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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第六章 出藍 ~呂級調教師編(後編)~
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第46話 松井

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(呂級)

・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女

・岡部菜奈…岡部家長女

・岡部幸綱…岡部家長男

・戸川直美…梨奈の母

・戸川為安…梨奈の父(故人)

・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫

・大崎…義悦の筆頭秘書

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・大宝寺…三宅島興産社長

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(八級)。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・杉尚重…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(呂級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(呂級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・石野経吾…岡部厩舎の契約騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・牧光長…岡部厩舎の調教師見習い

・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手

・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員

・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員

・坂井政則…岡部厩舎の厩務員

・十河留里…岡部厩舎の女性厩務員

・荻野ほのか…岡部厩舎の女性厩務員

・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は北国牧場の小平生産顧問

・跡部資太郎…白詰会の調教師(呂級)

・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手

・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)

・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手

 十二月に入り、各級の昇級争いが激化している。


 十一月の『新竜賞』を松井の『サケカオショウ』が制し、杉の『サケテンショウ』は三着に敗れた。

『新月賞』の方は香坂がまた大穴を空けた。


 『タマハガネ』を管理する東国の黄菊会の一色(いっしき)龍史(たつふみ)調教師が『新月賞』で二着となり、三位の席をがっちり確保。

四位の席は、まだ山桜会の近藤調教師がしがみついている。

五位には『新竜賞』を制した松井が急浮。

六位も『新月賞』を制した大須賀が急浮上。

ただ、この二人は昇級初年度であり、争いの対象外である。


 そうなると問題は七位の席となる。

その七位は一応、杉となっている。

八位は『重陽賞』で三着だった『シミズテンリュウ』を管理している、東国の秋水会の毛利(もうり)元行(もとゆき)調教師。

南条が九位で、十位は相良。

『新月賞』で三着に入った三浦が何気に十一位に急浮上している。

ここまでほとんど賞金に差が無く、まさに大混戦である。



 隠居生活のように休養を満喫している岡部とは異なり、服部は騎手生活を継続している。

騎乗し続けないと勘が鈍るからである。

毎日のように松井厩舎に入り浸って調教をさせてもらっている。


 休暇中と言っても調教師は事務棟から定期的に呼び出しがかかる。

給与計算や収支報告といった月次処理があるので当然ではある。

それ以外にも、ごくまれに緊急呼び出しがある。

その多くは会派の大事による会見と竜主会や執行会からの事務発表である。


 十二月の二週、岡部は緊急呼び出しを受けた。

ただ、特にする事もなく、松井厩舎に入り浸って雑賀助手や高森主任と談笑し暇そうにしていた。

すると、こっちは『大賞典』でピリピリしてるというに緩い顔しやがってと、松井に小言を言われてしまった。

君といい服部といい、うちは君の厩舎の待機所じゃないんだぞと実にご機嫌斜めだった。


「今日の緊急呼び出し、何か聞いてる?」


「さあなあ。竜主会じゃないらしいとは聞いたけど」



 今日の呼び出しは、どうやら会派からの会見らしいという話が松井厩舎に入ってきている。

もしかしたら先日の薄雪会の件だろうか、もしそうだとしたら、明日からその話題でもち切りになるだろう。

その程度に思っていた。


 昼食前の非常に良い匂いの漂う食堂に、腹減ったなどと言い合いながら調教師たちが続々と集ってくる。

指定された時間が近づく頃には、がやがやと非常に騒がしい状況になっていた。

岡部と松井は、杉、武田と合流し、どこの会派の会見なんだろうと言い合っていた。


 大画面に映像が映し出されると、岡部たち四人は気まずい空気に支配される事になった。

 そこに映っていたのが『勿忘草色に白の針葉樹』の会旗だったからである。



 これから樹氷会からの会見放送を行いますと進行役の女性が言った後で、小寺会長が現れて頭を下げた。


「五年前、我会派は一つの大きな過ちを犯しました。その過ちは、会派としても、人としても、あってはならない過ちでした」


 小寺会長の演説はその一言から始った。


 当時、先の執行会会長が任期満了を迎え、次期執行会会長選挙が行われている時の話でした。

仁級の久留米競竜場で、今は逮捕されている蒲池という事務長が、当会派の調教師に卑劣な罠を仕掛けてきました。

その結果、久留米の非常に多くの竜が尻尾を切るという大事件が起きました。

この事件を引き起こした犯人の調教師も、すでに逮捕されています。

ですが蒲池はこの事件を当会派の調教師が行った事だと主張し、偽の証言者まで用意し警察を騙しました。


 先代の小寺保職は、この事件の影響により執行会会長選挙に落選。

腹いせとも言うべき処置で、罠にはめられた調教師を『追放処分』してしまいました。

この処分自体は冷酷だと思いながらも、私は一方でやむを得ないとも思っています。

ただ会派として、その調教師の追放後の保護は当然行っているものと思っていました。

ですが先代は、その調教師に対し一切の手を差し伸べるなと指示していました。


 その後、他の会派の先生の働きによって、その調教師の冤罪が証明されました。

ですが先代は、その調教師への処分を全く撤回しませんでした。

そこから四年間にわたって、私は先代とその調教師への方針を巡って対立をしてきました。

そして昨年末、ついに先代を追放し、私が会長になりました。


 ですがそこで私は大きな嘘をついた。

久留米の事件での事を『退会』だと言ってしまった。

それは先代が事実を歪めて会内にそう周知していたからで、会内への整合を重視したものでした。

だが私はそれによって対外的に完全に信用を失ってしまう事になった。

多くの方にその事を指摘され、叱責される事になった。


「改めてここに訂正をし、その調教師に私たちが行った非道な仕打ちを謝罪したいと思います」


 そう言うと画面の向こうの小寺会長は深々と頭を下げた。



 食堂はシンと静まり返ってしまった。

ずいぶんと気持ちの良い会長だ。

うちの古狸もこれくらい爽やかだったら、そういう笑い声も聴こえてくる。

うちの腹黒に爪の垢を飲ませたいと言って笑う者もあった。


 岡部たち四人はすぐにその場を去り、食堂から一番近い松井厩舎へと向かった。



 どう切り出したものかわからず、会議室で無言で珈琲を飲んだ。


「どう感じているんだ? 『その調教師』さんは」


 珈琲を飲みながら、まず杉が口火を切った。

何かを悩んでいるようで、松井はじっと黙っている。

天秤にかけても、あっちにいくなんてありえないと武田はいきり立った。

僕や岡部君と違って樹氷会に縁戚があるわけじゃないんだからと。


「でも、これで向こうの扉は開いたと言っても良い」


 そう岡部がボソッと呟いた。

それは確かにそうだと杉は言ったが、出口の扉が開いたところで、そこまでの距離が縮まったわけじゃないと武田が反論。

岡部の言葉にピクリとしたが、松井はそれでも黙り続けた。


「あれから向うは接触はしてきてるの?」


 岡部の質問に、松井はやっと口を開いた。


「毎月、良い酒が手に入ったって、そこのつまみと一緒に持ってきて、一杯呑んで行ってる」


「麻紀さんを呑み取ろうとしてるんだ」


「みたいだな。毎回、千鳥足で帰ってくよ。正直、翌日の仕事に障らないか毎回心配している」


 麻紀さんに酒で勝てるわけないのにと武田が笑う。

僕もそう思うと岡部も笑った。


「それ以外は何か言ってきてるの?」


「それこそ毎回、色々だよ。山中先生が引退する話とか、来てくれたら、こうしたいみたいな具体的な話まで」


「紅藍系に入るって事まで?」


 その岡部の言葉に、杉と武田が過剰に反応した。

それはかなり距離が縮まる話だと杉は苦笑いした。


「ほんま、徐々に徐々に紅花会さん強力になってくなあ。うちの系列大丈夫なんやろか……」


 そう武田が不安そうな顔で言うのだが、まだまだ象と蟻だと杉は笑った。


「俺は、樹氷会には行けないとまだ回答している。俺の心を引き留める人が二人いると」


 岡部と相談役とすぐに杉が二人の名前を挙げた。

すると、当たり前だとすぐに武田が言った。樹氷会が手を払った後どれだけ二人が松井君を支えたかと、自分の事のように怒り出した。


「相談役と会長でしょ?」


「そうだね。君は感情よりも俺の置かれた立場を重視してるもんな」


 そう松井が言うと、杉と武田が岡部の顔を見た。

岡部は口を真一文字に結んでいる。


「麻紀さんは何て言ってるの?」


「もう俺の思うようにしろって。麻紀ちゃんは決定にもう口を挿まないって」


 麻紀さんはもう陥落したのかと岡部が呟く。

すると杉が唸った。


「相談には乗って決断は委ねるやなんて何ちゅうできた嫁さんや。うちの嫁なん、相談には生返事しくさって、決断後に文句たれるんやぞ。少しは松井の嫁を見習って欲しいもんやわ」


 そう不貞腐れ気味に言った。

それを聞いた武田が噴き出し、うちの嫁もそんな感じだと笑い出した。


 その後四人はまた黙り、珈琲をすすった。


「今の、八級や仁級の調教師はどう感じたんやろうな?」


 そうぼそっと武田が言った。


「確かに。自分の会派が酷い事をしたって全調教師に告白したんだもんね」


 眉をひそめて岡部が心配そうに言うと、あくまで一例だとして杉が話を始めた。


 五年ほど前、豊川の忘年会で小田原の調教師に言われた事がある。

久留米の事件のせいで小田原のうちらまでクズ会派の一員だと言われたと。

すると、確かに紀三井寺もそういう雰囲気だったと武田が言った。

あの時は逮捕者を複数出す会派の不祥事だった。今回も事の大小はあれ会派の不祥事だと杉は言った。


「ここで松井くんが来ないと、樹氷会から逃げ出す人が出るかもね」


 その岡部の見解に、だからって松井君のせいじゃない、自業自得だと武田が怒った。

それは武田の言う通りだと思うと杉も賛同。

口にこそ出さないが、松井も岡部も、頭では武田の言う通りだと思ってはいる。


「明日、君の家に呑みに行っても良いかな? 家族連れて」


「わかった。じゃあ幸綱を見に来てくれよ。可愛いんだ、これが」


 この親馬鹿めと松井は静かに笑った。

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