第52話 式典
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・岡部幸綱…岡部家長男
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫
・大崎…義悦の筆頭秘書
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・大宝寺…三宅島興産相談役
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(呂級)。夫は中里実隆
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・杉尚重…紅花会の調教師(伊級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(呂級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・畠山義則…伊級の自由騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・能島貞吉…岡部厩舎の主任厩務員
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員
・真柄、富田、山崎…岡部厩舎の用心棒兼厩務員
・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員
・坂井政則…紅花会の厩務員
・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は小平生産顧問
・長野業銑…岡部厩舎の調教師補佐
・関口氏勉、高橋圭種、遊佐孝光…岡部厩舎の厩務員
・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手
・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)
・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手
九月になり、多くの調教師が各競竜場に帰ってきた。
浜名湖と太宰府は、最終の開催月として来年に向けた調教を済ませるだけという感じになっている。
大津も多くの人たちが太宰府から帰り、かなり賑やかになってきている。
九月の伊級といえば、古竜の『大空王冠』、世代戦の『雷鳥賞』と、東西どちらも長距離重賞となっている。
いよいよ『ジョウラン』が重賞に挑戦という事で、岡部厩舎も気合が入っている。
さらに『サイメイ』がこの月で引退する事が決まっている。
できれば『大空王冠』を制して引退したいところである。
太宰府にいた岡部も、能島に後処理を託し大津へと戻った。
調教場の観察台で杉と武田、秋山と雑談を交わして厩舎に戻ると、事務室に藤堂事務長が待っていた。
春三冠の表彰を松井先生と一緒に行いたいという申し出が、幕府の執行会本部から来たのだとか。
「三冠の表彰、ずいぶんとかかりましたね」
「それなんですがね。どうも徽章を紛失してたらしいんですよ」
執行会から漏れ聞こえた話と言って藤堂は暴露した。
「そんなの作り直せば良いじゃないですか」
「そうはいきませんよ。なんせあれは、既存の物を工場に持って行って、同じものを作ってもらうんですから」
「へえ。じゃあ、松井くんが貰うのって、僕が貰ったやつの複製なんですか?」
何となく岡部が言った事に違和感を感じ藤堂は首を傾げた。
「複製……まあ、言ってみればそういう事になるのかもしれませんね」
「で、見つかったんですか?」
「一時は横流しも視野に入れてたそうなんですがね、よくよく探したら金庫の奥の方に落ちてたんだそうで。急いで新しいのを作らせて、やっと完成したんだそうで。それで、こんな時期に」
良かった良かったと藤堂は言うのだが、岡部は瞼を半開きにしてかなりじっとりした目をしている。
「……なんだか、扱いが雑じゃないですか? それで、また僕の貰う奴は埃だらけの煤けて黄ばんだやつなんでしょ」
「仕方が無いでしょうよ。伊級の三冠取るような人なんて今までいなかったんですから。苦情は直接本部にどうぞ」
やれやれという態度をした岡部を、荒木と坂井が笑った。
二日後、松井と二人で幕府に向かう事になった。
さすがに平日なので家族を連れて来るわけにいかず、おじさん二人だけ。
「松井くん、『海王賞』凄かったね。あれだと『オンタン』が出てても勝てたかどうか」
「こっちはずっと打倒『オンタン』でやってきたからな。互角には持ってこれたと思ってるよ」
さすがに勝っただけあって、松井は得意気な顔をする。
「臼杵、上手くなったよね。あれなら伊級でも確実に通用するよ」
「ほう、三冠調教師殿に太鼓判押してもらえるとはなあ。臼杵もやるもんだ」
カラカラと笑う松井に、煽られたと感じた岡部が少しむっとした顔をする。
「別に三冠って言ったって、竜が化けただけの話であって――」
「飛燕だろ。知ってるよ。で、なんなの、飛燕って? 報道見聞きだけじゃ、いまいちわからないんだけど」
「伊級の竜が本気で飛ぶ姿を引き出した形だよ。呂級以下でも、歩くときと走る時って脚の使い方違ったでしょ」
さすがは『五伯楽』と新聞で称される同期。
それだけである程度の概要のようなものがわかったらしい。
「まず、そこに行きつく発想力が凄いよな。さらに、それを実現させる調教計画が凄いよ。さらに、それを成功させちまうのが一番凄い」
「褒めても何も出ないよ」
冷たく言い放つ岡部の肩に、松井は手を回して顔を寄せた。
「今度さ、うちの新築祝いに来てくれよ。飛燕の全てを話してくれるまで、麻紀ちゃんにも呑みに付き合ってもらうからさ」
「……死んじまうよ。そんなに呑んだら」
執行会本部のある品川駅に着くと出迎えの職員が待っていた。
相変わらずの厳重警備に松井がかなり恐縮してしまっている。
本部に足を踏み入れると、多数の職員と報道の出迎えを受けた。
出迎えの人によってできた花道を進んで会場に向かうと、横の壁に報道の中継機器がずらりと並べられ、記者が取り囲んでいた。
正面には織田会長、両脇に筆頭秘書の丹羽と佐々総務部長が待っている。
会内の定期異動で笠原は会派に戻り、代わりに紅葉会の佐々が総務部長になったらしい。
佐々は結構な年齢のようで頭髪は真っ白。
体形も年相応という感じである。
織田は六年前に執行会の会長に就任した。
執行会の会長の任期は三年で、織田は昨年の会長選挙に勝利し今年から三期目に入っている。
ちなみに竜主会の会長の任期は四年で、武田会長は今年四期目に入ったらしい。
先に松井の表彰で、織田から賞状と銛の徽章が授与された。
次は岡部の番。
岡部は賞状と四つ目となる三又の鉾の徽章を手渡された。
呂級は金製だったが伊級は白金製で、中央に小さいながら金剛石がはまっている。
いつもの事ながら式典自体は本当に短く、その後の記者会見が異常に長い。
記者の質問の中に岡部がかなりイラっとする質問があった。
それは『オンタン』が無事なら三連覇できていたはずというもの。
今回優勝した松井に対しあまりに失礼すぎるし、『オンタン』を故障させた事を責められているようにも感じる。
松井は勝てたかどうかわからなかったと言って記者の顔色をうかがった。
だが岡部は露骨に顔色を変えた。
勝った松井に対しあまりにも敬意に欠けるんじゃないかと記者に指摘した。
だが記者は、あくまで仮の話だと譲らなかった。
仮の話であれば、どんな失礼も許されるなんて事はありえないと岡部は一喝。
記者は申し訳ございませんと平謝りで、場も祝賀の雰囲気じゃ無くなってしまった。
それを松井が笑った。
「いやあ、岡部くんが俺のために怒ってくれるのは嬉しいんだけどさ、やはり実績の差は埋めがたいものがあるよ。俺が記者でもそういう質問したと思うぜ?」
「来年伊級に来たら、そんなのはすぐに埋まるよ」
不機嫌そうな顔のまま岡部は言ったのだが、それに松井が噴き出した。
「馬鹿言え! そう簡単に埋まるかよ! そもそも君は来年は海外に行くんだろ?」
「松井くんだって止級で海外に行ったら良いじゃん!」
売り言葉に買い言葉という感じの岡部の反論だった。
ところが松井は、にやっと笑って報道の方を向いた。
「皆さん今の聞きました? 岡部くん、来年海外に行く気があるらしいですよ!」
「……やられた」
そこから質問は岡部の海外遠征の話に切り替わった。
岡部が言い負かされる珍しい姿を見て、織田は豪快に高笑いした。
その後、最上階の来賓用展望室で食事会となった。
織田会長の興味も専ら飛燕の事である。
それは織田だけじゃなく、松井も丹羽も興味津々だった。
楓牧場では、なぜ自分たちの牧場からは飛燕が出ないのかと頭を悩ませているらしい。
ただ、岡部からしたら、思い切りが足らないか、限界を見誤っているかの二つだと言うしかない。
「織田先生も池田先生も一流の調教師なんだが、それでもできなあというのは、やはり牧場側に何かあるのでなあかと言うとるんだわ」
「確かに僕もある程度、血統の中の何かが関わっている気はしてます。武田くんも、藤田さんもそう言ってるという事は、何かあるんでしょうね」
「だよなあ。これまでできた飛燕は一頭を除いて全部古河牧場の契約している個人牧場の生産した竜だもんなあ」
武田と藤田も同じ事を言うのだが、それはあくまで結果にすぎないと岡部は思っている。
「でも、それって、結果の出せる竜は通常の鍛え方をして、少し劣る竜を飛燕にと考えてそうなっただけじゃないかって僕は思うんですよね。確かにうちも多くが個人牧場産ですけど、それは単に会派の資金不足によるものですから」
「たまたまだと。だけんど、今のところ、大牧場の竜は稲妻さんとこの『サケセイメン』だけなんだろ?」
確かに、織田の言うように、同期の武田が他の竜も飛燕にと鍛え直しているが、やはり稲妻牧場の竜はなかなか飛燕にならないらしい。
「ですので、多少は血統もあるんじゃないかって僕も考えるんです。父じゃなく母の血とか」
「つまりは、肌竜の血統で何かが邪魔をしているかもしれんいう事か……」
「でも、どうなんでしょうね。それも、ただ単に覚醒が遅いというだけかもしれませんし」
まだ飛燕の研究は始まったばかりだから謎だらけなんだと岡部が言う。
織田が無言で頷いた。
「確かにこれまで飛燕になったのは、君の竜六頭以外は、武田先生の二頭、藤田先生の一頭だけだものなあ」
「武田くんは三頭目が覚醒しましたよ」
どうやらその報告はまだ織田の耳には入っていなかったらしい。
身を乗り出して驚いている。
「それは、どこの牧場の竜だね?」
「武田くんの話だと、やはり個人牧場らしいですね」
織田は背もたれにもたれかけ、ふむうと鼻から息を漏らした。
「肌竜の血統の問題なのか、はたまた、うちの牧場に何か悪いところがあるのか……」
「きっと、織田さんか池田さんか十市さんが解明してくれますよ」
「そうだな。その報告を待つしかないのだろうな」
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