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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第六章 出藍 ~呂級調教師編(後編)~
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第20話 太宰府

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、紅花会の調教師(呂級)

・岡部梨奈…岡部の妻、戸川家長女

・岡部菜奈…岡部家長女

・戸川直美…梨奈の母

・戸川為安…梨奈の父(故人)

・最上義景…紅花会の相談役、通称「禿鷲」

・最上あげは…義景の妻。紅花会の大女将

・最上義悦…紅花会の会長、義景の孫

・大崎…義悦の筆頭秘書

・武田善信…雷雲会会長、竜主会会長

・加賀美…武田善信の筆頭秘書

・織田繁信…紅葉会の会長、執行会会長

・志村いろは…最上競竜会の社長、最上家長女。夫は光正、娘は京香、息子は光定

・氏家直之…最上牧場(北国)の場長、妻は、最上家次女のあすか、長女は百合、次女はあやめ

・中野義知…最上牧場(南国)の場長、妻は最上家三女のみつば、長男は義和

・大宝寺…三宅島興産社長

・櫛橋美鈴…紅花会の調教師(八級)。夫は中里実隆

・三浦勝義…紅花会の調教師(呂級)

・杉尚重…紅花会の調教師(呂級)

・松井宗一…紅花会の調教師(呂級)

・武田信英…雷鳴会の調教師(呂級)

・服部正男…岡部厩舎の専属騎手

・石野経吾…岡部厩舎の契約騎手

・荒木…岡部厩舎の主任厩務員

・牧光長…岡部厩舎の調教師見習い

・新発田竜綱…岡部厩舎の調教助手

・垣屋、花房、阿蘇、大村、赤井、成松…岡部厩舎の厩務員

・西郷崇員…岡部厩舎の厩務員

・坂井政則…岡部厩舎の厩務員

・十河留里…岡部厩舎の女性厩務員

・荻野ほのか…岡部厩舎の女性厩務員

・小平一香…岡部厩舎の女性厩務員、父は北国牧場の小平生産顧問

・跡部資太郎…白詰会の調教師(呂級)

・香坂郁昌…大須賀(吉)の契約騎手

・栗林頼博…清流会の調教師(伊級)

・松下雅綱…栗林厩舎の契約騎手

 月が替わると、岡部は阿蘇や成松たちと太宰府へ向かった。

 松井厩舎も杉厩舎も『優駿』には縁が無いらしく同じ日の出立となった。

ただ、松井厩舎は説明と事務手続きがあるという事で、かなり前の電車で向かったらしい。

杉厩舎は現地集合にしたようで、バラバラで太宰府に向かっているらしく、岡部たちと一緒になったのは吉弘だけだった。

成松たちを見て吉弘は、久留米の頃を思い出すと嬉しそうにはしゃいでいる。


 吉弘は岡部が久留米に配属になる三年ほど前から杉厩舎で働いているらしい。

後に服部の妻となる田北とは別の学校の同学年で、田北が働き始めてから、半年ほど遅れて働き始めたのだとか。

少し幼く見える見た目から文化系と思われがちなのだが、中学校、高校と籠球部だった。

高校卒業後、進学には興味が無かったようで、半年ほど友人と町を遊び歩いていた。

だがさすがに親に怒られ、学校の近くにあった競竜場で働く事にした。

求人の見方すらわからなかったようで、もぎりや竜券販売と思って応募したのが杉厩舎の厩務員だったのだとか。

しかも当時の杉厩舎といえば、及川たちによる理不尽な振る舞いに懸命に耐えていた時期。

田北と二人、白桃会や桜嵐会の調教師から、かなりしつこく引き抜きの話があったらしい。

だが厩舎の状況の悪さに逆に団結心が生まれ、話を断り続けていた所に岡部が乗り込んで来たのだそうだ。


「先生ん娘さんは太宰府には来んと?」


「妻が身重だから今年も単身かな。娘だけ来られても面倒見きれないし、幼稚園もあるしね」


 すると、先生の娘さんってどんな感じなのかと阿蘇がたずねた。


「髪ば長て、お人形さんみたか娘で、がばい可愛いかよ。何をするにも父さん、父さんって」


 うっとりとした表情で、私もあんな娘が欲しいと遠くを見て吉弘は言った。


「そういえば、『上巳賞』の時、十河とどこか行ったみたいだけど?」


「嫌やわ、見よったと。西郷君が友達と一緒に祝賀でも言うけん、二人で行ったとよ」


「収穫はあったの?」


 吉弘が目を細め、得物を狙う狩人のような鋭い目つきになったので、岡部も成松も少し引いた。


「それはもう! 絶対離してやらないんやから!」


「……あまり、そういう気合を表に出しちゃうと失敗するよ」


 岡部が顔を引きつらせると吉弘は我に返り、嫌だなあと言って笑い出した。



 太宰府競竜場に着くと、まずは事務棟の大会議室で寮の鍵を受けとり、一旦荷物を置きに皆で寮へと向かった。

その後、再度競竜場で集合し厩舎へと向かった。


 竜房と事務室を清掃してもらう間、岡部は成松と天満宮に御札をもらいに行った。

厩舎に戻るとすっかり掃除は終わっており、神棚に御札を収め全員で拝礼。

そこで厩務員たちは解散とし、鵜来島に連絡を入れた後、松井厩舎へ冷やかしに行く事にした。



「どう? 困った事は無い?」


 ばたばたと忙しくする厩務員たちを横目に、岡部は松井に話しかけた。


「見たらわかるだろ! 新規開業みたいなもんなんだぞ、忙しい以外の台詞がないよ!」


「ふうん。じゃあ、お邪魔みたいだから帰ろうかな」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! こっちは初の止級でわからない事だらけなんだよ。そこの椅子に座っててくれ」


 岡部が応接椅子に座っていると、松井が一通り清掃と片付けを終え、手を洗ってから椅子に腰かけた。


「こんな状況だから、まだ飲み物が出せなくてすまないな。初回だから、まず研修の申込からしないとなんだよ。君ほど事務得意じゃないからさ。てんてこ舞いだよ」


 自分も初年度はそんな感じだったと岡部が笑うと、松井は事務が得意で羨ましいと笑った。


「で、わからない事って何なの?」


「何というか、わからない事だらけだよ。そもそも止級って伊級の人たちとやるんだよな。呂級で勝負になるものなの?」


「僕は勝負になったけど?」


 一瞬煽られたと感じたらしく松井がぴくりと眉を動かしたのだが、岡部の顔はごく平然とした顔であった。


「君は、その、一般には含まれないというか何というか。規格外というか、その……」


「あ、そういう事言うんだ!」


「褒めてるんだから拗ねるなよ。で、実際のところどうなんだ?」


 どうなんだとざっくりと聞かれても、岡部もどう返答したものか困ってしまう。


「そんなの調教次第だよ。伊級の先生と別の調教をしないといけないってわけじゃないから、理論さえわかれば」


「理論を理解すれば、か。まずは実物を見てみない事にはってとこかなあ」


 腕を組んで松井は頭を右に左にと傾げる。

恐らくは松井なりに想定をしているのだろう。


「じゃあさ、うちの竜明日来るから見においでよ」


「おお、そうだな。研修まで数日あるから、お言葉に甘えさせてもらうかな」



 翌日朝から、松井は岡部厩舎に入り浸った。

岡部厩舎も入港連絡が来ない事にはやる事が無く、厩務員たちも休憩時間となっている。


 岡部も松井と珈琲を飲みながら『とおりもん』という菓子を食べ歓談して過ごしている。

お互い小さい娘を持つ父である。

歓談と言っても、妻への愚痴や、娘が可愛いといった話に終始している。


 昼食後、厩舎に戻ると、連絡のあった大型輸送船が港の外に停泊しているという連絡が事務棟から入った。

その連絡から三十分ほどして岡部の竜が搬送されてきた。


 阿蘇と大村を連れ松井と共に受け取りに行くと、大型輸送船から次々と小型輸送船が降ろされている。

移動生簀とも言える小型輸送船には、竜の名前と会旗と厩舎名の書かれた識別札が付いており、すぐにどれがどの竜がかわるようになっている。

阿蘇と大村で二頭の竜に轡を付け、牽引用の引き綱をかけ、輸送船から降ろして専用の水路を曳いて行く。

竜を降ろし終えると、小型輸送船は大型輸送船へと帰って行った。


 太宰府競竜場では、この作業が朝から休む間もなく行われているのである。

恐らくは浜名湖競竜場も同様だろう。

何もかもが、これまで見てきたどの級とも違う。

松井は物珍しいという感じで観察し続けた。


「あの竜運船も君が作らせたんだもんな。電脳の支援機能と言い、まさに革命家だな」


 厩舎への帰り道、松井は何度も港を振り返り、しみじみと言った。


「今、別の物も作ってもらってるよ。それが完成したら、止級輸送はもう何も困ることは無いと思う」


「君のその発想力は大したもんだよ。素直に感動する」


 最後にもう一度搬入港を見てから、松井は厩舎へ向かう通路に足を向けた。

そんな松井を岡部も足を止めて待っている。


「僕は子供のように、あれが欲しい、これが欲しいって言ってるだけだよ。本当に凄いのは、それを実現する紅花会だよ」


「確かにな。そこに商機を感じられて、金と人付けて、ちゃんと完成させられる会派も凄いよな」



 二頭は竜房に入れられると、一旦体調を確認するために水から出された。

昨年鍛えに鍛え、『潮風賞』の決勝に残った『オンタン』は、最初からかなりの筋量で、竜体に張りのようなものを感じる。

一方、新竜の『センカイ』はまだ線が細く、いかにも新竜という風である。


「ほう! こんなに鍛えられるものなのか! はっきり見ただけで違いがわかるな!」


「そりゃあ、片方は『海王賞』に出そうって竜だもん。新竜とは、はっきりと違いが出るよ」


 『海王賞』までにもう少し体を大きくするつもりだと言うと、松井は舌を巻いた。


「止級って休みの間、筋量は落ちないの?」


「もちろん落ちるよ。これでもかなり落ちてる。でも、放牧でも筋肉使ってるから、落ちてるって言っても一月で戻る程度だね」


 岡部が『オンタン』の顔の後ろ辺りを撫でてあげると、キュゥゥゥと嬉しそうな鳴き声をあげた。


「じゃあ、長く現役を続ければ、それだけ筋量が増えるって考えで良いのかな?」


「そこは呂級と一緒だよ。増える時期と、伸び悩む時期と、減ってく時期がある」


「という事は、鍛えられる時期に鍛えきらないとって事なのかあ」


 岡部が体を揉み、魚を食べさせ、顔の後ろを撫でると、『センカイ』も、キュィィという嬉しそうな鳴き声をあげた。



 二人が事務室に戻り歓談していると、一人の調教師が訪ねてきた。

その人物は松井を見ると、ついに『五伯楽』が全員呂級なのかと少し渋い顔をした。

松井が席を岡部の横に移し、その人物には対面に座ってもらった。

岡部が珈琲を淹れに席を立つと、その人物は松井に、伊級の大須賀(おおすが)忠陽(ただあき)だと挨拶した。


「岡部君、香坂の件はすまなかったね。君がどのような裁量をするのか、伊級でもかなり注目の話題だったよ」


 大須賀は珈琲を飲むと、これが伊東さんの言ってた噂の珈琲かと唸った。


「しかし、まさか忠吉に預けるとはなあ。平賀さんには貰って良いと言われたんだろう?」


「あれ? もしかして大須賀くんって、大須賀先生の縁者なんですか?」


 岡部が驚いてたずねると、松井もかなり驚いた顔をして岡部と顔を見合わせた。


「なんだ? 今知ったのか? あれは俺の親戚の息子だよ。そうか、忠吉の奴、自信が無いから、うちの血縁を隠してたんだな」


「じゃあ、大須賀くんの出身厩舎って」


「俺の従兄の忠末(ただすえ)の厩舎だよ。あの期は、忠吉か松本だろうと言われてたんだがな。まさかあんな結果になるなんてなあ」


 どうりで優秀なはずだと、岡部と松井は顔を見合わせ言い合った。


「松本くんってどこの厩舎の出なんですか?」


「松本輔三郎(すけさぶろう)厩舎だよ。輔さんの孫って聞いたな。なんだ、同期なのに、そんな事も知らないんだな」


 現在、大須賀忠末は十六位、松本輔三郎は十九位と、どちらも毎年かなり上位の成績の厩舎である。


「僕らとは、宿舎が違いましたから……」


 呑み会でも一度もそんな話してなかったと松井が囁くように言った。


「余程二人とも、お前たちに実力だけを見て欲しかったんだろうな」


 大須賀は、かっかっかと笑い出した。


「話を戻すが、なんで香坂を貰わなかったんだ? 君なら貰えば世界が見えただろ」


「必要があれば借ります。香坂にもそう言ってあります」


 珈琲をひと啜りすると、大須賀は納得いかないという顔で岡部の顔をじっと見た。


「平賀さんの話だと、香坂も君の厩舎との契約を望んでたそうじゃないか。遠慮する必要なんて無かっただろ」


「あの時点で僕が貰ったら、良からぬ噂を立てられちゃいますよ」


「跡部から奪ったってか? それを黙らせるだけの実績を、すでに積んでるだろうが」


 俺もそう思うと松井も大須賀に同調した。


「仁級で増長してやりたい放題の先輩を追放した身としては、自分が同じように見られるのはちょっと……」


「その事件は知っているし、事情も理解はする。だが、あの裁定は伊級でも意見が分かれたぞ。もしかしたら岡部は、世界を目指す気が無いんじゃないかって」


 伊級の上位の調教師である大須賀から『世界』という単語が出て、松井はもうそういう段階なんだと改めて止級という級を実感した。


「もちろん、調教師をしている以上、世界制覇は最終目標ですよ。ですが呂級の現状では……」


「絵空事に思えるか?」


「漠然とした夢という感じですね。そこまでの障壁が高すぎて」


 腕を組み、大須賀は岡部の顔をじっと見つめた。

その表情は少しガッカリしたという感じだろうか。


「去年の『海王賞』を見て、多くの伊級の調教師は確信したんだがな。君がいずれは世界に羽ばたく才能だという事を。もちろん平賀さんもだ」


「香坂には、まず僕が世界を見てくると言っておきました。その後で迎えに行くと」


 その言葉で大須賀はある程度納得したらしい。

少し優しい顔になり、うんうんと頷いた。


「我々は敵ではあるが世界を目指す同士でもあるんだ。くれぐれもそれを忘れんようにな」


 珈琲を飲み終え大須賀は厩舎を出て行った。


「これが止級って事なんだな。本当に世界が近い事を実感するな」


 松井がしみじみと呟いた。


「伊級の竜も見てないのに世界って言われてもねえ」


「君がそれなら、俺なんて、いつになる事やら」


 二人はお互い顔を見合わせ笑い出した。

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