第13話 訂正
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・岡部幸綱…岡部家長男
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫
・大崎…義悦の筆頭秘書
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・大宝寺…三宅島興産社長
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(呂級)。夫は中里実隆
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・杉尚重…紅花会の調教師(呂級)
・松井宗一…樹氷会の調教師(呂級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・畠山義則…伊級の自由騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・能島貞吉…岡部厩舎の主任厩務員
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員
・真柄、富田、山崎…岡部厩舎の用心棒兼厩務員
・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員
・坂井政則…紅花会の厩務員
・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は小平生産顧問
・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手
・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)
・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手
「新発田! 調教方針を変更する! 今日からだ!」
大津に帰るとすぐに岡部は新発田と荒木を会議室に呼び出した。
「これまで僕は、なるべくゆったり羽ばたかせようとした。だけど、逆だったんだよ!」
少し興奮気味に岡部は新発田を指差して言った。
新発田も荒木もきょとんとしてしまっている。
「赤色筋は持久の筋肉なのだから、動かし続ける事に長けてるんだよ」
「つまり、ゆっくり大きくやなく早く小さくと」
新発田の指摘に、岡部は笑顔で何度も頷いた。
「いや、早く大きくかな。『鷹』じゃなく『燕』を作るんだよ!」
「そやけど、どの竜も、ゆっくりの羽ばたきにかなり慣れてきた頃ですけど」
「確かに竜には負担をかける事になっちゃうね。全て出走したら一度放牧するよ」
岡部はかなり興奮して喋っており、聞いている新発田、荒木とはかなり温度差がある。
「あの、時間かかるかもしれませんよ」
「覚悟の上だよ。新発田がいけると思ったら太宰府に連絡してきて欲しい。それまでは一切出走はさせないよ!」
まるで子供のようにはしゃぐ岡部に、荒木も新発田もかなり困惑した顔をしている。
「おそらく、一番早う調整が効くのは『エンラ』やと思います」
「『エンラ』かあ。未勝利の最終戦に間に合うと良いなあ。駄目なら強制引退になっちゃうからね」
終始興奮気味の岡部に、新発田は若干引き気味だった。
そこから二週間、岡部は調教を観察し続けた。
最初こそ羽ばたきがぎこちなかったが、徐々に羽ばたきが早くなってきている。
だが羽の使い方が大振りのままで、慣れるまで時間がかかりそうと言うのが正直な感想だった。
四週目、岡部は太宰府へと向かった。
早速、成松、能島、服部を呼び、荒木たちにしたのと全く同じ説明をした。
成松は手をぽんと叩くと、ずっと小さな違和感を抱いていたのはそれだったのかと納得した顔をした。
最初に受けた説明と、実際の調教方針に齟齬があったのかと。
能島と服部がいまいち理解できていないようだったので成松がかみ砕いて説明。
「そう説明されるとなるほどとなるが、それに気づくのも大したもんだよなあ」
そう言って能島が素直に感心した。
もしこれが上手くいったら伊級の調教に革命が起きると、服部は目を輝かせた。
説明が終わると成松から止級の引継ぎがあった。
期待の『コンコウ』だがかなり肉付きが遅いらしい。
どうやらかなりの晩成らしく、恐らく本格化するのは来年以降じゃないか。
今年、一、二戦できれば良い方かもしれないという事だった。
せっかくの良い竜だから、じっくり育てて最強にしていこうと岡部は述べた。
その後、今月、『藤波賞』に『オンタン』と『センカイ』を出していくという方針を決めた。
『センカイ』は恐らくそこまでではないだろうから、その後は八月の『潮風賞』に使う。
『オンタン』は当然『海王賞』の連覇を狙う。
『コンコウ』は行ければ能力戦二、無理なら新竜戦で止める。
『シュツドウ』は上がれるところまでやる方向。
「先生、鞍上が足りませんけど?」
すぐさま成松がそう指摘した。
「あ、そうだった。石野さんもういないんだったね」
「いや、それもそうやけど、大津でも競争ば出すんですよね?」
成松の指摘に一瞬岡部の動きが止まる。
「えっと、そっちはたぶん八月くらいからかな」
「やとしたら、八月に三人必要な計算になるたい」
「全部順調に勝ったらね。まあ、その時は、松下さんを……あ、止級は、臼杵や原さんでも」
行き当たりばったりに聞こえる岡部の提案に、徐々に成松も能島も非常に冷めた目になっていく。
「……早急に契約騎手探さないとですね」
「あ、それなら先日見つかったよ。ただ、今の段階ではまだちょっとね」
「へ? ……大津でいったい何があったと?」
あまりの急な状況の変化に、成松は思わず笑い出してしまった。
『サケオンタン』と『サケセンカイ』は順調に予選二まで勝ち上がった。
金曜日、最終予選の竜柱が発表になった。
竜柱を見た岡部厩舎は絶句。
『オンタン』と『センカイ』が同じ最終予選の竜柱に入っていたのである。
服部は引き続き『オンタン』に騎乗するとして、問題は『センカイ』の鞍上だった。
岡部が杉厩舎を訪れると、杉は非常に機嫌が悪かった。
「くそっ。松井のやつ、しれっと二年目の頭から重賞出してきよってからに」
珈琲を一口飲んで早々に杉は愚痴を言った。
「参っちゃいますよね。呂級から唯一、松井くんが最終に残るんだもんなあ」
「なんや、同期の躍進が嬉しう無いんか?」
「伊級に来て初めてわかりましたよ。呂級に負けたくないってやつが」
それを聞くと杉は噴き出し、げらげら笑い転げた。
「なんや、ようは嬉しいんやないかい!」
「そりゃあね。でも負けてはあげません」
ひと笑いした事で何となく苛々が解消したようで、杉は落ち着いて珈琲を飲み始めた。
「武田は止級苦手なんか。あんまり出て来へんけど」
「どうなんでしょうね。確かに最終予選までも残ってこない感じですね。杉さんはどうなんです?」
「なんとか重賞まで持ってこれたけども、俺もいまいちわかってへんな」
どうにも陸を走るのと勝手が違うと杉は悔しそうに眉をひそめる。
「そうなんですか。原さんの方はどうなんです? 止級はやれそうなんですか?」
「原なあ。止級とか呂級とかの前に、ここらで一発、一皮剥けてくれへんとなあ。どうも、去年の秋からぱっとせへんな」
あの時の『皇后杯』の失敗からどうも騎乗がちぐはくな印象を受けると杉は困り顔をした。
「じゃあ今年、『センカイ』は原さんで行ってみましょう。次の『潮風賞』も予選一から乗せてみましょう。ああ、ついでだから調教もやってもらっちゃいましょう」
「いやいや。さすがにそこまでしてもろたら気が引けるわ」
原もいい歳なんだから自分で立ち直ると杉は言うのだが、こっちは騎手が足りていないから好都合だと笑った。
「もしかしたら今川さんがいるからって緊張感が薄れてるのかもしれませんよ?」
「そらありがたい話やけども。どうなっても知らんで」
「きっとやってくれますよ、原さんなら」
最終予選の発走となった。
『オンタン』は、最初の一角で内の竜を抑えつけるように回った。
外の『センカイ』は、なんとか間を抜けて、折井の『ニヒキガゴメ』に次ぐ三番手で一角を回った。
直線ではそこまで順位の変動は無い。
服部は何かを試すように鋭い角度で二角を回ると、一気に後続を突き放した。
『センカイ』は内から四番手の竜に体当たりを受け、外に膨らんでしまう。
だが『センカイ』は潜水に強く、正面直線で先ほどの竜を抜き、『ニヒキガゴメ』まであと少しというところまで差を詰めた。
一角の攻防で服部は、またも鋭い角度で回る練習をするように回る。
左前にその光景を見た原は、その前に服部がやっていた抑え込みを試してみた。
『ニヒキガゴメ』を抑え込みに行った原だったが、その前に折井に察知されて逃げられてしまった。
逆に四着の竜に追いつかれそうになったが、跳躍後の潜航で何とか『ニヒキガゴメ』に追いついた。
今度は内から体当たりをしようとしたが、これも折井に逃げられた。
結局、『センカイ』は三着で決勝には残れなかった。
検量室に戻った原は、せっかく機会を貰ったのに決勝に残す事ができずに少し落ち込んでいた。
そんな原に折井は近づき肘で突く。
「発想は良かったんですけどね。付け焼刃では通用しまへんよ」
「次会う時までにちゃんと研いで鋭利にしとくから、首洗って待っててくれ」
折井を指差して原は笑った。
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