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【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第一章 師弟 ~厩務員編~
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第30話 会長

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の厩務員

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・坂崎…戸川厩舎の厩務員

・池田…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・木村…戸川厩舎の厩務員

・大野…戸川厩舎の厩務員

・垣屋…戸川厩舎の厩務員

・牧…戸川厩舎の厩務員

・花房…戸川厩舎の厩務員

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川…尼子会の調教師(呂級)

・南条…赤根会の調教師(呂級)

・相良…調教師(呂級)

・津野…相良厩舎の調教助手

・日野…研修担当

 週が明けて月曜日。


 いつものように、朝、厩舎に向かうと池田と目が合った。

えらい事になってしまったねと岡部に寄ってきた。


「先生と対決だそうやけど、勝てる見込みなんあるん?」


 さすがに岡部も苦笑いするしかなかった。


「勝てるかどうかはともかく、先生に何かあった時に、代わりが務まれば気が楽だろうなって思いまして」


 だから受けたと言うと、池田は、色々考えてるんだなと感心した。


「そういうことやったら全力で応援するから、先生の鼻を明かしてやろうや」


 そう言って池田は悪い顔をした。



 あの日から『サケセキラン』の調教計画を長井と二人で練っている。

事務室で二人で唸っていると、後ろから戸川が、どうせ計画なんて崩れるんだからそこそこにと言って笑った。


 毎週二回、最初は調教にあまり慣れていないから、乗り運動から徐々にじっくり進めていく。

ただ初回の乗り運動の感じから、かなり仕上がりが早そうという印象を受ける。

であれば、なるべく早い段階で調教場に入れて行きたい。

この日は入厩二回目の調教で、輪乗り場で輪乗りをして帰ってくるだけの調教だった。



 池田、岡部、長井で、雑談しながら厩舎に戻ってくると、見知らぬ老人がそれを見ている。

背はこの年齢にしては高く細身で、持ち手の丸い杖を持っている。

カンカン帽を被り、この暑いのにスーツ姿で、顔は精悍そのもの、吉川先生よりも仏頂面である。


 長井は一目見て最悪だと呟いた。

捕まらないうちに洗い場に逃げようと池田が岡部に言った。

誰ですかと岡部が尋ねると、長井が吐き捨てるように言った。


「会長や。紅花の」


 会長は三人を見ると、ゆっくりと岡部に向かってきた。

それを見た二人はそっと逃げて行った。


「君が岡部君かね?」


「はい。お初にお目にかかります」


 会釈をすると会長は、岡部を品定めするように見回している。

なるほど、皆口を揃えて嫌がるわけだと、ちょっと得心がいった。


「竜を追えるんだってね。戸川から聞いておるよ」


「まだ真似事程度で、お恥ずかしい限りですが」


 会長は話が聞きたいと言って、事務室に来るように促した。

岡部が洗い場の方を見ると、池田が『セキラン』を手入れしながら小さく手を振っている。

明らかに顔が引きつっている。

長井さんの姿が見えないが、一体どこに行ってしまったのだろう?



 事務室に入ると、会長は応接椅子に先に座り、対面に岡部を座らせた。

戸川は会長から貰った菓子をお茶と一緒に二人に出し、奥に下がろうとした。

会長はどこに行くつもりだと指摘して、戸川を自分の横に座らせた。


 戸川は額の汗を拭いながら、こちらが前にお話しした会長だと紹介を始めようとした。

だがそこまで言うと会長は戸川を差し置いて話し始めた。


「紅花会の会長をしている最上だ。改めてよろしくな」


 最上は懐の名刺入れから名刺を差し出した。

会旗、勝負服と共に、『紅花会 会長 最上(もがみ)義景(よしかげ)』と書かれている。


「岡部綱一郎と言います」


 最上は足を組み岡部を眺め見た。


「さっそくだが、戸川とはどういう関係なんだ?」


「養父になっていただきました。僕、身寄りが無くて、馬に乗っていた記憶だけがある感じでして……」


「孤児か……それは、また難儀だな……」


 最上は少し伏し目がちな表情で茶を啜った。


「聞くところによると、なかなか良い『相竜眼(そうりゅうがん)』を持っているそうじゃないか」


 『相竜眼』は、竜の状態を見る技術の事だよと戸川が小声で教えた。


「あくまで馬の知識ですけど……」


 最上は咳払いをして戸川を牽制した。

ここからが今日の本題という事なのであろう。


「君から見て、今年の二頭の新竜はどう見える?」


 戸川は、素直に言って大丈夫だよと、ひきつった顔をした。

最上は戸川を冷たい目で睨んだ。

いちいちうるさいと言いたいのだろう。


「まだ来て数日で、おまけに新竜を見るのも初めてなので、あくまで馬の知識になってしまいますが」


「それで良いから言ってみなさい」


 ではと言ってから岡部は報告を始めた。


「『セキフウ』は、少し本格化までに時間がかかりそうに見えます。一方『セキラン』は、仕上がりも早そうで、骨も太く体の伸びも良さそうで、かなり期待できるのではないかと」


 最上は押し黙っている。

岡部の言った事を、ゆっくり咀嚼している感じである。


「……つまり『セキフウ』は駄目という事か」


「駄目ではありませんけど、あまり早くから無理させない方が良いと思います」


 岡部の発言を最上は、がっかりさせないように言葉を選んだのだと感じた。

牧場から期待できると言われた竜の、思ってもみない評価に少し気落ちした。


「牝竜だからね。なるべく早く結果を出して欲しいんだがね」


「無理させて壊れでもしたら、せっかくの高い竜がそこで終りになりますよ。それじゃあ本末転倒じゃないですか?」


 最上は何度も小さく頷いて、またお茶を啜った。


「なるほど、君の見解は正しい見方だろうな」


 最上は茶菓子を齧った。


「戸川、彼はこう言うが、お前はどう見るんだ?」


 戸川は完全に委縮し、概ね同感ですと小声で言った。


「おい戸川! こっちは新入りだぞ。お前の追加の考えってのは無いのか。情けない」


 戸川は今にも泣き出しそうな顔をしている。


「まだ来て間もない竜で、わかる事ってそれほど多くないと思いますけど……」


 岡部はそう言って戸川に助け舟を出した。


「まあ、確かにそうかもしれんな」


 最上はもはや戸川を相手にするのを止めた。


「だがね、岡部君。牧場では『セキフウ』の方が期待できるという話だったんだよ?」


「『セキラン』は仕上がりは早いでしょうが、もしかしたら頭打ちも早いかもしれません。長い目で見たら『セキフウ』の方がという事なのではないでしょうか?」


「つまり、どういう意味だ?」


「『セキラン』は短期決戦、『セキフウ』は持久戦って事です」


「ほお、なるほど、それはわかりやすいな」


 岡部はこれ美味しいですねと茶菓子を齧った。


「なかなか良い眼と見識を持ってるじゃないか。戸川も、これくらい言えれば良いんだがなあ」


 最上は、かなり気分が良くなっているらしい。


「後学の為に『セキラン』を彼にみさせよう思うていますが、会長はどう思いますか?」


 戸川は恐る恐る尋ねた。

ふむうと鼻から息を漏らして、最上はお茶を啜った。


「お前が見るより、案外その方が良いかもしれんな」


 そうチクリと言うと戸川を一瞥した。

戸川はまたも泣き出しそうな顔をしている。


「本当は先生が見た方が良いに決まってますよ」


 岡部はそう言って最上に笑いかけた。


「どうだかなあ」


「会長さんだってそう思うから、こんな良い竜を先生に預けたんでしょ?」


 岡部は最上を見て人の悪い笑みを浮かべた。


「まあ、そういう事にしておこうかな」


 最上は一本取られたという顔をし、岡部を見て笑った。


「大口叩いておいてこんな事言うのも何なんですが、僕、初めての事なので、もし失敗したら、その……申し訳ありません」


 岡部が急に情けない事を言い出し、最上は鼻で笑った。


「失敗なぞいつもの事だ。心配せんで良い。駄目なら次に賭けるだけの事だ」


「そう言ってもらえると、こっちも気が楽です」


 そう言って岡部は微笑んだ。


「だからと言って、それで手を抜いてもらったら困るがな」


「こんな新米に任せてもらえるんだから全力ですよ!」


 岡部は良い笑顔を最上に向けた。

最上も満足そうな顔をして、残りの茶菓子を食べお茶を啜った。


「戸川、良い子を拾ったな」


 そう言って戸川の顔を見て笑った。


「今日は思いもしない収穫があったわ。次来るのが楽しみになったわい」


 最上は席を立つと、戸川から帽子を受けとった。


「そうだ、岡部君。番組が本格化する前に一度戸川と牧場に来なさい」


「二人でですか?」


「ん? 戸川と二人は嫌なのか?」


「できれば、その、もう二人ほど……」


 岡部は照れた態度を取って戸川を見た。

その態度で、最上は多くを察し豪快に笑い出した。


「わかったわかった。旅費も持つし良い宿も手配してやるから、都合の良い日を連絡してきなさい」


「ありがとうございます!」


 最上は高笑いして厩舎を去って行った。




 岡部は頭を下げ見送ると、大きく息をついた。


「君、思った以上に肝が座ってるな」


 戸川は岡部を見て目を丸くしている。

事務室の奥の会議室からずっと息を潜めていた長井が、生きた心地がしなかったと震えて出てきた。


「先生、これから会長の接待は彼に任せましょうよ」


 そう提案した長井の顔は、全く冗談で言っている感じでは無かった。


「毎回、あないな猛獣の縄張り争い横で見せられたら、僕の胃が死んでまうわ」


 戸川はやっと笑い出した。


 朝の休憩から戻った池田たちは、珍獣でも見るかの顔で上機嫌の最上を見た。




 その日の晩、戸川家の食卓は大盛り上がりだった。


「綱一郎君が凄かったんや! あの会長に食ってかかるんやで!」


 奥さんは目を輝かせて戸川の話を聞いている。

梨奈も興味があるようで、もちもちとご飯を食べながら戸川の話を聞いた。


「会長も途中はもう押し込められて、『そうかもしれんな』なんて言い出してな!」


 戸川はご機嫌でおかずを口に頬張った。


「あの会長さんでも、そないな風になる事があるんやね」


 奥さんは岡部の方を見て、かなり驚いている。

岡部はずっと恥ずかしがってご飯を食べている。


「新人を潰さないように気を使っていただけたんですよ」


 岡部は恥ずかしがって、戸川から目を反らしてご飯を咀嚼している。


「いやいや、あれは君をだいぶ気に入ったようやで。『良い子を拾ったな』なんて言うてたしな!」


 あの時の最上の顔を思い出して、戸川はほくそ笑んでご飯を掻きこんだ。


 岡部はさすがに羞恥が限界に達したらしく、戸川をせかした。


「もう! そんな事より何時にするんですか?」


「待て待て、綱一郎君! 話には順序いうもんがあってやなあ」


 戸川はゲラゲラ笑って岡部を指差している。

奥さんは何かあるのと不思議がった。


「会長からな、牧場見学に来いって誘いがあったんや」


「そうなんや。出張準備するから、予定決まったら早めに教えてね」


 奥さんは、お新香をぽりぽり齧りながら言った。

だが戸川は梨奈の顔を見た。


「日程は梨奈の予定次第やな」


 私?と梨奈が自分を指差し驚いた。


「綱一郎君が会長を籠絡してな、四人分の北国招待をもぎ取ったんや!」


 奥さんと梨奈は予想外の話に大きく取り乱した。

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