表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第一章 師弟 ~厩務員編~
35/491

第35話 処分

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の厩務員

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・最上義景…紅花会の会長、通称「禿鷲」

・氏家直之…最上牧場の場長

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・坂崎…戸川厩舎の厩務員

・池田…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・木村…戸川厩舎の厩務員

・大野…戸川厩舎の厩務員

・垣屋…戸川厩舎の厩務員

・牧…戸川厩舎の厩務員

・花房…戸川厩舎の厩務員

・松下雅綱…戸川厩舎が騎乗契約している山桜会の騎手

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川…尼子会の調教師(呂級)

・南条…赤根会の調教師(呂級)

・相良…山桜会の調教師(呂級)

・津野…相良厩舎の調教助手

・日野…研修担当

 三泊四日の北国出張を経て、やっと皇都の戸川宅に戻ってきた。


 結局、梨奈の熱はあまり引かず、食事だけをとり早々に帰宅する事になった。

梨奈は帰りの飛行機で涙目で窓の外を眺めていたが、奥さんはそんな梨奈に、日頃の行いってあるんだねと傷口に塩を塗っていた。




 翌日、久しぶりに厩舎に行くと、釘の事件は一通りの結末を見ていた。

池田は完全に憔悴しきった顔をしていて、岡部と戸川でここまでの報告を受けた。



 ――朝、『セキラン』の様子がおかしいことに気が付いたのは昼勤務だった垣屋だった。


 前日夜勤の大野が引き運動をしていたのだが、『セキラン』が明らかに嫌がっている。

垣屋は大野を突き飛ばし引き綱を奪った。

脚元を調べると怪我をしている。

人の小指の二関節ほど大きさの釘が左前脚の脛横に刺さっていたのだった。


 垣屋は洗い場にセキランを移すと患部を水で洗い池田を呼んだ。

『セキラン』の気をそらすように垣屋に指示すると、池田は『やっとこ』で一気に釘を引き抜いた。

『セキラン』は暴れる事なく垣屋にすり寄ってきたので、池田は消毒をし軟膏を塗布し包帯を巻いた。


 処置が済むと池田は、竜房で釘がどこから来たものか探った。

釘は少し曲がっているものの新品に近く、およそ竜房内の物では無かった。

出勤してきた長井に恐らくは事件だと報告した。


 池田は長井への報告を終えると大野に、異常を感じなかったのか尋ねた。

大野は、ちょっと変だがあいつの竜だから放っておいたと平然と答えた。

釘は俺が捨てたわけじゃないから俺を責められても困ると、へらへら笑った。

思わず手が出そうだったと池田は握った拳を震わせた。



 その後、前日勤務者だった木村と花房を呼び出し事情聴取を行った。

二人とも知らない、わざとそんな事をするわけがないという回答だった。

だが池田は、二人の態度がどこか口裏を合わせているように感じた。


 そこで木村を帰し花房を残し、もう一度同じ事を聞く事にした。

木村の前では報復が怖く言えなかったが、実は『セキラン』の竜房の前で木村が何かをしている姿を目撃したらしい。


 花房を解放し長井と情報の擦り合わせをすると、池田は一人事務室を出た。

すると木村はまだ帰っておらず、池田を事務室裏に連れ出した。


「お前が上手く言えば済むんやから上手くやれや。そうやないと痛い目みる事になるぞ」


 木村は池田の胸倉を掴んで脅迫した。


「もう長井さんに報告してもうたから、一緒に報告し直しに行こうや。僕も付き合うたるから、自分の口で言うたら良え」


 池田は木村の威圧に押し負けそうになりながら言った。

すると木村は胸倉を掴んだ拳を池田の顎に押し上げ、一人でやれと怒鳴って帰って行った――



 岡部も戸川も、池田の報告を暗い面持で黙って聞いている。


 最初に口を開いたのは岡部だった。


「長井さんが褒めるように、池田さんの報告は正確で解りやすいですね」


 池田は岡部に褒められて、まんざらでもない様子だった。


「池田さんは今回の件、どうするべきだと思います?」


 池田は大きく息を吸いゆっくり細く吐きだすと、戸川の顔を見た。


「あいつらの性格がゴミなんは置いとくとしても、竜をわざと害するやつは許せへん。もし釘を飲み込んでたら思たら、ぞっとしますわ」


 岡部が小さく何度も頷くと、戸川も大きく頷いた。


 戸川も重い口を開いた。


「池田。今回は重責御苦労やったね。思うたより苦労したやろ?」


 戸川が労うと池田は、そんな事はと後頭部を掻いて照れた。


「来週、新しい子が一人入るから、池田、専属でみてもらえるかな?」


 承知しましたと、池田は二つ返事で承諾した。


「後、今回の件は特別手当を出すから、奥さんにもよろしうな」


 戸川はそう言って池田に優しい顔を向けた。

池田は、次回もよろしくと突然現金な顔で笑った。




 暫くして長井が出勤してきた。

長井も焦燥した雰囲気を醸している。


 長井は岡部を見ると肩をつかんだ。


「岡部君、僕は悔しいよ。『セキラン』を怪我させてもうて」


 長井は下唇を噛み拳を握りしめた。


「長井さんのせいじゃないですよ。『セキラン』だって長井さんは責めませんよ」


「そやけど、僕の監視下でこないな事になってもうて……」


 長井は握った拳を机に押し付け悔しさを滲ませた。


「先生が厩舎を離れれば、こうなるかもしれないという予想はありましたから」


「あいつら舐めくさって!」


 長井は再度怒りが込み上げてきたらしく握った拳で机を叩いた。


「起きてしまった事はもう覆せません。である以上、『セキラン』の怪我が化膿しないように毎日ちゃんと経過観察をしましょう」


 長井は岡部の言葉に、やっとこれまでの重圧から解放された気がした。

安心して気持ちがほぐれたらしく、感情が複雑になっている。


 戸川は、大役ご苦労さんと長井を労った。


「ちゃんと誠意で見せてくれないと嫌ですよ」


 長井は人差し指と親指で輪をつくって見せた。




 岡部と戸川は暗い面持ちで事務棟に向かった。

すみれから珈琲を貰うと、休憩室の長椅子に二人向かいで座った。


「三人変えんとあかんのやろうな……」


 戸川の呟きを聞き、岡部は珈琲をことりと机に置いて言った。


「さすがに荒木さんは理不尽だと感じるんじゃないですか?」


 少なくとも今回の件に荒木は関わっていない。

処分すると恨まれる事になるかもしれないし、他の厩務員が不満に感じるかもしれない。


「……大野、木村は論外か」


 戸川は珈琲をひと啜りした。


「たまたま軽傷で済んだだけで、もし競争能力が欠如していたら、もし生命に何かあったらと考えると……」


「そないな事になったら、やっとうちらを認めはじめてくれはった会長に、どう言い訳したら良えか思いつかへんな」


 戸川は珈琲を口にしながら胃をさすった。


「大野、木村の両名が処分されたら、荒木さんも肝が冷えるでしょ」


 岡部の見解に戸川は納得していない感じであった。


「甘いなあ。雑草いうんわな、見えてる部分だけ切っても、また生えてくるんやで」


「荒木さんが二人にやらせた事と?」


「そうかもしれんし、そうやないかもしれん」


 二人は黙って珈琲を口にした。


「疑わしきは罰せずと聞きますけど?」


 岡部の言葉を、戸川は、じっくり咀嚼するように噛みしめた。


「……今回はそうするか。確かに考えてみれば、番組本番のこの時期に一気に四人の新人抱えたら、他の者も音を上げてまうやろうからな」




 戸川は椅子を立ち、すみれの所に行き、上司である事務長を呼んできた。

すみれの上司は本城(ほんじょう)といい、細身で眼鏡をかけ、温厚そうで、まさに事務屋といった感じの人物である。


 すみれは本城と自分の珈琲を入れると、岡部たちの横に二人で座った。

戸川から事情を聞くと本城は、十分懲戒免職の要件を満たせていると言った。


 懲戒免職。

つまり一方的な解雇である。

解雇はどうしても後々労働組合と揉めるのだが、この件では労働組合が擁護できるところが見つからないだろうと言う事だった。


 戸川は本城に手続きをお願いした。


「今から作るから……そうやねえ、午後にはできるん違うかな?」


 だよねと、本城はすみれに確認した。

すみれも、午後まで時間貰えるならと頷いた。

岡部は書面のできる早さに驚いた。


「当たり前やん。うちらそれが仕事なんやから」


 本城は真面目な顔で岡部に言ってのけた。


「さすがに役場と一緒にしたら本城君がかわいそうやで」


 戸川はそう言って笑い出した。


「あそこと一緒にされたら、どこの事務員も泣く思いますよ?」


 本城は少しムッとした顔をした後で笑い出した。

すみれもアレと比べられたらと顔が引きつっている。


「そやけど、戸川さんとこ来週から新人も来ることやし、その上二人欠けたら回らへんようになるん違いますか?」


 本城はそう言って心配した。

岡部は、本城が一厩舎である戸川厩舎の人事を把握している事にかなり驚いた。


「もし人手が足らないようなら自分が入ります」


 岡部はそう進言したのだが本城は顔をしかめた。


「新人の君が入ったところで、どこまで埋まるんだろうね。かなり厳しいん違うかなあ」


 それを聞いた戸川が、それなら僕も入ろうかなと笑った。


「先生が入っても、すぐに腰を痛めた言うて私の負担が増えるだけですよ」


 すみれが真顔で窘めた。

戸川は反論したそうな顔をしているが、ここで反論しても誰も自分の身方にはなってくれなそうと判断し渋々諦めた。


「そうや! 本城さん、井戸(いど)先生の件が使えへんでしょうか?」


 すみれが提案すると、本城は大きく頷いて、すぐに連絡してくれと指示した。


「詳細は井戸先生から聞いてください。それでも、もう一人は募集でしょうから、今日から福原に募集入れときますわ」


「本城くん、何かとすまんなあ」


「僕らも僕らの目標のために仕事してますからね。運営を円滑にして、皇都から一頭でも多く重賞竜を出したいんですよ」




 暫くして、井戸調教師が事務棟に現れた。

井戸(いど)弘司(ひろし)調教師は戸川より少し歳上の調教師で、『双竜(そうりゅう)会』に所属している。

丸顔でかなりの小顔。

目は円らで愛嬌のある顔をしている。


 本城から促されると、井戸は、すみれが淹れた珈琲を啜りながら話しはじめた。


 昨年、櫛橋(くしはし)美鈴(みすず)という女性厩務員が入った。

仕事は普通にできるのだが、とにかく竜の研究に熱心で仕事に時間がかかりすぎる。

他の厩務員から休憩時間が減ると苦情が出始めた。

気が付くと厩舎内で完全に孤立してしまった。

新人を取り直すにしても要件として解雇ができず、困っているという事だった。


「戸川さんが引き取ってくれるんやったら、うちは新人を募集しなおせるんやが、どうやろか?」


「願ったりですわ。いつから来れるんです?」


「今日来てるから、なんやったら今から向かわせるよ」


 井戸と戸川の間でとんとん拍子に話が進んで行った。

それを聞いていた本城が待ったをかけた。


「いやいやいや。さすがに今日一日、いや半日。手続き終わるまで待ってくださいよ」


 本城が酷く慌てた。


「なんや本城。ずいぶん仕事がとろいな」


 井戸は本城を茶化して笑った。

すると本城の顔から、笑顔がすっと消えた。


「すみれちゃん、二人に今ここで書かせるから書類全部持ってきて!」


 本城はそうすみれに指示した。


「あらら。井戸先生、本城さん怒らせてもうて知りませんからね」


 すみれは、井戸と戸川の顔を順に見て苦笑いした。




 厩舎に帰る道すがら、戸川は岡部に疲れたと愚痴を言った。

多くの資料からあれこれと転載し、結局、戸川と井戸で三十分以上紙に記載させられていた。


「普段は申請の小っさい紙に、ちょろっと書くだけやのに……」


 目がしょぼしょぼすると言って、戸川は目頭を摘まんでいる。


「それを事務で電脳処理して、正式書面にしてるって言ってましたね」


「恐れ入ったわ……」


「僕も絶対あの人は怒らせちゃダメだって感じましたね」



 二人笑い合っていると、後方から女性の声で戸川を呼ぶ声がした。

振り返ると作業つなぎを着た細身の女性が駆けてきた。


 年齢は岡部より少し上で、戸川厩舎では牧くらいだろうか。

髪は少し波かかり、肩までの長さで切り揃えている。

よく見ると目鼻立ちがすっきりしていて、かなりの美形である。


「井戸先生から伺いました。櫛橋美鈴です。先生のところに転厩になります。よろしうお願いします」


 櫛橋はぺこりと頭を下げた。


「うちは完全な男所帯やけど大丈夫かな?」


「皇都来てずっとその環境でやってきましたから大丈夫や思いますよ」


 櫛橋は満面の笑みを浮かべた。


「何かあったらちゃんと周りに言うようにね」


「大丈夫です。その時はちゃんと全力でひっぱたきますから」


 そう言うと櫛橋は右手を左右にぶんぶんと振るった。


「それは……全然大丈夫やないな……」

よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ