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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第六章 出藍 ~呂級調教師編(後編)~
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第40話 前橋

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(呂級)

・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女

・岡部菜奈…岡部家長女

・岡部幸綱…岡部家長男

・戸川直美…梨奈の母

・戸川為安…梨奈の父(故人)

・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫

・大崎…義悦の筆頭秘書

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・大宝寺…三宅島興産社長

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(八級)。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・杉尚重…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(呂級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(呂級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・石野経吾…岡部厩舎の契約騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・牧光長…岡部厩舎の調教師見習い

・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手

・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員

・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員

・坂井政則…岡部厩舎の厩務員

・十河留里…岡部厩舎の女性厩務員

・荻野ほのか…岡部厩舎の女性厩務員

・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は北国牧場の小平生産顧問

・跡部資太郎…白詰会の調教師(呂級)

・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手

・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)

・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手

 中山道高速鉄道に乗って前橋駅へと向かった。


 前橋は毛野郡の郡府である。

関東平野と呼ばれる幕府周辺の大平原地帯の北西のどん詰まりに位置している。

古くは厩橋(うまやばし)と言う名で毛野郡の行政の中心地であった。

隣には古くからの街道の宿場町の高崎があり、「政の厩橋、商の高崎」という雰囲気で互いに意識し合い、刺激しあって発展してきた。


 中山道高速鉄道が整備される際、隣同士の町のどちらに駅を作るかで非常に揉めた。

市長同士のいがみ合いから始まり、郡議会を巻き込む騒動に発展。

ついには郡議会議員の刺殺事件が起きるほど対立は激化。

結局、郡では決められず、連合政府の逓信ていしん大臣の視察により高崎に決まった。

ところが決定後、逓信大臣の収賄が新聞を騒がせてしまい、また二転三転する事態に。

最終的に東国の総督が前橋と決定した。

当時はまだ利根川の水運がそれなりに輸送手段として生きており、それを重要視したというのがその理由であった。

ただ、場所はなるべく高崎に近い場所にという事で、利根川のすぐ東の現在の場所に駅舎が置かれる事になった。

そのせいで、駅舎はたびたび河川の氾濫で水害に見舞われている。



 前橋駅を出て真っ直ぐ利根川沿いに北へ進み、十五分ほど歩くと白い巨大な建物、前橋競竜場が見えてくる。


 前日に岡部は杉厩舎で電話を借り、長野厩舎、櫛橋厩舎へ明日伺う旨の連絡を入れている。

突然の岡部からの電話に、櫛橋は思わず「岡部先生」と声に出してしまった。

しまったと思ったようだが既に遅く、隣で犬童が電話を代われと受話器を奪おうとしていたらしい。

明日そっちに行きますと岡部が一言言うと、きゃあという犬童の黄色い声の後で、受話器を落したような音がした。

どうやらそのやり取りが杉に丸聞こえだったらしい。

電話を切ると杉が引きつった顔で、一人で大丈夫かと心配してきた。



「風が冷たぁて、ごっつい寒いでしょ」


 かなりばっちり化粧をした櫛橋が、応接椅子に腰かけた岡部にそう声をかけた。

しわになるからと外套を受けとり壁に掛ける。

土産と言って八つ橋を渡すと、私も毎回土産はこれだと櫛橋は笑い出した。


 東国八級の成績は、現在櫛橋が首位となっている。

すでに二位とは差がかなりある。

だが三冠を制しているわけでなく古竜二冠どまりで、この時期まで徹底的に稼いでいるらしい。


「今日は何? うちらの呂級昇級をわざわざ祝いに来てくれたん?」


「それが半分、あと長野先生にも用事が」


「なんや、祝いはついでかいな。めかしこんで損したわ」


 そう言って櫛橋は照れながらも拗ねたような顔をした。


「私は美鈴先生と違って岡部先生が来てくれただけで嬉しいですよ」


 犬童が笑顔を向け、淹れた珈琲を岡部に差し出す。

岡部が微笑み返すと、きゃっと言って犬童はお盆で顔を隠した。

それを櫛橋はかなり冷めた目で見ている。


「ねえ、先生。ちょっと聞きたいんやけど。松井先生が樹氷会に戻るってほんまなん?」


「まだ決定ではありませんが、そういう話が進んでいるのは事実です」


 そうなんだと、櫛橋がかなり真剣な顔をする。

そんな櫛橋を犬童も少し困ったような顔で見る。


 その情報の入手元が気になり、どうしてそんな事を聞くのかと岡部はたずねた。


「女性調教師の呂級昇級なん、片手で事足りるくらいしか例が無いもんやからね。周りがガヤガヤうるさいねん」


「白桃会とか」


 岡部の一言に、櫛橋がかなり面食らった顔をする。


「何もかもお見通しいう事かいな。さすがやねえ。そうや。そう言うて引き抜きに来てんねん」



 ――岡部の伊級昇級が早々に決まった頃、夫の中里実隆と二人で、近い将来、紅花会は伊級三人、呂級二人、いつの間にか大会派だと言いあっていた。

櫛橋も伊級に上がり、さらに下から上がって来たら首位も夢では無い。

そう言いあっていた。


 だがそんな時に、白桃会会長の筒井(つつい)志乃(しの)が厩舎にやってきた。

あなたはかつてうちで厩務員をしていたと聞く、それならうちに少なからず理解があるはずだと筆頭秘書の箸尾(はしお)が言った。

女性だけとかいうのに何の魅力も感じていないと、櫛橋はばっさり斬って捨てた。

だが筒井会長は引かなかった。

あなたが結果を出したという事は、それが会の進むべき方針だと思うので、私たちはあなたを手本に会を啓蒙していくつもりだと言うのだった。

お互いの理想を融合して昇華させていきましょうと。


 それでも櫛橋は、紅花会を裏切る気はさらさらありませんときっぱりと断った。

その時に箸尾が衝撃的な事を言ったのだった。


「松井先生も樹氷会を立て直すために会を移るんですから、これは裏切りやのうて、先生の次の夢になると思うのですが」


 現在、白桃会には一応断りを入れているという状況である――



 岡部の顔から視線をそらすと、突然、櫛橋は言いづらそうにした。


「先生は、その……うちらの事、どないに思うてくれてんの?」


 そう言うと、きゅっと唇を噛んだ。

普段見ない櫛橋の姿に、犬童は思わず櫛橋の顔をまじまじと見つめた。

そんな犬童を櫛橋はきっと睨む。


「杉先生は戸川先生の代わりのように思っています。松井くんは頼れる兄貴です。三浦先生は相談役と一緒で祖父だと思っています」


 そこで岡部は一呼吸置いた。


「櫛橋さんは歳の近い姉だと思っています。口うるさいけど、僕の事を一番面倒見てくれる、そんな存在だと」


「……口うるさいは余計や」


 耳を真っ赤にし、照れながら櫛橋はそう呟いた。


「わかった。それが聞けたら十分やわ。なんや、他に用事あるんやろ。そっち行ってやり。長野先生も来るの待ってるやろうから」


 岡部が珈琲を飲み終え席を立つと、ちょうどそこに長井、池田、中里が休憩から帰ってきた。

岡部を見ると三人は本当に来たのかと言って嬉しそうに肩を叩いた。

お久ぶりですと岡部が挨拶をすると、三人は、今日は前橋に泊まりなんだろ、後で呑みに行こうと誘ってきた。


「櫛橋さん、旦那さん、こんな事言ってますけど?」


「しゃあない、今日は特別や。私も参加するよ。久々にみんなで呑もうや」


 私も良いですよねと犬童が嬉しそうな顔をして自分を指差す。

さっそく池田、長井、中里の三人は、どこの呑み屋にしようか相談している。



 櫛橋厩舎から、中央通路を挿んで反対側の棟に長野厩舎はあった。

事務室入口から中を覗くと、長野は老眼鏡をかけ、ぎこちない手つきで電脳を使って調教計画を練っていた。

はじめまして岡部ですと挨拶すると、長野は笑顔を向け、毎年豊川で顔を合わせているのに、はじめましては無いだろと笑った。

確かにそうなのだが、こうして二人だけで話すのは初めてなのだから、やはり岡部としては、はじめましてであったかもしれない。


 応接椅子に腰かけると、まず岡部は電脳の感想から聞いた。


「豊川で岡部君に言われてたように、ちゃんと電子郵便のやり方くらい勉強しておけば良かったよ」


 魂が抜けたような顔で長野は後悔を口にする。


「やはり難しいですか。なるべく簡単にと、色々と直してもらったんですけどね」


「よく櫛ちゃんを呼んで教えてもらってるんだよ。その都度、お酒を奢らされるんだけどね」


 櫛橋さんらしいと言うと長野は笑い出した。

だが多少でもわかってくるようになると、これは便利だと思うようになったと長野は言った。


「最初からこれありきで開業したかったよ。いったい何度、会計の間違いで事務棟に呼び出された事やら……」


 過去の失態を思い出し、額に手を当て長野はうなだれてしまった。


 そこに長野の長男の業銑(なりざね)が事務室に入ってきた。

二人を見てから、岡部の手土産の八つ橋を見て業銑は苦笑する。


「父さん、筆頭の先生がいらしてるってのに茶も出さないとか。いくらなんでも粗忽すぎるよ」


 そう父を咎めて、杖を突きながらお湯を沸かしに台所に向かった。

岡部が珈琲を所望すると、業銑は珈琲を淹れる準備をした。


 三人息子さんがいて三人とも騎手だと聞きいたと岡部は話を振った。


「一人はあれで『元』だがね」


 少し寂しそうな顔で言うと長野は唇を噛んで視線を落とした。


 どういうわけか、うちの息子たちは先生に恵まれない。

 そもそも業銑の落竜だって、勝ちに焦った調教師が調教を無駄に強めて、竜の疲労を見誤ったのが原因である。

今年の内田くんのような調教師の下で騎手がやれていたら、余計な苦労をせずに済むのにと長野は表情を暗くした。


 現在、秋の再開以降、内田が二勝し内ヶ島と並んでいるが、先月、ついに高山に先着されてしまったらしい。

今月の最終競走を誰が勝つか非常に注目だと記事になっている。


「そんなに苦労が多いんですか?」


「そうらしいね。次男の業次(なりつぐ)の方は、それでもまだ。だけど三男の業秀(なりひで)が……」


 三男という事は、やはり問題は能島なのか。

当たって欲しく無い予想が当たってしまい、岡部は思わずため息が漏れた。


 長野の話では、能島は表では調教師たちに中々厩舎として芽が出ないという話をしている。

だが一歩事務棟に入ると業秀に全ての責任を押し付けるように罵るらしい。

ただ、すでに研修時代からその状態だったので最初は慣れたものだった。


 ところがここに来て愛子に斯波がやってきた。

斯波は開業早々に勝ち星をあげると、そこから勝ち星を重ねまくり新人賞に輝いた。

二年目の今年も現在東国首位をひた走っている。

それに呼応するように他の紅花会の先輩も順位を上げている。

そんな中、能島だけが結果が出ていない。

その怒りを業秀にぶつけているらしい。


「それを息子さんが言っているのですか?」


「いえ。息子は、なかなか思うように勝てず精神的に辛いとしか。うちの専属騎手が騎手仲間からそう聞いたそうで」


 口惜しさで長野は泣きそうな顔になっていた。



 明日、愛子へ行ってきますと岡部は長野に言った。

表向きは斯波の労いだが、能島にも会ってきますと言うと、長野は、息子をよろしくお願いしますと言って深々と頭を下げた。

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