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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第六章 出藍 ~呂級調教師編(後編)~
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第42話 能島

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(呂級)

・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女

・岡部菜奈…岡部家長女

・岡部幸綱…岡部家長男

・戸川直美…梨奈の母

・戸川為安…梨奈の父(故人)

・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫

・大崎…義悦の筆頭秘書

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・大宝寺…三宅島興産社長

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(八級)。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・杉尚重…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(呂級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(呂級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・石野経吾…岡部厩舎の契約騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・牧光長…岡部厩舎の調教師見習い

・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手

・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員

・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員

・坂井政則…岡部厩舎の厩務員

・十河留里…岡部厩舎の女性厩務員

・荻野ほのか…岡部厩舎の女性厩務員

・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は北国牧場の小平生産顧問

・跡部資太郎…白詰会の調教師(呂級)

・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手

・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)

・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手

 電話を借り、紅花会本社競竜部の小野寺部長へ連絡を入れた。


 杉厩舎を訪れた後で義悦に連絡を入れ、ちょっとした問題が発生していると報告だけ先に済ませている。

あくまで疑惑であるという注釈付きで。

報告を受けた義悦は、岡部が強権を発動しやりたい放題していると、あらぬ誤解を受けないかを心配した。

だが岡部は、能島が久留米の及川たちのような存在になる方を心配していると説明。

それと、今までこれという方針を示して来なかったが、『叡智の結集』を基本方針としていきたいと義悦に申し出た。

相談役が戸川厩舎に望んだ運営方針がそれだったからと。


 すると義悦は少し考え、なるほどと相槌を打ち、噂通りだとすると能島先生はその方針から最も外れた方になるかもしれないと納得してくれた。


「この件の裁量は一任します。会としても支援しますのである程度事態の把握が終わった段階で相談ください」


 そう義悦は言ってくれたのだった。


 電話に出た小野寺は、疑惑の方はどうでしたかとすぐに聞いてきた。

岡部は、短く「残念ながら」と返答。

厩舎閉鎖になると思うと伝え、労働組合などとの調整を依頼すると、手続きはこちらにお任せくださいと小野寺は返答した。



 能島の所に行く前に、もう一人別の人から情報収集しておきたいと思い、斯波から紅花会の先輩厩舎の場所を聞いた。

その中から岡部は、下間(しもづま)頼昭(よりあき)厩舎を訪ねた。


 下間とは豊川の忘年会で何度か話した事がある。

以前豊川で、能島が愛子の先輩として紹介してくれた三人のうちの一人である。

若い頃から頭髪が寂しい事になっていたようで、その坊主頭によって壇上から一目で居場所がわかる人である。


 あの岡部君がこんなに早く伊級調教師に駆け昇るなんてと、親戚の叔父さんのような事を言って下間は気さくに接してきた。

一通り世間話が済むと、下間は愛子まで来る事になった理由を聞いてきた。


「ちょっと暇になってしまいまして、どうせなら昇級の決まった一番弟子を労いにと思いましてね」


「そうなんだ。その斯波君だって、昇級決まって、もうすっかり暇そうなのに」


 成績優秀な方々は余裕があって良いと笑った。

下間さんは厳しいんですかと岡部がたずねると、斯波君に色々聞いて目途は付いたと、自信満々に胸を張った。

あれの恩恵もあって煩わしい事務が軽減されていると、電脳を指差して微笑む。


 だがそんな朗らかな雰囲気も、岡部の口から能島の名前が出ると一気に強張った。


 下間が岡部に語った事も、ほぼ斯波の内容と合致した。

先輩として何度も指導したのだが、指導すればするほど長野への当たりを強くしてしまうので、容易に指導もできなくなってしまったらしい。


「実はこの後、能島さんの所へ行こうと思っています。閉鎖勧告をしようかと」


 『閉鎖勧告』という厳しい単語に少し面食らいはしたが、少し考え、やむを得ないと思うと苦悶の表情で下間は言った。


「確かにそうしてくれた方が能島のためでもあると思う。できれば、先輩として後の心の介護はやらせて欲しいんだけど構わないかな?」


 そこはぜひお願いしますと岡部は深く頭を下げた。




 その足で岡部は能島厩舎へと向かった。

 近づいただけで能島の怒声が聞こえてきた。

事務室を覗き見ると、能島は岡部の前での温厚な表情ではなく、怒り心頭という鬼の形相で、あの馬鹿はどこで遊んでるんだと喚いていた。


「なんだか穏やかじゃないですね。何かあったんですか?」


 そう言いながら、にこやかな表情で岡部は事務室に入っていった。

岡部の姿を見ると能島は驚いて目を丸くした。


「え? 岡部君? 一体どうしたんだよ、こんな遠くまで」


 そう言って能島はいつもの温厚な顔で岡部の肩を叩いた。


「伊級昇級が早く決まりすぎてしまって、ちょっと暇ができてしまったんですよ」


 そう言って照れ笑いを浮かべると、さすが筆頭調教師殿は違うと能島はいつもの穏やかな顔で笑った。


「で、何をそんなに怒っていたんです。竜にも悪いでしょうに」


「……ちょっと色々あってね。中々成績が上がらない上に、新人にあっさり先を越されて、心に余裕が無くなってしまってて」


 恥ずかしいところを見られちまったなと能島は照れた。


 竜の様子を見せて欲しいとお願いすると能島は喜び、俺の何が悪いか教えてくれと急かすように竜房へと向かった。


 竜房の竜を一頭一頭確認していく。

それぞれの成績も聞いていった。

明らかに厩務員の目が行き届いていない、それが岡部の最初の感想だった。

竜房の掃除も雑で、竜への対応も雑。

按摩が弱いのか、二頭ほど怪我をしており、放牧もさせずに竜房に繋がれている。


「この竜、どうかしたんですか? 包帯巻いてますけど」


「触った感じだが、恐らく腱を痛めているんだ。調教がちょっと強すぎたのかもしれない。毎日軟膏を塗って、優しく揉むように指示しているから、すぐに良くなると思う」


 なるほど、能島は牧場でそういう場所にいたのかと納得した。

岡部の見立ても同じである。

岡部が牧場にやってもらっている事を、能島は竜房で自分の知識でやれるのだろう。

つまり能島は、竜の扱いそのものは岡部より熟練という事になると思う。

だが残念ながら、調教の方は基礎すらまともにやれていないように見える。


 事務室に戻ると、岡部は珈琲を口にした。

岡部の持ってきた八つ橋を齧ってから、能島も珈琲を飲んだ。


「能島さん、気を悪くしないで聞いてほしいんです。今のままでは恐らく能島さんは永遠に仁級のままだと思います」


 能島の表情が明らかにがっかりしたものになった。

だが岡部はさらに言葉を続ける。


「見た感じで恐らくは調教の根本が理解できてないんですよ。能島さんは牧場出だから、竜の扱いは僕も舌をまくほどの玄人なんですが」


 岡部から視線をそらし、能島は無言で横の壁を見つめた。

そんな気落ちした能島を見ると、なかなか岡部は次の言葉が喉から出せなかった。

だが自分はこのために来たのだからと、意を決して言葉を吐き出した。


「能島さん。一度、厩舎を閉めませんか? すでに調教師免許のある能島さんなら、いつでも再開はできるわけですから」


「は? 閉めてどうしろと?」


「うちで研修を受けませんか? 基礎さえわかれば厩務員にも指導できるでしょうし、能島さんの色も出していけると思うんです」


 岡部の顔を一瞥すると、能島はまた視線を反らして横の壁を見つめた。

別に何かあるわけでもない、ただ少し汚れているだけの壁を。


「その間、厩舎の人間はどうするんだ?」


「厩務員は新しい厩舎に行くだけです。専属騎手は自由騎手でやってもらいます」


 瞼を閉じ、まるで黙想しているかのように能島は無言であった。

どうでしょうかとたずねると、能島は瞼を上げ、鼻で笑った。


「申し出はありがたい。だが俺も一城の主としての責任ってもんがある。成績が悪いからって、そう簡単に厩舎をたたむわけにはいかないよ」


 能島の回答に、ここからの交渉の困難さを考え、岡部は大きくため息をついた。

だが多くの関係者のために、能島のためにもやるしかないと腹をくくった。


「今のままでは厩務員たちの生活も困窮するだけです。能島さんだって、なるべく上の級に上がりたいですよね?」


「良い成績を出せば良いんだろ! 俺より古株の先輩たちは今年急に成績を上げた。俺だって来年はそうなるかもしれんだろ!」


 しばらく二人の間に沈黙が続く。

 珈琲を飲んでから、岡部はゆっくりと言葉を発した。


「色々と能島さんの悪い話が広がっているんです。会の評判を貶めるような」


「誰がそんな根も葉もない中傷を……」


 能島は鼻で笑うのだが、岡部は能島の目をじっと見つめている。


「それが中傷かどうかは、もう結論が出ています。数日かけて、あちこちの競竜場の厩舎を訪ね歩いて、僕は今ここにいるんです」


「……つまり何か? 君は俺にクビを言いに遥々愛子まで来たってのか?」


 何も返答せず岡部は黙って能島の顔を見つめた。

その岡部の態度に能島はわなわなと握った拳を震わせる。


「ふさけんな! 俺だって精一杯やってるんだよ! 成績を上げなきゃって、頑張ってやってきたんだよ!」


 能島の怒りももっともだとは思う。

能島としても、これまで結果に表れないながらも奮闘して来ただろう事は竜たちを見ればわかる。

だがこのままでは、いずれ能島の下は廃業する調教師のみという状況になっていくだろう。

そうなれば今踏ん張っている厩務員たちも能島を見放してしまうだろう。

そうなった時に、たった一人残された能島がどんな行動にでるか、岡部はそれを心配している。


「能島さん。亡き戸川先生の薫陶を覚えていますか?」


「片時も忘れた事は無いよ。だから俺が踏ん張って、なんとか成績を上げねばと……」


 その一言に岡部はもう駄目だと言う諦めと共に怒りが込み上げてきた。

ばんと派手な音を立てて机を叩く。


「あなたは義父の薫陶を何もわかってはいない!」


 そう叫ぶと椅子から立ち上がって、岡部は能島を指差した。


「義父はあなたに、厩務員や騎手の感性と頭脳を寄せ合って、厩舎一体となって竜に接しろと言ったはずだ! 少なくとも横で聞いていた僕はそう理解した!」


 あまりの剣幕に能島は茫然としてしまった。

岡部の目は涙で滲んでしまっている。

その潤んだ瞳を能島に向け、岡部は小さく息を吐く。


「筆頭調教師として命じます。今年一杯で厩舎を閉めてください。断るなら会を出て行ってください。もう会派本社には話は済んでいます」


 岡部の冷酷かつ非情な勧告に、能島は絶望的な表情を浮かべる。

ふるふると唇が震える。

唇だけじゃない、頬も震えている。


「なんで、なんで俺だけがそんな……」


 能島は力無くそう呟いた。

やっと絞り出した言葉がそれであった。


 外套を羽織って、真っ青な顔で震えている能島を見つめ、岡部は細く息を吐いた。


「明日昼頃の列車で皇都に帰ります。今日は多賀城の大宿に泊まります。もしも、うちで研修する気があるなら、明日僕を訪ねてください」


 そう言うと岡部は能島に背を向け静かに事務室を出て行った。

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