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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第一章 師弟 ~厩務員編~
42/491

第42話 予選

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の厩務員

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・氏家直之…最上牧場の場長

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・坂崎…戸川厩舎の厩務員

・池田…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・木村…戸川厩舎の厩務員、解雇

・大野…戸川厩舎の厩務員、解雇

・垣屋…戸川厩舎の厩務員

・並河…戸川厩舎の厩務員

・牧…戸川厩舎の厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・花房…戸川厩舎の厩務員

・庄…戸川厩舎の厩務員

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・本城…皇都競竜場の事務長

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川…尼子会の調教師(呂級)

・南条…赤根会の調教師(呂級)

・相良…山桜会の調教師(呂級)

・津野…相良厩舎の調教助手

・井戸…双竜会の調教師(呂級)

・日野…研修担当

 十一月。

外はすっかり刺すような冷気が駆け巡っている。

朝晩の冷え込みは身を引っ掻くようになり、調教場では竜が白い息を伝説の怪物のように吐きだしている。

洗い場でも竜の体温で湯気があがり、洗い流しが辛い水作業に感じる季節になってきた。




 ここまでで新竜戦はかなり進み、重賞に挑戦する竜の評価付けが行われている。


 東西の番付が各競技新聞から出されているが、東の横綱と西の横綱はどの新聞も同じである。

どの新聞も、西の横綱『サケセキラン』を報道したいところなのだろうが、先々月の話が枷になり苦い思いをしている。

東国の新聞は提携の西国の新聞に記事や撮影を依頼し、それを流すしかなかった。

新聞協会から苦情も出たが、竜主会から、たった二カ月前の事をもう忘れたのかと呆れられた。


 西国の記者は戸川厩舎に集まっており、戸川は、その対応に躍起になっている。

結果として岡部の仕事は増え、長井の目から見ても気の毒という風に見えるらしい。


「岡部君、ずいぶんお疲れやね」


 岡部が外を見ると、戸川は顔を強張らせ映像取材を受けている。


「先生があの状況じゃあね」


 長井は、調教後の評価を新たに導入した電脳に打込み、岡部は、今週の出走申請と『セキラン』の『新月賞』登録申請を記載している。


「先生、この状況を見越して、この体制を三か月も前から徐々に作ってきたんですかね?」


 岡部はペンで申請書類を書きながら世間話のように言う。


「偶然ちゃうか? 元の体制に戻そうとしてたら、たまたまこうなっただけやと思うけど」


 長井は、どうにも電脳に慣れないらしく、人差し指で不器用にキーを叩いている。


「ですけど、事ある毎に会長から経営指導受けてますからね。先生の運営能力かもですよ?」


「偶然でも、あの先生の事やから、見越してたに決まってるがなとか言いそうやけどな」


 岡部も失礼とは思いながらも笑いが抑えられなかった。


「そういえば、東の横綱の『ジョウイッセン』ってどんな竜なんですか。僕、まだ見れてなくて」


「『白詰(しろつめ)会』の伊勢(いせ)兼貞(かねさだ)って先生のとこの竜やね。中継で見たけど、これぞ稲妻牧場って感じの竜やな」


 長井は、たった二頭の記載にも関わらず、何でやを連呼しながら大苦戦している。

岡部は、とりあえず仕事がひと段落したらしく珈琲を淹れにいった。


「稲妻牧場全体の特徴なんてあるんですね」


「仕上がりが早めで体が少し小さく、末脚(すえあし)(=競争後半の加速力)が速い。あの牧場が独占しとる『ソルシエ』系の特徴やね」


 岡部は長井の分も珈琲を淹れると、大苦戦している長井に差し出した。


「『ソルシエ』系って確か『セキフウ』の血統ですよね? 奮発したとか言ってた」


「そうや。あそこは種付け料が高額なんで有名やからな」


 すまないねと言って、長井は珈琲を口にした。


「じゃあ『セキフウ』は母系が出たんですかね。末脚は速そうですけど、仕上がりも遅めですし、そもそも大型竜ですもんね」


「仔には期待できるんかもしれへんね」


 ちらりと外に目を移すと、戸川は別の映像取材を受けていた。




 水曜の午後、竜柱が発表になると戸川厩舎に相良が飛び込んできた。


「なあ、これ見た? 『イッセン』『新竜賞』に登録してるで!」


 戸川は記者から聞いていたようで、あまり驚いた風ではなかった。


「そうらしいな。なんや、うちのが対決逃げたみたいで気分悪いわ」


 戸川は少し不満げな顔をしている。


「そしたら直接対決が伸びて、『上巳賞』まで騒ぎ続けるんやろうね」


「まあ、渦中にいるもんとしては悪い気はせんけどな」


 戸川は、若干お疲れのようので大欠伸をかました。


 岡部は、仕事の手を止め相良の顔を見て微笑んだ。


「先生のとこの新竜、一頭、新竜戦勝ったらしいじゃないですか」


 そう言って話題を提供した。


「『ベッコウ』な。吉川先生んとこはまだやから、気分良えわ」


 相良は、にひひと嫌らしい笑い声をあげる。


「どっちかの重賞には登録したんですか?」


「出すには出したけど……本格化は、まだ先やろうからね」


 相良は岡部に向かって、あくまで現時点での実力がみたいだけと謙遜した。

そんな相良に戸川が悪い顔を向ける。


「みんなそう言うねん。本格化は先やってな。そう言うて化けたん見た事ないわ」


 戸川がチクリと言うと、岡部は飲んでいた珈琲を噴き出しそうになった。

二人の態度に相良はかなり苛っとしたらしい。


「うちのはちゃんと化けんねん!」


「いつ頃に?」


 相良は少し言い淀んで、小声でボソッと呟いた。


「……優駿くらいやろか」


「お約束やなあ」




 金曜、戸川厩舎は出走の竜がおらず、手の空いた者は食堂に行き、大きな画面で中継を見ていた。

岡部と戸川も、坂崎、池田と共に食堂に行った。

報道がうろうろしているからと、庄が厩舎に残った。


 食堂には普段あまり接点の無い方々に混ざって南条調教師が来ていた。

南条は岡部を見つけると岡部たちの隣に座りなおした。


「戸川さん、セキランはどうですか?」


「本番が山になるようにやってるんで、そこそこですわ」


「来週、期待してますよ」



 中継は先ほどからずっと『ジョウイッセン』を映し続けている。

流石にあそこまで追われると他の竜が無視されているようで気の毒に感じる。

食堂内では、皆思い思いに『イッセン』の評論を繰り広げている。

最終単勝倍率が一・〇倍と発表されると、食堂内にどよめきがおこった。



 発走機から各竜が発走。

『イッセン』の初速は、そこまで化物という感はない。

三角を回るも、まだ後方で優雅に駆けている。

曲線で一度騎手が合図すると、『イッセン』はゆるゆると他竜を抜かしていく。

四角を迎える頃には既に先頭集団に取付いていた。

直線に入ると先に他竜を行かせ、そこから一気に加速。

一瞬で抜き去ると、大きく差を広げ終着した。



 食堂は騒然とし、多くの視線が戸川に注がれた。


「……化け物やな」


 南条は一言呟いた。


「追ったんは、あの一回だけか……」


 戸川も唖然としている。

坂崎は、『セキラン』とは違う種類の化け物だと言って、岡部に不安そうな顔を向けた。


「怪我の具合はすっかり良いみたいですから、来週うちのも期待しましょう」


 岡部は笑顔を坂崎に向けた。

南条はそれを聞いて驚き、立ち上がって岡部を見た。


「なんやと! 前回のあれ、怪我してあれかいな!」


 食堂は騒然さを増し、どこからともなく、それだったら『セキラン』の方が上だという声が上がった。

ざわつきは徐々に大歓声に変わっていった。




 翌週水曜。

竜柱が発表され予選第二週の枠順が発表になった。

『セキラン』の競走は金曜第十競走、十一頭立て三枠三番。


 松下は調整室(=八百長防止の隔離施設)に行く前に戸川厩舎に寄った。


「明日、『セキラン』、どう行きましょうね?」


 本番までは追い切りみたいなもんだと、長井はかなり気の大きい事を言い出した。


「あんまり舐めとると痛い目見るぞ?」


 明らかに油断している長井を戸川が窘める。


「三連戦になっちゃいましたからね。徐々に調子上げてく感じでやれると良いんですけど」


 岡部は松下の顔を見て微笑んだ。


「岡ちゃんは難しい事をさらっと言いますなあ」


 『岡ちゃん』と変な呼び方をしている松下に、岡部は一抹の不安を覚えた。


「さすがの松下さんでも、難しいですか?」


 岡部は窘める意味で殊更真面目に尋ねた。


「よし、あんちゃんに任せとき! 見事に三連勝かましたるからな!」


 岡部の肩をパンと叩くと、松下は上機嫌で事務室を出て行った。


「なんやあいつ。何ぞ悪いもんでも食ったんか?」


 戸川も不安そうな顔をした。




 金曜日、厩舎棟では、前日と異なりあまりの競竜場の観客の多さに、どの厩務員も浮足立っていた。

まだ予選だというに、報道関係の写真家も通常の倍は訪れている。

競竜場全体が明らかに通常とは違う雰囲気を醸している。


 下見所では岡部が『セキラン』を曳いたのだが、下見に来た観客のあまりの多さと写真の発光の多さに辟易した。

それを見た皇都の調教師数人が、発光を炊く観客を摘み出せと下見所で係員に荒ぶっている。

明らかに異様な雰囲気を岡部も感じていた。


 松下も騎乗すると、雰囲気が怪しいと嫌な顔をした。

岡部は、さすがの『セキラン』もちょっと怯え気味だと松下に報告した。


「ほんまやな。ちと強張っとるな」


 松下は『セキラン』の首を撫で、宥めるようにしながら競技場へと向かって行った。



 発走機に全竜が収まり発走した。

だが『セキラン』は露骨に発走を嫌がった。

致命的な出遅れだった。

松下は『セキラン』を宥めながら少し速度を上げるように促す。

『セキラン』は徐々に走るのに集中し始め、三角過ぎで突然他竜とは全く違う加速を見せ始める。

松下はかかった(=騎手のいう事を聞かず暴走を始めた)と思い抑えるように合図したのだが、『セキラン』は気にせず加速を続ける。

三角に入った時に最後方だった『セキラン』は、四角手前で先行集団のすぐ後ろに位置取っていた。

四角を速度を上げたまま回ると竜群の大外を突っ切り、一気に前の竜を抜き去り、さらに着差を広げて終着した。



 松下は検量室に戻ると、今回はこいつの能力に救われたと一言、鞍を持ち検量に向かった。

検量から戸川と松下が戻ってきた。

戸川は松下の騎乗に怒り心頭だった。


「この、どアホウ!! この時期の新竜の仔に『マクリ』やらせるやつが、どこにおるんや!」


 戸川は防護帽の上から松下の頭を叩いた。


「出遅れたんやから、しゃあないでしょ」


 仕方がないと言われ戸川はさらに激昂した。


「最後に賭けたら良えやんけ! そんくらいの脚はある仔やろ!」


「僕もそう思てましたよ。位置取りだけ調整したろ思うて、ちょっと合図したら、この仔、ばびゅんって行ってもうたんですよ」


 戸川は目を覆い、大きくため息を付いた。


「脚怪我した仔に、無理さすもんやないぞ」


「僕かてそれくらい心得てますよ。でも今日はあんまりにも人が多くて、この仔もビビってもうたんですわ。あの雰囲気はちと異様やったから」


 松下は視線を戸川から『セキラン』に移した。


「次は落ち着いてやれるよな?」


 松下は『セキラン』の首を撫でまわした。

『セキラン』も松下の問いかけに心地いい鳴き声をあげて答えた。


 岡部は脚の状態を確認しているのだが、前回のような発熱は感じなかった。

今回は、あんまり反動出ずにやれるかもしれないと戸川に報告。


「だと良えんやが……」


 戸川はまだ松下の顔を睨み心配している。



 『セキラン』の予選の結果は、一着通過、二着との着差は七竜身。

最終単勝倍率は一・〇倍だった。

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