第22話 瑞穂優駿
登場人物
・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(呂級)
・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女
・岡部菜奈…岡部家長女
・戸川直美…梨奈の母
・戸川為安…梨奈の父(故人)
・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」
・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将
・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫
・大崎…義悦の筆頭秘書
・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長
・加賀美…武田善信の筆頭秘書
・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長
・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定
・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ
・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和
・大宝寺…三宅島興産社長
・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(八級)。夫は中里実隆
・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)
・杉尚重…紅花会の調教師(呂級)
・松井宗一…紅花会の調教師(呂級)
・武田信英…雷鳴会の調教師(呂級)
・服部正男…岡部厩舎の専属騎手
・石野経吾…岡部厩舎の契約騎手
・荒木…岡部厩舎の主任厩務員
・牧光長…岡部厩舎の調教師見習い
・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手
・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員
・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員
・坂井政則…岡部厩舎の厩務員
・十河留里…岡部厩舎の女性厩務員
・荻野ほのか…岡部厩舎の女性厩務員
・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は北国牧場の小平生産顧問
・跡部資太郎…白詰会の調教師(呂級)
・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手
・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)
・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手
翌週、月曜日の朝から岡部は緊急の記者会見となった。
記者会見を行うようにと竜主会から指示が来た際、明智は冗談じゃないと激怒。
ただでさえ危険な岡部の身を晒すような真似はできないと抗議した。
警備の人を配すれば良いと竜主会が簡単に言ってきて、明智はさらに激怒。
厩務員の多くが太宰府に行ってるのを知らないわけじゃないだろと強く指摘。
だが竜主会と執行会配下の一事務長では立場が違いすぎ、結局押し通されてしまったのだった。
竜主会の要請で岡部が記者会見を開く、それを聞いて一番驚いたのは日競の吉田だっただろう。
部下から報告を受け、竜主会はどんな判断してるんだと思わず声を荒げた。
すぐに部下と共に皇都競竜場へと乗り込んで行った。
会見場は各社一名という厳戒体制で、中継取材も許可されず、さらに会場には、いくつかの厩舎から皇都に残っている屈強そうな厩務員が駆り出されて睨みを効かせていた。
記者会見が終わると、吉田は個別に岡部へ面会の申請をして厩舎へと向かった。
記事にはしないという条件で、これまでの流れを岡部からじっくりと聞いていった。
最初に脅迫状が届いたのは昨年の秋。
正確には昨年の『海王賞』のすぐ後、皇都に戻り出勤したら事務室に届いていた。
封筒の消印は浜松。
怖いというより、なぜ今さらという戸惑いの気持ちが大きかった。
これまでの感じから、競竜場の外で何かをしてくるという事は無いだろうから、少し相手の出方を探ってみようと考えた。
だが結局それ以上は何も起こらず、ただただ定期的に脅迫状が来るだけで八か月が経過する事になった。
部下の萩原に、何でも良いから何か情報を得ていないかと吉田が聞いた。
だが萩原も、急に言われても何も持っているわけが無く、情報を集めるから時間をくださいと猶予をもらうしかなかった。
「もしかしたら、時間的な余裕はそこまで無いかもしれません」
「何やあったんですか?」
「この件が記事になった翌日、新たな郵便がここに」
そう言って岡部は、執務机の中から先日届いた封筒を取り出し応接机の上に置いた。
「内容が今までと違うてたと?」
「ええ。文言はいつもと同じ。剃刀の刃も入ってました。ただ、公園で遊ぶ娘と義母の写真が同封されていました」
「これ、見せていただいても構いませんか?」
岡部が封筒を吉田に差し出した。
中の写真を見た吉田が眉をひそめる。
「最悪ですね。望遠か思たらこれ、公園まで来て撮ってるやないですか」
「先週、義母が写真機を持った不審者がいて、気づいて娘を抱えて家に逃げたって話をしてました」
脅迫文を見ていた萩原が「吉田さんこれ!」と言って一つの文字を指差す。
その文字は『罪』という字だった。
吉田はそれを注意深く見て「これは……」と呟いた。
「先生、これ、子日の関係者かもしれません」
「どうしてそれが?」
「一見、各社同じに見える新聞の文字なんですけどね、実は書体が微妙に違うてるんですわ。で、この『罪』の字。子日の使うてる書体の特徴が」
脅迫文を机に置き、吉田が『罪』の字を指差した。
「でも、だからって子日の関係者の仕業とは」
「ええ。購読者かもしれません。そやけど、もう一般のもんで子日読んどるようなやつは、ほとんどおらへんでしょ」
「やっぱりあいつらの仕業なのか……」
公園で楽しそうに遊ぶ愛娘の写真を手に取り、岡部はため息を付いた。
「うちのもんに言うて警察にタレコミしときますよ。伏見の公園に不審者が出たらしいから巡回した方が良えって」
「ありがとうございます。それと、何か情報があったら教えてください」
わかりましたと言って、吉田と萩原は頷いた。
三週目、『サケコウガイ』と『サケショウチュウ』は別々の最終予選となり、どちらも勝利して決勝へと駒を進めた。
『ショウチュウ』は内柵ギリギリを回って最後突き抜けた。
一方の『コウガイ』は、悠遊と二番手を走り、直線で少し追って終着するという楽な勝ち方だった。
激励会が開催されたのだが、乾杯しても、最上と義悦が憮然とした顔で岡部を見ていた。
最上は新聞の報道で初めて脅迫事件の件を知ったらしく、岡部の無防備さに呆れている。
義悦としては、戸川のように岡部も害されては堪らないと思っている。
それは紅花会全体の思いでもある。
最上としては、そこに義理でも息子という感情が入るからなおさらであろう。
公表してから来た封筒に奈菜の写真が入っていた事を話すと、最上の怒りは頂点に達し顔を真っ赤に染めた。
「卑劣な! 菜奈ちゃんに何かあってみろ。使えるだけの力を使って、全員その報いを受けさせてやる!」
最上の怒りに任せた発言に、その場の全員が戦慄を覚えた。
「今、警察が密かに幼稚園の周りを巡回してくれているそうです」
「で、不審人物は見つかったのか?」
「義母は見たそうですが、今のところは」
そうかと呟くと最上は何かを思案し始めた。
夜の八時が近づいてきている。
下見所では十河が『コウガイ』を、花房が『ショウチュウ』を曳いている。
現在一番人気は七枠十三番の『サケショウチュウ』。
二番人気は三枠五番の『ハナビシカラハナ』。
四枠六番の『サケコウガイ』は三番人気となっている。
係員の合図で騎手が一斉に竜に駆け寄った。
「花房さん、どっちが上やと思う?」
「正直、距離的に向こうの方が上やと思うな。速度だけやったらこっちやとは思うけども。乗り方と展開次第やろうとは思うけどな」
「そやね。なるべく体力温存せんとね」
いつものように競技場を疾駆させるのではなく、服部は、ゆっくりと発走待機所へと向かった。
発走者が台上に上り小旗を振ると、発走曲が奏でられた。
――
呂級生産者の最大の目標、世代の頂点を決める『瑞穂優駿』の時間となりました。
無敗で『上巳賞』を勝った『サケショウチュウ』が二冠目を求めて出走しています。
果たして二冠達成は成るのか、それとも他の竜が絶対王者を下すのか。
順調に枠入りが進んでいます。
体制完了しました、発走!
ポンと飛び出したハナビシカラハナ、ロクモンゴブジョウも好発走。
先頭争いはイナホソッコウオーとサケコウガイ。
サケコウガイ控えて、イナホソッコウオーが行きました。
ハナビシカラハナ、チクテンカワ。
ロクモンゴブジョウ、サケショウチュウ、タケノセンボン、タケノロッカク。
クレナイフジツボ、クレナイナングウ、カグラブエ、ロクモンカヤ。
ジョウフウデン、タケノイキヤ、イチヒキウネドリ。
最後方にエイユウコクヨウで全十六頭。
現在、向正面、ゆったりと進んでいます。
上巳賞竜サケショウチュウ、現在中団内。
果たして、ここからどのような展開を見せるのでしょうか。
向正面を過ぎ三角へと進んでいきました。
先頭は早くも替わってサケコウガイ。
イナホソッコウオー二番手追走。
前半の時計は少し早めです。
サケコウガイ、軽快に飛ばし始め、徐々に後続と差を付け始めました。
ここにきて竜群は少し縦長になり始めています。
最後方エイユウコクヨウが徐々に上がって行き、少し差が詰まってまいりました。
四角回って最後の直線!
先頭サケコウガイ、後続を引き剥がしにかかる!。
内サケショウチュウ、その隣でハナビシカラハナも必死に追いすがる!
外からクレナイフジツボも上がってきた!
まだ先頭は大きく離れてサケコウガイ!
サケショウチュウ、ハナビシカラハナ、サケコウガイを追いつめる!
大外一気にエイユウコクヨウ!
直線残り半分!
先頭はまだサケコウガイ!
サケショウチュウとハナビシカラハナ、じりじりと差を詰めてまいりました!
外からクレナイフジツボとエイユウコクヨウも上がってきた!
先頭依然サケコウガイ!
サケショウチュウとハナビシカラハナ、ジリジリとサケコウガイを追いつめる!
はたしてどうか! 捕えられるか!
残りわずか!
先頭はまだサケコウガイ!
クレナイフジツボ、エイユウコクヨウ、もう厳しいか!
先頭サケコウガイ粘る!
サケショウチュウとハナビシカラハナ、サケコウガイに追いすがる!
これはもうサケコウガイか!
サケコウガイ終着!
女傑サケコウガイ、見事優駿を制覇!
――
『サケコウガイ』と共に石野がゆったりと競技場を一周して戻ってきた。
正直自分の『コウガイ』が競竜会の『ショウチュウ』に勝てるとは思っていなかったようで、君は望む事は全て叶えてくれると言って最上は涙を浮かべて喜んでいる。
服部と板垣は既に検量を終え、あと少しというところで体力が切れたと言い合っている。
十河から鞍を受け取ると石野は真っ直ぐ検量へと向かった。
戻ってくるとまず岡部と握手した。
「正直、逃げはちょっと……前に何頭か竜を置こう思うてたんですが、途中から抑えが効かへんようになってもうて」
「そういう戦略じゃなかったんですね。まあ、次は距離があるから制御が効くでしょ」
「ええ。間違いなく次はもっと強い競走してみせますよ!」
次に最上と握手し無事大任を果たせましたと報告した。
最上は石野に抱き付き、岡部厩舎をありがとうと言って背中を叩いた。
中継取材に呼ばれた石野は、秋の三つ目も期待してくださいと堂々と言い放った。
会場からは割れんばかりの歓声が沸き起こった。
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