表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】競竜師  作者: 敷知遠江守
第一章 師弟 ~厩務員編~
29/491

第29話 戦争

登場人物

・岡部綱一郎…元競馬騎手、戸川厩舎の厩務員

・戸川為安…紅花会の調教師(呂級)

・戸川直美…専業主婦

・戸川梨奈…戸川家長女

・長井光利…戸川厩舎の調教助手

・坂崎…戸川厩舎の厩務員

・池田…戸川厩舎の厩務員

・荒木…戸川厩舎の厩務員

・木村…戸川厩舎の厩務員

・大野…戸川厩舎の厩務員

・垣屋…戸川厩舎の厩務員

・牧…戸川厩舎の厩務員

・花房…戸川厩舎の厩務員

・三渕すみれ…皇都競竜場の事務員

・吉川…尼子会の調教師(呂級)

・南条…赤根会の調教師(呂級)

・相良…調教師(呂級)

・津野…相良厩舎の調教助手

・日野…研修担当

 家に帰り、客間で二人は座って黙っている。

奥さんがお茶を淹れて持ってきてくれたのだが、戸川は、ちょっと二人で話がしたいと言って奥さんを追いだした。


 二人でずずとお茶を啜ると、戸川はパチリと手を合わた。


「君の口からちゃんと説明が聞きたいんやけど、できるやろうか?」


「どの辺から説明したら良いでしょうか?」


「いびられたとこはどうでもええよ。さっき言うてた方針のとこの話が聞きたいんや」



 岡部は頷くと、戸川の顔をしっかりと見て話し始めた。


 『サケホウセイ』という竜は短距離路線の方が結果が出る気がする。

理由としては、筋量が他の竜より明らかに多く、恐らくは本来の均衡からしたら鍛えすぎ。

だが、逆にあそこまでしっかりと肉が付くのであれば、いっその事短距離路線に持っていった方が良いのでは無いか。


「なるほどなあ。それをああいう風に捕えらえたいう事か」


 戸川はお茶を啜って何度か頷いた。


「『ショウリ』の鍛え方が足らないと言ったのも原因だとは思います」


「『ショウリ』は体質が弱かったからな。これまで中々強く追えへんかったんや」


 それより『ホウセイ』だと戸川は言った。


「あの竜の父親は長距離で結果を出した竜でな。普通に考えたら本来は長距離向きなんやと思うんやがな。体形も長距離竜のそれやし」


「胴長の体形はその通りかもしれません。ですけど、あれだけしっかりした筋肉が付くんでしたら、いっその事、もっと……」


 恐らくは長距離で結果が出ないのは、付きすぎた筋肉が重いからではないか。

その岡部の推測は、戸川も前々から思っていた事であった。


「もっと鍛えれば、そっちでやれるってか?」


 岡部は頷いた。

あくまで馬基準の話なので、竜にそれが当てはまるのかはわかりませんがと断りを入れた。


 長い沈黙が客間に漂った。

戸川は口に手を当て、無言で考え混んでいる。



 何かを思いついたようで、戸川は指をぱちんと鳴らした。


「よし! 綱一郎君、喧嘩をしよう!」


 岡部には戸川の言う意味が解らなかった。

何を突飛な事を言い出したのかという顔をしている。


「長井の騙されたとこも大体わかった。そやから長井を説得して厩舎を割ってしまおう」


 岡部と長井で組んで、戸川と対立したという事にしようと言うのだ。

比較的悪意を感じないのは誰だと、戸川は岡部に尋ねた。

池田、垣屋、牧の三人と言うと、じゃあその三人は長井の組だと言って手を打った。

最年長の坂崎と最年少の花房は恐らく中立だろう、そういうのに関わりたくない質だろうから。


「明日、長井と話を詰めてくるわ。長井は単純やから、真相聞いたら逆にあっちに怒りが向くやろ」


 戸川は、こういうのはわくわくすると言って笑い出した。



「最終的にあの三人の立場が悪くなったりはしませんか?」


「その時はその時や。他の厩舎と交換するなり対処法はある」


 厩務員のなり手は決して多いわけではない。

完全な肉体労働の上に動物相手、おまけに大怪我をする可能性もある。

人間関係で揉めるなどはよくある話である。

それだけに、厩舎間で厩務員を交換するというのも決して珍しい事ではない。


「でも、これまで厩舎を支えてきた方たちですよね?」


「もし竜の事で嘘を報告されたら、厩舎の運営に関わるんやわ。正直僕もがっかりや」


 人間だから性格が合わないなんて事はよくある事である。

だがああやって不和の種を作られてしまうと、今後どういう人材を採っても同じ事になる可能性がある。


「他の厩舎、受け入れてくれますかね?」


「まあ皇都じゃ無理やろうな。狭い世界やからな。すぐに噂は広まるやろし。賃金の安い仁級行ってどうかってとこやろ」


 戸川はお茶を啜りながら即答だった。


「厩務員、新たに一から育てないといけなくなりますけど……」


 どうにも岡部が処分に対し否定的に感じ、戸川は話を一旦区切ってお茶を飲んだ。


「君も僕の立場でよう考えてみ? 新人取りました。いびられてすぐ辞めました。研修費はパア。募集もしなおし。悪い噂だけ残る。あいつら残してうちの厩舎に何の得があんねん」


 それでも岡部は黙っている。


「勝負の世界やからな。妬みや嫉みは溢れとるけども、竜という仕事道具を出汁にして嫌がらせするんだけは禁じ手やと僕は思うけどな」


 岡部はそれでも黙っている。

自分のために既存の人が解雇される、その事にどうしても罪悪感を感じてしまうのだ。


 そんな岡部を見て戸川は少し説教が必要だと感じた。


「綱一郎君、厩舎関係者にとって大事な事はなんやと思う?」


 厩舎関係者というからには厩務員だけじゃなく、調教師や調教助手、騎手も含む全員という事になるだろう。


「『竜の事を一番に考え、競争で最大限の能力を出させること』でしょうか?」


「……満点の回答やな。恐れ入ったわ。ほな、それがわかっとんのやったら、どうするんが一番か、自分がどう行動したら良えか、何がアカンのか、自然と答えが出るんやないのか?」


 時には竜のために非常な判断をしなければならない時はある。

感情よりも善悪や損得を冷静に判断しないといけない時がある。


 岡部はその言葉を胸に刻み込んだ。

この先もしかしたら、戸川と本気で対立する事もあるのかもしれない。

その時にきっと今の言葉が自分を導いてくれるだろうと感じた。




 翌日、岡部は自分の部屋で研修で教わった番組表を必至に頭に入れていた。


 昼食後すぐに戸川は帰宅した。

岡部を客間に呼び出すと、色々決まったよと嬉しそうな顔をした。



 出勤早々に最年長の坂崎を呼び出し、長井と二人で事情聴取をしたらしい。


 木村たちは研修初日に見た時から岡部の事が気に入らなかったらしい。

姿が目に入ると岡部に対する悪態を口にしていた。

池田が竜の前でそういうのはやめろと注意したのだが、逆に良い子ちゃんだと煽られていた。


 最初は、へらへらしているとか見た目についてだけだったが、落竜してから下手なくせに竜に乗って迷惑かけてとか、具体的に馬鹿にするようになっていた。

仕事に就いて早々に竜についてあれこれ言うから、一度絞めておかなければと言い合っていた。

自分も手を貸せと言われたが、興味が無いから勝手にしろと突き放したという事だった。


 長井はそれを黙って聞いていた。

そんな事だなんて知らなかった。

かなり動揺している感じであった。

坂崎を帰すと戸川は、そんな長井に誰から何を聞かされたか尋ねた。


 一昨日の帰り際に木村から、岡部が竜房で長井の調教が緩いと陰口を言っていると聞かされたらしい。


「『ショウリ』の鍛え方が足らへんいうんが、そないに腹が立つんか?」


 戸川の指摘に長井は不快だという顔をした。


「『ショウリ』は体質が弱いんやからしゃあないやないですか! それを俺の腕が悪いみたいに言いやがって」


 戸川はずっと長井の顔を見続けている。

暫く怒って、長井はふと我に返った。

もし戸川が言うように、岡部が単に鍛え方が足らないと言っただけなのだとしたら、逆に木村が長井に悪口を言った事になる。

自分が騙された事を察し別の怒りが沸いた。

それを見た戸川は長井の単純さを鼻で笑って、例の計画の話をした。



 事務室から出た長井は竜房から出てくる木村の服を掴んだ。


「違う話を聞いたんやが、どういう事や?」


 そう言って壁に追い詰めた。


「坂崎さんに聞いたんやったら、あの人は人が良えから気づいてへんだけですわ」


 明らかに木村は動揺して、そう言い訳した。


「無駄に争いを産むお前のようなやつの方が、よっぽど信用ならへんわ」


 長井は木村の肩を壁に押し付けると、ゴミがと言い捨てて去っていった。




 その日戸川厩舎には、放牧中だった古竜と共に、芦毛と栗毛二頭の竜が入厩した。

今年から競竜になる新竜たちである。


 これから数日勤務を変更するから紙をちゃんと見ておいてくれと戸川は言い、勤務表を配って帰宅した。




 翌日岡部は、わずか一日という極めて短い謹慎処分を明け出勤した。


 長井は朝早くから出てきており、岡部を見ると申し訳なかったと陳謝した。

岡部は誤解が解けてほっとしていますと言って微笑んだ。

そんな二人の姿を見て戸川は、それじゃあ本格的に計画に移ろうかと悪い顔を二人に向けた。



 その日、担当は例の三人が揃っていた。

新竜が入ったんだと言って、長井は岡部を連れ竜房に入っていった。

竜房に木村の姿を見つけ長井は睨みつけた。


 先日入厩した二頭の新竜の前で二人は立ち止った。

長井は岡部に、触って状態を見るように促した。


 岡部は二頭の竜の体をそれぞれ触って確かめていく。

長井がどう思うかと尋ねた。


「こっちの『サケセキラン』という芦毛の仔が非常に良いですね」


 岡部は迷わずそう言った。

それを聞いた大野が、これだから素人はと言って笑い出した。


 そこに戸川がやってきた。


 戸川はどっちが良く見えると同じように岡部に尋ねた。

岡部は、こっちの『セキラン』だと言って首筋を撫でた。


「おい! 適当な事ぬかしたらあかんぞ! こっちの『セキフウ』はうちの期待の牝竜で、ごっつい奮発して良い種竜を付けたんやぞ!」


 戸川は少し声を荒げ、わざと苛ついてみせた。


「そう言われましても。どう見たって、こちらの『セキラン』の方が圧倒的に良いですよ。体に伸びがありそうだし、骨太だし」


 岡部はそう言って譲らない。


「おもろいやん。僕も『セキラン』が良えと思う。そうや、先生と勝負しようや」


 長井が二人の間に割って入った。


「差し当たって、今年の新竜戦終わった時点でどっちが良い成績やったか見たら良い」


 そう長井は提案した。

それにも戸川は怒ってみせた。


「勝手にせえ!! そしたら僕はもう『セキラン』の調教計画は立てへんからな!」


 完全に戸川は怒りだした。

後ろで例の三人がクスクス笑っている。


「それは良えんですが、木村あたりが、わざと怪我させるかもしれませんよ?」


 長井はそう言って木村を睨んだ。


「もしそんなことが起こるようなら、その時はクビや。厩舎にわざと不利益をもたらすようなやつはいらん」


 戸川は、そんな事はないよなと木村たちを見て微笑んだ。

木村たちは、あからさまに顔を引きつらせた。


「調教計画の基本を教えへんと勝負にならへんからな。今から講義するから事務室に来てくれ」



 三人は事務室に入り扉を閉め、奥の会議室に入ると笑いあった。

大野たちの、あの顔と言って戸川は大笑いしている。

最後、木村泣きそうな顔してたと長井も爆笑である。

さすがに岡部は大笑いするわけにもいかず複雑な顔をしている。


「実際、戸川先生は、どっちが良い竜だと思うんですか?」


 岡部は真顔で聞いた。


「僕も『セキラン』やと思うな。会長は血統が良え言うて『セキフウ』推すんやけどな」


 どうも牧場も『セキフウ』を推しているらしい。


「それじゃあ先生が不利なんじゃないですか?」


 そう岡部は心配した。


「あ? なんだ? 僕は本職やぞ? さすがに勝てへんまでも、良え勝負はできるはずやと思うてるんやがなあ」


 戸川は岡部に、さすがに気を悪くするぞと言って笑い出した。


「先生が大敗こいてもうたら、それこそ大問題だし、計画も破綻しかねんですわ」


 長井が笑い出すと、戸川は本格的に気分を害した。


「でも、これで先生が素人の僕なんかに負けてしまったら、先生の評価に傷がつきませんか?」


 岡部は、それによって厩務員たちに不満が溜まらないかを不安視している。


「僕以上に君に能があると思われたら良えんや。この世界はな、結果だけが物を言うんやで」


 戸川は得意げな顔を岡部に向けた。

よろしければ、下の☆で応援いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ