが岡部の隣に立って少し煽るような顔で三人を見た。
「止級は面白いぞ! お前らの国にだって海はあるんだからやれば良いのに」
「いやいや、そもそも俺、そんな競竜見た事が無いんだよ」
そのオースティンの発言に岡部は思わず「えっ?」と声を発した。
「なあ、ブッカ。映像って無いの? ちょっと見てみたいんだけど」
そうベルナドットが言うと、ブッカは非常に面倒そうな顔をした。
「彼らはこれからの三国を担う調教師たちです。せっかく興味を持ってもらったんですから、見てもらいましょうよ」
そう岡部が言うと、ブッカは、なるほどと納得し、皆を資料室へと連れて行った。
「ほおお! これが止級なのか! 海中の競竜というからどんな感じなのかと思ったら、なるほどなるほど!」
昨年の『ナーガステークス』を見たクリークは大興奮で画面にくぎ付けになった。
「おい、これ発走はどうなっているんだ? なんで思い思いに発走してるんだ?」
オースティンもかなり興味津々で、何やかやとブッカに説明を求めた。
「なあ、ブッカ。竜の実物だけでも見てみたいんだけど、見せてもらえないかな?」
ベルナドットも目を輝かせてブッカの肩を叩いた。
「いやあ、見せてやりたいのは山々なのだが、いかんせんコルカタもチェンナイも、ここから遠くてなあ」
チェンナイはハイデラバードからすると遥か南の港町、コルカタは東の端の港町。
どう考えてもちょっと行こうという距離じゃない。
「そういう事なら再来月うちに来たら良い。ちょうど国際三冠のホルムズで『ジーベックステークス』があるぞ」
「いや、俺たちだって見たいのは見たいけど、ただその為だけにパルサまで行くってのもなあ」
そう言ってクリークが苦笑すると、スィナンは口を尖らせぶすっとした顔をした。
「そういう事なら『竜王賞』に来てくださいよ。その裏で重賞を開催してますから」
岡部の言葉に三人は、それならと顔を見合わせた。
「……一度、うちの競争体系を根本的に見直す必要があるかもしれん」
そう呟きスィナンが露骨に悔しがった。
仮厩舎に戻り、明日帰国の予定だから、竜の管理はブッカ厩舎にお願いしたので、今日中に観光を済ませて欲しいと厩務員たちに通達。
そこにブッカに伴われ、カウティリヤがやってきた。
「この後、何か用事はあるのか、無いようなら観光に行かないか」と誘ってきたのだった。
ブッカ専属の通訳がいるので言葉の問題は何もないはずと言われ、お言葉に甘える事にした。
勝手がわからないので、ブッカに義母と妻、二人の子供のお土産を選んでもらう事になった。
これが良いだろうとブッカはストールを選んだのだが、爺むさいとカウティリヤが大笑い。
ストールならこっちと、かなり派手めの物を推薦した。
ブッカの方を梨奈に、カウティリヤの方を直美に購入。
さすがにブッカは孫が何人もいるだけあり、子供用の物は完璧だった。
奈菜にはハンカチと香辛料をかたどったブローチ、幸綱には山羊革製の貯金箱を選んでくれた。
カウティリヤに「何か紹介できそうな物を探して来い」と命じて、ブッカは岡部の手を引き一件の装飾品店に入った。
「嫁さんにこっそり渡せ」と言ってブッカが真珠の首飾りを買ってくれた。
丁重に礼を言い二人で店を出ると、今度はカウティリヤが岡部の腕を引いた。
カウティリヤが案内したのはお菓子屋だった。
「うちの国に来る瑞穂の人たちは、ここのビスケットとお茶を、なぜか大量に購入していくらしいんですよ。なんでなんですかね」
そう言ってブッカにたずねた。
「お土産という美しい風習が瑞穂にはあるからだよ。彼らは経済というものがお金を流通させる事だというのを本能的に知っておるんだよ」
そう説明して、ブッカは岡部の背を叩いて高笑いした。
その後、昼食となった。
「この肉桂を入れて珈琲を飲むのが少し癖になってきてますよ」
そう言って岡部は微笑んだ。
ブッカとカウティリヤは手でそのまま食べるのだが、岡部は、どうにも手で食べるのに慣れず匙で食べた。
手で食べるのに抵抗があるという話をすると、ブッカは、作法なんかよりも食事をちゃんと楽しめるかどうかが大切だと笑った。
「なるほどね。何事も形に囚われて本質を見失ってはいけないという事ですね」
そう言って岡部が頷くと、カウティリヤも勉強になると言って唸った。
食事が終わるとブッカは、「初の遠征はどうだったか?」と聞いてきた。
「そうですねえ。右往左往している間に終わってしまいました。勝つには勝ちましたが、反省は多いですね」
「例えばどんな?」
「まず、食事を取ってから来るべきでした。こっちに来て空港で皆、空腹で苛々してたんですよ」
ブッカは自分の見れない裏のドタバタが聞けて大笑いだった。
「ところで、カウティリヤは遠征はしないんですか? もちろん展開の有利もありましたけど、それでもあの中での四着は、かなり評価できると思うのですが」
「そう言われてるけどどうなんだ?」とブッカはたずねた。
「岡部を見ていたら、私も世界を相手に戦ってみたくなりました。ですけど、まだ国内の実績が足らないんですよ」
そう言ってカウティリヤはバツの悪そうな顔をした。
「本気でやる気があるなら私が推薦してやるぞ。今回の四着は実績として十分に評価できるからな。どうする?」
ブッカの言葉に、カウティリヤの表情がパッと明るくなった。
「そうだ! 六月、『竜王賞』に来ませんか? 今度は僕が案内しますよ」
「おお、それが良い。私は今年は七月にゴールに行くから、お前が瑞穂に行ったら良い。きっと良い経験になるし、刺激にもなるだろう」
カウティリヤは手を合わせ、ブッカと岡部に何度も何度も礼を言った。
翌早朝、岡部たちは荷物をまとめ、一旦キズマットプル競竜場へ向かった。
『サケダンキ』を赤井が竜運車に乗せ、真っ直ぐ空港へ向かった。
来た時同様、特殊搬入口で出国手続きを済ませ、歩いて竜運機へと向かう。
竜運機へ『サケダンキ』を乗せ換え、手前に荷物を詰めて固定。
来た時からすると、全員荷物が二倍から三倍に膨れ上がっている。
客室区画に乗り込み着席すると、機体は大空へと飛び立ったのだった。
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