表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第六章 出藍 ~呂級調教師編(後編)~
332/491

第28話 伯楽

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(呂級)

・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女

・岡部菜奈…岡部家長女

・戸川直美…梨奈の母

・戸川為安…梨奈の父(故人)

・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫

・大崎…義悦の筆頭秘書

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・大宝寺…三宅島興産社長

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(八級)。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・杉尚重…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(呂級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(呂級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・石野経吾…岡部厩舎の契約騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・牧光長…岡部厩舎の調教師見習い

・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手

・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員

・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員

・坂井政則…岡部厩舎の厩務員

・十河留里…岡部厩舎の女性厩務員

・荻野ほのか…岡部厩舎の女性厩務員

・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は北国牧場の小平生産顧問

・跡部資太郎…白詰会の調教師(呂級)

・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手

・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)

・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手

 出血が多く気を失っただけで、栗林の怪我はそこまででは無かったらしい。

すぐに処置が施され、点滴を受けながら病床へ運ばれた。


 栗林が起きるまで待っていると言って、岡部は丸椅子に座って目を覚ますのを見守った。

 そんな岡部を藤田は暖かく見守っている。


 思っていたよりも感受性が強いらしい。藤田はそう感じたらしい。

これまで久留米の件や、戸川の件を聞いて、怒りの中に頭脳を乗せる、どちらかと言えば攻撃的な人物像を想像していたと岡部に語った。

 口にはしなかったが、明晰な頭脳と鋭敏な感性で勝負する守備的な人物と感じているのだろう。



 栗林の病室に新たに三人の男性が現れた。

 一人はかなり歳のいった人物で、もう一人はそれよりは若い人物、最後の一人は義悦だった。

老人は、以前、竜主会の緊急会議で観た事がある。

清流会の長尾(ながお)和景(かずかげ)会長である。

という事は隣は筆頭秘書の直江(なおえ)だろう。

三人は、とてもにこやかな表情で病室に入ってきた。


 岡部を見た直江は、伝説の調教師がいますよと長尾に言ってニヤリと笑った。

岡部の手を取り握手すると、長尾はおもむろにおめでとうと声をかけた。

だが岡部には何の事かわからなかった。

まさか生きているうちに『海王賞』を制す呂級調教師が見れるとはと直江が義悦に嬉しそうに言った。


 岡部はもう『海王賞』の事などすっかり忘れていた。

横で藤田が頭を抱えてしゃがみこんでいる。

そんな藤田に、二着なんだからそんなに落ち込む事ないと直江は笑って肩を叩いた。


「くそっ。今年は行けると思ったのに、また二着かよ……」


 藤田の言葉に長尾も直江も笑い出した。


 ふっと直江の表情から笑みが消える。

藤田の肩に手を置き、直江は顔を近づける。


「ここはもう良いから、岡部先生と競竜場へ戻ってください。警察がお呼びです」


 無言で頷くと、藤田は岡部と共に病室を後にした。

直江の運転で競竜場へ向かう途中、藤田は今日は徹夜かなとぼやいた。

仕方ない、犯人を怨むしかないと直江も笑う。

黙っている岡部に「悪いのは先生じゃない、犯人だよ。だからそんな顔をしなさんな」と直江が慰めた。

それに岡部は精一杯の作り笑顔で答えた。



 岡部たちが到着すると、既に他の調教師は警察の取り調べを終えて会議室でくつろいでいた。

藤田と岡部は彼らに挨拶する暇も無く、別々に会議室に連れて行かれ、当時の状況を聞かれた。

岡部に至っては、脅迫状の件もじっくりと聞かれる事になった。


 事情聴取が終わると、今度は捜査本部となっている大会議室へ連れて行かれた。

そこで待っていたのは雷雲会の筆頭秘書の加賀美だった。


「これまでの脅迫状見ましたよ。武田先生からも聞いていて、厳重警戒を言い渡したのですが、このような事になってしまって……」


 加賀美にチクリと言われ、その隣で井伊がしょんぼりとしている。


 白板に捜査の情報が書かれ、そこに二枚の女性の写真が貼ってあった。

岡部が白板に近づくと加賀美は、それが今回の実行犯だと言った。


「あの三人の男には逃げられたんですね」


「えっ? その二人以外にも誰かいたんですか?」


「ええ。警備員を抑え込んでいた男性が三名ほど」


 岡部は白板に書かれた名前を見て背筋に冷たいものが走るのを感じた。


 一人は大島遥。

皇都で菜奈をつけ狙い、警察に連行された人物である。

岡部が驚いたのは、もう一人の若い方の女性だった。

名前は松浦(まつら)真弓(まゆみ)


 「松浦……」と岡部はぼそっと呟いた。

 加賀美がこくりと頷く。


「お察しの通りですよ。あの久留米の松浦の娘です」


 かつて久留米競竜場の事務長だった松浦は、公正競争違反と公文書偽造で逮捕される事になった。

蒲池が逮捕されると、さらにそこに収賄と横領が余罪として加わり、二五年の禁固刑が求刑されている。

まだ刑は確定では無いが、そこまで求刑とは変わらないだろうと言われている。


 松浦が逮捕された翌日、松浦の妻は、すぐに離婚届を提出し消息不明になっている。

松浦には二人の娘がいた。

姉が真弓で結婚し専業主婦をしていた。

だがこの件で夫から離縁を言い渡される事になったらしい。

実家に戻った真弓が見たのは、荒れ果てた室内と、心傷で自殺した妹の遺体だった。


 ここまでの身の上を落ち着いて話した真弓だったのだが、突然錯乱し、あの男が悪い、岡部が私の家族と人生をめちゃくちゃにしたと喚いた。

そこからは泣きわめき、岡部を出せ、殺してやると、今も暴れ続けている。


「大島の方はずっと黙秘です。二人とも鞄に共産連合の徽章を所持していました」


「木村や松浦のように、蒲池(かばち)及川(おいかわ)たちの家族も、やつらに取りこまれているんでしょうか?」


「かもしれませんね。ですが調査は極めて困難ですよ。人数が多すぎる」


 疲れ切った表情で岡部は椅子にへたりこんだ。


「完全に鎮火するまでは、残り火は燻るものです。ここが最後の正念場だと考えましょう」


 加賀美は岡部の肩を叩いて慰めた。

何かを諦めたような表情で岡部も無言で頷いた。




 日付が変わった。

 結局、対策会議は夜が明けてからにしようという事になり、各調教師は一旦自宅や宿へと戻った。


 宿でひと眠りし、三浦厩舎に顔を出して『サケオンタン』の放牧手続きを行っていると、井伊事務長が駆けこんで来た。

夜中の間に捜査に何か進展があったのかと思い岡部は身構えた。

だが、井伊の口から発せられたのは全く違う話だった。

スィナン師から会談の申し入れがあったというのだ。


 外国語は喋れないのでと岡部は固辞したのだが、向うは通訳を用意しているから安心しろと井伊は全く引かない。

昨日の競走映像もまだ視れてないと、つまらない言い訳をしたのだが、三浦に子供じゃないんだからとたしなめられてしまった。

結局、まずは資料室で昨晩の競走を見てから会談にのぞむという事になった。



 昨晩の『海王賞』は実に面白い競走だった。

『タケノノシマ』『サケオンタン』『クレナイカンサイ』『イナホアタギ』の四頭が、終始抜きつ抜かれつの展開を繰り広げた。

最後の二角で、先行する内の『タケノノシマ』を『サケオンタン』が抑え込むように回り、それを『イナホアタギ』の松田が例の急旋回でさらに内に切り込んだ。

最後の直線で迫る『イナホアタギ』を半竜身抑え『サケオンタン』が一着で終着した。

三着は失速した『タケノノシマ』を、大きく外に持ち出して抜いた『クレナイカンサイ』だった。


 終着した後、松下は『サケオンタン』を一周させる間、何度も何度も空に向かって両拳を突き上げた。




 来賓室で待っていると、ゆっくりと扉が開き、老人と言って良い年齢の男性が入室してきた。

入室すると一度立ち止まり、岡部の姿をじっくりと観察し始める。

ニコリと微笑み、つかつかと岡部に近寄り握手を求めた。


 何か外国の言葉でしゃべっているが全く理解できない。

唯一理解できたのは一番最初の「オカーベサン」という部分だけ。


「岡部さん、初めまして。パルサのスィナンと言います。かねてより武田さんから名前を聞いており、ずっとお会いしたいと思ってました」


 通訳はそう訳した。

 岡部も『ミニストル賞』を勝った調教師として御高名はかねがねと述べた。


 スィナンは見た目の厳つさとは裏腹にかなり気さくな人物で、右手を左胸に当てると、真似をしろと言ってきた。

岡部が左手を右胸に当てようとすると、スィナンは少し慌てて、逆だ逆だと笑う。

慌てて岡部が手を反対にすると、これがうちの挨拶だ、うちに来たらこれをすれば、みんな好意的に見てくれると言って微笑んだ。


 通訳越しの為、微妙に会話の拍が悪いのだが、どうやら竜運船に感動したという話がしたかったらしい。

しばらくは竜運船開発の経緯の話になった。

スィナン師のおかげで止級が盛り上がり、こういう産物が生まれる事になったという話を岡部がした。

スィナンは大いに喜び、頑張ってゴールまで行って重賞を勝った甲斐があったと微笑んだ。


「あなたは、世界を舞台に戦う気概は持っていますか?」


 突然、スィナンがそれまでの笑顔を消し岡部にたずねた。


「私のように、世界の強敵を相手に戦う気はありますか?」


 スィナンは、もう一度同じ事を別の表現で聞いた。

もちろんその気はあるし、周囲からもそう期待もされている、だが少し時間がかかると岡部は回答。

今は呂級で来年やっと伊級に上がる、そこで上位の成績を収めないと海外には出してもらえない制度になっていると。

するとスィナンは、制度は仕方ないが、君なら最短で世界の舞台に立てると確信していると真顔で言った。


 少しの間、岡部はスィナンの表情を確認し続けた。

そしてニコリと微笑んだ。


「止級三冠の最初の戴冠者になってやろうと思っていますよ」


 通訳が訳し終えると、スィナンの表情がパッと明るくなった。

スィナンは立ち上がって、岡部の手を取って岡部も立たせ抱き付いた。

どこか香辛料のような爽やかな香りが漂ってくる。


 一言、何かを言ってスィナンは豪快に笑った。


「若造が生意気言いやがって。最初に戴冠するのはこの私だ。だそうです……」


 通訳が申し訳なさそな顔でそう訳した。

それを聞き岡部も笑い出した。

よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ