第40話 報道
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の厩務員
・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)
・戸川直美…専業主婦
・戸川梨奈…戸川家長女
・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」
・氏家直之…最上牧場の場長
・長井光利…戸川厩舎の調教助手
・坂崎…戸川厩舎の厩務員
・池田…戸川厩舎の厩務員
・荒木…戸川厩舎の厩務員
・木村…戸川厩舎の厩務員、解雇
・大野…戸川厩舎の厩務員、解雇
・垣屋…戸川厩舎の厩務員
・牧…戸川厩舎の厩務員
・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員
・花房…戸川厩舎の厩務員
・庄…戸川厩舎の厩務員
・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手
・本城…皇都競竜場の事務長
・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員
・吉川…尼子会の調教師(呂級)
・南条…赤根会の調教師(呂級)
・相良…山桜会の調教師(呂級)
・津野…相良厩舎の調教助手
・井戸…双竜会の調教師(呂級)
・日野…研修担当
九月ももう終わろうとしている。
まだまだ残暑といった汗を吹かせる暑い日はすっかり姿を消し、徐々に風は肌を刺すように冷たくなっていく。
朝晩はしっかりと冷え込むようになり、夜もかなり長くなっている。
競竜場では青々していた草が少しづつ茶に染まりはじめ、夕刻には虫の羽音が自然の音楽を奏でている。
呂級では世代戦の三冠最後の『重陽賞』が終り、いよいよ新竜戦と年末の風物詩『皇都大賞典』の話題が新聞を賑わしている。
あの新竜戦から戸川厩舎には、『セキラン』を報道しようとひっきりなしに記者が訪れている。
調教を行えば、一目見ようと観察台に記者がどっと押し寄せる。
最初は強面で知られる吉川が一喝するだけで何とか場も収まっていた。
だがすぐに効果は薄れた。
普段厩舎棟に出入りしない記者が一気に増え、厩務員の制止を報道の自由だと無視し好き勝手している。
記者には道徳の欠如した者が非常に多く、勝手に竜房に入る者や『セキラン』の毛を抜こうとする者まで現れる始末。
特に東国の記者にその傾向が強く、西国の記者と竜舎前で大声で揉めるという場面も日常的になっている。
時には殴り合いになり、近くにいた竜が暴れ厩務員が怪我をするという事態も発生している。
普段競竜関係を扱わない写真家が、話題だからと写真を撮ろうとし、頻繁に発光器を光らせ、その度竜が暴れている。
温厚な隣の相良調教師も、あまりの道徳心の無い報道姿勢に、鞭を振り回して暴れるほど激昂している。
このままでは『セキラン』を潰されかねないと感じた戸川は、事務棟の本城に相談し報道の規範を改定してもらった。
だがほとんど効果は無かった。
たまりかねた本城は、違反者は入館証を没収すると強く通達した。
だが没収者が複数出ただけだった。
激怒した本城は竜主会に相談。
竜主会から厩舎棟内の報道追放の提案が報道各局に出される事になった。
それにより過熱報道は多少は落ち着いた。
それでも東国のいくつかの小さな新聞社と写真社が無期限の出入り禁止処分を科された。
戸川厩舎の厩務員たちは、報道対応で全員精神的にボロボロだった。
募集に応じ来てもらった厩務員が早々に辞めてしまうと、ついには戸川も音を上げ最上に弱音を吐いた。
最上は戸川の話に激昂し、即日、竜主会に公平性が損なわれていると苦情を入れた。
竜主会も連日の過熱報道を非情に問題だと感じており、報道各社へ公平競争違反の訴訟を通達。
大手新聞社は謝罪文を新聞に掲載し、新聞協会会長が竜主会会長に謝罪する事で示談となった。
竜主会会長をしている『雷雲会』会長の武田善信は、西国の限られた記者を伴い、直々に戸川厩舎を訪れ謝罪した。
その映像が報道されると、皇都の厩舎棟はやっと日常を取り戻した。
最上が戸川厩舎を訪れると、厩務員たちは予想以上に精神的な疲労を負っており、かなり深刻と感じた。
最上はお詫びと労いがしたいから人を集めてもらいたいと戸川に申し出た。
午後の調教を翌日に回し、昼飼の後の時間に食堂を予約。
最上はその間、無言で厩務員を観察していた。
なるべく明るく振る舞い、会話も冗談も交えてはいるが、やはり疲労で活気が衰えている感じだった。
戸川は、岡部に参列者を募集させ、池田、櫛橋、垣屋、牧の参加をとりつけた。
坂崎は、全員いなくなって報道に何かされると困るからと一人で居残った。
戸川は、相良、吉川、本城、すみれを誘い、嫌がる長井を引きずっていった。
食堂に行くと、ちょっとした晩餐の準備がされていた。
最上は皇都の紅花会の大宿に連絡し届けさせたと言った。
席は最上の意向で円卓になるように椅子が置かれている。
全員が着席すると、此度は多大なご迷惑をおかけしたと最上が話し始めた。
北国から取り寄せた生麦酒も用意しようとしたのだが、すみれに仕事場だと怒られたと冗談を飛ばし一同の笑いを誘った。
話が長くなりそうだったので、岡部が料理が冷めますと言うと、最上はしまったという顔をし、炭酸水で乾杯をした後、思い思いに食べていってくれと促した。
「何であないな事になったんやろう? 今までも良え竜はいくらでもおったのに」
相良のその一言が、食事より話題という雰囲気に場を変えた。
「東国の人たちは安定した強い王者に挑戦者が挑むっていう姿に魅かれるって聞きましたけど、それですかね?」
岡部が食べながら戸川に言った。
「確かにそういう地域性いうのもあるんかもな。東国の記者ぎょうさんおったもんなあ」
揃いも揃って道徳心の欠片もないと吉川が思い出して苛ついている。
池田も櫛橋を見て、よく手が出てたもんなとからかった。
「あいつらすぐにケツ触ってくるんですよ。もう何人やったかわからへん」
櫛橋も露骨に苛ついた顔をし平手をぶんぶん横に振った。
すみれもかなりお冠である。
「私もケツ何回も触られたんですよ。ほんまタダや無いいうんです」
すみれの『タダじゃ無い』の一言に一同は大爆笑だった。
最上は東国の報道にも触れている関係で、何となく騒ぎの原因を察してはいる。
「『セキラン』だがな、報道で大衆演劇にされたらしいな」
「ああ、なんとなくわかります。あの仔、血統がちょっと不運いうか、悲劇的いうか……」
櫛橋がそう言うと、垣屋と池田がどういう事かと身を乗り出した。
『セキラン』の祖父は良い竜を多数輩出したのだが、怪我や病気で早世した仔が多く、種竜として仔を出せたのは『セキラン』の父だけである。
その父も期待されながらも『セキラン』が産まれてすぐに亡くなってると櫛橋は一同に解説した。
それを聞いた牧が、そういえばあの仔の母もあの仔が産まれてすぐ亡くなったと聞いたと呟いた。
「ここまで、大きな事件の被害を二回も受けとるし、言われてみれば確かにこれほど演劇の話題に事欠かへん仔もいないやろうなあ」
池田も食事をしながらしみじみと言った。
そこに本城が、西国の記者に聞いた話と言って、稲妻牧場の『ソルシエ』系以外の仔と言うのも大きいらしいと指摘した。
最上は、うんうんと頷き話を追加した。
「牧場にも取材がかなり来てたらしくてな。あの仔を伯母の『オウトウ』が育成したと聞いて、かなり盛り上がってたそうだ」
牧場も報道が過熱して、事前に手続をした者以外の来場を全面禁止にしていると報告を受けたと言うと一同は静まった。
垣屋が、相良先生があんなに暴れてるの初めてみましたと相良を見て笑いだした。
「そら僕かて怒るよ。うちの竜引き運動しとんのに写真撮るのに邪魔やから、どいてくれ言うんやで?」
「そら、相良んとこかて良え竜おるんやから、写真くらい撮ってくれてもなあ」
吉川が相良をからかって笑った。
相良は吉川を一瞥し、ぷいと顔を背けた。
「まあ、先生のとこよりはね」
「何やと! 癇癪起こしくさってからに、ガキか!」
「あれ、僕やなくて吉川先生やったら今頃人死にが出て、先生とっくに牢屋の中ですからね」
吉川と相良がからかいあうと、場が笑いにつつまれた。
最上は吉川と相良にも迷惑をかけたと頭を下げた。
「山桜会の竹崎会長と尼子会の小早川会長にも、あとで私からちゃんと謝罪をしておくよ」
「雷雲の武田会長から、ああいう会見があったんですから、それ以上はいらんと違いますかね」
そう言って相良は微笑んだ。
長井が幕府行きはどうするんですかと戸川に尋ねると、戸川は押し黙ってしまった。
最上もかなり困った顔をして黙っている。
吉川は『セキラン』は『新月賞』に行く予定だったのかと目を丸くして驚いている。
厩務員も誰も聞いておらず一様に驚いている。
「色々踏まえた結果、そういう話になってたんですけど、あんな事になったから僕の判断で守秘扱いにしたんです」
そう岡部は厩務員たちに説明した。
「良え判断やったと思うで。周知してもうてたら、きっと誰かが報道に喋ってもうて、もっと大変な事になってた思うもん」
池田は苦笑いした。
垣屋も、守秘できた自信はないと苦笑いして池田を見た。
櫛橋は、遠征は中止した方が良いんじゃないかと言って長井を見た。
「僕はこういう事態になったからこそ、幕府に行くべきやと思うけどね」
牧が櫛橋の顔を見て意見を言った。
「牧君だったか。理由が聞きたいな」
最上の鋭い眼光が牧を怯えさせた。
牧の意見はこうだった。
皇都の良い竜が幕府に行ったら、報道に嫌がらせ受けるというのは有名な話である。
今『セキラン』は、武田会長が頭下げるくらい注目浴びてる。
であれば、ここで『セキラン』が幕府行ったら、武田会長もそれなりの体制を組んでくれると思われる。
それでもあいつらは絶対に何かしてくる。
伝統だとか仕来りだとか言って。
それを報告し虱潰しにしてやれば、次の『上巳賞』は万全で挑めるのではないだろうか。
一同はシンと静まり返った。
本城が牧を見て、今後遠征する竜もやりやすくなると言って賛同した。
最上は無言で立ち上がり炭酸水の瓶を持ち、牧の席に向かって行き注ぐと、肩に手を置いた。
「その言や良しだ!!」
最上は吠えた。
「セキランで負の歴史を終りにしよう! 一同異論は無いな?」
全員黙って首を振る。
最上は戸川の顔を強い眼差しで見た。
「戸川、良いな? やれるな?」
戸川は立ち上がった。
「皆、頼むな! 力を貸してくれ!」
戸川の発破に厩務員全員が立ち上がり、口々に、がんばりましょうと戸川に言い合った。
すみれが感極まって泣きだした。
相良もそれを見て感動して目を潤ませ、戸川を見た。
「うちらも『上巳賞』に帯同できるよう竜鍛えますんで、一緒に幕府に連れてってください」
「いやいや、逸る気持ちはわかるけどもやな。そう思うんやったらまずは未勝利を勝たんと」
吉川が相良の顔をにやけ顔で見ながら茶々を入れた。
「先生のとこやって二頭とも未勝利やないですか!」
相良は不貞腐れた顔をして吉川から顔を背けた。
「うちとこはな、優駿に間に合うようにじっくり鍛えてるんや」
吉川の反論を相良は鼻で笑った。
「ふん。口だけやったら何とでも言えますわ」
その挑発に吉川は顔を真っ赤にした。
「なんやと! お前、来年も同じ口が聞けるかよう見とけよ!」
「目かっぴらいて見とくようにしますわ!」
相良は両目を指で開いて、吉川を挑発した。
一同はそれを見て爆笑した。
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