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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第一章 師弟 ~厩務員編~
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第38話 初陣

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の厩務員

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・氏家直之…最上牧場の場長

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・坂崎…戸川厩舎の厩務員

・池田…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・木村…戸川厩舎の厩務員、解雇

・大野…戸川厩舎の厩務員、解雇

・垣屋…戸川厩舎の厩務員

・牧…戸川厩舎の厩務員

・櫛橋美鈴…戸川厩舎の女性厩務員

・花房…戸川厩舎の厩務員

・庄…戸川厩舎の厩務員

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・本城…皇都競竜場の事務長

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川…尼子会の調教師(呂級)

・南条…赤根会の調教師(呂級)

・相良…山桜会の調教師(呂級)

・津野…相良厩舎の調教助手

・井戸…双竜会の調教師(呂級)

・日野…研修担当

 翌週の月曜と火曜で、出走した『ショウケン』以外の九頭の追い切りが行われた。


 中でもやはり気になるのは五歳の芦毛の新竜『セキラン』。


 追い切りを終えた松下は、事務室に帰ってくると戸川に調教の報告をする。

戸川は岡部の方針が面白いと言って、九月から正式に松下と長井に調教の感触を十段階で評価させる事にしている。

『セキラン』は松下の感覚では七程度。

怪我はもう気にしていない様子という事だった。



「『セキラン』下見はどうするんです?」


「また、綱一郎君にやらせよう思うてるよ。あのカチカチ治らへんと遠征もできへんからな」


 松下と戸川は大爆笑である。


「他の厩舎から聞いたんやけど、そないに酷かったん?」


 長井が松下に尋ねると、松下は戸川と顔を見合わせまた大爆笑した。


「酷いなんてもんやないですよ。あれじゃあ『ショウケン』の下見やのうて、岡部君の下見でしたわ」


 意外な一面を知って、長井は、自分も下見から見ておくべきだったと笑い出した。


「遠征って、どれか遠征できる予定なんですか?」


 長井は、そこまで期待できる竜はいないだろうという意味で戸川に尋ねた。


 重賞は三連戦で、予選、最終予選は東西別々に行い、決勝のみどちらかの競竜場で行われる。

つまり皇都に厩舎のある戸川たちは、幕府で行われる重賞の決勝以外、輸送というものは発生しないのである。


「さしあたっては『天狼賞』やけど、そこまでは期待してへんから、まあ『上巳賞』やろうね」


「確かに、そこまでには何とかなって欲しいですね。そやないと……あれを全国に中継するはめになる」


 松下が冗談を飛ばすと三人は腹を抱えて笑い出した。



 竜房では、朝飼を行いながら今後の予定を櫛橋が気にしていた。


 事前に井戸先生から聞いていたように、櫛橋は竜の観察に非常に熱心で、この蹄の形は体が弱い仔が多いやら、こっちの仔は前脚と後脚の均衡が悪いやらと毎回講習を開いている。

当初は池田と庄が興味を示していただけだったのだが、徐々に垣屋や牧も興味を示し始めた。

さすがに八人中五人がその話題で盛り上がっているので、坂崎と花房も遅ればせながら興味を持ち始めている。


「先週の競争見るに、『ショウケン』は、やっぱ長いとこの方が向くんやろか?」


 坂崎がショウケンの首筋を撫でながら、誰にと言うわけでも無く尋ねた。


「どうなんでしょうね。先週のは、早めに逃げ竜が潰れてくれたんで、流れの関係で有利やっただけにも思いますけどねえ」


 牧がそう感想を述べると、坂崎は、確かに展開は絶好だったと頷いた。


「多分体つきからいうて、どっちもこなせる程度って感じなんやないでしょうかね」


 櫛橋がそう締めた。


「岡部さん。今週は『セキラン』『ジクウ』『ゲンジョウ』の三頭でしたよね?」


「そうですね。『セキラン』がどこまでやれるのか今から楽しみです!」


 岡部を見ていた櫛橋が、突然目を反らして肩を震わせた。


「……『セキラン』、誰が下見やるんでしょうね?」


 櫛橋は岡部に背を向けて、声を殺して笑っている。


「あれはちとな……岡部君以外の誰かと違うかな?」


 坂崎が、ちらりと岡部を見て豪快に笑い出した。


「そうですね。僕が先生やったら、あれ見たら重要なとこでは岡部君は使わへんね」


 牧も坂崎と一緒に爆笑し出した。


 竜房内が笑いで包まれている。

その雰囲気が気に入ったのか、数頭の竜が鼻を鳴らすような鳴き声をあげた。


「竜たちも、岡部くんの下見は嫌やって言うてますわ」


 牧が冗談を言うと、また笑い声があがった。


 岡部は目を覆い続けうなだれた振りをしていたが、内心では、明らかに厩舎の風遠しが良くなったのを感じて喜んでいた。



 水曜の午後、竜柱が配布された。

注目の『セキラン』は金曜の第二競走、二枠二番だった。

頭数はわずか五頭。


「なんだか、随分頭数の少ない競争になってしまいましたね」


 竜柱を凝視していた岡部は、視線を戸川に移した。

戸川は少し不貞腐れたような顔をしている。


「今週『セキラン』出す言うの知れ渡っとってな。事務に届け出しに行ったら、皆木曜か金曜か、僕が出すんを待ってたらしいんやわ。おかげで不成立ギリギリや」


 木曜の新竜戦を見ると、十七頭立てと、新竜戦にしては異常な多頭数になっている。



「くそっ。うちも戸川が出すの待ってから出したら良かったわ」


 そう言って吉川が事務室に入って来た。

竜柱を見ると四枠に吉川厩舎の竜『トモエバクエンオー』が記載されている。


「悪いけど勝たせてもらうよ」


 戸川がニヤリと笑って吉川を見た。


「さすがに勝てると思うてへんわ。そもそもうちのは、そこまで短いとこ向く竜やないからな」


「おっ、負け惜しみとは珍しい」


 吉川は戸川の挑発にカチンと来たらしい。

かなり苛々した顔で戸川を睨んだ。


「たまたま良え竜来たからて、でかい態度しくさってからに……」


 吉川が心底悔しそうに言うので、長井たちは大笑いした。


「尼子さんも、もう少し力入れてくれたら吉川も楽にやれるのにな」


 戸川の言葉に、吉川は大きくため息をついた。


「紅花さんとこと違うて、うちは伊級も出した事なければ、呂級も僕が初めてやからな。岡部みたいなんがうちで開業してくれたら、会派も盛り上がって会長も喜んで投資してくれる思うんやが……」


 吉川は岡部を見て、またため息をついた。


「以前乗せてもらった『サキモリ』でしたっけ、あれ、かなり良い竜だったじゃないですか」


 岡部が褒めると、吉川は突然顔を明るくした。


「あれ八歳でな。あそこまで鍛えるのに苦労したんや。『バクエンオー』もそれなりに期待はしとる仔ではあるんやけどな、それでも今回は三着になれたら恩の字やろうな」


 吉川は、そう言って岡部に笑いかけた。




 木曜日、『ゲンジョウ』と『ジクウ』の競走で、岡部はまた下見所で竜を曳く事になった。


 戸川から面白いものが見れると言われ、前回の『ショウケン』の競争を録画したものを奥さんと梨奈が見たらしい。

前日のゆうげで二人にさんざんに笑われ、からかわれての下見所であった。


 『ゲンジョウ』ではまだ硬さが残ったものの、『ジクウ』の時はかなりまで硬さが抜けていた。

そのせいか、『ゲンジョウ』は十一頭中の六着だったが、『ジクウ』は十三頭中三着だった。


「だいぶ緊張取れとるやないか。竜やのうて君が」


 『ジクウ』の下見所で松下が笑った。




 金曜、ついに『セキラン』の初戦の番が回ってきた。


 『セキラン』は下見所でも一頭雰囲気が全然違っており、前を歩く一枠の竜を突くように歩いている。


「全力で追うてみせたるから、この仔の実力、よう眼に焼き付けとき!」


 競技場に向かう途中で、松下は強気な顔を岡部に向けた。



 発走した途端、『セキラン』は一瞬で他の竜を引き離した。

松下は『セキラン』をゆっくり抑えたのだが、『セキラン』は全く周囲に合わせようとしない。

結局、三角を過ぎ曲線に入っても『セキラン』は緩く加速を続け、後続との距離を徐々に広げ続けた。

四角手前で松下が一追いすると、『セキラン』はそれを合図にクンと加速。

自分の速度を持て余し大きく膨らんで直線に向かうと、さらに加速。

直線では途中で追うのを止めたが、二着以下を大きく引き離し一着で終着した。



 検量室に戻ってきた松下は少し震えていた。


「見たか! 見たか! これが『セキラン』やぞ!!」


 松下は大興奮で『セキラン』の首を撫で、岡部を指さした。

鞍を持って検量へウキウキで向かった松下は、競走映像を見て改めて身震いした。

検量を終えると戸川と合流し、大興奮で岡部の元に戻って来た。


「恐らく現時点では世代最強やぞ。幕府行っても負ける気せえへん!」


 松下は興奮が抑えきれない。


「重賞戦線で勝負けする竜言うんは、こういう竜なんや!」


 戸川もかなり興奮が抑えられない感じであった。


 『セキラン』の初戦は一番人気一着、二着との着差は大差という事前の噂に違わぬものだった。


「皇都の関係者の期待に応えないといけませんね!」


 岡部も興奮を抑えきれず嬉しそうに言う。


「お! 綱一郎くん、もう重賞取った気になっとるな!」


 戸川は岡部を突いた。


「あれ見て興奮せんやつは競竜師やないですわ!」


 松下もそう言って岡部の背中を叩いた。


「おめでとう。うちのは三着やったわ。クビ差やから大健闘やけどな」


 吉川が寄ってきて戸川を祝福した。


「しっかし速いな。一瞬で置いてかれてもうたわ。調教で見た以上やな、これ」


 吉川は驚愕しながら、少し興奮気味の『セキラン』を見つめた。


「僕もそう思うわ。これでまだ仕上がり七割やぞ」


「七割!! ありえへん! 積んでる内燃が別物やわ」


 吉川もさすがに呆れた。



 このサケセキランの新竜戦は、翌日の記事に大きく取り上げられる事になった。

『西に怪物現る』『芦毛の猛竜が爆走』などと各新聞が思い思いに『セキラン』を持ち上げた。

よく読むと、入厩前から話題になっていただの、入厩時に皇都がどよめいただの、かなり盛った内容にはなっていたが。


 後日知る事になるが、この競走が九月の新竜戦での一番の好時計だった。

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