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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第六章 出藍 ~呂級調教師編(後編)~
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第31話 表彰

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(呂級)

・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女

・岡部菜奈…岡部家長女

・戸川直美…梨奈の母

・戸川為安…梨奈の父(故人)

・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫

・大崎…義悦の筆頭秘書

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・大宝寺…三宅島興産社長

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(八級)。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・杉尚重…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(呂級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(呂級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・石野経吾…岡部厩舎の契約騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・牧光長…岡部厩舎の調教師見習い

・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手

・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員

・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員

・坂井政則…岡部厩舎の厩務員

・十河留里…岡部厩舎の女性厩務員

・荻野ほのか…岡部厩舎の女性厩務員

・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は北国牧場の小平生産顧問

・跡部資太郎…白詰会の調教師(呂級)

・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手

・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)

・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手

 目が覚めると顎の下に菜奈のおへそがあった。

どうやら寝ている間、菜奈は蒲団の中を冒険したようで、岡部の寝間着の所々に涎が付いている。

ちゃんと枕に寝かし直し布団を掛けてあげる。

菜奈は最近よく寝言を言う。

「父さん」までは理解できたが、その後はむにゃむにゃ言っていて何を言ってるかよくわからなかった。


 朝風呂から出て部屋に戻ると、菜奈はまだ寝ていた。

菜奈が寝坊助というより岡部の起床が早すぎるのだ。

寝返りをうち、布団を蹴って、枕を抱きかかえている。

たかが風呂に行って戻ってきただけでこれである。

実に寝相が悪い。



 窓際の椅子に腰かけ、太宰府、皇都の順に連絡をし状況を確認していく。


 太宰府の成松の話によると、能力戦二に勝利した『センカイ』だが、来週の能力戦三に向けて順調そのものだそうだ。

最後に成松は、絶対うなぎ菓子を買ってきてくださいと要求してきた。


 皇都の牧の話によると、皇都の四頭も順調そのものという事だった。

特に『コウガイ』の状態が良いらしく、調教でかなりの時計を出し注目を浴びているのだとか。

そこまで話すと相手が十河に代わる。

うなぎ菓子を忘れないでくださいと言って、また牧に代わった。

『ソウベン』と『ダイトウ』もかなり調子が良いらしく、このまま伊級に上がるのが勿体ないと牧は笑った。



 電話を切ってふと横を見ると、菜奈が横に立って目をこすっていた。


「とうさん、おべんじょ」


 菜奈を抱きかかえ急いで便所へと向かった。

まだ一人で便所に腰かけるには、菜奈は身長が少し足らない。

よじ登る事はできるのだが、そんな事をしている間に粗相してしまいかねない。

お尻も小さいので、寝ぼけていると便座に落ちかねない。

家では奈菜用の便座と踏み台があるのだが、出先ではそのようなものは望めない。

なので岡部の首にしがみついて便座に腰かけている。

しかも一人が怖いらしく、誰かがついていてあげないと安心して用が足せないらしい。

さらに、終わった後で紙にも手が届かない事がある。

ただ、そこまでは仕方がないと岡部も思っている。

問題は自分が出したものを見てと言ってくるところである。

見ませんと言って出したものを流すと奈菜は露骨に残念そうな顔をする。

その顔を見ると、岡部は思わず笑ってしまうのだった。



 食堂に行って最上夫妻に挨拶をし、四人で朝食を食べる。

口の周りをべとべとにして食べる奈菜の食事風景に、最上もあげはも顔をデレデレさせている。

部屋に戻って洗顔した後で、奈々はあげはにおめかしをしてもらった。

少し長めの髪を綺麗に束ね、岡部が買ってあげた髪輪で止めてもらうと、嬉しそうな顔で父さん見てと言ってきた。

お気に入りの黄色の背負い鞄を背負い、お気に入りの水色の山高帽をかぶると、お出かけの準備が整った。

どちらも最上に買ってもらったものだ。

じゃあ行こうかと言うと菜奈は立ち止って、またもやお便所と言いだした。

菜奈の便所を済ませて受付に向かうと、最上が待ち疲れたという顔で座っていた。



 高速鉄道の中、菜奈は岡部が留守の間の出来事をあれやこれやと岡部に話した。

ただ菜奈は、梨奈と直美のあまり周囲には聞かれたくない話までしてしまう。

菜奈が二人の話をしようとすると、菜奈の話が聞きたいんだけどなと言って、その都度話題を変えさせた。


 甲府駅くらいで早くも菜奈は話し疲れて寝てしまった。


「疲れが抜けますね。菜奈と一緒にいると」


「子供というのはそういう存在だよ。もう少し成長すると、邪魔な置物扱いしてくるけどな」


 娘の父親というのは皆同じ事を言うんだなと思い、岡部は思わず吹き出してしまった。


「これで幼稚園ではほとんど喋らないのだそうですよ。信じられませんね」


 そう岡部が言うと、最上とあげはは同時に眉をひそめ顔を見合わせた。


「あなたがいないと、奈々ちゃんってかなり物静かなのよ」


 あげはの一言に今度は岡部が驚きで眉をひそめた。

最初はあげはも、お行儀良いと褒めていたのだが、徐々にそれが物静かなのだとわかったらしい。

ただ昨日の祝賀会でもそうだったが、岡部を見ると急にはしゃぎだし饒舌になる。

甘えんぼさんなのねと、奈々の頬を指で突いてあげはは笑い出した。

そういうところは母親そっくりと最上も笑い出した。



 幕府駅で電車を乗換え、目黒駅へ行き、紅花会の大宿で礼服を借りた。

 菜奈を最上夫妻に預け、執行会本部のある品川駅へと向かった。


 事前に大宿で執行会本部へ到着時間を知らせてあり、品川駅で降りると複数人の執行会職員が待っていた。

職員は周囲をやたらと警戒しており、厳戒態勢なのだという事が察せられる。

会場まで案内して職員が無言で去ろうとしたので、岡部はそれを引き留め、深々頭を下げ礼を述べた。


 会場はすでに報道が詰めかけており、会場の奥には織田会長が笑顔で待っていた。

その横には筆頭秘書の丹羽と総務部長の笠原が立っている。


 式典自体は毎回の事ながら十五分程度で終了する。

賞状と『銛の徽章』を渡すだけなのだから当たり前なのだが、その後の記者会見が長い。

今回は特に長かった。

岡部へ脅迫状を送り付けたと疑惑の持たれている子日新聞と東西通信が出入り禁止となっているのが救いという程度である。


 報道からしたら、普段まともに取材をさせてもらえない岡部に、ほぼ制限なく取材できるまたとない機会である。

『海王賞』を制してどんな気持ちですかや、伊級への意気込みを聞かせてくださいという質問から始まった。

岡部としては、嬉しいですとか、頑張りますくらいしか感想など無い。

ただ、これを確実に菜奈が見ていると思うと、少し格好良い所を見せないとと思ってしまう。

今後も後輩が続く事を望みますが、伊級調教師として全力で阻止していきたいと答えた。

それが聞きたかったというような嬉しそうな顔をして、記者たちは写真機をカシャカシャ鳴らした。


 すると、先ほど貰った徽章を見せてくださいと記者が言ってきた。

この古ぼけた徽章に何の意味があるのか、岡部には良くわからなかった。

恐らくは純金製で、銛の穂先の付け根に細い絹布が巻き付いている代物。

仁級と八級で貰った三叉の鉾の徽章と大きさは同じ。

手の平よりも少し小さい程度の大きさである。


「これを作って何十年になるのか知りませんけど、今回初めて渡す事になりましたよ」


 徽章を少し潤んだ眼で見つめ、笠原が感慨深げに言った。

良く見ると入れてある容器の隅に拭き残しの埃が残っていて、付属の帯が色褪せている。


 先日スィナン師と会談したそうですが、どんな話をしたのですかと言う質問も出た。

岡部は少し考え、世界の舞台に立てと言われたと回答。

ただし世界に行くためには、現行では伊級の上位五位に入らねばならない。

いくら国際競争の『海王賞』を勝っても現行では世界には挑戦できない。

できる事なら、来年にでもデカンの『ナーガステークス』や、パルサの『ジーベックステークス』に挑戦してみたいと思うと述べた。

机に置かれていた集音機を手にした織田は、私から竜主会に提案してみますと微笑んだ。

報道から歓声があがり、一斉に発光機が点滅した。



「実際、国際競争枠については、私も前から不満があったんだわ」


 記者会見後の食事会で、織田は行儀悪く匙を岡部に向けて言った。


「伊級の上位五人だから世界で通用するとは限らなぁと私も思うんだがね。下手な鉄砲でも数を撃てば当たるかもしれんじゃなぁか、なあ」


 そこまで言うと一拍置いて、例えがちと悪かったかもしれんと織田は苦い顔をした。

言いたい事はわかりますと岡部が苦笑いした。


「私は上位十人に拡張と言っておったんだが、確かに、前年、国際競争を連帯した調教師を追加という方が賛同が得られるかもしれんな」


「実際の所、上位十人以外に伊級で重賞を連帯する事ってあるんですか?」


 そう岡部から質問され、織田は丹羽の顔を見た。

過去十年ではほとんど例は無かったと記憶すると言って丹羽も笠原を見る。

国重先生くらいじゃないかと笠原に問いかけた。

ましてや呂級の先生が勝つなんてと言って笠原がニコリとすると、織田と丹羽は大笑いした。


 来月も来れそうなんですかと笠原が岡部にたずねた。

何の事を言ってるのか織田は一瞬理解ができなかった。


「今月の二重賞で呂級を最後にしますので、もしかすると来月また来るかもしれません」


 そこまで岡部が言って、やっと世代三冠の事だと織田は理解した。

あの竜は強そうと笠原が言うと、長距離竜なのに『優駿』勝ったくらいだからと岡部は微笑んだ。

惜しむらくは牝竜である事と丹羽が言うと、牡竜だったらどれだけ種付け依頼が来る事かと織田の顔が引きつった。


「しっかし、紅花会さんの生産力は大したもんだがや。うちの担当者も見習って欲しいもんだ」


「あの仔は古河牧場の競りで買った竜ですよ。それも主取り寸前の」


 にわかには信じがたい話を聞き、織田は開いた口が塞がらないという感じで呆れ果てた顔をした。


「どれだけ、みんな見る目の無い大たわけなんだ」



 目黒の宿に戻ると、まだどこかに出かけているらしく菜奈たちは不在だった。

礼服を大宿に返し、受付横の喫茶所で珈琲を注文。

待合椅子に腰かけ珈琲を一口飲み、織田が別れ際に言った言葉を思い出した。


”本当は私は紅花会さんと組みたかったんだがや。弟が猛反対して、ご破算になってまったが。なんなら今でも紅花会さんと組みたいと欲しとるんだ”


 『強大になりつつある猛獣を飼い慣らせると思っとるなら大間違いだ』、そう言って反対されたらしい。

織田会長も手を焼くほどのやり手の新会長が『猛獣』と評した。

仁級の時は『小身』と蔑まれたのに、わずか六年で紅花会もずいぶんと評価が変わったものだと可笑しくなった。


「あっ、とうさんや!」


 後ろから菜奈の甲高い声が響いてくる。

岡部が椅子から立ち上がると、菜奈は全力で岡部に駆け寄ってきた。

昨日と違って、ちゃんと転ばずに岡部の所までたどり着いた。


「あのね、あのね、おっきながめんにね、とうさん、うつってはったんよ!」


「そんなに大きな画面だったの?」


 優しい声で岡部がたずねると、奈々は両手を左右に目一杯広げた。


「ごっっついおっきながめんやったんよ! とうさんの、はなのあな、こぉぉんなおっきかった!」


「それはさすがに恥ずかしいな」


 岡部の参ったという顔が面白かったようで、菜奈は元気に笑い出した。

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