表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第六章 出藍 ~呂級調教師編(後編)~
362/491

第58話 監査

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(伊級)

・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女

・岡部菜奈…岡部家長女

・岡部幸綱…岡部家長男

・戸川直美…梨奈の母

・戸川為安…梨奈の父(故人)

・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫

・大崎…義悦の筆頭秘書

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・大宝寺…三宅島興産社長

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(呂級)。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・杉尚重…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(呂級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(伊級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手

・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員

・真柄、富田、山崎…岡部厩舎の用心棒兼厩務員

・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員

・坂井政則…岡部厩舎の厩務員

・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は北国牧場の小平生産顧問

・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手

・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)

・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手

 翌日、岡部はニコニコしながら出勤してきた。

荒木に朝の挨拶をすると、遅くなったけど新年の例のものをやろうと腕を捲った。

新入りが泣く姿が今から見えますと、ニヤニヤしながら荒木は書道の準備をする。


 いつものように『真摯』と書いた後、紙を変え『叡智』と書いていく。

ふと振り返ると事務室の入り口に人だかりができていた。

自信のある荒木と垣屋が、次は自分がと言って書き始める。

二人が書き終えると、次は俺がと赤井が書き始めた。

例年の事ながら、さすがに三人とも達筆だった。

赤井が書き終えると、自分が行きますと言って富田が書き始める。

さすがにこの順番で名乗り出ただけあって富田も達筆だった。

次に能島が書き始める。

能島の字は非常に力強いのだが均衡が崩れており、上手いとも下手とも判断のつかない微妙な字であった。


 その後、夜勤の山崎と花房、大村を除く全員が順番に書いていった。

最後まで抵抗したのは真柄だった。

真柄は単に『競竜』と書いただけだった。

だがそれを『競竜』と読めた者はいなかっただろう。

力強いというには、やりすぎという感じになっている。

こういうの苦手なんですよと真柄が苦々しい顔をしていると、最初の先生のに比べたら圧倒的に上手いと服部が笑った。

確かに最初の先生のは絵だったからと阿蘇が笑い出した。


 しばらく貼りだしてから各自持って帰ってもらうと言うと、真柄は泣きそうな顔をした。



 書道道具を片付け、皆が竜の世話に出かけようとしたところで、事務棟の三雲(みくも)という事務員がやってきた。

岡部の姿を見るなり、事務棟に緊急でお客様が来ていると言って有無を言わさず手を引いて行く。

案内されるがままに会議室に入った。

ただ、会議室の時点でそこまで役職が上の人ではないと岡部は察した。


 中で待っていたのは、以前、電子広場の件で呼ばれた時の監査部の人物だった。


「お久しぶりですね。こんなに早く再会できるとは思ってもみませんでしたよ」


 そう言うと監査部の人物は改めて名刺を差し出した。

名刺には黄菊会の会旗と竜主会監査部で猪苗代(いなわしろ)と書かれている。


「どうかされたんですか? 僕の方は竜主会の監査部の方に呼び出されるような事は……たぶんしていないはずですが」


 珈琲を一口飲むと、私もそう思うのですがと言って、猪苗代は鞄から封筒を取り出した。


「実は竜主会にこのようなものが届きまして」


 封筒の中には、週刊誌の原稿を複写したとと思われる紙が四枚入っていた。


「それが来月の週刊誌に掲載される予定なのだそうです」



 記事は岡部の経歴に関する虚偽情報が書き連ねられていた。


 ある日、孤児を自称する謎の男が戸川厩舎に現れたという文言から始まっている。

厩務員時代に悪徳調教師の戸川から違法薬物の使い方を学んだ。

幕府で記者の一人を縛り上げ折檻した事が問題になった。

研修時代には教官と薬物使用で揉めた。

仁級時代には先輩調教師に薬物使用の罪を擦り付け、警察に突き出し竜を強奪した。

さらには尾切れ事件などの悪行を同期に擦り付けた。

八級時代には戸川の娘を拉致し、情婦にし、最終的に腹ませた。

さらに誹謗中傷とわめきたてて司法を騒がせ、報道から不当に大金をせしめた。

戸川が死ぬと、それを新聞のせいだと言い張り、さらに報道から金を脅し取ろうとしている。

禁止薬物を使い、ついには伊級に入り込んだ。

そんな人物が調教師をやっているのを賢明な読者はどう感じるだろうかという一文で締めてあった。



「どう思いますか? その記事を」


「これが出版されたら、これが事実になってしまうんですね」


 怒るでもなく、声を荒げるでもなく、平常の声で話す岡部に猪苗代は酷く驚いた顔をする。


「先生はこの記事に怒りを覚えないのですか?」


「慣れてますのでね。もう何年、こういう輩と付き合ってると思ってるんですか」


 なるほどねえと少し興味深げに記事を読む岡部の反応は、猪苗代からしたら完全に想定外であったらしい。

口がぽかんと開いたままとなってしまっている。


「この中に、ほんの少しでも真実である部分というのはあるんですか?」


「そうですねえ。九割九分嘘なのに、時系列だけ合ってるってのが面白いですね」


「いや、面白いって……」


 呆れ顔をする猪苗代を岡部は鼻で笑った。

岡部からしたら、また一つ誹謗中傷の訴訟案件が増えたと言うだけの話なのである。


「ところで、どうやってこれを入手したんです?」


「こういう記事を掲載しますので、ご承知おきくださいと、『週刊時代』が報告してきたんだそうです。広報部に」


 『週刊時代』という名前からして、ろくに取材もしないで煽動だけをする雑誌だという事が容易に想像できる。


「週刊時代って、どこの出版社なんですか?」


「子日新聞社です」


「なるほどね。やはりそういう事ですか。で、これ、掲載されるんですか?」


 そうたずねられ、猪苗代は伏し目かちな表情で小さく頷いた。


「……出版物への編集指示は誰にもできませんから」


「なるほどね。じゃあ僕はこの嘘記事を元に厩舎を閉めて、調教師免許を返却すれば良いんですか?」


「先生! そんな事になったら競竜界は無茶苦茶になってしまいますよ!」


 ガタンと音を立てて椅子から立ちあがった猪苗代を、岡部は冗談だと言って宥めた。


 猪苗代の話によると、広報部には毎日このような報告が何通も来るのだそうだ。

それだけ競竜への関心が強いという事の表れではあり、どちらかと言えば喜ばしい事ではある。

毎日一つ一つ封を開けて確認し、ほとんどは担当者が目を通し、そのまま破棄している。

たいていの内容は気にする記事では無いからだ。

ここまで数多くの栄光に輝いた岡部の記事は年々増え、この記事もその類だとして破棄されていた。


 偶然、昼休憩の時に広報部の課長が、破棄された週刊誌の記事を読み返していた。

雑誌を買わなくても無料で興味のある記事が読めるなんて役得だなどと、その課長は思っていたらしい。

表題が『天才?! 岡部調教師の軌跡』というものだったので、どんな事が書いてあるのかと興味を示して読んでみた。

ところが、あまりの酷い内容に、思わず飲んでいたお茶をこぼしそうになった。

その後、この記事を破棄した者を問い詰めると、表題だけ見ていつもの提灯記事だと思って破棄したのだそうだ。


 慌てて課長は記事を部長に見せた。

だが日頃から問題ばかり起こす岡部を、広報部の部長はあまり快く思っていなかった。

記事を持って総務部長の元に出かけ、これを機に処分してしまってはどうかと広報部長は持ち掛けた。

こうして昨日の午後、緊急の部長等会議が開かれる事になったのだそうだ。



「もちろん、先生を処分すべきと強固に主張する声もあったそうです。ですが反対する意見も多かったんだそうです」


「で、どうなったんです?」


「竜主会の事務員級の会議にかけるべきという意見もでました。ですが、それだとこの記事が事実だと保証した事になりはしないかと」


 ある程度ここまでの流れが想像できたようで、岡部は無言で珈琲を飲んだ。


「で、竜主会としては、まず、先生を審問(しんもん)する事になりました」


「つまり、新聞の記事の方を信じて、尋問(じんもん)をしようと」


「先生、審問です。尋問じゃなく」


 同じ事だと指摘する岡部に、猪苗代は尋問という雰囲気にならなように、誰かに同席してもらってはどうかと提案した。

確かに誰か横で弁護する人がいれば、あまり感情的にはならないかもしれない。

岡部はじっと考え込んだ。


「その同席者には発言権はあるのでしょうか?」


「もちろん」


「では、二人同席させてもらいます」


 誰を予定しているかと猪苗代はたずねたのだが、それは当日のお楽しみだと岡部は口元を歪めた。


「わかりました。では日時ですけど、明後日を予定しています。審問担当は監査部部長です。もちろん私も同席します」


「他には誰が?」


「今は公表はできませんけど、既に人選は決まっています。処分すべきと強固に主張した部長たちも出席するとだけ言っておきます」


 くれぐれも短気を起こさないでくださいと、猪苗代は岡部に釘を刺した。

よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ