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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第七章 難渋 ~伊級調教師編~
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第39話 追随

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)

・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女

・岡部菜奈…岡部家長女

・岡部幸綱…岡部家長男

・戸川直美…梨奈の母

・戸川為安…梨奈の父(故人)

・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫

・大崎…義悦の筆頭秘書

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・大宝寺…三宅島興産相談役

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(呂級)。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・杉尚重…紅花会の調教師(伊級)

・松井宗一…樹氷会の調教師(呂級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・畠山義則…伊級の自由騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・能島貞吉…岡部厩舎の主任厩務員

・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手

・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員

・真柄、富田、山崎…岡部厩舎の用心棒兼厩務員

・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員

・坂井政則…紅花会の厩務員

・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は小平生産顧問

・長野業銑…岡部厩舎の調教師補佐

・関口氏勉、高橋圭種、遊佐孝光…岡部厩舎の厩務員

・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手

・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)

・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手

 五月に月が替わった。

五月といえばどの級も優駿月間である。

仁級の『伏月盃』、八級の『優駿杯』、呂級の『瑞穂優駿』と同様に、伊級にも『駒鳥(こまどり)賞』という優駿競争がある。

ただ、伊級は最強を決める競争という位置付けの為、世代戦も新竜戦も全く盛り上がっていない。

競争の格は特一ではあるものの、賞金も最低限となっている。

むしろ五月の目玉は短距離戦の『大金杯』。


 伊級にも三冠競争はある。

世代三冠以外に春と秋に古竜三冠がある。

『総理大臣賞』『天皇杯』『大金杯』が春三冠。

『大空王冠』『天皇賞』『競竜協会賞』が秋三冠。


 全て勝ったからと言って別段何かあるわけでは無い。

一応、春は竜主会から、秋は執行会から金一封と徽章が貰える程度である。

伊級という調教師の頂点を決める舞台で、それを総舐めするするような調教師はこれまで一人も現れていない。

ただし、二冠は何人もいる。

何なら現役でも、織田、伊東、宇喜多、藤田の四名は二冠を制した事がある。

すでに岡部厩舎は春二冠を制していて、『大金杯』と同じ短距離の『昇竜新春杯』も制している。

三冠は確実と目されている。


 岡部厩舎からは『新春杯』一、二着の『エンラ』と『スイコ』が挑戦している。

最終予選まで圧倒的な強さで勝ち上がり、順調に決勝へと駒を進めている。



 一方で、五月の優駿月間といえば止級の準備が始まる月でもある。

岡部も初週から太宰府へと足を運んだ。

今回、太宰府組は、西郷、能島、阿蘇、大村、真柄、富田、関口、高橋、遊佐。

残りは居残りだが、『竜王賞』後には、服部、小平、赤井、山崎にも太宰府に行ってもらう事になっている。


 竜の受け入れを済ませ、西郷に調教を組んでもらい、それを修正してから説明。

その翌日には早くも大津へ戻って行った。

そんな岡部を見て、風のようにやってきて、風のように去って行ったと阿蘇と大村が笑い合った。



 武田が成功を収めてから、燕理論の研究を全調教師が再開した。

特に昇級二年目の毛利たち三人は全ての竜を使って研究している。

近藤にいたっては、最悪、つるべでまた上がってくれば良いと豪語している。

完成すれば敵無しというのは岡部が証明してしまっているのだから、研究しないという選択は無いだろう。


 だが以前と同様、高額な竜を故障させる調教師が相次いでいるだけで、武田に続く者はなかなか現れなかった。

こうして多くの調教師は、燕理論の研究は一旦棚上げにして、太宰府と浜名湖に向かう事になった。



 五月の三週、常府の調教場で一人の男が年甲斐もなくボロボロと涙を流した。

男の手には双眼鏡が強く握られていて、その手は小刻みに震えている。

その姿を見た宇喜多は、体調が悪いのかと心配して声をかけた。

だが反応が無い。

おい大丈夫かと、さらに声をかけた宇喜多に、その男――藤田は涙を流しながら笑顔を作った。


「……やりました」


 藤田は震える声を絞り出した。

一瞬何を言っているのかわからなかった。

だが一拍置いて意味がわかると、宇喜多は慌てて双眼鏡を持ち調教場を観察。

そこには確かに岡部や武田の竜と同じ飛び方をする竜が一頭いたのだった。


「やったじゃないか、藤田! よく諦めずに頑張ったな!」


 ありがとうございますと声を絞り出し、藤田は宇喜多に抱き着いたまま大泣き。

織田、松平、平賀もじっと双眼鏡で藤田の竜を観察。

三人は同時に双眼鏡を下げ、藤田の肩や背を叩いて祝福した。


 そこから観察台は歓喜に包まれていた。

藤田の竜が調教を終えた時、待機所でも騎手たちから歓声が上がった。


 藤田が飛燕作りに成功したという情報は、瞬く間に大津、太宰府、浜名湖にももたらされた。

これで岡部以外に二人目。

飛燕は確実に作れる。

調教師たちの中に大きな希望が生まれたのだった。



 常府にやってきたものの、前回頼った大須賀が浜名湖に行ってしまっており、服部たちと食堂に行こうとしていた。

ところが、入口で十市にばったり会ってしまった。


「おお、岡部! こんな時間に食堂に何の用なんだ? 遅い昼食か?」


「いや、あの、大須賀くんが浜名湖行っちゃってて……」


「だったらうちを訪ねて来たら良いじゃねえか。水臭いやつだなあ。遠慮するほどの仲か? 俺なんてお前がいなくてもお前の厩舎で珈琲飲んでるぞ」


 それはそれでどうなんだと思いながらも岡部は十市厩舎へと向かう事になった。

事務室に入ると、執務机の上に『紅地に緑の楓葉』の紅葉会の会旗が貼られていた。


 珈琲を淹れながら十市は、秋山に珈琲の旨さを教えたのは俺なんだと笑った。

差し出された珈琲を一口飲むと、確かにコクがあって美味しい。

ほのかに南国果実のような香りがする。


「お前が複数の店の豆を混ぜたと聞いて、俺も色々試してみたんだよ。どうだ?」


「味は当然良いんですが、香りがたまらなく良いですね!」


「だろ! この香りを出すために何件も店を回って試行錯誤したんだよ!」


 お茶請けとして出された『干し芋煎餅』というカリカリに焼いた干し芋を齧りながら、話題は先日の藤田の飛燕の話になった。


 藤田は自分の理論として、競争経験の浅い竜の方が飛燕になりやすいという仮説を立てていたらしい。

どうしても競争に多く出すと、関節が固くなり癖のようなものがつく。

強く癖が付いてからそれを矯正するのは極めて困難な事である。

十歳の古竜を岡部は飛燕にしているが、それは最初に飛燕を作り出した者だからこそできる芸当で、ちょっと別格の話だろうと。


 最後の決め手は共鳴だった。

当初、藤田も武田同様一頭で試していたらしい。

だが武田から二頭でやったら急に成功したという話を聞いた。

自分も二頭に増やしたら急にだったと周囲に語った。


 ただこの結果を織田と十市は複雑な感情で聞いていたのだそうだ。

岡部と武田、紅藍系と稲妻系、新興と老舗の二会派から飛燕が出て、次は楓系だと織田会長は思っていたはずである。

それを牧場連合系の清流会の藤田に先を越された。

自分たちが飛燕を作り出すまで、これから会の突き上げが強くなってくるだろう。


 あれから織田は会派にかけあい、池田にも協力を要請した。

十市厩舎に入り浸って燕理論の研究に躍起になっている。


「絶対に秋山より先にモノにしてやる。他に負けても奴にだけは負けたくない」


 十市はそう力強く言った。


「しかし、よく飛燕の話を公開する気になったよな。俺だったら企業秘密を前面に出して黙っておくけどな。数年は重賞かっぱげるだろ」


「田辺に行った際に亡くなった武田先生の奥様から話を聞いたんです。それが無かったら恐らく完成はしなかったか、もっとずっと後だったと思いますからね」


「だとしてもさ、モノにしたのはお前だろ。俺だったら独り占めするな。気前が良いにもほどがある」


 そう言って十市は珈琲を口にした。


「『我々は敵同士ではあるが、世界を目指す同志』 武田先生のこの言葉がなかったら、とっくに僕は死んでますからね。同士に黙っておく事は僕にはできませんでした」


「それもわかるけども。だけど厩務員は内心穏やかじゃねえだろ?」


 もうすでに特一重賞を三連勝。

その給料の額を見たら、これが他所に行くのはという厩務員もいるのではないかと十市は指摘。


「どうなんでしょうね。少なくとも僕の前ではうちの厩務員たちはずっと、何だかずるして勝ってるみたいで気分悪いって言ってましたよ」


「……上が上なら下も下だな」


 なるほど、そういう雰囲気の厩舎かと呟いて、十市は静かに笑った。


「それに、もし独り占めしていたら、嫉妬されて、何されたかわかったもんじゃありませんよ」


「まあ、無いとは言えんわな。お前の場合、ただでさえ外に敵が多いんだし。もしそこと手を組まれたりしたら、いったい次はどんな事態になるか。そういう点では確かに懸命な判断かもしれんな」


「それと、国際的に瑞穂の地位を上げようと言うなら、僕だけが特別じゃダメだと思うんですよね。複数の人が、あちこちで主三国の竜を破っていかないと」


 『瑞穂の国際的な地位の向上』

 口では皆そういう事を言うが、実際には何をしたら良いかまでを考えている人は少ないであろう。

それを目の前の男は簡単に口にした。

すでに岡部という人物は自分の遥か前を行っているんだと十市は感じていた。


「せっかく公開したんですから、十市さんも飛燕作り頑張ってくださいよ! で、みんなで飛燕を作って、海外の重賞を席巻してやりましょうよ!」


「大したタマだよ。お前」


 無邪気な笑顔を向ける岡部を見ながら珈琲を一口飲んで、十市は、ふっと笑った。


「何だかさ、お前の飛燕の話を聞いてるとさ、鉄棒の逆上がりを思い出すんだよな。最初はみんなできないんだよ。だけど誰か一人ができるとさ、そいつが他の奴に教えてさ、他の奴もどんどんできるようになってくんだよ」


「ああ、そういうのありましたね!」


 懐かしいと言って岡部は大笑いしている。

十市が干し芋煎餅を手に取り、一つを岡部に差し出した。


「どん臭いやつはさ、いくら頑張ってもできなくてな。次第にすでにできてる奴らが応援し出すんだよな」


「蹴上がり板ってありませんでした?」


「あったあった! あれ使うと感覚が掴みやすくなって、やれるようになるんだよ。きっとさ、そのうち飛燕もそうなっていくんだろうな。そうなったら、お前はきっと次の何かをやってくるんだろうな」


 次の何か。

腕を組み、首を左右に傾て、岡部は何かを真剣に思案し始めた。

その姿を十市が温かく見守っている。


「どうなんでしょうね? ぱっと考えてみた限りでは、今は何も思いつきませんね。そういえば、うちの会派の生産担当は、新しい系統を作りたいって言ってるそうですよ」


「……発想がぶっとんでんな、その人」

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