第37話 竜運艇
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・岡部幸綱…岡部家長男
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫
・大崎…義悦の筆頭秘書
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・大宝寺…三宅島興産相談役
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(呂級)。夫は中里実隆
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・杉尚重…紅花会の調教師(伊級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(呂級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・畠山義則…伊級の自由騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・能島貞吉…岡部厩舎の主任厩務員
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員
・真柄、富田、山崎…岡部厩舎の用心棒兼厩務員
・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員
・坂井政則…紅花会の厩務員
・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は小平生産顧問
・長野業銑…岡部厩舎の調教師補佐
・関口氏勉、高橋圭種、遊佐孝光…岡部厩舎の厩務員
・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手
・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)
・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手
あれだけずっとやってきてダメだった『ハナビシテンデン』が、月が替わると、あっさりと飛燕になったらしい。
相変わらず条件がよくわからんと言って武田は頭を悩ませている。
ただ二頭できたという事は他もできるかもしれないという事だと思われる。
現在、他の竜も徐々に燕理論に適応させていこうとしている。
武田厩舎の残りの竜は半分がル・スヴラン系で、そこにも適用ができるのかどうかという点が今後の課題となっているらしい。
調教を終えた武田が岡部厩舎にやって来て、今、南国の稲妻牧場では種牡竜の価値が大きく変わってしまっているらしいという話をしてきた。
現在、南国は種付けの真っ最中なのだが、ここに来てセプテントリオン系の種付けがぐっと増えたらしい。
ル・スヴラン系からは飛燕が出ないという噂が出回っているようで、種付け計画の変更が相次いでいるのだとか。
来月から始まる競りでは間違いなく、セプテントリオン系の幼駒が値上がりする事になるだろう。
飛燕を多数輩出したメナワ系は、それまで二束三文だった幼駒の価値が一気に跳ね上がる事になるだろう。
価値の大幅変更に担当者は目を白黒させてるんだそうだと苦笑いした。
四月の伊級は古竜中距離戦の『天皇杯』。
伊級は皇室の賞典が二つあり、春は『天皇杯』、秋が『天皇賞』と微妙に名前が違っている。
これは優勝した竜主に贈られる賞品が違っているためである。
春は朱塗りの大杯、秋は菊紋のあしらわれた楯となっている。
距離はどちらも中距離で、国際競争の『竜王賞』『八田記念』の二月前の開催というのも同じ。
ただややこしいので巷では『天皇杯』を『春天』、『天皇賞』を『秋天』と略して呼んでいる。
岡部厩舎からは年長の『セイメン』と『ダンキ』が出走を予定している。
岡部は個人的にこの競争にかなり注目している。
実は『セイメン』と『ダンキ』は父の系統が異なる。
『ダンキ』はメナワ系、『セイメン』はセプテントリオン系。
どちらも翼を器用に丸め、風を掴むような動かし方をするのだが、『セイメン』と『ダンキ』では飛び方が異なっている。
『ダンキ』は風を掴んで押すような動き、『セイメン』は風を叩くような動きをする。
どちらも円を描くように翼を使うのだが、『ダンキ』はかなり円に近い楕円、『セイメン』は潰れた楕円を描くように動かす。
元々の素質から言えば、『セイメン』は重賞予選級、『ダンキ』は重賞に出れれば御の字というくらい。
果たして、この二頭にどの程度の差が出るのかが見たいのである。
『セイメン』も『ダンキ』も圧倒的な強さで決勝まで勝ち進んだ。
この二頭より新聞をにぎわせたのは『ハナビシテンデン』の能力戦二だった。
長距離型の『テンデン』は、岡部厩舎の『サイメイ』と違い元々の素質が高い。
『サイメイ』が世界記録を塗り替えて『総理大臣賞』を逃げ切ったのである。
『テンデン』がどの程度なのか、武田は非常に期待していた。
変に速度を緩めたりせず岡部君を焦らせてやれと武田は板垣に指示を出した。
この指示に、うちの先生もずいぶんと気持ちが大きくなったもんだと板垣は内心で失笑していた。
どうなっても知らないぞと思いながら板垣は竜に任せて速度を上げた。
だが乗っている板垣に旋律が走った。
中距離並みの速さで飛んでいるはずなのに、疲れる気配を一切見せないのだ。
結果は世界記録をさらに塗り替えるものだった。
この結果は衝撃的だった。
南国の稲妻牧場から、武田厩舎に『テンデン』を見せて欲しいと担当者が訪れた。
今、稲妻牧場内で一つ疑問になっている事があるらしい。
それは同じセプテントリオン系なのに、なぜ海外より速い時計が出るのかという点。
牧場の担当者は、あくまで仮定だとした上で私見を述べた。
恐らくだが母の父の問題だろう。
海外の竜はセプテントリオン系の肌竜にセプテントリオン系の種牡竜を付けている。
だが『テンデン』の母はメナワ系。羽にもメナワ系の特徴が出ている。
元々メナワ系は速度に定評のある系統で、それが速度の底上げになっているのではないかという事であった。
この事はすぐに稲妻牧場系の各調教師に周知される事になった。
宇喜多や松平からしたら、だからなんだ、飛燕が作れない俺たちへの当てつけかと言いたかっただろうが。
『天皇杯』の最終予選の翌日、岡部は義悦に浜名湖に呼び出された。
岡部が大宿に到着すると、すでに浅利と井伊事務長が来ていた。
大宿で義悦たちと話をしていると受付に連絡が入ったようで、四人で今切口と呼ばれる浜名湖の出口付近へと向かった。
遠くからブーンという回転羽根の回る低い独特な音が、黒い物体と共に近づいて来る。
その物体が徐々にこちらに向かって来る。
最初は豆粒くらいに見えていた物体は近づくにつれ、かなりの大きさである事がわかった。
一旦、回転羽根の回転を止め、主翼を使って滑るように近づいて来る。
かなり近づいた所で回転羽根を上に向け、高速回転させ、ゆっくりと着水。
回転羽根の向きを再度前に変え、ゆっくりと機体の前方からこちらに近づいて来た。
ざざという音と共に砂浜に乗り上げたのだった。
「会長、先生、お待たせいたしました!」
一栗と里見が機体から降りてくる。
砂浜に降り立ち、どうですかと四人に問いかけた。
義悦と浅利は口をぽかんと開け、ただただ圧倒されている。
井伊は、「なんじゃこりゃ」と言って目を丸くして驚いている。
岡部も、「すげえ」と呟くのが精一杯だった。
しばらくすると、浜名湖競竜場から小型竜運船と中型の漁船がやってきた。
堤防に横付けされた漁船に岡部たちと一栗が乗り込んだ。
里見が乗り込むと、飛行艇は回転羽根を回し海岸から離れていく。
少し沖に出たところで機体中央の左側の扉が開いた。
扉から誘導用の金具が出てきて、小型竜運船がその上に停泊。
小型竜運船が金具と共に機体の中へと引き込まれていった。
その光景を指差し、どうですかと一栗が岡部に聞いてきた。
この日は風が吹いていて、かなり波がある。
だが飛行艇は主翼に浮きのようなものが付いていて、波が主翼に当たらないようになっている。
そのせいで搬入時の機体は安定しており、むしろ小型の竜運船の方が心地が良くないという風に感じる。
「大型輸送船の方も改良して、先ほどの金具と接続できるようにしているので、船から艇なら、もっと安定しているんですよ!」
ぼうっという風の音に負けないように一栗が大声で説明した。
湾内や湖内への着水が許されれば、もっと安全に積み下ろしが可能なのだとか。
「搬出の方はどうなんですか?」
岡部も大声で叫ぶように言うと、一栗はにっと笑い飛行艇の里見へ連絡を入れた。
岡部たちを乗せた船が飛行艇の反対側へと向かう。
機体の右側の扉が開き、先ほどの金具が誘導具となって、小型竜運船が海原へと出されたのだった。
凄いですねと言って周囲を見ると、義悦と浅利が完全に船酔いしていて海に『こませ』を撒いていた。
一栗は苦笑いし、「一旦、競竜場に戻りましょう」と大声で言ってから、機内の里見に無線で指示。
飛行艇は、両主翼の付け根付近に取り付けられた回転羽根を回して徐々に前進し、ゆっくり浮上してから回転羽根の向きを前に変え、水平線の彼方へ飛び立って行った。
浜名湖競竜場の会議室で説明会が行われた。
完璧に船酔いしている義悦と浅利は長椅子に横たわって説明を聞いている。
二人ともかなり顔色が悪い。
浅利にいたっては、地上のはずなのに揺れているとわけのわからない事を言っている。
一通りの完成と一栗は報告した。
岡部もそう感じた。
「これまでの名前に習えば差し詰め『竜運艇』と言ったところでしょうか」
そう一栗が言うと、井伊もなるほどと頷いた。
「先生が問題無いと感じるなら、今年の止級開幕に合わせて発表しますよ」
義悦が横たわりながら、そう言って小さくげっぷした。
「デカンとパルサから資金提供が来ているので後でお渡ししますね」
そう言って浅利も生あくびをした。
二人を見ながら、井伊がやれやれという顔で岡部を見る。
「あの感じですと、後は販売価格を決めてもらうだけというところですね」
井伊がそう言って一栗を見たのだが、一栗は義悦を指差して苦笑い。
井伊と岡部も同様に苦笑いしている。
「実際問題、デカンとパルサ以外に買うところってあるんですかね? 無いなら相当高額になってしまうと思いますけど」
「雷雲会さんと紅葉会さんは買うんでしょうね」
「やっぱり大会派は違いますね」
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