第14話 行方
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・岡部幸綱…岡部家長男
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(呂級)。夫は中里実隆
・杉尚重…紅花会の調教師(伊級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(伊級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)
・藤田和邦…清流会の調教師(伊級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・畠山義則…岡部厩舎の契約騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・能島貞吉…岡部厩舎の主任厩務員
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・成松…岡部厩舎の副調教師
・垣屋、花房、阿蘇、大村、真柄…岡部厩舎の厩務員
・長野業銑…岡部厩舎の調教師補佐
・関口氏勉、高橋圭種、遊佐孝光…岡部厩舎の厩務員
・坂井政則…紅花会の厩務員
・富田、山崎、魚住…岡部厩舎の用心棒兼厩務員
・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は小平生産顧問
・三木杏奈…岡部厩舎の女性厩務員兼ブリタニス語通訳
・江馬結花…岡部厩舎の女性厩務員兼ゴール語通訳
・香坂郁昌…大須賀(吉)厩舎の契約騎手
・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)
・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手
・ラシード・ビン・スィナン…パルサ首長国の調教師
・チャンドラ・ブッカ…デカン共和国の調教師
・アレクサンドル・ベルナドット…ゴール帝国の調教師
・エドワード・パトリック・オースティン…ブリタニス共和国の調教師
・クリーク…ペヨーテ連邦の調教師
会見が終わると、会場の外にブッカが待っていた。
ブッカはスィナンに何かを伝え、二人に付いてきて欲しいと言って事務棟らしき場所へ案内。
その事務棟と思しき建物の最上階の来賓室に岡部とスィナンは通された。
「何か飲むか?」とブッカがたずねると、スィナンは「マンゴーラッシー」と即答だった。
「毎回それだからお前には聞いてない」と笑い、岡部に向かって「どうする?」とたずねた。
「何があるかわからない」と言うと、ブッカがいくつかの飲み物を挙げた。
その中の珈琲を岡部は所望。
普通の珈琲を想像していたのだが、牛乳で煮出した珈琲を、高い場所から低い器に流し入れるという珍しい入れ方で注ぎ、岡部の前に差し出した。
一口口に含むと極甘だった。
『モーダカ』という、これまた極甘の揚げ菓子のようなものが茶菓子として出された。
一服するとスィナンとブッカの表情が急に険しくなった。
「岡部。『燕』という理論を知っているか?」
スィナンの口から『燕』という単語が飛び出し、岡部は目を丸くして酷く驚いた顔をした。
「いったいそれをどこから?」
「やはりお前さんだったか……」
そうブッカが呟いた。
スィナンが懐から一枚の新聞記事の切り抜きを取り出し、岡部の前に置いた。
「今年の初めに、突然ブリタニスのドレークが新たな理論を開発したと発表したんだ」
記事は伸びた芝生のようなパルサ語で書かれているので全く読めなかった。
その代わりにスィナンが記事の内容を説明し、岡部の通訳が訳してくれた。
”今回私は非常に画期的な調教方法を確立した。
これまでの伊級は、飛行に重点を置いた調教だった。
いかに力強く飛行できるか、調教師は日々それを竜に求めてきた。
だが、筋肉を付ければ付けるほど飛行は遅くなってしまう。
そこで、飛び方を変えさせる事で、さらに飛行を速くさせれば良いと考えた。
これは非常に画期的な調教方法である。
我々はそれに『燕』という名前を付けた。
ここにその研究の成果が詰まっている。
そう言ってドレークは丸めた黄色い帳面を掲げた”
「うちの報道から気になる事を聞いたのだよ。その帳面は瑞穂で売られている物のように見えたと」
通訳が訳し終わっても岡部が黙っているので、スィナンはさらに話を続けた。
その会見の内容、瑞穂語の書かれた帳面、その二つからスィナンはすぐに岡部を思い出した。
もしかしてその『燕』という理論を確立したのは岡部なのではないか。
そうであれば『竜王賞』『八田記念』の、あの強さにも得心がいく。
もしかしたら、あの帳面は岡部の物なのでは無いだろうか。
それが盗み出されてブリタニスに渡ったのでは無いか。
ここまで言って、スィナンは岡部をじっと見つめた。
岡部は珈琲を飲むと「甘っ」と呟いた。
それを通訳が訳してしまい、「次は甘くない珈琲を出す」とブッカが苦笑いした。
「恐らくそれは、昨年十一月に新聞記者に盗まれた、武田くんの飛燕の研究成果を書いた帳面だと思います」
「武田というと『八田記念』三着だった、あの竜の調教師か」
岡部はこくりと首を縦に振った。
「あれは、武田くんが僕の竜を徹底して研究した帳面なのだそうです」
「何で記者がそんな自国の不利益になるような真似を?」
「その記者は『取材』だと」
それを通訳が訳すと、スィナンもブッカも眉を寄せ目を細めた。
「瑞穂は、パルサとは言葉の意味が違うのか? 我が国には『取材』に『売国』という意味は無いのだが?」
そう真顔でスィナンが言うと、ブッカも真顔で「デカンも同様だ」と言った。
「馴染みの記者の話によると、瑞穂の記者の一部は、瑞穂に嫌がらせをする事で自分たちを選民者だと思い込むという、特異な精神構造をしているんだそうです」
「意味がわからん。どういう思考回路をしているんだ」
「僕も色々考えたのですが、精神異常者の思考は、どれだけ考えても理解できませんでした」
岡部の言葉が通訳されると、スィナンとブッカはゲラゲラと笑い出した。
「お前さんから直接話が聞けて事情の半分はわかったよ。あとはオースティンに話を聞かないとだな」
そうスィナンが言うと、ブッカが無言で頷いた。
岡部はブッカのお願いで有望な若手調教師と会談をする事になった。
若手調教師は三人。
一人はナラシンハ・マトゥーラ。
年齢は藤田くらいだろうか。
今回のデカンの副将格らしい。
二人目はクリシュナ・トップール。
年齢は同期の大須賀と同じくらい。
長身で顎髭が長い。
三人目がラーダグプタ・カウティリヤ。
この三人の中では最年少だそうで、ひと際目鼻がぱっちりとしていて、かなり端正な顔つきをしている。
最初は三人とも岡部に対し、遠い国からようこそ程度の反応だった。
岡部の事を瑞穂の有能な調教師だとしか説明されていなかったらしい。
だがブッカの一言が三人の表情を変えた。
「お前たちが会いたいと口を揃えて言っていた、竜運船と竜運艇を作った方だぞ」
そこから三人の態度は尊敬の眼差しに変わった。
どうやって強い竜を育てているのかと聞いてきたが、岡部としては、竜を良く観察しているだけとしか言えなかった。
三人とも口にした悩みは同じで、遠征して海外の竜とどれだけ差があるのか見たいが、なかなか厩舎を空ける事ができないという事だった。
「厩務員の意識を高く持ってもらうのが一番でしょうね。目標は海外なんだと常々言い聞かせて。でもそれだけでは厩務員はその気にはなりません。まずは結果を出さないと」
岡部の回答に三人はブッカの顔を見て、「うちの国はご老体が鎮座していて、なかなかそう簡単にはいかない」と苦笑いした。
そんな三人を岡部は鼻で笑った。
「あなたたちがそういう思考でいる間は、ブッカ師の椅子は安泰でしょうね」
すると三人とも、ぐうの音も出ずに黙ってしまった。
それを見たブッカは笑い出し、良い勉強になったようだと三人に言った。
翌日、仮の竜柱が発表になった。
瑞穂だといきなり競争の二日前に竜柱が発表になるのだが、海外では枠順の無い仮登録の竜柱がその前に発表になる。
そこで出走回避の申請を受け付けたり、騎手変更の申請を受け付け、空いた枠に予備登録の竜を入れ、競争の二日前に確定の竜柱を発表している。
実は国際規約には予選方式については施工回数と頭数の規定しかない。
その為、その方式は二つに別れている。
一つは瑞穂でいう伊級の方式。
最終予選まで二会場に別れて行い、決勝は本会場で行うという方式。
瑞穂以外では、ゴールとデカンが採用している。
もう一つは瑞穂でいう止級の方式。
予選二まで二会場に別れて行い、最終予選で全竜を四競争に振り分け本会場で行うという方式。
ブリタニス、パルサはこの方式を採用している。
ペヨーテは少し特殊で、最初から本会場で全ての競争が行われる。
竜柱によればスィナンはキズマットプル競竜場、『サケダンキ』はムンバイ競竜場だった。
また移動かとぼやきながら、岡部たち一行はムンバイへ移動したのだった。
約十時間の移動を終えムンバイ競竜場に着くと、カウティリヤが岡部たちを出迎えた。
カウティリヤの話によると、ブッカと他の二人はキズマットプル競竜場の所属で、ムンバイ競竜場の所属はカウティリヤだけらしい。
「だけど予選は予選だからね。移動は大変だけど、こっちの方が突破しやすいんだよ。あなたは幸運だよ」
そう言ってカウティリヤは笑った。
「二人でもう一度キズマットプルに行こう」と岡部の腕をパンパンと叩いた。
翌日、オースティン、ベルナドット、クリークの会見となった。
「久々に来たがデカンは異国情緒を最も感じられる」とベルナドットが言った。
オースティンは、「いたる所にブリタニス語が書いてあるので、まるで第二の故郷のようだ」と嬉しそうに言った。
クリークは、「ここの料理は定期的に食べたくなる」と言い出した。
「だが、あまり何度も食べると、腹を下すのが玉に瑕だ」と笑った。
競争の前日、デカンの競竜協会から来た職員が仮厩舎で、岡部、畠山、小平に当日の注意事項を説明した。
基本は瑞穂と変わりは無い。
これは、ブリタニスに本部のある国際競竜協会が決めていて、それに則ってどの国も競争を行っているためである。
ただ微妙に各国独自の規則がある。
例えば、デカンでは厩務員が鞍に手を触れてはいけないらしい。
厩務員が下見所で触って良い竜具は引き綱だけで、それ以外は騎手が自分でやる事になっている。
騎手にもそういう微妙な規則があり、発走機へ向かう際、前の竜を追い越してはいけないらしい。
畠山が不安だと言うと、デカンの職員は流暢な瑞穂語で「私が付いてるから大丈夫」と微笑んだ。
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