第29話 会議
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(呂級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫
・大崎…義悦の筆頭秘書
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・大宝寺…三宅島興産社長
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(八級)。夫は中里実隆
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・杉尚重…紅花会の調教師(呂級)
・松井宗一…紅花会の調教師(呂級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(呂級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・石野経吾…岡部厩舎の契約騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・牧光長…岡部厩舎の調教師見習い
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員
・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員
・坂井政則…岡部厩舎の厩務員
・十河留里…岡部厩舎の女性厩務員
・荻野ほのか…岡部厩舎の女性厩務員
・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は北国牧場の小平生産顧問
・跡部資太郎…白詰会の調教師(呂級)
・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手
・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)
・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手
襲撃者の件と脅迫事件の対応会議はスィナン師との会談終了後に開かれた。
『海王賞』に出走した八人の調教師と六会派の会長と一部の筆頭秘書が参加。
議長は加賀美で、まずはここまでに判明している事の報告から始めた。
襲撃犯の名前が出ても一同はそれが誰なのか全くわからなかった。
以前の久留米の事件のあらましを加賀美が説明すると、何という事だと宇喜多が思わず嘆息した。
これまで岡部と対立して、多くの者が悪事を暴かれ刑務所送りになっている。
闇組織、新聞、政治家、活動家、その家族まで含めれば、どれだけの人数になるかわかったものではない。
それらを全て調査監視する事は実質的に不可能と言わざるをえない。
ならばどうしたら良いか、案をいただきたいと加賀美は言った。
厄介な敵をずいぶん大量に抱えこんだものだと、伊東は岡部を見て皮肉を言った。
なぜこんな事になっているのか、その場の多くがその疑問を口にする。
加賀美は言い渋ったのだが、武田会長から構わないから話せと促された。
発端は九年前、『サケセキラン襲撃事件』に遡る。
『新月賞』の時の実行犯は共産連合配下の赤い翼だったのだが、その裏で竜十字も厩舎棟に忍び込んでいる。
竜十字は後に『上巳賞』の時にも厩舎棟に忍び込み『サケセキラン』を襲撃している。
そして、それを内部から手引きをしている者がいた。
それが雷雲会の福島調教師とその厩務員たちだった。
その時、岡部は竜十字の工作員と厩務員を縛り上げ、怒りに任せて散々に尋問してしまった。
「それが例の『やっとこ閻魔事件』か。巨大で獰猛な虎の尾を、その時に岡部は踏んじまったのか」
織田調教師の発言で、周囲はあの事件かと思い出す事になった。
その件を根に持った竜十字、共産連合とその雇主たちは執拗に岡部を調べつくし、岡部の敵対者を吸収していった。
最悪の形で反撃を受けたのが『戸川調教師刺殺事件』だった。
「つまり、それだけの敵を相手に、彼はこれまでずっと戦い抜いてきたという事だ」
そう武田会長が言うと、長尾会長を始め多くの参加者が悲痛な顔でうなずいた。
岡部の顔を一瞥し、伊東が椅子から立ちあがる。
「余計な心配をせずに伊級、ひいては世界で岡部に戦ってもらうために、何とかこの問題を解決してやりたいと思う!」
そう言って周囲に賛同を求めると、その場の全員が頷いた。
「まあ、会派のやつは各会派で調査監視するとして、問題は外やな」
秋山がそう言うと加賀美が眉をひそめた。
「誰がどの会派なんて把握しきれませんよ。そもそも松浦はうちの会派ですよ。秋山先生はご存知でしたか?」
そうだったのかよと秋山が渋い顔をする。
さらに衝撃的な事を加賀美は付け加えた。
『戸川刺殺事件』の後、気になって調べた事がある。
『セキラン暴行事件』で逮捕された福島調教師、彼の家族の消息である。
新聞記者に連日詰めかけられ、福島の妻が精神を病んでしまったというのは風の便りで聞いた。
福島には子供が二人いて、どちらも当時はまだ学生だったのだが、学校に行けなくなり、親戚を頼って山奥の学校に転校している。
だが、いつの間にか上の子は竜十字の工作員になっており、大津の拠点を潰した際、命を落としている事が判明。
下の子は親戚の養子となり、姓を変え、現在は工場に就職している。
「下の子だって、もしかしたら、今はやつらの仲間になっているかもしれない。それを監視し続けるのなんて、実質不可能なんですよ」
一同は、なるほどと少し諦めのような雰囲気を醸した。
「相談役が言っているように、護衛を付けるしかないでしょうね」
そう義悦が重い口を開いた。
そんな堅苦しいのは誰だって嫌だろと、松平が憐れむような顔で岡部を見て言う。
「伊級に行けばどのみち厩務員を増やさねばならないでしょう。相談役の案というのは、その厩務員の中に武芸に心得のある者を送り込もうというものなんです」
その義悦の説明に、なるほど確かにそれは良い案だと伊東たちは納得した。
「ですけど、今回のように調教師だけの時を襲われたら、どうにもなりませんけど」
そう十市が指摘をすると、織田会長が眉をピクリと動かし、じろりと睨んだ。
「執行会から人を派遣して、警備体制を見直して、警備会社も精査して、厳重にしていくしかないだろう。私が会長になってから、やりたい放題やりやがって! 絶対に許さん!」
固く拳を握りしめ、織田会長は怒りを露わにした。
自分の発言が会長の逆鱗に触れたらしいと感じ、十市は顔を引きつらせた。
活動資金を得るために今回の凶行に出るというのが武田先生の推測だった。
逆に言えば、大陸からの支援が途絶え活動資金は乏しいという事になる。
それだから私怨を持つ者を洗脳し、刺客に仕立て上げているのだろうと伊東は言った。
太宰府で目撃された男性、それと先の襲撃で目撃された三人の男性、それが誰かもまだわかっていないと加賀美は渋い顔をする。
新聞と警察にも動いてもらうしかないだろうと足利会長が締めた。
「……この後、少し罠を仕掛けてみようと思います」
そう岡部は静かに言った。
夕方から食堂で記者会見となった。
この時点で昨晩の事件は報道は知らないはずであった。
報道が知っているのは岡部に脅迫状が送られてきているという事だけ。
一日あったため、噂は聞いているかもしれないという程度のはずだった。
偉大な記録達成に、中継取材をしようと何台も中継用の撮影機が会場に置かれている。
記者会見は、まず『海王賞』制覇についての感想から聞かれた。
岡部はそこについては包み隠さず、残念ながら競走直前に問題が発生し、直接見る事ができなかったと回答。
その後いくつかの質問の後、競走直前の問題というのは何かという質問になった。
「今回、伊級の騎手の立場を考え松下騎手をお借りしたのですが、関係者席で観たいと言って付いて来られた栗林先生が、興奮して転んで左腕を怪我してしまいまして」
おかげで、せっかくの大記録を目の前で観れず仕舞いですと、お道化た仕草をする。
この事を記事にして良いかと問われた岡部は、できれば栗林先生の名誉のために控えてくれると嬉しいと笑った。
会場も笑いに包まれた。
そんな和やかな雰囲気の中、東西通信の記者が、噂に聞く脅迫状の一件と関わっているのではないかと質問してきた。
「どうなんでしょうね。栗林先生が転んで怪我するように何か細工したとしたら、それは実に恐ろしい話ですね。僕が転んで怪我したかもしれなかったわけですから」
逮捕者が出ているという情報が入ってると、東西通信の記者は、さらに質問してきた。
すると、岡部はそれまでの笑顔をすっと消し、目を細め怪訝そうな顔を向けた。
「僕は聞いてませんね。どこの公式発表なんですか?」
情報元は明かさないのが我々の規範だと記者は嘲笑うような言い方をした。
「……そうか。そういう事か。お前らが僕に脅迫状を送っていたのか。よく堂々と、この場に顔を出せたものだな!」
低く唸るような声で言う岡部に、記者たちは背筋をぞくりとさせた。
事実無根だ、中傷だと記者は喚いたが、岡部が無言で睨みつけているのを見て、周囲の記者も東西通信の記者に視線を送り続ける。
これ以上犯罪者と関わりたくないと言って、岡部は一方的に会見を打ち切って退席してしまったのだった。
代わりに警察が入室して、少しお話しを伺わせてもらえませんかと東西通信の記者を連行した。
ここまでが中継される事になった。
事務棟の会議室に戻った岡部を見て、見事な手腕だと藤田は呆れ口調で言った。
毎回こんな事していれば、それはあれだけの相手と戦ってこれるわけだと十市も変に納得している。
会長たちはよくわからなかったらしく、どんな罠だったんだと秘書たちに聞いている。
代表して大崎が、明日の新聞を見比べてくださいと半ば呆れた顔で言った。
「栗林先生が刺されたのは右腕です。今の会見を元に記事を書けば左腕となる」
ここで右腕と書けるのは、あの事件を見ていた奴、つまり犯人側と結託した新聞という事だと伊東が半笑いで付け加えた。
何と狡猾なと会長たちが一斉に笑い出した。
そもそも岡部が書かないで欲しいと言ったのに書く時点で大概だと宇喜多は言ったのだが、それでも書くのがあいつらだと松平は吐き捨てるように言った。
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